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第一話 暗闇の奥に見えたもの

『残酷な描写』は第三話以降になります。

第一話 暗闇の奥に見えたもの



 1



 夜の帷がしなやかに世界を包み込む。


 虫、鳥、獣、そして共に旅を続けてきた仲間たちの視線からも解放され、ここに至ってようやく男は心に纏った鎧をも脱ぎ捨てることができた。

「ふぉぅ!」

 暗闇の中で男は大きく息を吐く。オレンジ色の短い髪が揺れ、古くなった床板が軋む。

 少年の面影を色濃く残す顔立ちには不釣り合いな鍛え上げられた厚みのある体躯。至る処に刻まれた矢傷も、左肩から右脇腹にかけて深く抉られた大きな刀疵も、今は闇に溶け、その一部と化していた。

「でも、あっしには丸裸のカブアがよく見えるけどねぃ」

 男の膝近くで淡い灰色をしたなにかが蠢く。

 若い、というより幼い印象の声はイタズラ心を隠しきれない無邪気な妖精を思わせた。

 妖精は丸太をくり抜いたベッドに身を潜めていた。人喰い雀の羽毛を詰めた布団に潜り、キラキラと期待に輝く両目だけ覗かせている。


「ねぇ、早く⋯⋯しよ?」

 潤む藍色の瞳を上目遣いでカブアを見つめる。

 嗜虐心を唆るその声にムラムラとした感情が湧き立ち、興奮からか吐息が白く濁った。

「ああ。その期待に応えてやるよ、ユピ」


 カブアは勢いよくベッドに腰を下ろす。ベッドが高波に弄ばれる小舟のように大きく傾いだ。

「きゃあ! きゃあ!」

 期待を上回る刺激にユピは大喜びだ。

 転げ落ちまいとベッドの縁と布団を鷲掴みし、歓喜の声を上げている。

 ふわりと浮いた布団の下からチラチラと見える小麦色の肌。落下運動で逆立つ毛量多めのボサボサ⋯⋯もとい、フワフワカーリーのロングヘア。ユピの動きを追って揺れる濃いブルネットの髪は、神話レベルの大魔術師のみが使役可能な従属霊魔(じゅうぞくれいま)のようにも見えた。


 ——思ッテタノト、チガウ⋯⋯


 カブアが聞いた話によると、伝説の職人が手掛けたこの奇妙奇天烈ベッドに同衾すれば、ふたりは上下に傾いだり、はたまた回転したりと荒ぶるベッドの虜となり、我を忘れて子作りに没頭する、らしいのだ。だが、愛するこの女はベッドが動くという情報を得るや「いっぱい揺らして!」とねだり、「もっともっと!」とおかわりを促し、ひとり絶頂気味にはしゃいでいる。

 そんな幼馴染を悟りの境地に至った賢者の目で見つめるカブア。その心情は夫というより、もはや父親のそれに近い。

 昂る愛娘の瞳をさらに輝かせたくて、パパは終わりの見えない単純作業に勤しむのだ。


 どれくらいの時間が無駄に過ぎたであろうか。

 

 闇に沈み、滲んでいた窓の輪郭がくっきりと見えてきた。映る景色もベタ塗りの黒一色から、低明度かつ無彩色の模様へと移ろいつつある。夜が明けるのだ。

 ベッドの上には全裸の男女。幼女と呼べそうな丸みを帯びた短い肢体は、汗でじっとりと濡れた背中を大きく上下させ、荒く呼吸をしている。厚い胸板と棍棒のように太い四肢を投げ出した青年は、精も根も尽き果てたという表情で茶色の双眼をぼんやりと天井に向けていた。事情を知らない者が見れば、さぞ刺激的で官能的な一夜を過ごしたのだろうと下世話な妄想を掻き立てるに違いない。

 しかし、実際に行われていたのは、遊具に見立てたベッドでの絶叫マシンごっこである。持てる力と情熱を燃料に、夜を徹して全力で遊んでいたのだ。激しい後悔の念に苛まれながらも、カブアはもっさりとした動作で上体を起こした。


