表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

12

 8月も残すことあと2日で終わる。

 今日は先日ニュースでやっていた、大型台風17号”まんぼう”が、伊豆半島を通過する。

 台風は夕方から暴風域へと入り、深夜には抜けるという。今朝のニュースでは、中心気圧が950hpa、予測最大風速は45m/sで、移動速度は25kmと予想された。エマにはその数値がよく分からなかったが、ニュースキャスターが、瓦が落ちたり、木が倒れているイラストを使って説明していたので、どのくらい強い台風なのかイメージはできた。

 午前中は、どんよりとした曇が空を覆っているが、雨は降っておらず、敏朗は夕方の台風に備え、外にある飛ばされそうなものを片付けたり、立て付けの雨戸を固定していた。誠は本当なら休みであったが、台風対策のために学校へ出勤することになり、霞は午前中はパートに出ていた。明美は庭の菜園で、できる限りの野菜を収穫し、結花とエマは、家庭菜園の周りに緑色の支柱をさし、そこに暴風ネットを結びつけていた。

 『こんなんで大丈夫かな?』

 建てた支柱をエマに見せながら、結花が言った。

 そして、エマがその支柱を揺らしながら答える。

 『えっ、This is a disaster.(これは、ひどい)』

 『ディザスター?なにそれ。』

 『えっと、it's like a typhoon.(台風みたいな)』

 『まだ台風来てないし!!それに、結花の力じゃこれ以上無理だもん!』

 結花が文句を垂れていると、庭の横に設置されている物置小屋にいた敏朗が、支柱さし機を持ってやってきた。

 『全然ダメなこりゃ。』

 敏朗は、結花の建てたグラグラの支柱を触れると、呆れたように言う。そして支柱さし機を、支柱の下の方に取り付けた。

 『こんくらい刺さないとだめだ。』

 敏朗は全体重を使って、力強く足を使って支柱さし機を押し込むと、グイグイと柱が地中へと埋まっていった。

 『そんなの体重が重いからできるんだよ!』

 結花が不機嫌そうに言った。

 『まぁ、とりあえずやってみ。』

 敏朗が別の支柱に、支柱さし機を取り付ける。

 結花は力一杯踏み込むと、支柱は少し地中へと埋まった。

 『どう?』

 『んー、まだまだ。』

 結花は何度か試すも、安定するほど深くまでは刺さらなかった。諦めた結花は、エマに声をかける。

 『エマ!やってみて!エマのが重いから!』

 『え?エマがおもい?』

 『いい意味で!!』

 『いいいみ??』

 重いとはどういう意味かわからなかったが、エマは言われた通り、支柱さし機の上に思いっきり乗った。

 すると、結花がやった時よりも支柱は深く刺さった。

 『ほら!!やっぱりエマのが重い!いい意味で!』

 『おもい?Heavy?!??』

 『いい意味だよ!グッド・ワード!!』

 『That's a very negative word!!(それはとってもネガティブな言葉だよ!)』

 その騒がしくも、賑やかな外の様子を、しらたまは縁側から眺めていた。

 午後になると雨が降り始め、次第に風も強くなってきた。

 明美、結花、エマの3人は、居間で台風のニュースを見ていた。敏朗は玄関の扉を外し、何やら作業をしている。

 『玄関の扉外してるから、しらたまはこっちこないようにしてくれ。』

 と、玄関から敏朗の声が聞こえた。

 『はいはーい。』

 結花が軽く返事をして、しらたまを抱き寄せた。 

 しばらくして霞がパートを終え、買い物袋を両手に持って帰ってきた。

 『ただいまー。あ、お父さん。玄関の扉がどうかしたんですか?』

 『あ、霞さん。おかえり。いや、玄関の扉は前から立て付けが悪かったろ?』

 『いつも鍵してるからあまり気にならなかったですけど?』

 『でも、ほら。』

