人生の退職代行会社と遺書代筆(2)
光輝は、窓の外を眺めていた。今の季節は、ツバメが飛び、水色の空は実に爽やか。
そんな空とは裏腹に光輝の表情は暗い。今日は土曜日。休日だったが、昨日も氷河期世代の上司に飲みに付き合わされ、疲労感は拭えない。
休日でも副業にある光輝は休めない。なんとか眠い目をこすり、自宅の机に向かっていたが、集中力は途切れがち。ついつい空の鳥などを見てしまう。
一人暮らしのワンルームは、本で溢れていた。大学時代からズルズルと長年、この部屋を借りていたが、家賃も安いし、駅も近い。何より隣人も大人しそうなサラリーマンで、騒音トラブルなどと無縁なのもいい。こうして休日、副業をしていても問題なかったが。
「あぁ、企画書、書けねー。思いつかん」
集中力がない今は、どんなに頭を捻っても、新作のアイデアが浮かばない。担当編集者から新しい企画を数本提出するように言われていたが、パソコンのワード画面は真っ白だった。
今度は窓ではなく、本棚の方を見てみた。今まで出版した作品は、献本ももらい、本棚に十冊ほど並んでいたが、どれもライトノベルと言われているもの。アニメ調のイラストと、長文タイトルが特徴的な異世界ファンタジーばかり書いてきた。
一方、別のプライベートで集めている書物が収納された本棚は、明治から昭和初期にかけての純文学が並ぶ。太宰治や森鴎外の文庫本も多かったが、一番多いのは夏目漱石の作品だった。
偶然にも光輝の苗字も夏目。何か運命じみたものを感じ、夏目漱石の文庫本を読み漁った少年時代は今でも鮮明に思い出せるほど。夏目漱石のような作家になりたいと思う事は光輝にとって自然な流れだった。
こうして高校時代から大学時代、純文学系の雑誌に投稿していたが、橋にも棒にも掛からなかった。結局、就活し、今の仕事も始めたけだが、その年に変化が起きた。
投稿していた純文学が編集者の目に留まり、デビューまで動き始めた。受賞まではいかなかったが、編集者によると、光るものがあり、このまま埋もれさせるのは惜しいという事だった。
これで憧れの夏目漱石に近づける。編集者には文が技巧的でいいと太鼓判を押された。今は営業職をしているが、ようやく夢が叶うと期待していたが、そう簡単に光輝の希望通りにはいかなかった。
その雑誌、レーベルが経営不振で潰れてしまい、同時に光輝の出版予定も消えた。担当編集者はライトノベルレーベルへ移動となり、「こっちで書いてもいいんでは?」と勧められてしまうぐらいだった。
本心ではライトノベルなど全く興味がなかったし、書きたくもなかった。それでも、なぜか適当に書いた異世界ファンタジーは、あれよあれよと予選通過し、最終選考にも残り、デビューも決まってしまった。
不本意だったが、一応、夢が叶った。光輝は全く興味のないジャンルであったが、なぜか編集者からも読者からも評判が良く、安定的に年にニ、三冊出版も果たし、今に至る。
「はぁ。そうは言っても、本当はラノベじゃなくて、純文学書きたいんだよなぁ」
そんな本棚をながめつつ、愚痴もこぼれるが、仕方ないのか。同業者でも書きたいものを書けている作家などいないし、好きなものを書けるタイプはほんの一握りだったりする。まして今は純文学など売れないと言われてる。
「あーあ、もう辞めようかな」
再びパソコンの前に座った後、窓の外を見る。またツバメが飛んでいるのが見える。自由に颯爽に飛ぶツバメは、今の光輝には、とても眩しい。
鳥は空。魚は海。モグラは地下。動物はそれぞれ合った環境にいるべきだろう。ただ、運良く適した環境で生きられたとしても、本人の希望通りの餌が見つかるかは分からない。光輝は今は鳥らしく生活はできている気がしたが、どうも餌が合わない。本当は昆虫を食べたいのに、ずっと人間の残飯を漁っているような感覚だ。
「夢を叶えても、それを維持するのって大変なんだなぁ」
再び真っ白なワード画面を眺めるが、愚痴しか出て来ない。企画書のアイデアは何も浮かばない。そもそも、AIがもっと発達していく未来に、人の頭で書いた小説が残るか不明だ。潰れるレーベルの噂も絶えない。
「まあ、しょうがない。締め切りまでまだある……」
スマホのリマインダーを確認すると、まだ一ヶ月以上あったが、なんとなく動画サイトのアプリを開いてしまう。
おすすめ動画として、退職代行会社の広報が踊って歌っている動画が出てきてげんなりした。あの出エジプト社という変な名前の退職代行会社の動画だったが、コメント欄では軽く炎上し、賛否両論みたいだ。このふざけた会社名から、海外の宗教家からも目をつけられ、一方間違えたら戦争になるんではというコメントもあり、不謹慎過ぎて笑っていいのか謎。
「鳥には鳥の生き方があるぞ。無理して鳥がモグラになるな。モグラに擬態した鳥なんてどこに需要がある? 本人が鬱になって終わるだけだぞ」
広報の百瀬亜論という男が、そう動画で話していた。
「でも、さ。ちゃんと鳥になっても、餌が見つからなかったら、どうすんだ? こいつら、責任取れるわけ? 適当に言い過ぎだろ?」
動画にツッコミを入れたが、もちろん返事などはない。四十代ぐらいの黒髪、黒縁メガネの男だったが、売れないコメディアンみたいな雰囲気だったが、確かに話力だけはあり、芋蔓式に彼の動画を再生してしまう。
こうしてダラダラと動画を視聴し続けて、結局何の企画も浮かばず、休日は溶けていった。おまけに本業での疲労感は取れず、月曜日も何となく怠いまま、仕事が終わって自宅についた。
スーツを脱ぎ捨て、ホッと一息ついた時だった。副業関連のメールをチェックしていたら、変な声が出た。担当編集者からだった。今、書いているレーベルは潰れるという。代わりにAIが生成した小説の専門レーベルを立ち上げりという。
「はは、終わったね」
企画書はもう出さなくていいらしい。締め切りも無くなったが、変な笑いが止まらない。
「やっぱり空の鳥になれても餌が無いと仕方ないよな?」
どうやら自然環境は弱肉強食らしい。適した環境に身を置くだけの生存戦略では、勝てないと悟った。