「ほら、起きるぞユピ。もう夜明けだ」

 ユピに背中を向けたカブアは、座ったまま左腕を床に腕を伸ばす。そして、脱ぎ散らかした衣服をかき集めては順番に身につけていった。その間、ユピからの返事はない。一方、カブアの身支度は早くも終盤へと差し掛かっている。獰猛なアオマダコの皮で作った軽くて丈夫な靴に足を入れ、きめ細やかな鱗が美しいミドリドクナマコの手袋に指を通す。あとは帯剣のための腰ホルダーに二振りの大剣を装着するだけだ。


 ふと、首筋にチクチク突き刺さる視線に気がついた。


 振り返ると、視線の先に、頭から布団を被り、ジト目を差し向けるユピの顔が見えた。

「⋯⋯⋯⋯?」

 カブアが言葉の選択に戸惑っていると、ユピの口が小さく動く。

「ん、なんだって?」

 窓を枠ごと振動させる鳥獣たちのさえずりのせいでうまく聞き取れなかったらしい。

 腹にドスンと響くこの重低音は、この辺りの森に生息するキイロハモリドリであろう。たいそう美しい飾り羽根を持つ小鳥で、その名が示す通り仲間の声にハモって見事なハーモニーを奏でる特徴がある。その歌声は8オクターブの音域を誇り、時には超音波をも発声するといわれている。しかし、朝に弱いのか、明け方の声は地鳴りや地響き、酒焼けのおっさんの唸り声に例えられることが多い。


「⋯⋯とにかく、早く支度しろよ。あいつらに裸を見られたかないだろう?」

「⋯⋯⋯⋯たい」

「ん?」

 もっとよく声を聞き取ろうと、カブアは上体を後ろに倒し、耳をそばだてた。

「もっと遊びたいい!」

 涙を散らしながらの魂の叫びがカブアの耳を(つんざ)く。その声にキイロハモリドリも驚いたようだ。一斉に鳴りをひそめ、室内は真夜中と同じ静寂に包まれた。

「十分遊んだろ? オレなんか一睡もしてないんだぞ」

「いぃやぁあぁ! もっと遊ぶの!」

 ベッドの上に寝転がり、ジタバタと騒ぐ姿は「おもちゃ買ってぇー!」と喚く子供と大差ない。


 さすがのカブアもこれには呆れたらしい。大きく吸い込んだ息を強めに吐き出す。


「⋯⋯ユピ。君は我が国が誇る最強騎士団の頂点に君臨する最強の大魔術師だろう? 国王の信頼も厚く、功績は伝説の一部にもなっている。そんな君がだ、素っ裸で両手両足を振り回し、駄々をこねる姿を国民が見たらどう思うよ。君に憧れる子供たちも多いんだぞ」

 ジタバタが止まった。

 ぶすっと頬を膨らませながらも身を起こすユピ。

「目的を果たして戻ってきたら、またここへ寄ろう。その時はユピが満足するまで何日でも付き合うからさ」

 泣く子を宥めるかのようにカブアが優しく声をかける。ユピは黙って頷いた。



 2



「どうしたんスかぁ? あ、もしかして夫婦喧嘩っスかぁ?」

 低俗なゴシップに目がない噂好きが、さっそく空気中に漂う異変を嗅ぎつけたらしい。

 挑発めいた口調で二人をからかうのは、淡い栗色の髪をしたそばかす顔の少年である。年齢は十二、三歳といったところか。小柄でとにかく落ち着きがない。そんな少年をたしなめようとしてか、隣に立つ少女が肘で突く。少女の年も背格好も少年と同じくらいだ。


 少年と少女のどこか微笑ましいやりとりを目にしても、カブアの表情は浮かなかった。


 同衾宿から出てきた二人を待ち構えていたのは、十代半ばにも満たない少年少女が十八名。その全員が枯れ草色の薄汚いポンチョを身に纏っていた。ユピとカブアも例外ではない。事情を知らない者の目には流浪孤児の集団に見えることだろう。これがカブアが先に述べた王国最強騎士団の全容なのだ。いや、正確には王国最強騎士団になる事を義務付けられた子供たち、である。その騎士団の長の座に若くして君臨するのが救国の英雄こと大剣士カブア。奇跡の大魔術師として人気の高いユピが参謀と団長補佐を兼ねていた。冗談に思えるだろうが本当の話だ。

