番外編SS グレタの幸せな結婚
私を見つめるまっすぐな瞳。
もしジミーのどこが好きかと訊かれたら、私は迷わずそう答える。黒髪とグレーの瞳、出会った頃よりガッシリした体格に成長し、武骨な人だが単純明快で嘘がない。それに、ね……。
侍女として初めてお屋敷にあがった日、通用口で侍女長を待ちながらカチコチに緊張している私に向かってジミーは言ったの。朝練を終えたばかりの汗だくの体で、顔は赤く上気していて――。
「君に決めた!」
急に現れてなんなの、この人! これから旦那様とお嬢様にご挨拶へ伺うところなのに、おかしな人に話しかけられるなんてツイてない、って思ったわ。
「あなた、一体なんなんですか?」
少しずつ怒りのようなものが込み上げてきて、つっけんどんな態度になった。けれどジミーは気にする様子もなくパッと明るい笑顔になる。
「オレは家令の息子のジミー・クリントン。まだ見習い兵なんだ。君の名前は?」
家令の息子と聞いて、慌ててお辞儀をする。初日でクビにはなりたくない。
「グ、グレタです……」
「グレタかぁ、いい名前だね。君は今日からオレの女神だ。よろしくっす!」
びくびくしながら答える私に、ジミーは天真爛漫にのたまう。
は? 女神ってなんだろう?
すると大股で近づいてきた厳つい風貌の上官らしき男が、後ろからジミーの頭をはたいた。
「初対面のお嬢さんに、突然わけのわからんことを言うんじゃないっ」
「イテッ……師匠が言ったんじゃないっすか。戦場で死にたくないなら、自分だけの女神を見つけろって。オレはグレタのためなら、何がなんでも生き残ろうと思えるっす!」
「まだ出会ったばかりだろっ」
「愛に時間は関係ないっす!」
と、まあ、これが当時十二歳だった私たちの出会い。すっかり拍子抜けしてしまった私は、このあと初対面のシャノンお嬢様と気楽にお話しできたことを憶えている。
以来、ジミーはずっとこの調子だ。いつの間にか絆されて結婚までしてしまうとは、想像もしていなかったけれど。
「今のうちにあなたたちも結婚しちゃえば? 長男のハリーを先に、って気遣ってくれたんでしょ。ごめんね、ずいぶん待たせちゃった」
先日、懐妊がわかり幸せいっぱいのシャノン奥様はおっしゃった。
「そうだよ。子どもが生まれたら慌ただしくなるからね」とハリーさんも同意する。
彼は賢く優秀な執事だ。だが生真面目なところがあり、身分違いだからとシャノン奥様への恋心をずーっと隠していたヘタレである。ただ遠くから切なげにじっと見つめるだけ。
さすがにじれったくて迅速果断なジミーの爪の垢でも飲ませてやりたい気分だったわ! 破談の危機を乗り越え、今こうして夫婦仲睦まじく子まで授かっただなんて感慨深い。
その後、ハーシェル家当主である旦那様と奥様にもこのまま侍女を続けるつもりなら出産前がよいのではと勧められて、私たちは急遽結婚することになったのだった。
※※
「よーしっ、盛大な結婚式にするぞぉぉぉ!」
気合を入れるジミーとは対照的に「準備に時間がかかるから、近所の聖堂で二人っきりですませばいいわよ」と地味婚一択の私。
「えええっ?」
結婚式は女の晴れ舞台ではないのかと、ジミーに驚かれた。それはそうなのだけど……。
招待客が多ければ多いほど、準備には時間と手間とお金がかかるのだ。ジミーは字が下手だから招待状の用意は私がしなくてはならないし、日時の調整や会場の手配もある。しかも仕事をしながら……と、想像するだけでぐったりした。
「私はね、素敵なドレスを着て式を挙げられるだけで嬉しいの」
私の花嫁姿を思い浮かべたのか、ジミーは「二人だけの挙式も悪くないな」とにやけた顔になる。
話し合いの末、挙式と両家の食事会だけを最短スケジュールで執り行うことが決まった。
ウェディングドレスは自分で刺繍することにした。貴族のようにオートクチュールというわけにはいかないが、好みのものを着たい。なんてたって一生に一度、お姫様になれるチャンスですもの。
「なあ、グレタ。明日、街へ行こうぜ」
「でも……ドレスを仕上げないと。もう時間もないし」
「最近、そればっかだな」
デートする時間もないのかとジミーがむくれるのを横目に、私はドレス作りに熱中した。
そんなある日、洗濯係のラナが、ばつの悪そうな顔をして私を呼び止めた。
「あ、あのぉ……グレタさん」
「どうしたの?」
私はハーシェル家に勤めて長いので、メイドたちの相談に乗ることが多い。誰かと仲違いをしたのではないかと耳を傾けてみれば、予想外のことを言い出した。
「わ、わたし、見ちゃったんです。昨日、街でジミーさんが女の人と一緒にいるのを」
「ジミーが? 見間違いじゃないかしら」
私以外の女性と? 彼は「グレタに嫌われたくない!」と、普段から誤解を招かないように気をつけているのだ。妙齢の女性と二人きりになって、事後報告すらないなんて信じられない。
「わたしも最初はそう思ったんです。でも気になって追いかけてみたら、やっぱりジミーさんで……仲良く一番街のカフェに入っていきました」
「一番街のカフェですって!?」
街で人気のそのカフェは、客の八割がカップルという有名なデートスポットである。
「告げ口みたいなことして、すみません。でも黙っていられなくて……」
私の剣幕に恐れをなしたのかラナが泣きそうになったので、慌てて笑顔を作った。
「いいのよ。よく話してくれたわ」
とはいえ、心穏やかではいられなかった。まさか浮気? そういえば最近デートをしていない。ドレスの刺繍にかかりっきりで……だから呆れられてしまったのだろうか?
