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27 王妃の招待状

「シャノン、シャノンっ、大変よ!」


 談話室(サロン)でハリーとティータイムを楽しんでいたところに、お母様が慌てた様子で駆け込んできた。

 せっかくグレタが気を利かせて二人きりにしてくれたのに台無しだ。ついムスッとしてしまう。


「奥様、どうなさったのです?」


 こういう時、ハリーは大人なので、そつなく対応する。お母様を落ち着かせ、向かい側の席の透かし彫りが施された豪奢な椅子に誘導した。

 この年代物のテーブルセットは、かつてハーシェル家に勢いがあった頃の名残だ。貴族が集まる王都の屋敷にはいつ来客があってもいいように、苦境の時ですら調度品を一つも売らなかった。壁に飾る絵画一枚ない殺風景な本邸とはえらい違いである。


「こ、これ……」


 お母様がぶるぶると震える手で差し出したのは一通の封筒だ。朱色の封蝋が押されている。


「これがどうかしたんですか?」


「お、お、お茶会の、しょ、招待状よ」 


 わけがわからず首を傾げる。お茶会の招待など、いつものことだろうに。

 するとハリーが私の手元を覗き込み、ハッとした顔になった。


「このカトレアの刻印は……王宮のお茶会ですかっ?」


 お母様がコクコクと首を縦に振る。


「王宮の? よかったじゃないですか。王妃様にお会いできますよ」


 お父様は王宮に出仕しておらず一年のほとんどを領地で過ごしていているため、伯爵夫人と言えど王妃様にお目通りが叶う機会は滅多にない。これは名誉なことだ。お母様が興奮して言葉が出てこないのも頷ける。


「ち、違うわ、シャノン、あなた宛てなのですよ」


 お母様が言葉を絞り出す。

 カトレアのお印は王妃個人のもので、私的な茶会の招待などに用いられているそうだ。


「えっ、私?」


「ど、ど、ど、どうしましょう。この場で返事をいただきたいと、ご使者が待っていらっしゃるの。使者ったって、城の使用人じゃないわよ? 陛下の信頼が厚い侍従長補佐のレスター伯爵なのよ。今、ドーラが応接室に案内しているわ」


「落ち着いて下さい、奥様。どうもこうもシャノン様が出席のお返事を書くしかないじゃありませんか」


 さも当然のようにハリーが言うので、私はめちゃくちゃ焦った。


「え、出席なのっ? それは決定事項なの? ど、ど、どうしよう、ハリー。私、お茶会なんて初めてよ、緊張しちゃう!」


「お断りできるわけないでしょうが」


 お父様が留守で頼りにできないため、ハリーの指示でお母様がレスター伯爵の相手をし、その間に私は大急ぎで返事をしたためる。動揺のあまり文字がガタガタになったり、念のためジミーにカイル様への伝言を頼んだり、ハーシェル家はパニックに陥った。


 お茶会は、一週間後に王宮東庭園の温室で――ということだった。


 お母様曰く、その温室は代々王妃が管理し、許可がなければ国王ですら立ち入りできないそうだ。プライベートな場所なので、ここでのお茶会へ招待されることは貴婦人たちの誉れでもある。

 大貴族ファレル侯爵家の嫁であるベティお姉様ならいざ知らず、社交デビューもしていない小娘の私がなぜ呼ばれたのだろう。


「領地を出ないご令嬢がいると聞いて興味を持たれたと、ご使者様はおっしゃっていましたが、本当のことはわかりません」


 お母様とレスター伯爵のやり取りを聞いていたドーラが教えてくれた。

 それからしばらく、お母様と三人で衣装をどうするのか話し合った。あの瓶底眼鏡で出かけるようになってから特に問題が起こっていないので、今回も何とかなるのではないかと私たちは楽天的に考えていた。とにかく出席者に埋もれるようにして静かに目立たずやり過ごせればいい、と。


 夕刻、カイル様が我が家を訪れて己の甘さを知る。

 

「すまない。母上が王妃に『虹の瞳』を見たと話したんだ」


「あー、なるほど。そういうことですか。突然お茶会に招待された理由が謎だったんです」


 王妃ともあろう方が、興味本位で急な招待をするはずがなかった。きっとこれは召喚状みたいなもので、私の瞳を確認したいのだろう。招待客の陰に隠れていられないかもしれない。


