第1話前編―出会い
この世には選ばれた人と選ばれなかった人がいる。俺は後者。
俺の名前は蒼。多分どこにでもいる何者でもないただの人間だ。ただ一つ普通と違うことがあるとするならば、俺には両親がいないことだ。
俺は孤児院で暮らしている。今は孤児院のルールで決められた自由時間だ。この自由時間の間に街の高台に来てぼんやりと過ごすのが、心が安らぐ唯一の時間だ。
俺の暮らしている孤児院は閉鎖的で小汚い。何度も外の世界を見てみたいって思った。でもできなかった。俺には、そんなお金も度胸もないから。
そんな俺が選ばれなかった人なら、選ばれた人はどんな人だって?そんなの、お金とか権力とか才能とかをたくさん持っている人のことだろう。富豪とか、政治家とか、皇族とか、それから――。
「・・・。・・・!――!」
その時、頭上、地面から遠く離れた場所から賑やかな声が聞こえた。小さな子供たちが箒に乗って空を飛んでいる。
「――。・・・!・・・?」
「―――!」
遠すぎて会話の内容までは聞こえないけど、楽しそうなことだけはわかる。あの子達だってきっと選ばれた人たち・・・、魔法使いだ。
この世界には人間と魔法使いがいる。といっても、人口は人間のほうが多い。だけど、魔法使いは何でもできる。魔法を使えば、物を一瞬で直したり、好きなときに箒に乗ってどこにでも行けたりする。そんな彼らがなんだか羨ましかったし、そう思っている人間は俺だけではないだろう。魔法が使えるだけで恵まれている、俺はそう思う。もしも魔法が使えたら、今頃全然違う人生を送ってたのかな、なんてどうしようもないもしもの話を考える。
街の時計塔から鐘の音が聞こえる。それは俺にとって自由時間の終わりを告げるものだった。そろそろ戻らないと。俺は今日もいつもどおりの薄暗い日常を送るんだ。そう思っていたその時だった。
「やぁ。」
耳元で声がした。隣を見ると見知らぬ顔がそこにあった。
「わあぁ!?だ、誰!?」
「はじめまして。オレは晴、旅をしているしがない画家だよ。」
晴と名乗った青年はそう言って丁寧にお辞儀をした。肩辺りまであるクセのありそうな髪を一つにまとめていて、キリッとしたツリ目から燃えるような赤色が覗く。旅のものというには軽装で、身につけていた服や帽子にはところどころ鮮やかな色がこびりついている。画家と言っていたし絵の具か何かだろうか。
「俺に何の用ですか?」
「いや、なにか困っているように見えてつい。オレは自分の目標のために世界を見ながら世界中の人たちと交流する旅をしているんだ。そのついでに人助けもしながら。君がなにか困っていることがあるのなら、オレにできる範囲で助けることができる。その代わりにオレの質問にも答えてもらうことになるけどね。そういえば、君の名前は?」
正直かなり怪しい。言葉だけで見ればかなり胡散臭くもある。馬鹿正直に名前を教えていいものなのか少し迷ってしまう。でも、真っ直ぐに見つめてくるその目に悪意があるとは思えなかった。
「そ、蒼です。」
「蒼か。いい名前だね。」
そう言って晴さんは人懐っこそうに目を細めた。
「で、君は困っていることややってみたいことはない?オレにできることなら力になるよ?」
やってみたいこと、という言葉を聞いて俺はどきりとした。確かに俺にはやってみたいことがある。無茶振りだと思いながらも少し遠慮して頼んでみることにした。
「この街の外を、少し見てみたいな・・・なんて。」
晴さんは俺の願いを聞いて少しだけ考える素振りを見せた後、名案を思いついたかのように顔を上げた。
「分かった、その願い叶えよう!蒼は空を飛んだことはある?」
「え?ありませんけど。」
「じゃあ一緒に飛んでみようよ。」