ラナと別れたあと、そんなことを考えながら行くあてもなくフラフラと歩く。
思い返せば私は常に受け身で、愛の言葉もデートの誘いも、いつもジミーからだった。何年も一緒にいるうちに、いつの間にかそれが当たり前になっていた。ずっと彼の愛情に甘えていたのだ。
「グレタ!」
突然ジミーの呼び声がして我に返った。どうやら鍛錬場の近くまで来ていたらしい。
「こんな場所で会うなんて、めずらしいな」とジミーは言う。昨日と同じ屈託のない笑顔で。
「ジミー……」
「ん?」
「あなた、私に隠していることがあるでしょう?」
まっすぐ目を見て尋ねる。その直後、スッと視線がそらされた。
「な、なんのことだよ? 別に隠し事なんてしてないって」
ジミーの目が泳ぎ、落ち着きのない態度になる。彼は嘘を吐けないのだ。つまりデートは本当だということで…………泣けてきた。
「うわっ、どうした? 誰かにイジメられたのか!」
動転しながら、私の涙を指で拭う。大きな手を不器用に動かしている。
「ジミーが嘘を吐くからでしょ!? よりにもよって結婚直前に心変わりすることないじゃない。私と別れたいなら早く言ってよ。カフェでデートなんかする前に」
「えっ、デート? カフェ……って、なんでそのことを……」
私が核心を突いたとたん、しどろもどろになった。
「だって目撃証言があったんだもの」と口を尖らせると、ジミーは「違う、違うっ。誤解だ!」と否定する。そして気まずそうに頭を掻いたあと「サプライズのつもりだったんだよ……」とゴソゴソとズボンのポケットをまさぐった。
「偽物を掴まされると困るから、付与魔法師協会の受付のエレンさんに一緒に行ってもらったんだ。彼女は鑑定の魔法持ちだからさ。お礼は『ふわふわクリームパンケーキ』でいいって言うし」
目の前に差し出されたジュエリーケースの蓋が開き、鎮座するピンクダイヤモンドが薄紅を帯びた暖色の輝きを放つ。ダイヤの中でもピンクは希少だ。意味は『完全無欠な愛』、ということは――。
「婚約……指輪?」
「そう。せっかくだから、ドーンとすごいのを買ってやろうと思ってさ……って、グ、グレタ?」
ジミーの言葉を聞いたら、また泣けてきた。こんなにも愛されているのに、私ときたら。
「疑ってごめんなさい。私、自分のことばっかり考えていたわ」
さすがに自己嫌悪に陥ってしまった。
「気にすんな。泣くほど嫉妬されるなんて、初めてだったから嬉しかったし」
背に腕が回り、抱きしめられる。彼の胸はいつだって温かい。
※※
結婚式当日、本当のサプライズが待っていた。
二人だけの挙式を終えたあと、お屋敷の宴会用ホールに皆が勢ぞろいしていたのだ。両家のささやかな食事会だったはずなのに、旦那様と奥様、ジミーの仕事仲間の兵士や使用人たちまで……。
「結婚おめでとう!」
「お幸せに!」
テーブルには、ミック料理長が腕を振るったのであろう豪華な料理の数々が並ぶ。ハリーさんの指揮で飲み物を配る給仕たち。混乱している私に、シャノン奥様が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「グレタ、ジミー、結婚おめでとう! ふふ、びっくりした? やっぱり二人の結婚は盛大にお祝いしないとね」
パーティーは、旦那様の乾杯のご発声を合図に無礼講となった。皆が笑顔で……嬉しくなる。
感涙に咽ぶジミーが「幸せになろうな」と私の肩を抱き寄せて囁く。
「もう十分幸せよ。ジミー、愛してる。天と精霊王に誓って、一生あなたについていくわ!」
これは受け身だった私からジミーへ、初めて捧げる最上級の愛の告白。彼は驚いたように何か言おうとしていたけれど、声を発する前に素早くキスしてその唇をふさいだ。