 敏朗が扉をスライドさせて閉めてみせると、少し戻るようにして1cmくらい扉が開いた。

 『あぁ、ちょっと空いちゃうんですね。』

 『さっき扉外して見たんだけど、どうやら経年劣化で下のレールが凹んでるみたいだ。』

 『とりあえずは、鍵さえしていれば大丈夫そうですね?』

 『まぁ、そうだな。』

 すると、明美が玄関へとやってきた。

 『霞さん、ごくろうさま。台風、やっぱ予想どおりの勢いで来るみたいだねぇ。』

 『遠くの雲もすっごい暗くて、動きも早かったですよ。これから雷雨になりそうですね。』

 『あらそう〜。おじいさんも、そろそろ終わりにしたらどう?』

 『あぁ、どうせ直せないしなぁ。』

 霞が居間へと入ってくると、右手に持っていた紙袋をエマに渡した。

 『これ、帰りに制服の仕立て屋さんに寄って取ってきたの。』

 エマは紙袋を受け取ると、そこには修善寺中学校の制服が、綺麗に折りたたまれて袋に入っていた。

 数日前に、霞と市役所に行って住民登録をしたり、保険証をもらったり事務的なことを終わらせた帰りに、学校指定の仕立て屋さんで、制服の寸法も合わせに行っていた。

 『いっぺん来てみたらどうだら?ほら、おばあちゃんの部屋に鏡があるだら?』 

 明美が玄関から戻ってくると、座椅子に腰掛けながら言った。

 『着て着て!見たいー!』

 結花は自分のことのようにはしゃいでいる。

 『寸法も合ってるか確かめないとね。』

 霞がそう言うと、エマは嬉しそうに制服の入った袋を持って、敏朗と明美の寝室に向かった。

 紺色のブレザーに、深緑色のチェック柄のスカート、そして深緑色の蝶ネクタイをつける。どちらかというと落ち着いた雰囲気のデザインだ。スカートを履くと膝下くらいの長さで、足が短く見えるのが嫌だったエマは、スカートの上を少し折り返して、足を長く見えるように調節して履いた。

 カナダでは一般的には学校には私服で行くのが普通だから、部屋の端にあった姿見の前に立つと、エマはなんだかコスプレをしているような感覚にもなった。ただそれと同時に、日本の中学生になるという実感も湧いてきた。

 エマは母親の仏壇の前に立って、母親にもブレザー姿を見せる。エマが日本の中学校に行くなんて、母親は思ってもなかっただろうと冷静に考えると、制服姿に浮かれている反面、母に制服姿を見せられない寂しさと虚しさが込み上げてきた。

 エマは仏壇の前に座りこみ、スカートをギュッと握りしめながら、涙をグッと堪えた。

 『Do I stand out in my uniform? I’m half white, after all.(制服姿、浮いてないかな?半分は白人だし。)』

 エマは母に話しかけ、少し余韻を置いた後、立ち上がって居間へと戻った。

 『あら、似合ってるじゃない!サイズもピッタリ!』

 『ほんと、似合ってるねぇ。かわいいじゃない。』

 『いいなー。可愛い!』

 霞、明美、結花、3人が絶妙にタイミングをずらしながら、エマに言った。

 エマは褒められて口角が上がる。

 『この前、仕立て屋さんで買ったバッグも背負ってみたら?』

 『あ、バッグ?うん…』

 エマは駆け足で2階の自分の部屋と駆け上がり、学校指定のバッグを背負って降りてきた。

 『これは、かわ……いくない。』

 結花は嘘がつけない正確で、いつも正直だ。

 『まぁ、学校は勉強しに行くところだからね!!』

 霞は結花ほどはっきりとは言わないが、可愛いとは思っていない。

 『おっきくて、なんでも入りそうじゃんね。それに、ずいぶん丈夫そうじゃんか。』

 明美は見た目よりも、機能性を重視するタイプだ。

 エマも正直、鞄は全く気に入ってなかった。

 四角くて大きいチュックサックのような鞄で、確かに利便性はありそうだが、女の子らしさは0に等しい。というのも、男女共通の鞄なので、ジェンダーレスを意識したデザインらしい。

