人生の退職代行会社と遺品整理(2)
「ちょっと、紀子さん。この鍵」
十五時ぴったり。紀子が帰る時間だったが、課長に呼び止められた。五十代の女上司で、特に若い子には厳しいが、紀子のような年代のパートには、基本的に優しい人だったが。
「なんですか、これは」
「鈴木さんのロッカーの鍵だよ。嫌だね、退職代行使われて、そこから鍵送ってきたわ。悪いけど、紀子さん、鈴木さんのロッカーの中整理してくれない?」
「私が!?」
「いいじゃない。残業代一時間つけておく。他にちょうどいい時間帯のパートさん、いないし」
半ば無理矢理、課長から鍵を渡され、鈴木のロッカーの整理をする事になってしまった。
「嫌だね、退職代行使うなんて。私物ぐらい片付けろって」
課長はずっと愚痴をこぼしながら、仕事に戻っていく。
仕方ない。残業代は出るし、上司の命令には従うしかないだろう。
職場である工場から裏手の女子更衣室へ。他にトイレ、休憩室もある。なぜかこの会社は男子更衣室はないが、その理由は紀子もよく知らない。
まず、紀子は自分のロッカーへ行き、仕事中につけていたエプロンを解き、畳んでロッカーにしまう。通勤用のバッグも取り出し、自分の後片付けは終了だ。
「あぁ、面倒だな」
思わず文句がこぼれるが、鈴木のロッカー、十五番のそこに鍵を差し込む。
パートやバイトの出勤時間、退勤時間はまちまちなので、女子更衣室で鈴木と顔を合わせた事は少ない。なんとなく元気なく「コミュ障」の鈴木とは、ほとんど会話もした事なく、なぜ自分がこんな尻拭いをやっているのか疑問ではある。
ロッカーの中には、会社が付与しているエプロン、軍手、ハサミ、カッター、安全靴一式はちゃんとあった。
それらは段ボールにまとめ、課長に指示された通りに備品室に持っていく予定だ。
飲みかけのミネラルウォーター、チョコクッキー、煎餅などもあり、これらは捨てた。こんなものを飲食なんてしたら、確実にお腹を壊すだろう。
他にクマのマスコットやペットボトルのおまけのキーホルダー、私物のボールペンも出てきた。どれも可愛らしい。「コミュ障」な鈴木だったが、仕事中でも気分を明るくしようと考えていたのだろうか。
捨てるかどうか迷った。課長によると、送り返すのも面倒だし、退職代行の会社からも私物は処分するよう伝達されていると言われていた。
これらも処分するのか。辞めた人の私物を処理するのは、意外と楽しくない。鈴木の評判は良くない人物だった。退職代行を使うような人材だが、残された私物を見ていると、架空の存在ではなく、生身の人間だった事が想像できてしまい、紀子の顔が引き攣る。
まるでこれは、遺品整理のよう。もういない人の私物を片付けるという点では、共通点がある。退職代行会社が終活ビジネスに手を出したのも、なんとなく腑に落ちた。
「まあ、私物も捨てるしかない……」
仕方ない。紀子は無心で私物もゴミ袋にまとめていく。なんだか本当に遺品整理をしているような気分になり、死んだ夫の顔もオーバーラップし、紀子の顔から笑みが消えていた。
大方、ロッカーの中は整理できたが、奥の方にメモ帳が残されていた。仕事中にとったメモらしく、文字もぎっしり書き込まれていた。
「え、鈴木さん、仕事はあんまりできない感じだったけど、メモはちゃんと取ってたの……」
パラリとメモをめくると、特に最初の方はやる気いっぱいだった。なんでも鈴木は大卒後に引きこもりになったらしく、そんなんでも雇ってくれた会社に感謝の気持ちまで綴ってある。
それには驚いた。まさか、そんな過去があった事は知らない。
しかし、時が経るたびに鈴木のやる気はすり減っていくようだった。課長からキツく注意を受ける事もあり、周りは中年から老人のパート女性が多く、雑談について行けない悩みも書いてあった。そんな自分はダメだと責めている文もあり、紀子の眉間に皺ができる。
「言ってくれればよかったのに」
今更言っても仕方がない。鈴木が口を閉ざす環境は自分でも作っていた気がし、紀子の表情はより複雑に変化していく。
そしてメモの最後のページには、退職代行を使う決意もあった。あの例の出エジプト社という退職代行会社を使う予定との事。「新しい人生へ行こう!」という文でメモは終わっていた。
「新しい人生へ?」
このメモ帳はどうしよう。捨てるべきか。送り返すべきか。
「捨てるしかないか……」
仕方ない。これを送り返すのは、鈴木もいい気分がしないかもしれない。会社のものは備品室へ戻し、あと私物は全部ゴミ袋にまとめておいた。ロッカーの中を軽く拭き、鍵を課長に返し、報告後、退勤となった。
辞めた鈴木の私物を片付けるだけで、などっぷりと疲れた。肩が重い。まるで遺品整理をしている気分だった。
どうしても思い出してしまう。死んだ夫の事とオーバーラップしてしまう。
夫の遺品はずっとそのままだった。どうしても片付けたくない事情があったが、このままではいけない気もする。
「それそろ重い腰を上げるべき?」
紀子の問いに、答えはなかった。