急になにを言い出すんだ。そう思ったときにはもう遅かった。晴さんは俺の手を掴んで高台から飛び降りようとした。
「え、ちょっと、何!?」
「大丈夫大丈夫、怖くないよ。ただ、そうだね。どうしても怖いなら下を見てはいけないよ。落ちちゃったときのことを想像しちゃうからね。」
下を見たから怖いんじゃない。高いところから落ちていくという感覚が怖くて晴さんの腕を掴むことしかできない。晴さんはふと箒を取り出した。
「ロッツォ・リコレクション!」
謎の言葉が聞こえた瞬間、今度は体がふわりと浮いて、かと思えば急上昇した。箒に乗って空を飛んでいる。これは俺の力じゃない。じゃあ、この人は―――。
「もしかして、あなたは魔法使い?」
「そうだよ。あれ、言ってなかったっけ?」
「一言も・・・。」
思いもよらぬ事実に驚きつつ今度は前を、そして足元を見てみる。足元にはさっきまで目の前にあった建物たちが並んでいる。少しだけ怖かったけど、しばらく空を飛んでいて、いつの間にか恐怖よりも高揚感の方が勝っていた。
空を一周して元の場所に戻ってきた。足元と心がまだふわふわしている。
「すごい、俺、本当に空を飛んだんだ・・・。」
「空を飛んだだけでこんなに喜んでくれるなんて、こっちまで嬉しくなるよ。」
「そりゃ喜びますよ!空を飛ぶなんて人間にとってはなかなかできないことですから。はぁ、やっぱり、魔法使いはいいなぁ。」
その言葉を聞いて晴さんは軽く傷心したように少しだけ眉をしかめた。
「魔法使いなんて、そんなにいいものでもないよ。魔法が使えるだけで、本質は人間と同じだ。」
それがどういう意味なのか、今の俺にはわからなかった。晴さんは俺が落ち着くのを待って口を開いた。
「今度はオレが質問する番だね。」
そう言うと晴は俺の方へ改まった姿勢で向き直る。
「君のことを教えてよ。君のこれまでのこと、君が好きなもののこと、君が生きる理由。もちろん、答えられる範囲でいいからね。」
それを聞いて、俺は言葉に詰まってしまう。毎日を生き延びることに必死過ぎて生きる理由とか考えたこともなかったからだ。ましてや好きなものなんて・・・。
「俺のことなんて、話しても何にもなりませんよ。」
「そんなことない。人生に面白いも面白くないもないよ。俺はただ、君のことが知りたいんだ。」
その言葉に俺は何も言い返せなかった。だから俺は、時間をかけて自分の話した。暮らしている孤児院のこと。今みたいな自由時間が唯一の心安らぐ良い時間だということ。世界や魔法使いに対しての憧れ。全てを話し終えた後、少し間をおいて晴が口を開く。
「ねぇ、蒼。オレと一緒に世界を見て回らない?」
「え?」
「オレが言うのも何だけど、君が今いる環境は君には不釣り合いだ。君だってそう思っているんだろ?君は外の世界を見てみたいんだろう?君の目を見ていたら分かる。」
俺の思考を見透かしたように晴さんはそういった。心から溢れる好奇心を抑える事ができずについ聞いてみてしまう。
「外の世界って、どんなところ・・・?」
「とてもきれいだよ。でも、世界は広くて言葉では表せないことで満ちている。オレの言葉だけで君に世界の全てを伝えるなんて到底できない。だからこそ、自分で見て感じるんだ。君にはその権利がある。もう一度聞くよ。君はどうしたい?」
「俺は・・・。」
その時、鐘の音がまた響いた。この場所に来てから2度目の鐘。自由時間の終わりを一時間もすぎていることに今更気づいた。
「わ、もうそんな時間!?孤児院に戻らないと!は、晴さん、今日はありがとうございました!」
「え、ちょっと!返事は?」
その声に答えることなく俺は晴さんに背中を向けて走り出した。投げかけられた問いから逃げるように。