35 チビ令嬢の小さな幸せ (最終話)
その年、カイル様がヴェハイム帝国の魔法研究学会で発表した論文『精霊の愛し子の誕生の条件』は脚光を浴びた。
長年謎だった『虹の瞳』の生まれる条件が、ついに明らかにされのだ。ピチュメ王国の聖殿長による精霊の書の改ざん、相思相愛から『虹の瞳』は生まれ、精霊の祝福を授かること――世界の研究者たちに激震が走った。
それはピチュメ王家も例外ではない。
改ざんの際にすべて廃棄されたはずの古い精霊の書が、タウンゼント侯爵の縁戚に当たる骨董商の私的なコレクションの中から発見されたからだ。それによりカイル様の発表内容が正しいことが証明され、私の証言だけでは懐疑的だったピチュメ王族は急遽、恋愛結婚に舵を切ることになったのである。
国に戻ったルーマンの報告によれば、王太子が三人目の側妃として子爵家の未亡人を迎え、王女の一人が婚約者と別れ庭師との結婚を発表したそうだ。
王太子の実子が王位継承できる可能性があるのならそのほうがいいと、私をピチュメ王国へ呼び寄せる動きはなくなった。
ということで、私は気兼ねなくハリーと結婚した。もうすぐ一年になる。
国王主催で王都の大聖堂で挙式が行われた際にも、精霊たちが現れた。
「真実の愛を天と精霊王に誓います」
誓いのキスのあと、“おめでとー”と祝福されたので王都中の話題になった。
どうやら精霊王に誓いを立ててキスをすると姿を見せるらしい。
女男爵となった私は、ハーシェル伯爵領で付与魔法師をしながら暮らしている。社交シーズンには、王都へ行って王宮に顔を出す。精霊の愛し子として。
それ以外に変わったことと言えば、ベティお姉様が妊娠し、サイラスがアイリス嬢と婚約したことくらいである。
ドーラは相変わらずお母様の侍女のままだし、両親は仲のよい夫婦だ。
「シャナ、ちょっと」
「なあに、ハリー」
そうそう、夫婦になってお嬢様ではなくなったため、ハリーに愛称で呼ばれるようになったんだっけ。王都のアパートメントで夫婦ごっこをしていた頃のように。
「スノー辺境伯からガラス玉が届きましたよ」
「待ってたのよ! これはガラスビーズの一種で、辺境の伝統工芸品なんですって。紐を通してアクセサリーにするの。キレイでしょ」
黄色や赤、青など、マーブル模様や花の紋様の入ったカラフルなガラス玉だ。真ん中に穴が開いていて、紐を通すとペンダントやブレスレットが作れる。
あのお披露目の舞踏会のあと、第二王子殿下の婚約者スノー辺境伯令嬢と仲良くなり「友情の印に」と贈られたのだ。気に入ったので、わざわざ辺境から大量に取り寄せたのである。
ガラス玉とは思えないほど美しく、宝石よりもずっと安価で、私が結界魔法を付与できるだけの硬さがある。一目で「これだ!」と閃いた。
というのも私たちは男爵家として、このガラス玉に魔法を付与して兵士たちに貸し出すレンタル事業を模索中なのだ。
高価な結界付与のアクセサリーも、レンタルなら安くできる。
武器や防具の魔法付与の代金は、通常、兵士個人が負担する。強力な防御魔法ほど高額なので、裕福かそうでないかで装備に大きな差がでてしまう。以前から、どうにかならないかと考えていた。
討伐から無事に戻って来られるように。
彼らの帰りを待つ人が、哀しい思いをせずに済むように。
因みにこの事業はエルドン公爵家の賛同を得て、多額の援助金が私の口座に振り込まれた。
「母上にも思うところがあるのだろう。それに本来なら、君の養育費は父上が支払うべきだったのだから遠慮なく受け取ればいい」
巨額に驚く私にカイル様が説明した。
そうか、エルドン前公爵夫人が――。
絶対に事業を成功させよう、と決意した。
目下のところ、私はせっせとガラス玉に魔法を付与する毎日である。
精霊の愛し子だの、女男爵だのと世間からもてはやされても、実際は華やかさとは無縁の引きこもりだ。
試行錯誤しながら製品を作っても、上手くいかないことも多い。
現に浮遊魔法付き馬車は事故の危険があるとして禁止されてしまったし、特許を申請した温熱ハンカチの人気はさっぱりだ。
一方で冷却ハンカチのほうは飛ぶように売れた。暑さを凌ぐだけでなく、患部を冷やしたり発熱時に額に当てるなど、医療用の需要があったためだ。
失敗は糧だ。地道な作業の繰り返しが、いつか形になる。
事業の準備に忙しくなったので、付与魔法師協会の仕事は指名の依頼だけ受けている。繁忙期に客を選ぶなんて我がままかもしれないが、そこは名誉会員なので多少融通が利く。
今日はモーガンさんのところだ。
お得意様だから一人で大丈夫だと言ったのに、心配性のハリーがついてきた。
「こんにちは。本日は刀の再調整でよろしいですか?」
