人生の退職代行会社と棺桶体験(3)
確かに優香は、気分転換する為に外出していた。一旦、絵はお休みのはずだったが、また絵が描きたくなってしまった矛盾。
近所の公園に来ていた。比較的規模が大きい公園で、周囲の駅や商業施設に囲まれていたが、緑も多く、常に子供連れなどで賑やかな場所だ。実際、今、メーデーフェスというイベントをやっているらしく、出店や特設ステージも出ていて、混み合っていた。
イベント日和だ。空は晴れ、風も心地よい。新緑も爽やかで、空にはツバメが飛んでいた。
優香はツバメの行き先を見ていたら、公衆トイレの屋根に巣を作っているのを確認した。
公園のスタッフに大事にされているのか、「ツバメのお父さんとお母さんを暖かく見守りましょう」という看板も出ていて、長閑な雰囲気だった。
優香はそんなツバメの写真を撮りながら、絵が描きたくなってしまった。
一生懸命巣作りをするツバメは案外野生味があって、たくましい。公衆トイレに巣作りするのも、強い。
この強さを絵にしたら、どう表現しよう?
色遣いは?
構成は?
漫画っぽくディフォルメした方が伝わる?
そんな事ばかり考えてしまう。気分転換でこの公園に来ていたのに、考えている事は全く逆だった。
結局、近くのコンビニでノートとペンを買い、ツバメの絵をスケッチしてしまった。
アナログで絵を描くのは久しぶりだったが、楽しい。特にツバメの強い目を描く時は、筆がのってしまい、周囲のおんがや笑い声なども全く聞こえなくなるぐらいだった。
「あー、やってしまった。絵、描いてるじゃん……」
ふと、優香は我に返った。結局、絵を描いてしまう自分は、そこから逃れられないのか。まるで呪いみたいにも感じてしまったが、このツバメのスケッチ自体は悪くない。まずまずの出来だし、家に帰ってデジタルで描き上げたい。色の構成なども完璧に頭の浮かんでしまい、もう苦笑するしかなかった。
「ま、せっかく来たから、フェスの内容でも見ていくか」
今度こそちゃんと気分転換をしようと思い立ち、屋台や特設ステージの方へ足をすすめた。
メーデーフェスとは、労働者関連のイベントらしかった。どこが主催しているかは謎だが、屋台の周辺には思想信条が強そうなチラシ配布や、チャリティー団体もいた。
人も多く、背の低い優香は完全に埋もれてしまう。まるで満員電車にいるようだったが、何とか北欧菓子の屋台につく。北欧のメーデーで食べられているというドーナツを買ってみた。ムンキというドーナツで、普通のそれと見た目は似ているが、スパイスの香りがいい。
ちょっと下品だと思いつつ、食べ歩きしたが、想像以上にもちもち食感で甘い。
他にもコーヒーやタピオカなども買い、そこそこイベントを楽しんでいた。焼き鳥の炭の匂いやソース焼きそばの濃厚な匂いも、ちょっとだけ非日常的で気分転換にはなる。
その後、特設ステージの端にある座席も確保し、なんとなくそこも見ていたが、氷河期世代の団体が出演し、歌やダンスなどで時給アップや正社員労働への希望をうたってた。
氷河期世代のラッパーもいた。
「時給1500円にしろ♪ 我々にとっては高時給♪ 自己責任♪ 自己責任♪とコスパ良い労働♪世間と政治が決めた♪」
そんな怒りのラップを聞いていたら、優香はいたたまれなくなってきた。先程食べたムンキの甘さも吹っ飛びそうだ。
ラップもそこそこ上手い。アマチュアラッパーと紹介されていたが、歌も上手く、会場をわかせるスキルもあった。普段は派遣で働いているというラッパーだったが、明らかに音楽の才能の方がありそうだった。
海の魚が、地上にやって来てもがいているみたい。このラップだって思想信条が強いテーマより、他の方が映えるかもしれない。
そしてZ世代の優香も全く笑えないものだ。売り手市場で内定は簡単にもらえたが、仕事は全く楽しくなく、本心では絵の方が好き。なのに絵の夢を諦めた。
現状がラッパーの歌詞と重なっていく。生物的に合わない事をさせられているのは同じ。お金や生活を人質に取られて。それが自己責任と言われようとも否定ができないのは、同じで。
「俺は夢をあきらねぇ♪」
ラッパーは最後にこう叫び、大盛況のうちに彼のステージが終わる。ずっと拍手が鳴り止まない。
拍手の渦中にいるラッパーは無邪気に笑っていた。決して容姿は良くないタイプだが、ステージ上では、キラキラして見えるから不思議。
「……やっぱり、私も空を飛んでいい?」
優香の独り言は拍手の音にかき消された。そして顔を上げると、空にツバメが飛んでいるのが見えた。
確かにこのツバメに地上で穴掘りをさせるのは、無駄か?
歌の才能があるラッパーに地上生活させるのも同じだろうか?
答えは出ないまま、ステージには、新しいパフォマーが登場してきた。
「皆さん、こんにちは!」
中年男の声が響く。
「人生の退職代行会社・出エジプトの広報、百瀬亜論です!」
ステージには、SNSや動画投稿サイトで見た事ある男が立っていた。