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28 王妃のお茶会 前

 王妃専用の温室には、深紅のバラが咲き誇っていた。赤バラのアーチの奥には、白いテーブル。つるバラが絵付けされたポットに、カップの中身はローズティー。バラ尽くしである。


「そんなにかしこまらなくていいわ。ここには誰も来ないから、楽にしてちょうだい」


「は、はい、王妃陛下……」


 楽にしてくれと言われて、楽にできるなら苦労しない。私はカチンコチンに固まったまま、噴き出る額の汗を冷却ハンカチで押さえた。

 そんなぎこちない様子を見て、王妃様はクスッと笑う。

  

「そんな堅苦しい呼び方はやめて。スカーレットでいいわ。わたくしもシャノンちゃんと呼んでもよろしくて?」


「もちろんでございます、スカーレット様」


 私の緊張を解きほぐすようにおっしゃるので、早速名前をお呼びすると王妃様は満足げに頷く。

 鮮やかな赤毛に合わせた赤いドレス、赤い口紅、赤い爪。名前まで赤い(スカーレット)

 王妃様と色が被らないように、王宮では赤いドレスを避けるのが貴女の常識だそうだ。なので私は、お母様とドーラが選んだクリーム色のドレスを着ている。


「そのハンカチ、素敵ね」


 この冷却ハンカチには、エルドン邸の侍女長ジェナのアドバイスを取り入れて、薄紅色の生地と同色のバラが刺繍されている。ベティお姉様もお洒落だと太鼓判を押した自慢の一枚だ。王妃様に献上するために、色違いで何枚か包装してきた。その中には赤もある。


「ありがとうございます。冷却効果を付与したハンカチなんです。もしよろしければ、同じものを贈らせていただきたいと思います」


「そう、楽しみだわ。ハーシェル商会の商品はわたくしも愛用しているの」


 王妃様は優雅な仕草でローズティーを一口飲んでから、改めてペリドットのような明るい緑色の瞳をこちらに向けた。眼光にはエルドン前公爵夫人のような鋭さはない。その穏やかな表情に、少しだけ肩の力が抜ける。


「それにしてもシャノンちゃん。あなた、ずっとその眼鏡で生活しているの?」


「あ、はい。王都に来てからはそうです」


 王宮内で瞳を見られるのを避けるため、瓶底眼鏡をかけたままにしていた。私はそっと眼鏡を外す。


「まさしく『虹の瞳』ね。ジャニスから聞いた時は半信半疑だったけれど、これではっきりしたわ」


 エルドン前公爵夫人の名前は、ジャニスというらしい。令嬢時代からの友人ということだから、気軽に呼び合う親しい仲なのだろう。そう考えると王妃様はあちらの味方で、いつ牙を剥かれてもおかしくはない。


「わたくしは、あなたの敵ではないから安心して」


 私の心中を察したような優しい口調だった。けれど、鵜呑みにはできない。


「ありがとうございます……」


「とりあえず()()()には口止めしておいたけど、あまり期待できないわね」


「できれば、静かに暮らしたいのです」


「あらあら、欲がないこと。その気になればピチュメ王国の女王になれるのに興味はないの?」


 王妃様は扇子を口元に当てて、コロコロと笑う。しかし目は笑っておらず、やはり為政者なのだと気を引き締めた。

 おそらく私の心を探るために呼んだのだろう。一貴族でありながら他国の王となる可能性がある厄介な女を、今後どうするべきか考えるために。

 

「かの国の王位継承権が『虹の瞳』にしかないことは、エルドン公爵からお聞きしました。ですが私は、一時没落しかかった伯爵家の娘です。貴族学院さえ卒業していない身には、一国を治めるなんて荷が重すぎます」


