5 元気回復のキャンディ
孤児院への差し入れは、家政に疎い私が唯一、物心ついた頃から定期的に続けている領主の娘らしい善行である。
「シャノンお嬢様、ビスケットとキャンディの用意ができております」
キッチンの作業場に着くと、白いコックコート姿のミックが恰幅のいいマシュマロのような体を揺らして私を出迎えた。クシャッと皺の寄った丸顔で微笑むこの中年男は、背が伸びないと悩む私のためにスペシャルメニューを考えてくれたり、無茶な注文にも快く応じてくれる仕事熱心な料理人である。
「ありがとう、ミック。まあ、こんなにたくさん! 大変だったでしょう」
作業台に載せられた山盛りのキャンディを目の前にして、思わず感嘆の声を上げた。ビスケットのほうは既に梱包が済んでいる。
「いえ、これくらいどうってことありません。キャンディは暇を見ながら、少しずつ作るようにしておりましたので」
「では、私の作業が済んだら、一個ずつ包み紙にくるんでもらえるかしら。そのあと、孤児院に届けます」
「はい!」
元気よく返事をしたのはミックではなく、三名の新米の下働きの少年たちである。私がこれから何をしようとしているのか理解していなくても、素直に言うことを聞くいい子たちだ。ただし、少年とはいえ私よりも背が高い。
「よし、やるか……」
手をかざし、ゆっくりと回復魔法を展開していく。これは体力を回復するための光魔法だ。病気や怪我を治す治癒魔法と比べて難易度が低く、魔力消費も少ない。
治癒魔法師による治療は高額なため、孤児たちが病気になったら薬草を煎じるか、安静にしているしかない。大量のキャンディに治癒効果を付与するには私の魔力が足りないので、せめてもと体力回復のキャンディを差し入れるようにしている。風邪の予防か、病み上がりの体の早期回復には役立つだろう。
これが王宮所属の特級魔法師ともなると、大怪我や重症の病を一瞬で治す万能回復薬が作れるらしい。凡人の私とは雲泥の差だ。
「うわぁ……」
少年たちは私の魔法を初めて目の当たりにして、興味深げに目を輝かせている。手伝ってくれたお礼に、少しキャンディを分けてあげると喜んで口に放り込んだ。
「!」
どんな魔法がかかっているのか、わかったようだ。彼らは包んだキャンディを蓋付きバスケットに詰める作業を黙々とこなしながら、パチパチと瞳を瞬かせ目配せし合っていた。
「はい、これはミックの分。お疲れ様」
「こんな、希少なものを……いつもすみません」
ミックが恐縮しながらキャンディを受け取る。
「ほんのちょっと疲れが取れるだけよ。遠慮しないで」
「ありがとうございます。これを舐めると腰と膝が楽になるのですよ」
「それだけ体を酷使しているってことね」
腰はともかく、膝はその重すぎるぽっちゃりボディが原因では? というのは言わないでおく。
話しているうちに少年たちの手が空いたので、ビスケットの包みを手分けして馬車へ運んでもらった。
「お嬢様、それは私が……」
「いいの、いいの、もう出かけるから私が持っていくわ。それより、またお願いするからよろしくね」
ミックが作業台に残されたキャンディ入りバスケットを運ぼうとしたので、横から奪う。重たいから素早く魔法で軽量して両腕で抱え、キッチンを後にした。
馬車に向かう途中の廊下でハリーと出くわした。彼も一緒に孤児院へ行くのだ。
昨日、王都からジミーが戻ってきたのだが、もうすぐ討伐隊と合流して森へ向かう予定のため、引き続き私の傍らにはハリーがいる。
「ちょうど呼びに行くところでした」
そう言って、ハリーはさりげなくバスケットを私の腕から取り上げ、隣を歩く。「いいのよ、軽いから」と取り返そうとしても「貴族の令嬢は、荷物など持たないものです」と断られてしまう。頭上までバスケットを持ち上げて避けられては、ぴょんぴょん飛び跳ねても手が届かない。四十センチも身長差があるのだもの。