 『まぁ、いよいよって感じね。』

 霞がエマに言った。

 『いよいよ?』

 『んーー、もうすぐ中学生活が始まるねってこと!あと2日!』

 『あ、うん。いよいよ。』

 『来年には結花も同じ中学校行くんだら?』

 明美が霞に聞いた。

 『はい。エマが先輩で結花が後輩になるんですね。』

 『それは楽しみだねぇ。』

 『私は来年中学生になったら、バスケットボール部に入る!』

 結花が、やる気のある強いトーンで言った。

 『あら、初耳ね。どうして?』

 霞が不思議そうに言った。

 『だって、結花は身長低いから。』

 『バスケットも身長って高いほうがいいんじゃないの?』

 『んーー。でもバスケがいい!』

 『まぁバレーよりは、身長が関係ないかもね。エマちゃんは部活は決めたの?』

 『バレーボール。』

 『なんで??』

 結花が興味津々に聞いた。

 『んーーー、just because.(なんとなく。)』

 『なにそれ?なんかエマ、怪しくない?』

 結衣は、何か隠し事がないか怪しむような目で、エマを見た。

 『そう?エマちゃん身長は低い方ではないし、バレーボールは良さそうじゃない?』

 霞がそう言うと、今度は明美が提案した。

 『誠も、昔しはバレー部だったっけね。エマちゃん、誠に教えてもらったら、いいんじゃない?』

 『え?まことおじさん、ぶかつ、バレーボール??』

 『中学校と高校の時はやってた記憶があるけど、強い学校ではなかったからね、上手いかもわかんないけどねぇ。』

 『そっか。かすみおねーちゃん、ぶかつ?』

 『私は、中学校はバド部だったわよ』

 『ばどぶ?』

 『あ、バドミントン部!訳してバド部!』

 『Ah, badminton!! cool!(バドミントン!いいね!)』

 『おばあちゃんは???』

 今度は結花が聞いた。

 『ばあちゃんはねぇ……テニス部だったんだよ。』

 『ほんとーー?信じられない!!』

 『こー見えても、昔しは“マーガレット明美”て言われてたんだよ。』

 『なんでマーガレット??』

 『当時、外国にそんな名前のすんごい強い女子テニスの選手がいたんだよ。』

 『おばあちゃんが強かったてこと??信じられないーー!』

 『じゃあ、おじいちゃんは??』

 『じいさんは、野球少年だったよ。』

 『やきゅう?』

 エマが聞き返した。

 『ベースボールよ。』

 と霞がエマにそっと教えた。

 『それはなんとなくわかる気がするー。』

 結花はそう言うと、予想通りといった様子で頷いた。

 『まぁ、みんな綺麗にバラバラだこと。あ、でもエマちゃんがバレー部に入ったら、誠と同じね!』

 霞がそう言い終えると、雨が瓦に強く打ち付けられる強い雨音が聞こえ始めた。そしてその後すぐに、敏朗の声が玄関から聞こえた。

 『雨も風も結構強なってきたぞ。』

 『あらら、凄いわねぇ。雨戸も閉めようか。』

 明美が外を見ながら言った。

 しらたまも、雨の音に怯えた様子で外を眺めている。

 それから夕方になると予想通り、暴風域に直撃した。

 雨は荒れ狂うように降り続け、強風で雨戸がガタガタと音を立て、午前中に結花とエマが張った防風ネットもバサバサと大きな音を立てている。

 しらたまは音が怖いのか、テーブルの下に潜り込んでいた。

 明美と霞は夕食の支度をしていて、敏朗、結花とエマの3人は居間で台風情報のニュースを見ていた。

 『ただいま、台風17号は伊豆半島を暴風域に巻き込み、非常に強い風雨が続いております。住民の皆さまには、不要不急の外出を控え、安全な場所での待機を強くお願いいたします。』

