30 ピチュメ王国の密使 前
その後、お父様が王宮に呼び出されて、あっという間にいろいろなことが決まった。王家が本気を出すとすごい。
まず実母のドーラが男爵家の籍に戻り、表向きにもお母様と姉妹になった。
それに伴い私の籍は、ドーラとエルドン前公爵の子として生まれ、ハーシェル家の養女になるという本来あるべき形に修正された。
ハリーはファレル侯爵のご厚意で傍系のモートン子爵の養子となったが、書類上のことなので生活は今と変わらない。
これでとりあえずは、伯爵令嬢と子爵令息として貴族同士の婚約が調った。
しかしハリーは爵位を継げないので、いずれ平民に戻る。そのため私が女男爵となり、婿入りしてもらうことになった。
「王宮魔法師は、三級以上で男爵位相当になる。シャノン嬢が爵位を得るには、それが一番手っ取り早い」とのカイル様の勧めで、王宮魔法師になることにしたのだ。とはいえ実際に働くわけではなく、『精霊の愛し子』として王宮の所属となり地位と王家の後見を得るということらしい。
貴族の中では低位の男爵だが、王家だけでなくエルドン公爵家とファレル侯爵家、ハーシェル伯爵家が後ろ盾につくので立場は強い。
結婚後はハーシェル男爵夫妻となり、ハリーはサイラスの右腕として、私はこのまま付与魔法師の仕事を続けられることになっている。
次の王宮舞踏会で『精霊の愛し子』のお披露目と婚約発表をすることも決まった。
「結婚して平民になる予定だったのに、私が女男爵ですって! 王家の後ろ盾までついちゃって、立派すぎやしないかしら」
私は呆然となり、ハリーに「シャノン様、しっかりしてください。私なんて、平民からいきなり子爵令息なんですから」と肩を揺さぶられる。
これで領地を与えられていたら、パニックを起こしていたに違いない。付与魔法師と領主の両立なんて、要領の悪い私には絶対に無理だ。お父様たちはそれを見越して、できる限り現状を維持する形で体裁を整えてくれたのだと思う。
「ごめんね、ハリー。クリントン家の嫡男だったのに、婿入りすることになっちゃって」
「大丈夫ですよ。ジミーがいますし、貴族ではないので家の存続とか考えなくていいので」
「ハリー」
「シャノン様」
ひっしと抱き合う私たち。
「コラッ、そこの二人、離れなさいっ!」
お父様に見咎められたので、私はハリーの手を取って逃げ出した。後ろから「まったく油断も隙もない」とぼやく声が聞こえる。まあ、誰もいないと思って玄関ホールで抱き合ってしまった私たちが悪いのだけれど。
二人でクスクスと笑いながら廊下を抜けて裏庭に駆け込む。
ハニーブラウンの瞳に見つめられ、チビな私は目一杯腕を伸ばしてハリーの首に抱き着いた。
「愛しています、シャノン様」
「私も」
ハリーが腰を屈めて私にキスする。
ああ、二人の世界だ。
「シャノンお嬢様ぁ~、どちらにいらっしゃいますか? 奥様がお呼びですよぉ」
せっかくいいムードなのに、私を探すハワード夫人の声が水を差す。その瞬間、びっくりして二人の体がパッと離れた。
残念。だが仕方がない。今、我が家は私のお披露目と結婚準備で、てんやわんやなのだ。大急ぎで夜会用のドレスも仕立てなければならず、今までののほほんとした生活が嘘のように忙しい。
「はーい、今行きまーす」
私は渋々返事をして、お母様の部屋へ向かう。
ハリーはお父様に大量の仕事を押しつけられていた。「イチャイチャする時間があるなら、仕事しろ」ということらしい。
なんて狭量な! と思わなくもないけれど、王家との話し合いで一番大変だったのはお父様だから我慢する。
そんな折、従者の男を伴いジェナが訪ねてきた。
カイル様の使いだろう。このところ魔法研究の発表準備のため屋敷にこもりきりなので、すっかりご無沙汰している。こうしてジェナが代理でやって来ても不思議ではない。
「こんにちは。ジェナを代理に立てるなんて、カイル様はずいぶんお忙しいのね」
ジェナと従者を応接間に案内し、ハリーと二人で応対する。
「お久しぶりでございます。この者はルーマン。本日はお願いがあって参りました」
「ルーマンと申します。『虹の瞳』にお会いできて光栄です」
二人は深々と頭を下げた。