 

 年端もいかぬ子供たちにこれだけの大役を背負わせねばならぬほど王国は困窮していた。


 大国の覇権を争う戦争に巻き込まれる形で参戦することになった王国は、生き残りを懸けて死に物狂いで戦った。王国は古き伝統と教えを実直に守ってきた辺境の小国である。他国では形骸化して久しい魔術を大切に扱い、精霊の言葉に耳を傾け、神々への感謝を忘れなかった。それが功を奏したのか、王国は大戦における唯一の戦勝国となる。だが、失ったものがあまりにも大きすぎた。それが今になって王国を悩ませているのだ。


 足りない人手は敵国の敗残兵でまかない、手に入れた戦争賠償金で国の再建を推し進めた。閉鎖的な国民は他国の人間が伝統的産業に携わる事を良しとせず、また、王国の深くまで侵入した敗残兵が結託し蜂起するといったデマに怯えた。戦前にはなかった猜疑心が人々の魂を歪め、警戒の色で濁った目がついには国王にまでも向けられるようになる。国民の心を繋ぎ止めるため、老いた国王が捻出したアイデアが英雄の創造だったのだ。


 こうして深い傷を負いながらも国のために戦い、生き残った少年剣士と、彼を支え、共に奮闘した魔術師の少女は、王国では誰もが知る英雄となったのである。


「出発しようか。最後の目的地はもう目の前だ」

 カブアの号令で王国最強騎士団になる予定の集団が動き出す。

 森を切り開いただけの街道に戦火の残滓は感じられなかった。木々はどこまでも青く生い茂り、動物たちの賑わいに満ちている。辺境の民が僻地と呼ぶこの場所に、戦争という名を持つ混沌の触手は届いていないようだった。だが、油断は禁物。子供たちもそれを理解しているらしく、遠足やハイキングとは程遠い表情で行動していた。


 その様子を見て、先頭を行くカブアとユピは微笑み合う。

 王国からここへ至る旅路の中で彼らは着実に成長を重ねているのだ。もはや遊びにかまける子供ではない。与えられた使命に忠実な騎士と呼べる存在だった。途中に何度か休憩を挟みつつも行軍は続いた。剣を抜く事態になることもなく、順調に距離を稼いでいく。そして、目的地に到着した頃には陽も大きく傾いていた。


 山肌に大きく口を開けた巨大な洞窟が見える。ここを訪れる人も少なくないのだろう。周囲には来訪者を見込んで宿や酒場など小規模だが賑やかな集落ができていた。カブア一行は集落を迂回して山へと向かう。そして、洞窟が見下ろせる山中に陣を張った。


「あれが冥婦ハウディナへと至る洞穴ですか」

 地面を掘ってあつらえた焚き火のそばに腰を下ろし、火の番をするカブアに少女が声をかける。

「キト。君も留守番か」

「ええ、ユピの狩猟魔法が見たいから来なくていいって置いてかれちゃいました」

 キトと呼ばれた少女は、はにかんだ笑顔で小さく肩をすくめた。肩で切り揃えられた灰色のストレートヘアがたわむ。年の頃は十五歳前後であろうか。静かな口調と落ち着いた動作でユピよりもずっと年上に見える。

「明日、あの洞へ入るんですね」

「ああ、そうだ」

 無愛想にも聞こえる返事をしながらカブアは腕に巻いた白いスカーフを解くと、自分の隣にある石の上に広げた。

 そこにキトはたおやかな仕草で腰を下ろす。

「問題は無事に冥婦のもとへと辿り着けるか、だ。洞窟の中は複雑な迷路になってるって話だからな」

「戻ってきます⋯⋯よね?」

「そのつもりだよ」

 パチパチと爆ぜる薪がふたりの沈黙を埋める。

「⋯⋯子供は妻と夫が愛し合っていれば自然に生まれるものだと思ってました」

「オレもだ」

 

