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【番外編】ドーラの恋人 下

少し長めの最終話です。

 ノーラが結婚して、わたくしも侍女としてハーシェル家へ行くことが許された。

 両親はわたくしに結婚してほしかったようだが、どうしてもその気になれなかったのだ。

 次期伯爵の旦那様は、おおらかな人だった。

 ノーラと旦那様は出会った瞬間から魅かれ合い、仲睦まじく……つまり、親の決めた結婚が大恋愛に発展したわけである。社交界では「ハーシェル伯爵の令息が男爵家の令嬢を見初めた」と噂になったほどで、翌年には第一子のベティお嬢様も生まれた。

 ハーシェル家での暮らしは、わたくしにとって想像以上に楽しいものだった。


 ライナスには会っていない。しかし、近況は耳に入ってくる。

 結婚早々に男児を授ったこと。愛人の座を狙う令嬢が絶えないらしく、嫉妬深い妻の黒い噂が囁かれていること。没落した子爵家、傷モノになって修道院に入った伯爵令嬢……ジャニス夫人のねっとりとした狂気の瞳を思い出した。

 それでも彼女がライナスを幸せにしてくれるのならいいと思っていた。王命で結ばれた縁でも、共に暮らせば情が芽生えることもあるだろう。たとえ、わたくしのことを忘れても、いいえ、忘れたほうが順風満帆の人生を歩んでゆける。


 その考えが間違いだと気づいたのは、四年ぶりにライナスに再会した時だ。

 ノーラの付き添いで訪れた展示会で彼を見かけ、遠目からでもはっきりわかるほどやつれた姿に目を見張る。覇気がなく、目の下に隈を作っていた。

 ああ、幸せではないのだ――。

 壊れた人間と円満な結婚生活を築けるわけがない。離れるべきではなかった、と今更ながら後悔した。


「ハンカチを落とされましたよ」


 後ろから声をかけられて振り向くと、マークがいた。

 それは主人を思っての行動だったのかもしれない。見覚えのないハンカチを渡され、中にはメッセージの書かれた紙が入っていた。


『明日午後、王立図書館』

 


 翌日、懐かしの裏庭のベンチでライナスが待っていた。

 生気を失った顔に手を伸ばす。とても見ていられなかった。


「彼女はもう子を望めない。カイルが生まれたあと、医者にそう言われたんだ。僕は一人でいいと思うんだよ? これで義務は果たしたんだし、あとはお互い自由に暮らせばいい。だけど納得しないんだ。今は僕に言い寄る女性を破滅させることに躍起になっているよ」


「それだけ愛されているということではないの?」


 口に出してしまってから、それはない、と思った。この顔は、愛されている人の顔ではない。

 もともとこの結婚はジャニス夫人の本意ではなかった。彼女が愛しているのは、今でも亡くなった元婚約者なのだろう。

 ライナスもわたくしの本心を見透かして苦笑する。


「彼女は僕に隠し子ができるのを恐れているのさ。もし自分の息子よりも魔力の高い子どもが生まれたら、無理やり結ばれたこの結婚の意味がなくなるだろう? そのために令嬢たちにあんなことを……彼女は狂ってる。僕は、もう堪えられない」


「ライナス……」


「お願いだ、ドーラ。見捨てないでくれっ……!」


 先日、男爵令嬢が死体で発見されたばかり。ジャニス夫人が関与した証拠はない。けれど、黒い疑念に心は塗りつぶされてゆく。宰相が関係しているのか、いないのか。この先もこんなことが続くのか――。

 頼みの綱の王弟(父親)は、大使として隣国に赴任中である。そして若いライナスには、まだ力がなく未熟だった。

 精神が削られ、余裕をなくしていると感じた。

 縋りつくように抱きしめるこの腕を振りほどくことなど、この時のわたくしにできただろうか?

 せめて支えになりたい。愛する人の背中に腕を回し、抱きしめ返した。

 その結果、シャノンを身ごもりノーラを巻き込むことになったけれども、もう一度、人生をやり直せたとしても、やはり同じ選択をするのだろう。


「ドーラ、ハーシェル家で出産なさい。わたくしが妊娠したことにするの。あの女はヤバイわ。とにかく今は、無事に出産することが先決よ。たとえ生まれた子の瞳が青紫でも、領地の中でなら隠して育てられる。どうにかなるわ」


 ライナスは密かに別宅を用意すると言ったが、ノーラが危険だと反対した。わたくしも別宅で一人になるのは不安だった。もしバレてメイドが買収されでもしたら、無事ではいられない。

 ピチュメ王族の青紫の瞳と王位継承権のある『虹の瞳』については、以前、ライナスから聞いて知っていた。しかし、彼の母親である第三王女が薄紫の瞳だったことから、必ずしも受け継がれるわけではないと、その時は楽観していたのだ。

 とにかくわたくしたちが危険視したのは、宰相を父に、王太子妃を親友に持つジャニス夫人だったのである。


 妊娠中に魔物の定期討伐にかこつけて、ライナスが領地まで会いに来てくれた。


「ドーラ、これを。水晶は安産のお守りなんだ」


 わたくしの手に、水晶を二つに割って作ったお揃いのペンダントを握らせる。

 離れていても繋がっているようで、嬉しかった。


「ありがとう」


「モーガンを憶えているだろう? 彼を置いていくから、何かあったら頼れ。そのための金も託してある」

 