 『誠は帰って来れるんだら?』

 敏朗が台所の方に向かって声をかけると、台所から霞がひょこっと顔出して答えた。

 『さっき学校で待機してるって連絡がありましたよ。予定通り台風が直撃したので、学校は避難所になって、台風が止むまで帰れないそうです。』

 『そうか。まぁ学校ん中なら家よりはずっと安全...』

 その時、台所の窓の外がピカっと光った。そして、ほんの数秒後に『ドーーン!!』と地響きと共に、巨大な雷鳴が聞こえた。

 『わぁーーーっ!!!』

 結花の叫び声と同時に、部屋の電気、テレビが消えて家の中が真っ暗になった。

 『大丈夫、ただの停電だ。』

 敏朗が落ち着いた声で言った。

 『結花、エマちゃん、動いちゃダメよ。えっと、スマホはどこに置いたかしら?』

 霞がスマホを探しながらとうろうろとしている。

 『えらい大っきい雷だったねぇ。あんなの初めてだよ。』

 明美の声も、台所の方から聞こえる。

 目の前は真っ暗で何も見えないが、話声でみんなとの距離感がわかる。

 エマは、2階の自分の部屋で充電しているスマホを取りにいこかと思ったが、暗闇に目が慣れるまでは行けそうになかった。

 『目が慣れたら、寝室の押し入れに行って懐中電灯とってくる。』

 敏朗がそう言うと、台所が急に明るくなった。

 『スマホ見つけたわ!』

 霞がそう言うと、スマホのライトを照らしながら居間にやってきた。

 『霞さん、ちょっとそのまま寝室まで来てくれ。』

 『はい。』

 霞と敏朗は寝室に懐中電灯を取りに行き、すぐに懐中電灯を一本ずつ持って戻ってくると、敏朗が言った。 

 『停電中は、井戸ポンプで水を汲み上げられないから、バッテリーと繋げてくる。』

 『でも、外は危ないでしょう?』

 明美が心配していった。

 『電源を差し替えるくらいだ、すぐ終わる。それに水道もトイレもシャワーも使えないのは困るだら?』

 そう言うと、敏朗はカッパを着て、懐中電灯を持って玄関に向かった。

 玄関の扉がガタガタと音を立て、外では相変わらずザーザーとものすごい雨音がしている。

 敏朗が玄関の鍵を開錠し扉を開けると、横なぶりの雨が玄関に入ってきた。敏朗は外に出る同時に、扉を閉め、大雨に打たれながら物置まで走った。

 真っ暗な物置の中を、懐中電灯で照らしながら発電機を探す。すると外がまたピカッと真っ白になって、『ドーーン』と巨大な雷鳴とともに物置が震えた。

 『えらい、でかいな。』

 敏朗も流石にびっくりしたが、すぐにポータブル電源を見つけ、それを片手で持ち上げ、井戸ポンプのある軒下へと持って行った。

 敏朗は井戸ポンプから家へと繋がっているコンセントを外し、ポータブル電源に繋げる。そして、玄関へと急いで戻った。

 『ん?』

 敏朗は玄関に戻ってきた時、玄関の引き戸が開いてることに気づいた。

 (風のせいか?)

 そう思った後、敏朗は嫌な予感がし、大きな声で居間に向かって言った。

 『おい、しらたまいるか!??』

 『え?しらたま?』

 結花が問い返す。

 敏朗は急いで居間に入ってくると、懐中電灯で居間の机の下や縁側の方を照らした。しかしそこにしらたまの姿はなかった。

 『物置から戻ってきたらよ、扉が開いてたんだ。』

 『それって、しらたまが外に出たかもしれないってこと?』

 結花が聞いた。

 『いやぁ、わからん。だから今探しとる。』

 『なに?しらたま?』

 エマは状況が理解できず、不思議な顔をしている。

 『えっとね、しらたまが外にいるかも。』

 『え?そと?なんで』

 結花がわかりやすく答える。

 『玄関・ドアー・オープン。』

 『え....』

 『とりあえず、家の中を探しましょう。』

 と動揺しているエマ達に、霞が言いった。そして、しらたまを捜索すことになった。

 エマは居間を出て暗い階段をかけ上がった。

 2階の部屋で充電してあったスマホを手にしライトをつける。それからまた小走りで階段をドタドタと降りてくると、玄関、敏朗と明美の寝室、居間、台所、扉の空いていた部屋は隅々と探した。

 『しらたま???』

 『しらたまちゃん??』

 みんなで名前を呼びながら探したが、しらたまは見つからなかった。

 『そと?』

 エマがぼそっと言った。

 『こんな嵐の中、外に行くかしら。』

 霞が冷静に答える。

 『雷が怖かったから、咄嗟に逃げたのかも…』

 結花がそう言うと、明美も続けていった。 

 『家におらんじゃ、そうかもしれないね…』

 エマがゆっくりと歩き出し、玄関の方へと向かった。

 『エマちゃん!!!ダメよ!!!』

 霞がエマを止めようと声をかけたが、エマは立ち止まることなく、居間を出た。

 霞が慌ててエマの後を追い、エマの肩を掴んで止めようとした。

 するとエマは、

 『Please!Let me go!!(お願い、行かせて!!)』

 と、涙を浮かべながら大声で言い放った。

 霞は、そのエマの強い口調で呆気に取られた。

 エマが靴を履いて立ち上がった時に、レインコートを着た敏朗が玄関に現れた。

 『エマ!!家に居なさい!俺が見てくるから。』

 エマは聞く耳をもだずに、玄関を出ようとした時、敏朗が強めにエマの腕を引っ張った。

 その瞬間、エマは敏朗を睨むようにしていった。

 『"Because you didn't lock the door!"(だっておじいちゃんが鍵を掛けなかったから!!)』

 すると、敏朗は初めて声を荒げて言った。

 『良いから、家にいなさい!!』

 エマはその迫力に怖気付き、泣きながら玄関に蹲った。

 敏朗が玄関の扉を開けると、ぶあっと荒れ狂う雨と風が玄関の中に入ってきたが、すぐに扉を閉めて出ていった。

 俊朗が外に出ている間、みんなは懐中電灯の光で照らされた居間のテーブルを静かに囲み、ただ俊朗の帰りを待っていた。その間特に会話もなく、風で扉がガタガタいう音、大雨がザーザーと降る音、そして時々する雷の音だけが響いていた。

