人生の退職代行会社と遺書代筆(5)
大雨警報が出ているらしい。故にショッピングモールの客はまばらで、入り口周辺は雨水で滑りやすい。使用済みの傘袋が散らばっているのも汚らしいが、庶民御用達のモールなら、こんなものかもしれない。
あの退職代行会社は、モール一階にある広場の特設ステージでイベントをやっているらしい。
天井は吹き抜けで広々とした会場だったが、八十年代のアイドルソングが響く。
「なんじゃこれ?」
光輝はそう呟いてしまうぐらいだ。広報の百瀬亜論がキレキレのダンスを踊りながら、歌っている。どうやら会社のイメージソングらしいが、百瀬亜論はアイドルよりもキラキラの笑顔を振り撒き、ステージ上は彼の独壇場だった。
雨のせいで人が少ない特設会場だったが、亜論の熱気に徐々に客達が集まり、会場の客席は音楽に合わせて踊ったり、歌っているものもいるぐらいだ。全体的に不謹慎で悪趣味な歌詞だが、妙に耳に残り、中毒性もある。
「なんじゃこれ……?」
会場の隅の方にいる光輝だったが、疑問は拭えない。こんなふざけた退職代行会社があっていいのか。しかも終活ビジネスまで手を出し、遺書の代行サービスも内々でやっているとか、全く笑えない。
そうは言っても、光輝はステージから目が離せ ない。どう見ても今の百瀬亜論は、水を得た魚だ。この魚を無理矢理、空の鳥や地上のモグラに擬態させたら、どうなるか。火を見るよりも明らかだろう。
「鳥は鳥。魚は魚。モグラはモグラだ。誰か他のものに擬態するなよ。息ができなくなって、最悪鬱になるぞ」
最後に百瀬亜論はそう吠え、合わない仕事から逃げる事、できない事は誰かに代行して貰う事などを吠え、ステージを後にしていた。
彼が消えた後のステージは、光が消えたみたいだ。すぐに退職代行会社の他の社員が現れ、終活サービスなどの説明も始まったが、静かになってしまった。客も散り散りになり、雨音だけが妙にうるさく響く。
「退職代行会社が歌って踊るとかアリ?」
「キャハハ、自由すぎてウケる」
「こんなエンタメ感ある会社なら働きたいけどー」
「噂では給料は低いって。しかも週休一日」
「やっば!」
「でも安息年っていうのがあって、六年生勤続だと、一年休めるらしい」
「何それ、ウケるんだけど」
光輝に目の前を若い女性二人が去っていく。この退職代行会社の噂をしているらしい。確かに変な会社だが、一年休めるのは魅力的か?
そういうしている内の別のイベントが始まる。客席が撤去され、それと入れ替わるように机ち丸椅子が並べら、「エンディングノートの書き方講座」が始まるらしい。
この講座は予約制だったが、今日は雨だ。キャンセルが続出し、自由に参加しても良いそうだ。
ステージには高野マナという若い社員が司会をするらしい。エンディングノートの書き方を学校の教師のようにレクチャーしている。
「皆さん、お手元にあるエンディングノートをご覧ください。これは我が社が独自開発したエンディングノートで、健康やお金などの基本情報だけでなく、人生を振り返れる仕様にもなっております!」
マナは二十歳の若者らしく、声も高めだ。マイクを通すと若干キンキン聞こえるが、ちょうど良い機会だ。
光輝は端の方の席に座り、エンディングノートを開いた。
この会社がノベルティグッズとしても出しているらしい。無料でもらえた。紙質は良くはないが、意外と分厚い。幼少期から人生を振り返るページもあり、初恋や子供の夢まで書く箇所がある。
「転職する時、職務経歴書って書くでしょ? きっとあの世に行く為にも、こんな風に自分の人生を紹介する書類って必要なんじゃないのかって思うんです。就活と終活って響きが同じなのは、果たして偶然でしょうか?」
ステージ上のマナはそう語ると、会場は少しざわついていた。