 カブアの脳裏にあの日の光景が蘇った。


 大雑把な意思確認の問いに曖昧な返答をした結果、国王直々のプロデュースによる華々しく豪華絢爛な結婚式が王宮にて執り行われた、あの日のことをだ。国を挙げての祝賀ムードにカブアもユピもただ苦笑するしかなかった。

 幼馴染でお互いが気になる存在だったため、流されるまま結婚に至った二人。「あとは子供でも生まれてくれると、さらに盛り上がって良いのだがなァ」と事あるごとに王から催促されるも、なかなか子宝に恵まれず、今日のこの日を迎えているのだ。


 そんな彼らが向かおうとしているのが地下深くにあるといわれる、冥婦ハウディナの居城である。



 3



 冥婦ハウディナ。

 それは大地の精霊であり、生と死を司る女神の名前だ。

 草も虫も人もすべての魂が等しくハウディナから生まれ、やがて還る場所だと、王国のみならず世界中の人々が信じている。


 そのため、国の支配者や蓄財に長けた大富豪が世継ぎに恵まれない場合、ハウディナに請願の使者を遣わす慣わしがあった。

 金銀財宝を家畜の背に乗せ、護衛の兵や案内人が隊列を組んで直談判に訪れるのだ。もちろん、高貴な身分の当事者が率先して来訪することはない。やってくるのは彼らの部下や家臣たち。つまり、ハウディナ詣は生半可な覚悟では到底到達不可能な危険な賭けだということに他ならない。


 それを知っているからこそ、キトの表情は固く曇るのだ。


 カブアの手がポンとキトの頭に触れた。

「そんな顔をするな。オレたちは必ず戻ってくる。両手に赤子を抱いてな。そう決めてるんだ。だいたいオレが今までに約束を破ったことがあったか? だから、信じてくれ」

 キトをまっすぐ見つめる真摯で情熱的なカブアの双眼。その圧を嫌ってか、キトはふっと顔をそらした。

「約束を破ったこと⋯⋯結構あった気がしますけど」

「あれぇ、そうだっけ!?」

 大仰に声を上げ、驚きの表情を浮かべるカブアにキトはたまらずプッと吹き出した。その笑顔を見て、カブアも白い歯を剥き出しにして愛嬌のある笑い顔を作る。


 焚き火の炎が二つの笑顔を照らし出す。

 打ち解けた雰囲気が硬く冷たかった山の空気を柔らかく解きほぐすも、二人の間には得も言われぬ緊張の糸がピンと張られたように感じられた。双方の顔から笑顔が消え、困惑とも取れる表情に切り替わってゆく。それでも視線は強固に交わり、決して外れることはなかった。やがて、二人を繋ぐ緊張の糸が見えない手によってゆっくりと手繰り寄せられる。ふたつの顔が少しずつ、だが確実に近づいていく。地面に置かれた手はひと足先に重なり、指は互いを求めて激しく絡み合った。

 

 鼻の先がそっと触れる。


「あーっ! やらしいことしてるぅ!」

 ふいに言葉の冷水が両者の頭にぶっかけられた。

「そうじゃない!」

 カブアが反射的に否定するが、なにが”そうじゃない”のか本人にもわからない。


 晩メシ調達隊が帰還したのだ。子供たちの隙間を縫って先頭に躍り出るユピ。身長、体型ともに子供たちとそう変わらない。

 ユピはプクッと頬を膨らませ、怒りの表情も露わに大股で二人の元へと歩み寄る。焚き火で姿が鮮明化する距離になって、その足がピタリと止まった。そして、なにかを察したのかニヤリと笑ってキトを見つめる。