 しばらくして、スマホで台風情報を見ていた霞が沈黙を破った。

 『いま、台風の中心は伊豆半島の少し下みたい。まだまだ暴風域から出られなそうね。』

 『じいさん、もう10分くらい外にいるんじゃない?さすがに心配んなってきたねぇ。』

 『そうですね..』

 『おじいちゃん大丈夫かな。』

 みんな心配そうに話していたが、エマは黙っていた。

 すると玄関の扉がガラガラと空いて、敏朗が帰ってきた。

 エマは一目散に玄関に向かい、遅れて霞、結花も後を追った。

 『しらたま、見つからんかった。家のまわりも、車の下も、近所も見たんだけどな。』

 エマは、敏朗がしらたまを抱えていなかった姿を見た瞬間に、すでに悟っていた。

 明美がタオルを持って玄関に現れ、体の上から下までビショビショに濡れている敏朗にそっとタオルを渡した。

 エマは何も言わずに玄関に腰をおろし、靴を履き始めた。

 するとタオルで体を拭きながら、敏朗がエマに言った。

 『ダメだ。』

 外は相変わらず、豪雨と強風で玄関の扉がガタガタと揺らしている。

 エマは敏朗の声がまるで聞こえていないのか、止まることなく靴を履き終わった。そして玄関に立っている敏朗とすれ違った時、敏朗が静かに言い放った。

 『プリーズ...ドント・ゴー。』

 それは敏朗が初めて、英語を使った瞬間だった。

 エマは思わず立ち止まった。あの英語嫌いの敏朗が言ったその一言は、エマにはすごく重く響いた。

 敏朗はそれ以外は何も言わずに、体を拭き終えると洗面所の方へと歩いていった。

 『台風が弱くなったら、私も探しに行くから、今は家にいましょう。』

 霞が優しくそうエマに言うと、エマは玄関にゆっくりと腰を下ろした。結花も何も言わず、しらたまが居ないことに、ただ涙を流していた。

 それから懐中電灯の光に照らされた居間で静かに夕食を食べ、スマホの台風情報を見て時間を過ごしていた。

 外はビュンビュンと風が吹き荒れて、相変わらず窓をガタガタいわしている。

 エマは眠たくなってきた目を擦りながらスマホを見ると、しらたまの待受画像が表示された。気持ちよさうに寝ているしらたまを見ると、胸が苦しくなる。

 するとスマホの画面に、”Low battery.(バッテリが少なくなりました。)”と通知が出た。

 エマは、スマホの光を頼りに、2階の自分の部屋にスマホを充電しに向かった。

 2階の部屋に入って、充電器のコードをスマホを差し込み、エマは眠気に負けて布団の上で横たわった。寝たらダメだと言い聞かすも、思いとは裏腹に重たい目がだんだんと閉じていき、すぐに意識がなくなった。

 夢の中。

 エマはしらたまと一緒に畳の上に寝転んでいた。

 しらたまの体はほんのりとあたたかく、エマがそのお腹を撫でると、しらたまは気持ちよさそうに小さく喉を鳴らして寝返りを打った。

 ふわふわしたまだ小さなお腹に、優しく顔をうずめると、しらたまがざらざらした舌でペロペロとエマの頬を舐めてくる。少しだけ痛いけれど、それがなんだかくすぐったくて、エマはくすりと笑った。

 次の瞬間、エマはふっと目を開けて目覚めた。

 頬に何かが触れている感覚がまだ残っていて、夢と現実がよくわからなくなったエマの目の前には、しらたまが、本当にエマの耳の辺りをぺろりと舐めていた。

 『しらたま!!??』

 エマは驚きと喜びの感情がごっちゃになった表情で言った。

 エマは寝ぼけながら、部屋の電気をつけると、そこにはいつも通りのしらたまの姿があった。

 『Where have you been??』(どこにいってたの??)

