人生の退職代行会社と死後のSNS代行(4)
今、綺咲がいる第一カウンセリングルームは、普通の応接室だった。
ソファにテーブルがある。テーブルの上には花瓶。あとは特に目立ったものは無いように見えたが、ふと、壁に目をやると、変な格言のようなものが書かれたポスターが貼ってあるのに気づく。
「出エジプト社の十戒? はあ、何これ。ふざけてるの?」
出エジプト社十戒
一 あなたは死んではならない
ニ 仕事を偶像化してはならない
三 社長は名前で呼んではならない
四 有給日をおぼえ、これを聖なる日とせよ
五 あなたの顧客を敬え
六 殺してはならない
七 社内恋愛禁止!
八 利益を貪ってはならない
九 嘘をついてはならない
十 同業他社を祝福せよ
「何これ、この会社こそブラック企業みたい……」
綺咲は出エジプト社の十戒を見ながら、自己啓発臭さがするというか、宗教っぽさが鼻につき、全く笑えない。ほうれい線あたりが引き攣る。
確か出エジプト社は宗教をネタにしていた。綺咲も腐っても大学生だ。大学で三大宗教の特徴は一般教養で習った事がある。真面目に授業など聞いてはいなかったが、確かユダヤ教の戒律で十戒というのがあった。エジプトで奴隷状態になったイスラエル人がモーセが導き、海割りや荒野のマナの話は記憶にあったが、それをネタにしているのは悪趣味すぎる。この十戒の社内恋愛禁止!というのもふざけている。
やはりまともな会社では無さそうだ。こんな場所に来て後悔しかけていたが、誰か入ってきた。
「こんにちは。コーヒーどうぞ」
入ってきたのは社員らしい。胸元のネームプレートを確認すると、杉下荒野という名前である事ニ気づいた。年齢は若い。新卒かもしれない。スーツがあまり似合ってなく、話し方もチャラい。声質がもともと軽いのだろう。先程、インターフォンに出た男のようだ。
「これ、コーヒーだから。飲んでねー」
敬語もろくに使えない男らしいが、綺咲もバイトでそうだし、杉下荒野に親近感を持つ。
それにこのコーヒーカップは、意外と可愛らしい。ペンギンのイラストがプリントされ、可愛らしい。おそらく大人のビジネスマナーとしては最悪だろうが、これで綺咲の緊張も解けた。部屋から出て行こうとする杉下荒野を引き留めた。
「あの、杉下さんがカウンセリングしてくれるんじゃないんですか?」
「うん? 俺? 違うよー。俺、この会社では無能で有名でねー」
「そうなの?」
「敬語も使えない今時のZ世代って悪く言われてんの」
「そう? 私は気にならないけど」
「お客さん、優しい!」
なぜかここで杉下荒野は涙目だった。
「SNSの運用も一応、俺も会社でやってるんだけど、全然伸びない。広報の百瀬さんはあんなにバズってるのに。酷いよね。フォロワー二桁だよ」
「え、嘘ー。二桁なんて有り得ない」
「いや、いるんだ。インターネットの社会は残酷だね。全世界でランキングつけられ、上位五人がトップを独占する不条理な世界だよ」
「そっかぁ」
思わず杉下荒野と気があい、コーヒー飲みながら語ってしまった。
もしかしたら、自分のような自殺幇助サービスを求めている客に、こんな風に共感を示し、自死を止めようとしているのかもしれない。
そう考えると、急に綺咲の表情が曇る。全く楽しくない。ここにきて共感、希望、憐れみなどを示されても嬉しくない。ペンギンの可愛いカップを持ちながら、コーヒーを見つめてしまった。コーヒーの表面はガラスのように反射し、綺咲の微妙な顔を映していた。
「だから、俺はなんとしてもSNSでバズりたい」
「そうなの?」
しかし、杉下荒野は思った以上に野心家?
「例え人のアカウントを奪ってもいいから、俺はSNSでインフルエンサーになりたいよ。おっと、時間だ。君の担当の社員を呼んでくるから、ちょっとだけ待っていてね」
「え、担当って誰よ?」
杉下荒野は綺咲の声など無視し、腕時計を見ながら出て行った。相当慌てているのか、ドアや壁に足をぶつけていた。確かに杉下荒野は憎めない性格らしいが、仕事はあんまり出来無さそうだった。
「変な人……」
思わず呟き、コーヒーを飲み干した時だった。部屋に人が入ってきた。
「ようこそ、出エジプト社へ」
その声に顔をあげ、慌ててコーヒーカップをテーブルの上に置く。
声はSNSや動画サイトで何度も聞いていた。だから目の前にいる男は、初対面という気がしないが、綺咲の心臓がドクドクと鳴る。ワクワクしているからではない。嫌な予感のせいだ。
目の前にいる男は百瀬亜論だった。間違いない。胸元のネームプレートには、ちゃんと広報・百瀬亜論と書いてある。
黒髪、黒縁メガネ、スーツは安っぽいので、一発屋芸人のような雰囲気がある。年齢は四十歳ぐらいだが、片手にノートパソコンも持ち、なぜかドヤ顔まで見せている。
「綺咲さんの担当の高野マナは急病で、急遽私が担当になりました! どうぞ、どうぞ、事情を話しください。よろしくお願いしますよ。私はこの会社の候補ですが、SNS運営もうまく、最近では人生の退職代行会社として、終活ビジネスのにも手を出しまして……」
百瀬亜論はペラペラと自己紹介しはじめた。まるで口から生まれたような男だ。話し始めたら、全く止まらなく模様だ。
そんな百瀬亜論の声に圧倒されつつ、綺咲はこれ以上声が出ない。
また唾を飲み込む。なぜこんな広報が担当になってしまったのだろう。先程の杉下荒野の方がまだマシだったが、今更逃げられるだろうか。
テーブルのカップが目についた。可愛らしいペンギンのイラストのもの。このペンギンの背景には何も描いていない。海を泳いでいるのか、空を飛びたいのかもよく分からない。