「じゃあ、お姉さーん。あの世での面接官って誰か? 閻魔様か、神様か? そういえば死後さばきがある宗教ってあるが?」
最前列にいた老人が手を挙げ、質問。
「いやだ、お客様。ものの例えですよ。そんな死後のことは私にはわかりません。でも、もし、死後の会う面接官がいたら? あなたの人生紹介してくださいって言われたら? そんなイメージで、エンディングノートを書いてみましょう。いわば人生の職務経歴書です!」
マナの明るい声が響き、先程の老人は毒気が抜かれてしまったらしい。黙々とエンディングノートを記入していた。
雨も弱まってきたらしい。まだ雨自体は降っているらしいが、雨音は遠くなっていた。
光輝もエンディングノートを開く。子供の頃から書き始めた。好きだった食べ物や初恋はすらすら書けるのに、子供の頃の夢については止まってしまう。
夏目漱石が好きで、文庫本を読み漁った事も、なんだか上手く書けない。それこそ例のPDFのような汚文になってしまう。
結局、子供の頃の夢は飛ばし、終活、就職、恋愛、副業についても書いていくが、それについてはスラスラ書けた。それこそ、文豪気取りで綺麗な文章も紡げてしまう。
「くだらねぇ」
小さな声で呟く。誰も聞いてはいない。それでも、空の鳥のように生きていいのか。荒野で食べ物が見つからなくても、土下のモグラになるよりはマシだろう。
百瀬亜論の変なステージを見ていたら、何か感化されてしまったらしい。結局、モグラに擬態できない人生。空の鳥でも飢え死の危機が迫る荒野にいる。それでも、本来、光輝が書きたかった文章を書いていたら、笑えてくる。楽しくなってきた。ちゃんと羽を伸ばせている感覚が心地いい。
なので、目の前に杉下荒野がいる事にしばらく気づかなかった。スタッフカードをつけていたが、杉下荒野と書いてある。白シャツにジーパンというスタッフらしい格好だったが、雰囲気がチャラい。年齢は二十歳ぐらいだが、実年齢はもう少し上の可能性もありそう。髪は黒いが、声も話し方も軽く、あんな文章しか書けない事を察した。
「俺、あの遺書代行サービスを受けたものです。夏目光輝です」
光輝は咳払いをし、自己紹介をすると、杉下荒野は目が泳ぐ。あの遺書代行サービスは秘密裏でやっているらしいが、杉下荒野は文章を壊滅的に下手で、顧客を怒らせているという。
「でも、なぜかお客様、俺の文章読みと気が抜けるみたいで、死ぬの辞めるみたいっす」
「へえ……」
「俺って基本的に陽キャですから。お客さんの死にたい気持ちも吸い取れるんっすかね? 吸血鬼の嫌いな十字架みたいな?」
もしかしたら、わざとこの遺書代行サービスをやっている気もしたが、それは光輝にはわからない。
「おぉ、夏目さん! 文章うめーな! 本当に夏目漱石みたいじゃん。っていうかうちで働く? 実はエンディングノートや自分史の代行もやってるんっすが、そのスタッフがいなくて困ってるんだ」
「は?」
思わず顔を上げる。杉下荒野によると、かなり好条件だった。まずはこの退職代行会社に入社する必要もあったが、給料は噂にいうほど低くない。他にもイベントスタッフや遺品整理の仕事もあるが、六年連続勤務だと、安息年として七年目は丸々一年休暇。在宅勤務も可。昇給や賞与もアリ。細かい条件も見せてもらったが、悪くない。それに文章を書ける仕事は、光輝の夢だった。
「どうっすか? とりあえず面接受けてみます?」
「そうだな……」
「今の会社が辞めにくても大丈夫っす。うちの退職代行使えばいいからね」
軽すぎる杉下荒野の声。まるで南国の音楽のような響き。
「まあ、それもいいよな」
その声に光輝も今の悩みがどうでも良くなってきた。苦笑しつつ、またエンディングノートに書き込んでいた。