「⋯⋯魔法を使ったな?」

 その指摘にキトも口端を吊り上げる。

「さすが。最上級魔術師ローブ・デ・コルテの肩書は伊達じゃないようね」

 キトが優美な動作でゆっくりと立ち上がった。

 その様子をカブアはぽかんと惚けた様子で見送っている。だが、すぐにただならぬ状況を察したのか、表情を改め、口を開いた。

「どどどどういう⋯⋯」

「気がつかないの? あんたの愛剣、ちょっと抜いて見てみなさいよ」

 カブアは立ち上がり、ユピに言われるがまま腰当て左側の鞘から剣を引き抜く。カブアの影の中で漆黒の剣身が淡い紫の光を纏っていた。剣そのものが光を放っているわけではない。剣身の中に封じられた金色の針状結晶(ルチル)が発光しているのだ。

「ルチルは魔力に反応し、その力を吸収して輝く。キトが魔法を使った何よりの証拠!」

 ユピは名探偵もかくやと言わんばかりの鋭さでビシッと指を突きつけた。

「⋯⋯ふうん。だったらなんだって言うの?」

「おまえを倒す!」

 戦争の英雄である最上位魔術師が見習い魔術師に勝負を挑んだ。

 本来であれば立場が逆な気もするが、それを指摘する野暮はいない。

 勝負を挑まれたキトは淑女の微笑みを浮かべ、ユピに応じる。

「いいわよ。かかってらっしゃい。でも、おこちゃまなあなたが私の催淫魔法に耐えられるかしら」

「あっしはこの中で一番年上じゃわ!」

 二人の魔力に当てられたのか、焚き火の炎が大きく逆巻き、うねり始めた。

 火の粉が紅い吹雪となって吹き荒ぶ。


「みんな、下がって!」」

 カブアは子供たちを牽制し、火花を散らす二人の魔女から距離を取らせる。

 増大する魔力にカブアが手にする剣も輝きが増す。淡い紫色だった光が、今や燦爛(さんらん)たる眩しさで闇を喰い破っている。苛烈に思えるほどの光も魔女たちの集中力を削ぐことはできなかった。二人の魔力が暗闇の中で重なるたび、重なった箇所の闇が剥がれ、一瞬ではあるが見えてはいけないものが見えた。


 言葉にすることも(はばか)られるモノを目にして、子供たちは次々と気を失い倒れていく。


 朝になれば、これを見たことも忘れ、覚えていたとしても夢で済ませることができるだろう。それはとても幸せなことに違いない。カブアもそれをよく知っていた。あれが剣の放つ光が見せた幻だと思えたら、どんなにいいだろうか。


 厚手の不織布にも似た夜の帷は人が正気を失わぬよう、見なくてよいものを覆い隠してくれていたのだ。


 魔女どもの戦いはなかなか決着がつかなかった。

 体の成長をも止めるほど強力な魔力を秘めるユピが本気を出せば、森は吹き飛び、山はクレーターと化し、一帯は不毛の地となるに違いない。それをしないのは王国の未来を担う子供たちを慮ってのことである。敵対しているキトもその一人なのだ。ユピを相手に一歩も引かない負けん気と強い魔力を駆使するキト。しかし、余裕ぶっていた顔から、いつしか笑みが消え、玉の汗が額に浮かんでいる。一方で、ユピの表情は変わらない。最初から真剣そのものだ。


 夜空を焦がさんばかりに立ち昇っていた炎も、目に見えて勢いが衰えてきた。薪を燃やし尽くしたが故なのか、それとも空間魔力の減少によるものなのか、はっきりとした理由はわからない。だが、劣勢に見えるキトの表情からして、決着は時間の問題と思われた。


 魔術対決の間、カブアがずっと感じていた耳の閉塞感。それがふいに消滅する。

 同時に胸を締め付け、深い呼吸すら躊躇われるほどの強い緊張も解かれ、安らぎを感じるいつもの夜が戻ってきた。倒れた子供たちの介抱をしていたカブアもその手を休め、背中越しに二人を見遣る。

