29 王妃のお茶会 後
お茶会が再開され、ローズティーが苦手な王太子殿下のために新たに紅茶が淹れられた。
「んまぁ、わたくしの茶会の趣向をぶち壊すなんて無粋な」
「だって、バラのお茶って不味いじゃないですか」
殿下が母親の不満を軽くいなす。気の置けない親子のやり取りである。
「それで、なんの用なの?」
王妃様は腕組をして、温室の乱入者二人をジロリと睨んだ。
「カイルが妹が心配だとせっつくので。こいつが誰かを案じるなんてめずらしいこともあるものだと興味が湧いたんですよ」
「人を冷血漢みたいに言わないでください。妹は社交デビューしていないのですよ? 身内として心配するのは当然でしょう」
カイル様は、私の隣でいつもの無表情を浮かべたまま異を唱えた。
あ、妹だと認められていたんだ。今までと態度が変わらないから、どう思われているのか謎だった。
「ありがとうございます」と礼を述べると「ハリー君にくれぐれもと頼まれたんだ」と小声で返事をされる。
「え、ハリーが?」
「昨夜、寝室に忍んできた。あの人、何者?」
ハリーの愛を感じて胸が熱くなった。将来サイラスを支えるために特殊な訓練を積んでいるとはいえ、エルドン邸の高度な魔法セキュリティをくぐり抜け、カイル様の部屋にたどり着くのは、すごく大変だったはずだ。
「ハリーは我が家の執事ですよ」
私は片目を瞑って答えた。
その声を耳にした王妃様が「へえ、シャノンちゃんの想い人はハリーさんという名前なのねぇ」と冗談めかしておっしゃる。
すると王太子殿下も「私が独身だったら、すぐにでもシャノン嬢に結婚を申し込んだのに残念だ」と戯けた。
「そうそう、それでシャノンちゃんの結婚の話だったわね」
王妃様がおちゃらけるのは終わりだと言うように、パンパンと手を叩いた。茶会の空気が、緊張感を帯びたものに切り替わる。
「さっきも説明したように王家としては、このまま二人の結婚を認めるわけにはいかないわ。どうしてもと言うなら、一度白紙に戻して然るべき体裁を整えてからということになります。そうねぇ、具体的にはハリーさんをどこかの貴族の養子にしてから、シャノンちゃん自身が爵位を得て婿に迎えるとか……」
「そうですか」
せっかくの婚姻届が無効になると知ってがっかりだ。私には継げる爵位がないのでどうしよう。かといってハリーが叙爵して夫人に収まるのも現実的ではないし……。
「けれどハーシェル伯爵夫人の不貞の噂が広まれば、ハリーさんを受け入れてくれる貴族はいないでしょうね」
黙って聞いていたカイル様が「くだらない」と吐き捨てた。
「そもそもハーシェル伯爵夫人は不貞などしていません。妹は、父と伯爵夫人の妹との間にできた子です。姉妹だから面差しが似るのは当たり前でしょう」
「おいおい、伯爵夫人に妹がいるなんて聞いたことがないぞ。実際シャノン嬢は、ハーシェル夫妻の実子として届けられているだろう?」
カイル様の告げる事実に、殿下が王妃様と同じ緑色の瞳を見開く。
「実母は生まれた直後に縁戚の養女に出されました。その……双子だったので不吉だと曾祖父が」
私が補足すると王妃様が「昔はそんな悪習もあったのよね」と眉を顰めた。
「なるほど。それで『虹の瞳』を隠すためにハーシェル家の引きこもり令嬢として育てられたってことか。前公爵の協力は仰げなかったのかな?」
「母に命を狙われそうだったので、父も同意しました。母はまだ妹の実母の存在を知りませんよ」
探るような視線を向ける殿下から守るように、カイル様が擁護してくださる。
「それが正解だったわね。当時のあの子なら、確実に殺しているもの」
「おや、カイルの母親は、そんなに物騒な女性でしたか」
「婚約者が死んでから変わったのよ。あの子は彼を愛していたから」
皆の注目が集まったのを承知のうえで、王妃様はゆっくりと紅茶のカップを口に運ぶ。
私も釣られるように紅茶を飲んだ。気づかないうちに口の中がカラカラに渇いていた。
そして王妃様は、たっぷりと喉を潤してから滔々と語り始めた。