 その声に目を覚ました結花が、隣の部屋から出てきた。

 『しらたま!??』結花も大声で叫んだ。

 今度は結花の叫び声に、霞、明美、敏朗も起きてきた。

 『しらたま!家にいたの??』

 霞が驚いたように言った。

 『あら、どこにいただら? でも、よかったねぇ。』

 明美はホッとしたように言った。

 エマはふと部屋の押し入れに目をやる。

 襖は開けっぱなしにしてあって、2段目の奥の方には掛け布団がしまってあり、その上がなんとなく凹んでいてた。触ってみると少し生温かい。

 『あら、もしかして、ずっとここに隠れてたのかしら?』

  霞が言い、結花はしらたまを抱き寄せた。

 『よかった!!外に行ってなくて!!!』

 『本当ね!この台風の中、外にいたらどうなってたか。』

 台風と聞いた後に、家族が静まり返りなんとなく全員が外の音に耳を傾けた。

 外では風の音も雨の音もしなかった。代わりにカエルの鳴き声が聞こえる。

 『台風、通り過ぎたみたいんだな。』

 敏朗が言った。

 『停電も、いつの間にか復旧してるわね。』

 明美が答えると、しらたまはお腹が空いたのか一階へと降りて行った。

 明美と敏朗もしらたまの後を追うように、階段を降りて寝室へと戻る。

 『よかったよかったー。あー、眠い。』

 結花はあくびをしながら、自分の部屋へと戻っていった。

 『よかったわね。』

 と霞もエマに一言だけ言って、寝室へと戻っていった。

 エマは、これは夢じゃないのかと何度も頭の中で考えたが、本当に現実だった。

 しかし喜びの中にも、モヤモヤとするものもあった。それは、しらたまがいなくなったのは”敏朗のせいだ”と言ってしまったことだ。

 エマはすぐに敏朗に謝りたかった。だが、しらたまに会えたことが嬉しくて、気づいた時には、敏朗はもう部屋に戻ってしまっていた。

 エマはしらたまの様子を見に、静かに一回へと降りて行った。

 しらたまは、玄関でカリカリと音を立てながら餌を食べている。しらたまがご飯を食べ終わるのを、エマはただ見守っていてた。

 それからエマとしらたまは、暗い居間でゴロゴロとしながら、エマも気づいたらまた眠りに落ちていた。

 それから再び目を開けた時には、外はすっかり明るくなっていて、居間にはテレビニュースを見ている敏朗が座椅子に座っている。台所では、明美が朝食の準備している音がする。

 エマは寝ぼけながらも、敏朗に声をかけた。

 『おじいちゃん。きのうごめんなさい。』

 敏朗はテレビを見続けたまま、答えた。

 『見つかって、よかったな。』

 『うん。ごめんなさい。』

 『ノープロブレム。』

 その言葉を聞いたら、エマの目の前が滲んできた。

 すると玄関の扉が開く音がして、誠が帰ってきた。

 『ただいまーー。』

 誠が居間に入ってくると、エマの目が潤んでいるのに気づいて言った。

 『ん?どうした?なんかあったんか?』

 すると、ちょうど明美が台所から出てきて、誠の話をすり替えるように言った。

 『おかえり、朝まで疲れさん。』

 『台風やんだら帰ろう思っただけんど、疲れちゃって学校でそのまま寝ちまったよ。家は大丈夫だったら?』 『なんも問題ねぇ。俺が建てた家だぞ。そんな簡単に壊れるか。』

 『まぁ、なんもなくてよかったよ。』

 そういうと誠は、縁側の座布団の上に行儀よく座っていたしらたまをそっと撫でて、ポケットから何かを取り出した。

 『ジャーン!首輪!』

 誠の手には、青色の紐に銀色の小さな鈴がついた首輪を持っていた。

 『くびわ?』

 明美が聞いた。

 『そうそう。猫好きの先生がさ、昨日くれたんだよ。しらたまにってよ。』

 誠はしらたまの首に、そっと首輪をまわして、サイズを調整しながらカチッと首輪をはめた。

 『なんか飼い猫っぽさが増して、意外といいな。家猫だから、首輪なんていらないかとおも思ったんだけどさ。』

 しらたまはつけられた首輪を嫌がる事もなく、玄関の方へと歩いて行った。

 しらたまが歩くたびに、チリンと小さな音がする。

 『もっと早く買っときゃよかったな。』

 敏朗がニヤッとしながら言った。

 『え?なんでだら?』

 誠が不思議そうに言うと、明美はふふっと笑い、台所に戻った。

 誠が帰ってきて賑やかになってきたことが気になったのか、2階から結花と霞もちょうど降りてきた。そして、居間にはいつものように家族が集まり、昨日までの台風は嘘のように、平凡な日常が戻ってきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