 両手を地面につき、肩で大きく息をしているキトの姿が目に入った。

 汗で濡れた髪が顔に張り付き、死闘であったことが窺える。

 ユピはと言えば、首を垂れるキトを冷ややかな眼差しで見下ろしている。勝敗の行方は誰の目にも明らかだった。

「⋯⋯なぜ」

 喉の奥から搾り出すように声を発するキト。

 水気のない枯れ果てた声は、羽毛の手触りを思わせる夜の風にさえ抗えず、微細な塵となって闇の中に消えてゆく。だが、辛うじてユピの耳には届いたらしい。

「なぜ負けたのかって? 簡単に言えばあんたが身の程知らずだから。自分が持ってる魔力量も相手の力量も測れないガキがよくあっしに挑んだもんだわ。ここが戦場なら、あんたは死んでた。それだけのことよ」

 冷酷極まりない口ぶりのユピ。「挑んできたのはおまえだろ」と言わんばかりにキトの瞳が怒りの炎で煌めく。しかし、それも一瞬の瞬きに過ぎなかった。すでに怒る気力もないのだ。

「ま、バカでマヌケでおっちょこちょいだけど見どころはある。しばらく鍛えれば一廉(ひとかど)の魔術師になれるだろうさ」

 ユピは軽い足取りでキトに近づくと、立ち上がる手助けのつもりか手を差し伸べる。

「い、いらな⋯⋯自分で」

「そ? じゃ、がんばって」

 拒絶されたにも関わらず、ユピの顔は満面の笑みで溢れていた。



 4



 翌朝。


 一行は洞穴前に集まっていた。いよいよ出立の時が来たのだ。

「これ、昨夜狩った獲物で弁当を作ったんで、よかったら食べてください」

 五人の子供たちが歩み寄り、一つの大きな袋を差し出す。

「これは助かる。ありがとう」

 かなりの量が入っているのか、ずしりと重い皮袋をカブアは両手で受け取った。

「朝メシで出たハモカモ肉も入ってる?」

「もちろん!」

 ひときわ大きな声で返事をしたのは、お椀を頭にかぶせたようなおかっぱ頭の男子三人。

 カブアと親交のあるロカリック公爵から「鍛えてやってくれ」と預かった三つ子の子供たちだ。


 見分けがつかないから、と、散髪時にユピがつけた特徴が幸いし、今では名前を間違えることもなくなった。

 お椀が前方に傾き、両目が隠れているのが次男カク。水平を保てているのが長男リク。後ろに傾き、前髪ぱっつんなのが三男ロクである。三人とも仲が悪く、目が合えばすぐ喧嘩になる困った存在だったのだが、こと料理になると態度が一変。文句を言いつつも協力しあい、見事な連携プレイで満足度の高い逸品を生み出し、一行の胃袋を満たしてきたのだ。彼らがいなければ、焼いただけの肉、焼いただけの虫、焼いただけの木の実で空腹を満たす羽目になっていただろう。


「おまえたちのおかげで楽しい旅になった。この先に美味いメシが待ってると思えば、どんなに辛い行程でも前に進むことができた。今、ここに誰一人欠けることなく元気でいられるのはおまえたち三人のおかげだ。ありがとな」

 そう言って、カブアが三人の頭を順になでる。

「ボクらだけじゃなくて、こっちの二人も褒めてよ。すっごく手伝ってくれたんだ」

 褒められた嬉しさからか、頬を紅潮させたリクがカブアに催促する。

 カクとロクに背中を押され、前に出てきたのは三人と一緒に弁当袋を持っていた二人の少女だ。

「ああ、もちろん。マピト、それにメイナ。二人ともよく料理をがんばってくれた。君たちの愛情がたっぷり入った料理を食べたおかげで誰も病気にならずに済んだ。むしろ、みんな出発の時より元気なくらいだ。ありがとう」

「へへへ」

 カブアの大きな手で頭をなでられ、二人の少女は嬉しそうに笑う。

 その笑顔を見て、カブアも大きな笑顔を作った。

 そして、メイアの顔から視線を外した時、目の前に出現した意外な光景に目を丸くする。


「なっ!? なんなんなんな⋯⋯」


 少女の後ろにできた長い列。

 褒められ待ちの行列だ。

 列の中にはどこの誰かもわからないおっさんの姿もある。

 行列にはとりあえず並ぶ主義の人なのかもしれない。

 