 薄茶の髪の、あまり印象に残らない容姿の男を思い出した。ライナスに忠誠を誓う腹心だ。

 支えになろうと決意したのに、逆に支えられ守られている。そう思うと、彼の足を引っ張っているようで申し訳ない気持ちになった。


「ドーラとこの子の存在が、僕に力を与えてくれているんだよ」


 そう言って、わたくしの髪を撫でる。ライナスの顔に生気が戻っていた。

 それから間もなくしてモーガンが武器屋を開き、二人の連絡役を担った。

 当主の留守を守る跡取りが毎回討伐に参加できるわけもないので、無事にシャノンが生まれてからというもの、わたくしたちは社交シーズン中の王都で密会するようになった。ノーラの侍女としての仕事もあり、束の間だったけれども、年に一度の二人の時間を大切に過ごした。


 一方でシャノンには悪いことをしたと思う。

『虹の瞳』を持って生まれたため、ジャニス夫人だけでなく、王都や社交界を避けて暮らさねばならなかったからだ。

 この国の上位貴族の一部には精霊信仰に熱心な者たちがいて、彼らに見つかれば政争に巻き込まれかねないと知り、血の気が引いた。

 領の外は危険だと言い聞かせ、半ば屋敷に閉じ込めるように育ててしまった。

 守るためとはいえ「小さい」「引きこもり」などの悪評をそれとなく広め、片っ端から貴族との縁談を潰した。わたくしの所業を知ったら、あの子はきっと恨むだろう。


 いつか天罰が下る――。


 時が過ぎて新しい国王の時代となり、貴族たちもそれぞれに代替わりを済ませた。旦那様は伯爵に、ライナスも結局は爵位を継いだ。

 伯爵令嬢として成長したシャノンが付与魔法師として活躍し始めた頃、それはやって来た。

 魔物討伐に参加していたライナスが戦死したのだ。


「ドラゴンに丸飲みされ、残されたのは手袋(グローブ)だけだったそうです」 


 モーガンから報告を受けて、目の前が真っ暗になる。

 信じられなかった。エルドン家の財力ならば、装備に結界魔法をかけることも可能だったはずなのに、剣士として実力を試したいと、防具の魔法付与を怠ったのだそうだ。そんなバカな……!

 一緒に旅をしよう――その約束は果たされず、わたくしたちは最後まで恋人のままだった。


 追い打ちをかけるように旦那様が投資に失敗し、ハーシェル家は窮地に陥った。

 モーガンのところにライナスの遺したお金があったが、「出どころを明かせないのは、まずいわ」とノーラが手元の宝石やドレスを手当たり次第に売り払ったので、結局は手つかず仕舞いだ。

 何もできなかった無力なわたくしとは違い、シャノンは温熱下着や冷風扇子を開発して、家の危機を救った。誇らしかった。

 散々、親の都合を押しつけてきたのに、努力家で、明るい、優しい娘に育ったのは、周りの人たちの支えのお陰である。特にハリーの存在が大きかったように思う。恋をしているのだ――。

 ハリーと結ばれたらいい……わたくしはかつての自分を思い出して甘酸っぱい気持ちになった。



 ※※※



 ライナスの死から三年が経ち――。

 突然、エルドン公爵家から求婚状が届いて肝を冷やした。

 異母兄と婚姻などあり得ないとノーラは取り乱し、わたくしもモーガンのもとへ走ったほどだ。


「カイル様がお気づきになるはずですから大丈夫です」


 平然と諭され、やっと冷静になる。

 ライナスがいてくれたら……何度もそう思った。けれど、もう彼はいないのだ。もっと、しっかりしなければ。そう決心したのだが――――。

 シャノンは、いつも自分で未来を切り開く。そういう子だった。

 わたくしにできたのは、見守ることだけ。


 王都での騒動のあと、シャノンとハリーの結婚が決まったことを報告するために、領地に戻ってすぐモーガンの店を訪れた。

 カラランとドアベルが鳴る。


「ドーラ」


 店の扉を開けた瞬間、聞き慣れた低い声で呼ばれた。店の中に佇む一人の男。フードで顔を隠しているが、それが誰かわたくしにはわかった。


「ライナス!? あなた、生きてたのっ!」


 駆け寄り、ドンッと厚い胸板を叩く。

 驚きと、嬉しさと、大変だった時に傍にいてくれなかった憤りと、そして愛する人が目の前にいる安堵の気持ち。

 泣きながら握りこぶしを振り上げるたび、様々な感情が溢れ出る。

 ライナスは叩かれながら、わたくしの背中に腕を回し抱きしめた。


「黙っていて、ごめん。自由になるには死んだことにするしかなかったから、カイルが爵位を継げるようになるのを待って実行した。ほとぼりを冷ますのに時間が必要だったんだ。新たな身分も得なきゃならなかったし」


「んもうっ、そうならそうと一言教えてよ! 大変だったのよ? あなたったら肝心な時にいないんだもの…………」


 怒りながらワンワン泣くわたくしを、ライナスが辛抱強く宥める。何度もごめんと繰り返して……。

 

「何もしてやれなくて悪かった。でもこれで、やっと君を迎えに来られた。旅をしようって約束しただろう?」


「あら、娘の結婚式と孫の顔は見ないつもり?」


 わたくしがシャノンが結婚するのだと告げると、ライナスは喜びと寂しさの入り混じったような表情で天を仰いだ。花嫁の父の複雑な心境といったところか。


「しばらく、旅は無理……だな。せめて近くで見守ってやりたい」


「そうね。だけどコッペ温泉ぐらいは行きましょうよ」


 ハードな冒険旅より、のんびり旅行がちょうどいい。そんな年齢になった。

 わたくしたちは顔を見合わせ、クスクスと笑ったのだった。





最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

ちょっとバタバタですが、これにて完結です。

評価&誤字脱字報告、ありがとうございます。今後の励みになります。

6/8 総合ランキング20位、異世界恋愛ランキング12位をいただきました。

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