人生の退職代行会社と棺桶体験(2)
ゴールデンウィークに入った。優香は休みといいうだけで嬉しい。羽根が伸びる感覚がする。
一人暮らしのワンルームアパートで、引きこもってずっと絵を描いていた。
「ふふ、楽しい」
タブレット上で絵を描く。全部デジタル化していたが、楽しい。仕事中には絶対見せないような笑顔。口角が上がり、頬のあたりも緩んでいた。まさに水を得た魚状態だ。あるいはのびのびと空を飛ぶ鳥?
そんな優香は、子供の頃からイラストレーターや漫画家になりたかった。実際、大学時代は同人誌を出すとよく売れたし、イラストもSNSに載せてバズった事も多かった。美大などにも行かず、絵は独学で全部学んだが、オタクっぽいアニメ風のイラストから、背景や小物などの幅広く何でも描ける。
それでも、イラストや漫画の道へはいけなかった。何度新人賞に送っても佳作止まり。アニメーターの就職も考えたが、より専門的なスキルが必要となる上、賃金は生活保護より低いと知った。
とどめはAIの発達だった。プロのイラストと大差ないクオリティのものが、AIでは一瞬で生成できる。親にも大学の教授にも、まともに就職した方が良いと言われ、仕方なく事務職求人を漁った。それに大学の奨学金もあり、好きな絵だけでは食っていけない現実に打たれそう。
まるでお金、生活、安定、世間体を人質に取られ、仕事をやっているような状態だ。奴隷みたい。現代でも奴隷制度があるらしい。
大人は言う。好きな事で生きている人は少ない。目を覚ませ。大人になれ。就職しろ、と。
大学の時に大人達に浴びせられた数々の言葉は、今も思い出しても心がヒリヒリとしそうだが、仕方がない。
仕方がない……。
空を飛ぶ鳥でも地上を掘る仕事をするしか無い……。
好きな事は趣味にするべき。何度も自分に言い聞かせて、過去の言葉を思い出さないようにした時だった。
大学時代の友達から電話がかかってきた。同人誌を書いたから、ゴールデンウィークの同人イベントに来ないかというお誘い。
友達は伊東華子という。華子は全く絵の道は諦めずに、フリーターをしているらしい。プロ漫画家のアシスタントをしつつ、意外と収入は安定しているらしいが、安定性は無いだろう。
「うーん、でも今年は家で絵描こうかなって思ってる。仕事の疲れもあるしねー」
「そっか。でも優香、もったいないよね」
華子の声はあっけらかんとしていた。思ったより、華子の声は悲壮感などないからか。本心では夢追いフリーターとなり、惨めにいて欲しいと思っていたのかもしれない。自由の代償を持てとも思っていた意地悪な自分にも気づき、優香は笑えなくなった。
「もったいない?」
「うん。なんか空の鳥が、地上にいるみたいな? 才能活かせない仕事は、鬱になりやすいってさ」
「そう……」
とっさに華子の言葉を否定できない。
「私は優香の絵が好きだった。表面的には上手なんだめど、子供がクレヨンでめちゃめちゃに描いたような自由さがあってね」
「そうかな?」
「そういう空気感はAIに出せないと思うんだけどなー。確かに絵を見る人がAIだけだったら、絵を描く人間は要らなくなるだろう。けど、絵を見てくれるのは、全員人間でしょ?」
だんだんと耳を塞ぎたくなってきた。一度は捨てた夢が、今になって足を引っ張ろうとしているみたいで。
「安定している仕事なんてないし。私のじーちゃんなんて代々地元で商売やってたけど、地震で全部泡になった」
「そうだけど、今はAIがプロ以上の絵を描くし……」
「そんな言い訳、死ぬ間際もしたい?」
まさか死なんて言葉が出されるとは。優香は絶句した。
「余命三年ぐらいでも、仕事してる? 私だったら、もう好きなことするわ。どうせ未来なんてわからないから」
「もしかして、華子。病気? 余命三年なの?」
嫌な悪寒がしたが、否定された。それでも、気まずい空気が流れてしまい、電話を打ち切った。
再び絵を描こうとしたが、上手く手が動かせない。華子の言葉が頭の中をぐるぐるとしてしまう。煮詰まった。いわゆるスランプみたいになってしまう。
「私、鳥なのに、地上で穴掘るような事していたのかな……」
だとすると、仕事上の息苦しさ、辞めたいと思っている事は、全部説明つく。
かといって夢の為だけに仕事を辞める勇気はない。SNSにいるプロでも、本業を辞めないようにと先輩からよく言われるという。
そんな言葉も思い出し、優香の心は揺れる。妥協案として、フルタイムの正社員を辞め、華子のようなフリーターか非正規になって夢を追う事だが、これも周りの目が気になる。実際、心の底では華子が惨めになっていて欲しいと願っていた。
「はは、私、嫌なヤツじゃん……」
その呟きは、苦い。濃いコーヒー飲んだ時以上以上に胸が苦く、痛む。
こんな気分で良い絵が描けるわけがない。一旦、絵を描くのは辞め、外出でもする事にした。
今はゴールデンウィークだ。本来なら行楽日和と言われている。たまには気分転換するのは、悪くないはず。