いきなり示した最敬礼に、私とハリーは戸惑う。
ルーマンが『虹の瞳』と呼んだのも気になった。三十歳くらいだろうか。カイル様よりも年上に見える。黒い瞳はこの国ではめずらしく、頭を下げたままの黒茶の髪がサラリと揺れた。金糸が入った上等な上着を見て上流階級なのだとわかる。
「お座りになってください。それで、カイル様のお願いとはなんですか?」
私が促すと、彼らは顔を上げ遠慮がちにソファに腰を下ろす。そしてジェナが「いえ、カイル様は関係ありません。実は――」と切り出した。
「ルーマンはピチュメ王国の密使です」
紹介されたルーマンが優雅にお辞儀をする。
ジェナは私がエルドン公爵邸に着いたその日に、ピチュメ王国の諜報員に連絡し情報を渡していた。前公爵に『虹の瞳』の隠し子がいると知った国王の命で、ルーマンがはるばるヨゼラード王国までやって来たのはつい先日のことだそうだ。
「ということは、ジェナ殿はピチュメ王国の人間なのですね。あなたの役目は、ピチュメ王家の血を引くエルドン公爵の監視ですか? 万が一『虹の瞳』が生まれたら、いち早く祖国に知らせるために」
ハリーが鋭く指摘した。
「はい。私は王女殿下のたった一人の小間使いでした。十二歳の時、実家の伯爵家に厄介払いされたところを拾われまして、以来ずっとお仕えして参りました」
虐げられていた者同士ということもあり、年上の王女を姉のように慕っていたという。結婚が決まった時は、定期的に様子を知らせることを条件にやっとのことで随行が許された。でなければ、文字通り一人ぼっちで遠方の国へ嫁入りすることになっていただろう。それだけは、どうしても避けたかったのだそうだ。
「祖国に『虹の瞳』の情報を渡しはしましたが、エルドン公爵家に誠心誠意お仕えする気持ちに嘘はありません」
「忠誠心から、私のことをエルドン夫人に知らせたんですか?」
ピチュメ王国とエルドン前公爵夫人の双方に告げ口した意図がわからなくて、私は疑問をぶつけた。
するとルーマンが優しく微笑む。
「どうか、ジェナを責めないでください。彼女はピチュメで生まれたんです。どこにいようと精霊信仰は捨てられません」
「精霊……信仰……」
確かにあちらは精霊信仰が盛んだけれど、結局ジェナは何がしたいのか?
突然、ハリーが警戒するように隣に座る私の腰を引き寄せた。
「閣下と破談になったあと、すぐに領地へ帰られては手が出せなくなると思って、わざと王妃陛下の耳に入るように画策したんですね? 王都に引き止めて密使到着の時間を稼ぐために」
「手を出す? 私を傷つけるの?」
「ルーマン卿は、シャノン様をピチュメ王国へ連れて帰りたいんですよ」
「じゃあ、お願いって……」
ルーマンが「そうです」とにこやかに頷いた。
「ハーシェル伯爵令嬢、どうか私と一緒にピチュメ王国へいらしてください」
「それは王位を継げということですか? 無茶ですよ」
「ですが、あなた様がいらっしゃらないとピチュメの王位継承が途絶えてしまいます」
そう言って困ったように眉を八の字に曲げるルーマンの横で、ジェナも頭を下げている。
「ピチュメ王家には、いつ『虹の瞳』が生まれるかわかりません。シャノン様だけが希望なんです」
この二人は、『虹の瞳』の生まれる条件のことをまだ知らないのだ。
カイル様も侍女のジェナにはいちいち報告しないだろうし、忙しくてそれどころじゃないのだと思う。切羽詰まった様子だから説明したいけれど、これから発表しようとしている研究内容を教えてしまってもいいのか悩む。
「あのぉ、このことはカイル様には――」
「カイル様は、私が未だに祖国と繋がっていることを知りません」
「あ……ですよね」
この話はカイル様を交えたほうがいい。そう判断して口を開きかけたその時。
「失礼いたします」
グレタがお茶を運んできた。
焼き立てのビスケットの甘い匂いが鼻をくすぐり、緊張が緩む。だから油断してしまった。
ルーマンの席にカップが置かれた瞬間、彼は素早くグレタの腕を掴み動きを封じたのだ。立ち上がり首にナイフを当てている。
「グレタ!」
グレタを人質に取られて焦った私を見て、ルーマンが冷笑を浮かべた。