「その茶会だが、シャノン嬢のほかに招待客はいない」


「げっ」


 はしたない声を上げてしまい、慌てて口を押える。

 どうやらカイル様はジミーから王妃様の招待状のことを聞いて、調べてくださったみたい。

 王妃様とエルドン前公爵夫人は独身時代からの友人だそうだ。ということはあの日、夫人に扇子を投げつけられた時点で、コソコソ隠れたり瓶底眼鏡で変装しなくとも、いずれ私の瞳のことは白日の下にさらされる運命だったのだ。あんなに怒りを露わにしていたのに、報復されることを失念していたなんて一生の不覚である。

 

「まさか母上が告げ口するなんて……。あの時、口止めしておくべきだった」


 カイル様は口惜しそうな顔をするけれど、愛人の命を狙いかねない性格なのにどうして黙っていると思うのか。肉親だと判断が鈍るのかしら。

 そんなふうに心の中で悪態をつく私は、意外と冷静だ。


「夫の隠し子を排除すると決めたのなら、口止めしても無駄なんじゃないですか。私に結界魔法が張られていることはご存じでしょうから、この方法を取ったんだと思います。社交界の噂は防御アクセサリーに勝る武器だとおっしゃったのはカイル様でしょ? 不義の子だと貶めたいのでしょう」

 

「それはそうだが……油断した。君が我が家と関わらなければそれでいいのだと思っていたんだ。父上はもういないし既に私が跡を継いでいるから、今更シャノン嬢を排除したって意味はないだろ」


「よくわからないけど、目障りなんじゃないですか。それより、お母様たちに危害が及ぶでしょうか?」


「命の危険まではないだろう。もう宰相の娘でも公爵夫人でもないから、今の母上にそこまでの力はないよ」

 

 現役を退いたとはいえ何が起こるかわからない。一応ドーラとお母様にも結界付与のアクセサリーを渡しておこう。そうしよう。


 その晩、執務室で一連の報告を受けたお父様は嘆息した。


「シャノンの噂が社交界に広まるのも時間の問題だろうな」


 ブツブツと呟き、ハリーを呼ぶ。

 そして「これにサインしろ」と私たちの前に差し出したのは、婚姻届である。


「いきなり結婚ですか? お父様、私たちはまだ正式に婚約していないんですよ」


 私が抗議すると、お父様は「やむを得んだろう」と言う。


「『虹の瞳』のことが世間に広まったら、どんな横槍が入るかわからん。王命で政略結婚なんてことになったら厄介だぞ。結婚するのに婚約は必須ではない。幸い貴族の娘が平民に嫁ぐ場合、陛下の許可は不要だ」


「でも王妃様にはバレているんですよ? 婚姻届を提出しても受理されるかどうか……」


「戸籍課に直接持っていってその場で処理してもらう。今なら王家には表立って結婚に反対する理由がないから受理されるかもしれん。少なくとも意思表示にはなるだろう」


 私とお父様が言い合いをしているうちに、ハリーはサラサラと婚姻届に自分の名前をサインした。


「ハリー?」


「もし受理されなかったら、不服申し立てをすればいいんです。提出しないことにはそれもできません。結婚式があとになってしまって、シャノン様には申し訳ないですが――」


 ハニーブラウンの瞳が愁いを帯びる。

 途端に胸がキュンとなって、私はお父様からペンをひったくりハリーの名前の下に署名した。


「いいの、いいの。結婚式なんて、いつだってできるわ」


「シャノン様」


「ハリー……」


 私とハリーが見つめ合うと、お父様がゴホンと咳払いをする。


「とにかく! 明朝、提出してくる。わかっていると思うが、結婚式までは今まで通り、清く正しい男女交際を心がけるのだぞ」


「え~」


 お父様に釘を刺されて、つい不満が口から漏れた。

 口をへの字に曲げる私たちを見て、お父様は「まったく油断も隙もあったもんじゃない……」とぼやく。

 そして翌日、この迅速な行動が功を奏して、私たちは晴れて夫婦になった。


 それからの一週間、お母様とドーラ、ベティお姉様までやってきて、礼儀作法をみっちりと仕込まれた。当然、甘い新婚生活に浸る余裕はなく、バタバタした日々を過ごしたのだった。



 

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