「よーし! やってやろうじゃねーか」

 カブアは嬉しそうに腕まくりをした。

 不意のトラブルも心底楽しめるのがこの男の強みなのだ。


 旅を共に過ごした仲間には感謝の言葉を添えて。

 初見のおっさんおばさんには詐欺師の如く言葉巧みに褒めちぎる。


 脳筋というイメージが強かったカブアの口から繰り出されるボキャブラリーの数々。王国最強騎士団になる予定の少年少女も驚きを隠せなかったようだ。「もしかして、この人ってムキムキなだけの剣術バカじゃなくて、頭も良いの?」と見開かれた両目が語っている。


 こうして、褒めて褒めて褒めまくること数時間。

 一向に減らない行列を見るに見かねた子供たちが管理するようになり、『二巡目禁止』などのルールを徹底するも長蛇が完全に消滅したのは昼をずいぶん過ぎた頃だった。


「おつかれさま」

 疲労で地べたに座り込んだカブアに半笑いのユピが水筒を差し出す。

「はー、さすがにまいった。こんなにしゃべり続けたのって人生で初めてじゃないか?」

「かもね。でも、湿っぽいお別れになるより、ずっといいじゃない」

「⋯⋯だな」

 見送りに集まった子供たちも、関係のない大人たちもみんな笑顔で輝いている。

 凄惨な戦争の後とは思えない晴れやかな表情に囲まれて、カブアとユピの顔も自然とほころんだ。

「それにほら、これ見て!」

 ユピが指し示す先には水や食料、それに日用品が山と積まれていた。

「どうしたんだ、これ」

「みんなが持ち寄ってくれたの! あっしらの事情を汲んで、褒めてくれたお礼にどうぞって!」

「⋯⋯ありがたいな」

「あっしが離れると狩猟魔法は使えなくなるし、でも、みんな、狩りどころか武器の扱いもイマイチだし。不安だったんだよね。帰り道どうしようって」

「うん」

「これだけあれば、なんとかなるよね! あと、王都から来た隊商さんが帰りに同行してくれるって約束してくれた!」

「これでもう安心だ」

「うん!」

 ユピが笑う。

 つられてカブアも笑顔になる。


 そんな二人の前で長く伸びた人影が地面に描かれた。

「あの、ちょっといいですか」

 キトの声だ。

「⋯⋯なあに? 昨日の続きでもやろうって言うの?」

 ユピの笑顔が意地の悪いそれに変化する。

「いえ、あの、私も褒められたいな⋯⋯って思って」

「あれ? 並んでなかったの?」

 カブアが口を挟むも、キトはかぶりを振って否定した。

「違うんです。し、師匠に褒めてもらいたいなって⋯⋯」

「師匠!?」

 カブアとユピが思わず顔を見合わせる。

「はい、あの、ユピ師匠に⋯⋯」


 昨晩の一件で、キトは人が変わったようにすっかりしおらしくなってしまっていた。

 絶望的な魔力量の差をああも見せつけられてしまっては無理もないのだろう。


「⋯⋯じゃあ、オレはオジャマかな」

 よっこいせ、の掛け声と共にカブアが立ち上がった。

「向こうで出発の準備をしてくるよ」

 そう言い残すと足早に二人を後にする。

 その背中を未練がましく目で追うユピだったが、願いが叶わないと悟るや諦め顔でキトへと向き直った。

「えーと⋯⋯褒めればいいの?」

「お願いします!」

他人(ひと)を褒めるの苦手なんだけどなぁ⋯⋯」

「そこをなんとか!」

「う〜〜」

 ボサボサ⋯⋯もとい、ゴワゴワカーリーヘアの頭に手を突っ込んで髪を掻き回す。本当に悩んでいるらしい。

「⋯⋯わかった。がんばってみる」


 横を向いて、コホン、と軽く咳払いをする。

 チラリと横目で見るキトの瞳は期待にキラキラと輝いていた。

 想像以上のプレッシャーである。

 期待に応えたい反面、ガッカリされたらどうしようという不安で胸が押しつぶされそうになる。

「えーと」

 声が裏返った。

「えーとね、うん、がんばってる! がんばってたよ! 昨日もがんばってた! えらい!」

「はい⋯⋯ありがとうございます」

 キトの声に張りはない。

 完全に期待外れの反応だ。

 