「もう二十年以上前になるかしら、あなたたちが生まれる少し前の話よ。魔の森にかつてない規模のスタンピードが起こったの。先代の筆頭魔法師たちが施した古い結界が破られ、新たな結界を張れる実力者がいなかった。その結果、あの子の婚約者が率いていた第二騎士団は全滅したわ」
どうにか事態を収めた頃には、討伐軍は壊滅寸前の悲惨な状態だったそうだ。そのため軍の立て直しと王宮魔法師の増強が急務となったのである。
さりとて能力のある魔法師が都合よく見つかるわけもなく、そのうえ若者の戦死者が多く出たがゆえの新たな問題が浮上した。
婚約者を亡くした令嬢たちの嫁入り先がなくなるケースが相次いだのだ。
これには当事者でもあるエルドン前公爵夫人の父親の宰相も頭を抱えた。何せ、年齢と身分の釣り合う令息が少なく、いたとしても既に婚約しているからだ。
自分の娘を行き遅れにしたくなかった宰相が国王に進言したのが、王命による婚姻である。『魔力の高い者同士を添わせて、その子どもたちを未来の魔法師候補にする』という苦し紛れの大義を掲げて断行されたカップリングは、時に想い合う婚約者同士を引き裂くことすらあった。
令嬢たちの新たな婚約者として白羽の矢が立ったのは、討伐に参加せずに済んだ貴族学院の学生たちだ。
国王に人選を任されていた宰相は、その中で一番身分の高かったエルドン前公爵を自分の娘の結婚相手に決めた。
「婚約者を亡くしたあの子の憔悴ぶりは見ていられなかったわ。まだ心の傷が癒えていないのに急に結婚が決まって、命を絶とうとしたほどよ。けれど王命を拒んで死ぬことも逃げることも許されなかった。だから未来の王宮魔法師を産むという大義を支えにして、己を奮い立たせるしかなかったの。以来、目的のためには手段を選ばなくなった」
「その時に縁組された夫婦の子どものうち、カイル様だけが特級魔法師になられたんですよね?」
「ええ。カイルの存在は、あの子の救いになっていたはずよ。この婚姻に意味はあったのだと信じることができたから。それなのに夫の隠し子が稀に見る『虹の瞳』だなんて、耐え難い屈辱だったでしょうね」
「だからって、人を傷つけていいわけじゃない」
カイル様が苦虫を噛み潰したような顔になる。
「そうね。あの子は壊れてしまったの。わたくしは友達だったのに、何もしてあげられなかった」
王妃様は悲しげに目を伏せ、殿下が慰めるように母親の手を握った。
私はエルドン前公爵夫人の事情を知り、憎めなくなってしまった。だって自分が彼女の立場だったとしても、絶対に壊れる。大切な人を失い、親には無理を強いられ、夫とは愛を育めなかった。ずっと孤独だったんだと思う。人は愛がないと生きていけないもの。
前公爵夫人の目に、夫婦仲のよいお母様はさぞかし眩しく映ったことだろう。そのお母様が自分の夫を奪い子まで生していたなんて、きっと深く傷ついたはずだ。
「せめて誤解が解ければいいのに……」
実母のドーラとて諦めたものは多い。母親だと名乗れなかったし、最愛の人との結婚は叶わず最期にも会えなかった。決して順風満帆な人生とは言えないのだ。
「ならばエルドン夫人に真実を教えてやればいい。ついでに誰もシャノン嬢を利用できないように、婚約発表でもしたらどうだ? 相手は、ほかの男ではダメなのか? ブライス伯爵家の令息なんて、まだ婚約者もいないし性格も温厚だぞ」
「妹たちは精霊王に愛を誓い、祝福されています。違えることはできませんよ」
殿下が手っ取り早く貴族の嫡男との婚姻を勧めるので、すかさずカイル様が私に代わってフォローに入った。
王宮魔法師のカイル様は、精霊の書が改ざんされた事実や『虹の瞳』が生まれる条件を、魔法研究として発表して世に広めようと準備中のため、言葉に説得力がある。
「ほう、愛し子に与えられる『精霊の祝福』か」
「は、はい。精霊たちの声を聞きました。精霊王に偽りを誓ってはいけないのだそうです」
「なら、引き裂くわけにはいかないね。人々にとって精霊は尊ぶべきものだ」
あっさり殿下は引き下がった。
「シャノンちゃんの事情はわかったわ。嘘が醜聞として広がる前にどうにかしましょう。あの子のためにも」
王妃様は決意したようにすっくと立ち上がり、この日のお茶会が終了した。




