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人生の退職代行会社と荒野(1)

 手が痛い。手袋を取りたい衝動に駆られたが、今は仕事中だ。「生産性」は常に記録されているし、無言で休むわけにはいかない。


 川上一太は、こうして黙々と仕事を続けた。職場は、とある大手通販企業の配送センターで、検品や梱包をしている。


 これだけ聞くと楽そうだが、実際はレーンから流れてくる段ボール箱を開き、中身を調べ、バーコードで登録し、「オリコン」と呼ばれるコンテナに詰め替え、再びレーンに戻す。この繰り返しだが、プロテインや小麦粉などの重量がある商品もある。フィギアのような扱いが繊細なものもある。焼酎などの瓶入りの商品もあり、一概に単純作業とも言えない。何より、一人がミスし、レーンを止めると、全体に迷惑がかかり、求人票にあったようなモクモク・コツコツ作業には遠い。


 面接も履歴書も要らない仕事。低賃金で体力だけ消耗する仕事だが、ヤンキー風の男、老人、主婦、副業目的でくる若い男、やたらコミュニケーション能力が高い外国人など職場には多種多様の人間が集まる。おそらく都会の綺麗なオフィスとは全く違う光景だろう。性別も年齢もバラバラ。ちなみに外資企業の為、差別やハラスメントにはうるさい。同僚や上司を「彼」or「彼女」と呼んではいけない決まりがある。


 一見、そんな自由そうな側面もあるが、効率や生産性は厳しく管理され、サボったり勝手に休憩する事もできない。トイレも上司に許可が必要で、ミスも全部記録され、月末には生産性ランキングなるものも発表される。


 そんな中、一太は全く生産性に寄与しない人間だった。動作が鈍く、体力もなく、よくレーンを止め、上司や同僚から舌打ちをくらっていた。


 見た目も典型的な陰キャ風。ヒョロヒョロとしたもやし体型に、ボサボサの長い前髪。目も細く、顔も白い。サブカル系や文学青年と言われたのは若い頃までだ。今はもうアラサー。同僚の金髪のヤンキー女から陰キャとあだ名されている事も知っているし、毎日の夜勤も体力的につらい。指もいたい。鈍臭く、すぐレーンを止めてしまい、微妙な空気と舌打ちに耐えられない毎日。


「はぁ、さっさと辞めてーな」


 仕事の帰り、夜勤明けの朝日が眩しい。職場は工場地帯にあり、専用のバスで三十分かけて最寄りの駅につく。


 バスから降りると、ぶつぶつと愚痴がこぼれるが、マスクをしているし、陰キャの一太の声などは、全く響かない。世界に影響など与えない。


 比較的、大きな駅という事もあり、人も多い。駅周辺には職場のバスだけでなく、各種工場行きのバスもあり、タクシーや観光バスも連なったロータリーは、巨大な渦みたい。


 通勤や通学の人の波もあり、一太はさらにため息が出そうだ。また、過去に罹患したパニック障害も思い出す。今は完治しているはずだが、嫌な汗が流れ、一刻もロータリーから離れた。


 まだ手が痛い。一体自分は、なぜこんな仕事をしているのだろう。


 大学時代に教員免許をとり、塾講師になった事が運のつきだったのかもしれない。いわゆるブラック企業だった。メンタルを病み、休職や復職を繰り返していくうちに、未経験でも採用される仕事は、工場ぐらいしかなくなり、今に至る。二度と講師の仕事はしたくなかったし、介護や保育なども資格がいる。消去法で工場しかない状態だったが、元々体力もコミュ力も乏しい一太は辞めたい。ずっと辞めたいと考えていた。この仕事だけでなく、人生からも。


「あーあ、仕事辞めてぇな」


 大通りに出てまた、呟いた時だった。よくないものを見てしまった。大通りには退職代行会社の宣伝カーが走っている。


 八十年代アイドル風の変な歌と共に、退職を薦める歌詞。「出エジプト社」という退職代行会社で、現在は終活ビジネスにも手を出し、別名・人生の退職代行会社とも呼ばれている事は知っている。


 広報の百瀬亜論という男は、話力があるとSNSでも有名人。なぜかダンス動画もバズっていて、コメント欄は常に炎上中の男だった。


「さあ新しい約束の地へ♪ 我が社は弁護士監修♪神も監修しているかも?♪ さあ、自由になろう♪ 奴隷の身分はさようなら♪」


 そんな音楽が響くが、よりによって夜勤明けに聞きたくない。通勤通学時間に宣伝しているのも、倫理的にどうなのか。マーケティング的のは大正解だが、グレーゾーンすぎるビジネスに、一太はついつい宣伝カーを睨みつけてしまうが、向こうからは何のリアクションもない。


 確かこの退職代行会社は、自殺したい人向けに遺書代行や遺族への連絡の終活サービスを提供しようとし、ネットで大炎上していた。自殺幇助にあたると、各方面から叱られ、今はそのサービスは無期限休止中というが。


 一太は自宅に帰り、例の退職代行会社をネットで調べると、何度もネットで炎上しているらしかった。そもそも会社名も旧約聖書の出エジプト記から取られたらしく、敬虔な宗教家からも大層嫌われているという。


 一方、あの自殺幇助のような終活サービスは、一部のネットユーザーに刺さってしまったらしい。特に安楽死を望むようなメンタルヘルス界隈に刺さってしまい、現在もサービスを復活するよう著名運動やファンサイトなども作られているらしい。


 うっすらと自殺願望があり、嫌な仕事も辞めたがっていた一太だが、これには引く。いわゆる炎上マーケティングかと思われたが、陰謀論やスピリチュアルなどと同じように一部の人に刺されればそれでいいのか?


 あの妙な音楽がまだ耳に残って消えない。この会社のファンサイトに行くと、とある社員に懇願すれば、例の自殺志願者向けの終活サービスを受けられる噂も書き込んであった。社員の名前は柴田箱男という。ふざけた名前だ。一太は舌打ちを打ちたくなったが、終活サービス自体は魅力的か?


 もし、ここで自死したとしても、普通だったら、遺体の処理や遺品の問題などで躊躇してしまうが。


 スマートフォンを持つ右手がまだ痛い。職場で重いものを持ちすぎてジンジンする。


 もし、この痛みから逃れられるとしたら?


 どうせ今の人生は荒野みたいなものだ。ブラック企業に入り、精神疾患の過去がある男に、社会がまともな職は用意しない。むしろ、ブランク付きの怠け者とし、罪人のように償いをさせられる。ここは不毛な荒野。食糧も水すらない場所。人生のレールから外れた不毛の地。


 だめだ、夜勤明けはどんどん悪い事を考えてしまうが、思考はグルグルとし、全く止められない。


 ダメもとであの会社に、人生の退職代行を依頼してみようか。トークアプリで無料会員登録もし、あとは申し込みフォームに書き込むだけ。


 その瞬間だった。トークアプリに違うメッセージが届く。大学時代からの友人・夏目光輝からだった。「飲みにいかね? 最近良い居酒屋見つけた」という。


 水をさされた。せっかく、人生の退職代行をしようと目論んでいたが、萎えてしまった。それに眠気も襲う。


 光輝には「OK」とだけ返事をしておいた。あとは眠気が襲い記憶がない。ただ、手はずっとジンジンと痛く、寝る間際まで不快だった。

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