「へい。こちらの剣士様の太刀なんですが」
作業場に通され、黒いマントを纏った中背の剣士を紹介された。フードを目深に被っていて顔は見えない。身元を知られたくないという客はめずらしくないので気にならなかった。
「ご指名、ありがとうございます。何か不都合がありましたか?」
「いや、調子はいい。ただ、重さの調整は本人がいたほうがやりやすいと店主から聞いたのでな」
剣士が取り出したのは、見覚えのある黒漆の太刀。『血吸いの呪い』を付与したくなるほど妖美な。
作業台に太刀を置いたはずみで、唯一露わになっている顎に銀の髪がかかった。
「どれくらい軽量しますか? あと一割程度なら軽くできます」
私は太刀の状態を確かめるために柄を握る。以前付与した保護魔法に綻びはない。単純に軽量だけで済みそうだ。
「若干……」
漠然とした答えである。
しかし、そういう抽象的な注文に対応するのも付与魔法師の腕の見せ所だ。
「かしこまりました。では数回に分けて軽量しますので、手に取って確認してください」
「わかった」
私が魔法を発動し始めると、ハリーは黙って部屋の隅に控えた。
数十グラムずつ軽量して確認してもらい、『しっくりくる』重さを探ってゆく。
「もう少し」
三度目の『もう少し』の口調に迷いを感じて慎重になる。この重さでもいいんだけどな、と言われているようで。
あと十五……いや十三――。
ペン一本程度軽くしたところで確認してもらう。
剣士が作業場の裏で太刀を振った。
「これでいい。君は腕がいいね」
戻ってきて、いくらか明るくなった声で言う。
「へい。シャノンさんは、協会の名誉会員なんですよ」
私の代わりにモーガンさんが答える。
「そうか。これからもお願いするよ、シャノンさん」
剣士が貴族を思わせる優雅な所作で、手を差し出してきた。握手を交わす手のひらに、長年剣を握ってできたのであろう硬くなった皮膚のごつごつとした部分が当たる。
「ありがとうございます。でしたら、来春の定期討伐の時期はお引き受けできないと思いますので、なるべく冬の間にご依頼ください」
「辞めるのか?」
「いえ、子どもが生まれるんです。昨日、妊娠がわかって……」
産休を取るんです――という言葉を発する前に「おめでとうっ」と大きな声が被せられた。
「あ、いや、すまない……つい」
表情はわからないが、恥ずかしいのだろう。マントの中でもぞもぞと身じろぎをしている。
「また戻ってきます。付与魔法師は私の天職だと思っていますから」と私は笑顔で言った。
「では、復帰までに新たな剣を用意して待つとしよう。そうだ、これを――」
剣士が再びマントの中で胸の辺りを手繰り、革紐を通した水晶のペンダントを取り出した。ヌメ革が飴色に変色して、ずいぶん年季が入っている。
「あの……?」
「僕の故郷では、水晶は安産のお守りなんだ。魔法は何も付与されていないが、よかったら」
「お心遣いに感謝します。実は私のお守り石も水晶なんですよ。奇遇ですね」
せっかくの厚意なので、ありがたく受け取ることにした。
無事を願う――その純粋な気持ちが嬉しかった。
「それでは」と剣士が店を出て行ってから、せめて名前を訊くべきだったのではないかと後悔して追いかけたけれど、その姿はもうどこにも見当たらなかった。
「シャナ、これ……」
ハリーが自分の首に下げていた私のお守り石を外して寄越した。いつぞや預けた結界魔法付与のペンダントである。
返さなくていいと言ったのに、と苦笑しながら手元を見る。これは――。
「また会えるかしら?」
二つのペンダントは、同じ水晶を二つに割って作られていた。
まさか……ね。
片割れのペンダントを自分の首にかけると飴色の革紐からは、ほのかにシガーの匂いがした。
「会えますよ。また指名してくださるはずですから」
「そうよね……」
ハリーが、しんみりとする私の腕を引っ張った。
「疲れたでしょう。カフェに寄ってから帰りませんか? 王都で話題のクリームブリュレを出す店がこの辺りにあるんです」
気を取り直すように話題を変える。
「いいわね! 行きましょう」
誘われた私は、たちまち上機嫌だ。
相変わらずハリーのコーヒーはブラック、私はミルクたっぷりに角砂糖を二つ。
クリームブリュレを頬張る私を、ハニーブラウンの瞳が優しく見つめる。
今、この瞬間が、すっごく幸せ。
春になってこの子が生まれたら、きっと――もっと幸せ。
この場所でハリーと生きてゆく。
それが『引きこもりのチビ令嬢』と呼ばれた私が掴んだ小さな幸せ、いや、大きな幸せだ。
これにて本編終了です。
続けて番外編(三話)があります。
よろしくお願いいたします。