「もうすぐ令嬢じゃなくなるから大丈夫」
ハリーの……クリントン家の嫁になる――何気なく口にした自分の言葉の意味に気づいて、顔が赤らむのを感じた。
ハリーは「そういう問題じゃありません」と素知らぬ顔だったけれど、耳がうっすらと朱色に染まっていたのは見間違いじゃないと思う。それから孤児院に到着するまでの間、私たちは、ばつが悪そうにもじもじと無言で馬車に揺られていたのだから。
後日、私は治癒魔法を付与したキャンディを作り、討伐隊に参加するハーシェル家の兵士たちに配った。毎年、数名ほど志願者が現れ、ジミーもその一人だ。
少ししか作れないので、三個ずつしか渡してやれない。私にもっと実力があったらよかったのに。
「ああ、情けない。自分で作った回復キャンディを自分で舐めるはめになるなんて」
協会の依頼に加えて孤児院の差し入れ、ジミーたちへの治癒キャンディ作りと、立て続けに魔力を消費し続けていたせいか、王都から来た討伐隊が領を去った頃には、さすがに疲れてへとへとになってしまった。
「情けなくなんかないですよ。ポーションは低級のものでも高価で、私たちには買えません。皆、シャノンお嬢様に感謝しております。もちろん、ジミーも」
今朝方ジミーの出立を見送ったばかりのグレタが慰めてくれた。
この三年間、学校の行き帰りに護衛を務めてくれたジミーには、実験と称して装備に様々な魔法を付与してある。彼自身、火炎攻撃と身体強化の魔法が使えるし、経験も豊富だ。
きっと無事に戻ってくる。そう信じているからなのか、婚約者が危険地帯に赴いたというのに、グレタの態度には余裕があった。
「液体は固体よりも魔法を定着させるのが難しいのよ。それにポーションの素材となる薬湯のレシピは、王宮の魔法師しか知らないの。だから低級ポーションでも高価なのよ。効果は高いらしいけど、私も実物は見たことないわ」
「へえ、そうなんですね」
「そりゃ、液体のほうが飲みやすいし、緊急だったら、ちんたらキャンディなんて舐めてる場合じゃないわよね。ごめんね、でも私にはあれが精いっぱいで」
「いえいえ、とんでもないっ。十分です、もう十分ですから、シャノンお嬢様はゆっくり昼寝でもしてください。眠らないことには魔力は回復しませんから」
無理やりベッドに寝かされ、「眠くないのよ」とブーブー文句を垂れているうちに、なんだかんだと瞼が重くなっていく。
グレタが眠りの魔法を使ったのかしら? ぬくぬくした布団が心地よくて……。だから、ちょっと油断したのかもしれない。
嫌な、夢を見た。
探しているのに、ベティお姉様がいない。
今日は嫁入り先のファレル侯爵家の領へ出発する日だ。もう気軽に会えなくなるから、見送りの前に一言「おめでとう」と言ってプレゼントを渡したいのに。
どこにもいなくて、ハリーに訊いてみようと執事部屋へ向かった。
行ってはいけない――。
心が警鐘を鳴らす。
これは記憶だ。私は今、三年前の記憶を夢で見ている。
引き返せと頭では命じているのに、勝手に体が動いてあの日をなぞった。
執事部屋の扉が少し開いていて、会話が漏れ聞こえた。ベティお姉様の声だ。
『――だからお願い、わたくしを忘れないで……』
『……忘れませんよ』
『きっと……わたくしは、ずっと…………』
扉の隙間からそっと中を窺う。
ベティお姉様が抱きつき、その背中に男の腕が回った。頭を傾けた拍子に黒髪の前髪からハニーブラウンの瞳が覗く。
『泣かないでください』
バリトンの声が甘く響いた。
その瞬間、私は身をひるがえして走り出す。
ああ、忘れたかったのに。
今、はっきりと思い出してしまった。
ベティお姉様とハリーは相思相愛だったのだ、と。