人生の退職代行会社と棺桶体験(4)
「約束の地へ♪ 我が社は弁護士監修♪神も監修しているかも?♪ さあ、自由になろう♪ 奴隷の身分はさようなら♪」
ステージに上にいる百瀬亜論。黒髪、黒縁メガネで、ルックスだけは地味な中年男だった。服装も白シャツにジーンズというシンプルなものだったが、キレキレダンスを踊り、大声で歌っている。しかもアイドル顔負けのキラキラ笑顔だったが、残念ながら歌詞の内容は宗教ネタを扱い、やや不謹慎だ。
客席からブーンイングもあった。退職代行会社が何で終活ビジネスに手を出しているのかという真っ当なブーンイングもあった。
一方、最前列の方では出エジプト社の社員やファンが歓声を送り、特設ステージはカオス化していた。こんなメーデーフェスでもこの退職代行会社にはアンチも多くいる様で、ゴミも投げつけられていたが、亜論は太陽にも負けないほどの笑顔を向ける。
「な、何この人たち……」
ステージの隅の方で見ているだけの優香だったが、さすがに引く。会社を辞める為に退職代行会社を検討していた優香ですら、このカオスっぷりは簡単に受け入れられない。
「辛い仕事はやめましょう。鳥には鳥の人生がある。魚には魚の人生がある。モグラにはモグラの人生があります。無理して鳥がモグラになる様な仕事をしたら、鬱病になる! 俺はそんなクライアントを何人も見てきた! いいか、我慢して頑張るから鬱になるんだぞ!」
とはいえ、百瀬亜論の最後の叫びは耳に残ってしまう。
「辞めろ、辞めちまえ! 別物の何者かになるような仕事は!」
吠えるような声が響いた後、百瀬亜論は警備スタッフに摘み出され、ステージは通常に戻ったが、優香の心はザワザワとしてきた。
これ以上、ステージの客席にいるのも出来ず、ふらふらと出店の方に行くが、なぜか出エジプト社のブースの方に来てしまう。
「天から降ったマナをイメージした薄焼きミルク煎餅でーす! どうぞ!」
出店では、薄焼きミルク煎餅を売っていた。若い女性スタッフが手売りし、甘い匂いに釣られて、なんとなく薄焼きミルク煎餅を買ってみたが、悪くはない。果たして天から降ったマナは何をイメージしているのか謎だったが。
「お客様、裏手にあるうちのブースも見ていかない?」
「え?」
薄焼き煎餅を食べ終わり、ゴミを片付けていた優香だったが、さっきの女性スタッフに声をかけられた。
女性スタッフはシャツにジーンパン。百瀬亜論と似た様な格好だったが、胸元にスタッフカードをぶら下げていた。出エジプト社のスタッフだ。高野マナという名前だったが、ぱっつん黒髪で、落ち着いた雰囲気だ。優等生っぽくもある。
「裏手のブースって?」
「他にもAIのアニメーションとか、色々イベントやっているので見ていって。実はうちの会社、ネットでもアンチが多くて、ここでもお客様来なくて、ちょっと困ってる」
高野マナは今にも泣きそうだった。
「でも、薄焼きミルク煎餅の方は売れていません?」
普通に客がいるように見えたが。社長の百瀬太郎からは、新規顧客開拓を命令され、ノルマもあるらしい。
「へ、へえ……」
「お願い、ちょっと見て貰えるだけでいいから! 意外とうちの会社、ノルマがあってきついんですよー。私は退職代行の方のメインスタッフですが、なぜか遺品整理とか、薄焼きミルク煎餅焼いてたりしていて。社内の何でも屋になってしまったわ」
懇願している。そんな高野マナを目の前では口が裂けても言えないが、ブラック企業なのかもしれない。それにあの広報、百瀬亜論の様子を見る限り、ろくな会社ではなさそうだったが、末端のスタッフに罪はないだろう。
「わかった。見るだけでいいんですよね?」
「わー、お客様! 本当に良い方! 優しい!」
大袈裟に喜ばれ、優香の顔は赤くなってきた。小っ恥ずかしいが、少し協力するぐらいなら、悪くないかもしれない。どうせここを離れても、絵とか夢について考え込んでしまい、良く無さそうだし、気分転換にはなるかもしれない。
「では、お客様。この裏手のブースからご覧くださいね!」
ブースの入り口まで案内され、そのまま行くことにした。公園のイベントの割には、しっかりとしたブースだった。ちょっとしたミュージアムにも見えるぐらい。実際、壁の矢印通りに進んで、展示物を見て行くスタイルらしい。
まず、軽く会社の紹介などがあり、AIのアニメ映像なども流れていた。
AIのアニメでは、さっきの亜論が歌っていた曲がリピートされ、ずっとここにいると、洗脳されそうな雰囲気だ。
優香の他の客は「何これー」と苦笑し、ろくに見ずに帰っていく。
確かに「何これー」だ。優香もそう言いたくなるのを我慢しつつ、口の中を噛む。
AIアニメはブラック企業で奴隷化すている日本人を、モーセっぽいアニメキャラが海を割って救い出すストーリーで、「人生の退職代行は出エジプト社までどうぞ♪」というテロップつき。会社の宣伝動画と思われるが、宗教をネタにしたブラックジョーク風で、笑って良いのか迷うところ。
困惑しつつも、矢印通りに進んでいき、出エジプト社のパンフレットやティッシュ、ボールペンなどのノベルティをゲットしつつ、最後の部屋に足を踏み入れた。
「何これ?」
ここまで変な会社の宣伝素材を見せられたら、もう驚くことはないと思ったが、見当違いだったらしい。
最後に優香の予想できないものがあった。
それは棺桶だった。よくアニメや漫画で見るような、十字架のロゴつきの棺桶。意外とサイズが大きく、優香は後ずさるぐらいだったが、側にいるスタッフは笑顔だった。それが余計に気持ち悪い。どう見てもまともな雰囲気ではない。
先程の女性スタッフ・高野マナと同様に白シャツとジーンズのスタッフだったが、年は三十代半ばぐらい。髪も長く、目も細い。サブカル系イケメンと変わり者の境界線の上にいるようなルックス。スタッフカードには、過越安息という名前があった。キラキラネームか不明だったが、変な名前である事、出エジプト社のスタッフである事は間違い無いだろう。
「ようこそ、新しい人生へ」
過越安息の声は予想通りに低く、モゾモゾと早口だ。いわゆるヲタクっぽい話し方ではあったが、サブカル系イケメンとも取れるような声。ある種の女性には強烈に刺さりそう。
「さあ、人生の退職代行会社らしく、棺桶に入ってみましょう。十五分間だけ、死を体験できる棺桶アトラクションですわ」
薄く笑っている過越安息は不気味だった。ゾンビに見えるぐらいだったが、優香は逃げるタイミングを失ってしまった。過越安息に死に装束を渡され、専用の着替えブースに行かされた。
「は? 私、一体何をしているんだっけ?」
着替ブースの鏡には、死に装束姿の優香。ちゃんと日本風に白い着物で、幽霊が頭によく付けている布もしている。意外と怖くはない。似合わないコスプレをしているような滑稽な雰囲気だけはあったが。
「今日は、気分転換しに来たんだよね……?」
そう呟いた。
なぜ死の体験をしようとしているのか。優香は全くわからないが、この流れには、逆らえそうにない。
棺桶に入る為、足を踏み出した。