 本来であれば、素直で正直なことは美徳として称賛されるべきである。

 だが、ユピはその反応にブチギレた。

「あーもう! やめやめ! バカらしくってやってらんねーわ! これからこっちは言いたいことを言ってやる!」

「はい!」

 再びキトの瞳にキラキラが宿る。

「まず! おまえ相手を見た目で判断すんな! 小さくても一刺しで死に追いやる虫とか草とかいっぱいいるんだ。ナメてかかるとか愚の骨頂! そこは直せ!」

「はい、お姉さま! 仰せのままに!」

「は?」

 キトの奇抜なテンションに寒気を感じながらもユピの説教は続く。

「ええと、あとは⋯⋯あれだ。おまえの魔法はかなり珍しいし、使い方次第では効果的に思う。人間だけじゃなく動物や昆虫にも影響を与えられて操れるようになると面白いんじゃないか? 積極的に試してみるといい」

「はい! ありがたきお言葉、感謝します!」

 食い気味の好反応にユピは悪寒を伴う恐怖を感じた。「こいつはヤバい」と本能が囁いているのだ。

「帰りはおまえも年長者の一人になる。みんなをよろしく頼んだぞ」

 さっさと話を終わらせ、切り上げたいユピは早くも締めに入る。

 言い終わるや否や即座に背を向け、逃げの体制に移った。

「じゃーな。戻ってきたら手合わせくらいはしてやる。修行をサボんなよ!」

「はい! お姉さまこそお気をつけていってらっしゃいませ!」

 背を伝う冷や汗を悟られぬよう強気な言葉を残し、ユピは駆け足にも似た速度でキトからの離脱に成功する。

 そして、的確なアドバイスを与えたことを少しばかり後悔したのだった。



 *



 結局、出発の準備がすべて整ったのは夕方近くになってのことである。

 カブアとユピはすべての荷物を魔牛に積み、子供たちは隊商の荷車へと乗り込んだ。


 この世界には魔力を持たない動物と、魔力を持つ動物”魔物”がいる。

 魔牛とは牛に似た魔物の総称だ。


 魔牛は自分や群れの放つ特殊な魔力を嗅ぎ分ける能力に長けており、どんなに遠く離れても自分の残した魔力の痕跡を辿って、迷うことなく戻って来れる強い帰巣本能を備えている。そのため長旅のお供にとても重宝されていた。洞窟の麓の集落では、この魔牛をハウディナ詣客にレンタルすることで稼いでいるのだ。

 

 魔牛がひく荷車が先に動き始めた。

 子供たちが口々に別れの言葉を叫ぶ。手を振り、身を乗り出し、大騒ぎだ。

 ユピとカブアも子供たちに応じる。荷車の輪郭が夕日に溶けて見えなくなるまで手を振って見送った。

「やれやれ。最後まで大騒ぎだったな」

 カブアが呆れたような口ぶりで息をつく。

「なんだろうね。ホッとしたような寂しいような。お祭りが終わったような気分かな」

「ははは、たしかに。ここんとこ毎日ずっと賑やかだったもんなぁ。朝から晩まで飽きもせずに」

「⋯⋯うん。だからかな、この静けさがちょっと怖いの」

「ああ、なんかわかる気がする」

 しばしの間、二人は荷車を飲み込んだ夕日を静かに眺めていた。胸に刻まれた騒がしくも楽しかった日々を、思い出という箱にしまう時間が欲しかったのだろう。

「そろそろオレたちも出発しようか」

「うん」

 カブアの誘いにユピが頷く。

 力強く踵を返すと、二人は魔牛をひいて冷たい風が吹き上げる洞窟へと足を踏み入れた。



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