「ずいぶん謙虚なのね。けれどカイルを側近にすればいいのではなくて? 実の兄なのでしょう? 彼は優秀だから小国の一つや二つ、そつなく治められるわよ」


「カイル様は大の社交嫌いですし、我が国の貴重な特級魔法師です。国を出て行かれては困るのではないですか?」


「それはそうね」


 私が『カイル様』と名前呼びになった瞬間、王妃様は目を細めた。

 それを見て、父親の正体まではエルドン前公爵夫人も明かさなかったのだと気づく。お互いの腹を読むようなやり取りは苦手だ。


「スカーレット様、率直に申し上げます。私の望みは付与魔法師として働き、愛する夫と穏やかな家庭を築くことです。それ以外の暮らしは求めていません」


「愛する夫……。シャノンちゃんには誰か意中の男性がいるの? 婚約中とは報告がなかったみたいだけれど」


 やってしまった。訊かれてもいないのに、余計なことを口走った。ハリーとの結婚は、まだ秘密にしたほうがよかったかもしれない。


「彼は平民、なんです」


 蚊の鳴くような声で答えた。

 すると王妃様は、扇子を閉じたり開いたりしながら思案し始める。視線が私の薬指にはまったルビーの指輪で留まった。ハリーから贈られた婚約指輪だ。


「それがハーシェル家の意向ということね。わかったわ。けれど、認められないかもしれなくてよ?」


「いえ、それが先日、認められまして……今、新婚なんです。挙式はまだですが」


 私が白状すると王妃様は呆気にとられた顔になる。


「ハーシェル伯も、なかなかやるじゃない。確かに陛下の許可は必要ないわね。でもまだもみ消しは可能だわ」


 私とハリーの結婚は世間に周知されておらず、あくまで書類上のことなので王家が無効にしようと思えばできる。


「私たちの結婚は認められないのでしょうか?」


「シャノンちゃん、あなたは自分がヨゼラード王家の血を引いていることを忘れているわ。前王弟の孫なの。そのうえピチュメ王族の血を引く『虹の瞳』よ。平民になるなんて許されると思う? ピチュメ王国だけじゃない、我が国の貴族にも熱心に精霊を信仰する者はいるの。彼らが黙っていないし、これからは思惑を持ってあなたに近づく者が出てくるでしょう。その筆頭が自分の息子だなんて考えたくはないけど、妃に据えて第二王子を王太子になんて動きがあるかもしれない。王位継承争いなんてゴタゴタは、まっぴらごめんなのよ」


 カッと目を見開いた王妃様が熱弁を奮うので、私はすっかり圧倒されてしまった。「ソ、ソウデスネ」と相槌を打ちながら、ひたすら額の汗を拭う。

 ベティお姉様と同い年の第二王子殿下は、婚約者がまだ学生のため独身である。来年の挙式が決まっており、この期に及んで婚約解消だなんて国が乱れる。


「そうなのよ、面倒臭いのよ。だから誰と結婚するにしても、きちんとした身分と後ろ盾は必要なの。そうなると厄介なのがジャニスね。あの子の狙いはハーシェル伯爵夫人の醜聞を広めて社会的に抹殺することでしょうから、シャノンちゃんの評判まで落ちてしまうわ」


 王妃様はため息を吐き頭を抱えた。温厚そうな顔の眉間にしわが寄る。

 

「あのぉ、私の評判はもともと悪いので、今更じゃないでしょうか?」


 恐る恐る尋ねる。


「ああ、あの『小さいから子が産めない』って根も葉もない俗説ね。あれは王家にも責任があるわ。ピチュメ王国王女のお輿入れに反対した貴族たちが流した噂が、未だに燻っているのだから」


「その頃からなんですね」


 王弟に娘を嫁がせたい貴族たちが、こぞって広めたものらしい。実際に、華奢だった王女は息子を産んでから臥せりがちになり、その数年後、第二子を授かることなく亡くなってしまったため、俗説として定着してしまったのだそうだ。


「俗説よりも問題なのは、シャノンちゃんが社交の表舞台に立てばハーシェル伯爵夫人の不貞が明るみに出ることよ。夫以外の子を孕み、実子として育てさせていた。そんなゴシップを社交界が見逃すと思う? ジャニスは容赦しないわよ」


 サーッと血の気が引いていくのを感じる。私はピチュメ王族特有の青紫の瞳と母親と同じミルクティー色の髪だから、当然不義の子と見られてしまう。となると私も散々貶められることになるのだろう。


「私たちは、そこまでエルドン夫人に恨まれているのでしょうか」


「それは――」


 王妃様が口を開いたその時、温室の入口が騒がしくなった。護衛騎士と押し問答をしている。誰も入れないように命じられているのに、無理を通そうとする人物がいるようだ。


「……ったく」


 王妃様は立ち上がり、バラのアーチをくぐって護衛に声をかけた。一言二言やり取りしたあと、扉が開かれる。


「二人きりのお茶会を邪魔するなんて」


 口を尖らせる王妃様を赤毛の男性が「まあまあ」と宥め、その後ろをカイル様が続いた。

 私は咄嗟に席を立ち、頭を下げて礼を執る。王太子殿下だ。


「滅多にしないカイルの頼みを断るわけにもいかないでしょう?」


 殿下は楽しげに微笑み、ゆっくりとテーブルの椅子に腰を下ろしたのだった。

 


 

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