26 嵐の前の静けさ
両親がせっせと社交に励んでいる間、私とハリーは、貴族たちが集う展示会や競馬などの催しや高級洋品店、宝石店などを避けてデートしていた。
人が多いので観劇は無理だったけれど、我が家のタウンハウスの近くには王立図書館があるので散歩がてらよく通う。話題のレモンバターケーキも、テイクアウトで味わうことができた。
シムズ川沿いのアパートメント生活を含め、なんだかんだ言って私は初めての王都を満喫していると思う。
そして今日は、図書館内にある王族専用資料室の入室許可が下りたというので、カイル様が一緒だ。
雲一つない青空の下、三人でぽくぽくと歩いて向かう。
「君たちのその瓶底眼鏡は、変装のつもりか」
私たちはお揃いの瓶底眼鏡で外出するのに慣れていたが、カイル様がこれを見るのは初めてだった。
「アパートメントで暮らしていた時に、魅了付与の眼鏡を作ったんです。二人でかけていても不審な目で見られたりしないので、意外と快適なんですよ」
「ドーラの正体を瓶底眼鏡で隠し通せていたんですから、始めからこうすればもっと早く王都に出てこれたのかもしれません」
私とハリーは「ね?」と顔を見合わせた。
本当は手を繋ぎたいのだが、カイル様がいるので我慢する。お父様から『節度のある交際を』と厳命されていることだし、自制しなければ。
「シャノン嬢はともかく、ハリー君まで眼鏡をかけなくてもいいのではないか?」
「ハリーは美男なんですよ? 並んで歩くと女性たちの秋波がすごくて、おちおちデートもできません。カイル様、自分の恋人が周りの男性たちから熱視線を向けられて、今にも誘惑されそうなところを想像してみてください」
「そりゃ、気が気でないだろうな」
「でしょう?」
「まあ、とりあえず元気にやっているようでよかった。その魅了眼鏡、私も欲しくなったよ。滅多に社交場に出ることはないが、王家の招待は断れないんでね」
「閣下は目立ちますからね」
ハリーが言うとカイル様が肩をすくめる。
「悪い意味でね。『冷酷』だの『変人』だのと大きなお世話だ。そのくせ最近じゃ、自分の娘を嫁にどうかと騒がしい。はっきり言って迷惑だ。エルドン家は無理して後継を儲けなくてもいい。いずれ王子の誰かが継げばいいのだからな」
「先々代の公爵様は王弟ですものね」
都合よく王子たちの婿入り先があるとは限らない。新たに家を興すより既存の公爵家を継ぐほうが王家にとっては好都合だろう。エルドン家なら血筋も近い。
「当時の国王が魔力のある子を欲して両親の結婚を決めた。二人ともそこそこ魔力が高くて、家柄が釣り合っていてちょうどよかったんだ。同じ目的で王命による婚姻がほかに何組も結ばれたらしい。そうして生まれた子のうち特級魔法師になれたのは私だけだから、愚断だったと言わざるを得ないが」
「なぜそんな王命を出したのでしょうか?」
ハリーが首を傾げる。
私も疑問に思う。魔力と遺伝は関係がなく、精霊たちの気まぐれだという説は当時でも認められていたはずだ。
「魔法師不足と魔物のスタンピードが重なって、軍に甚大な被害が出た。王家に対する風当たりも強く、藁にも縋る思いだったんだろう。本当に遺伝は関係ないのか実験的な意味もあったのかもしれない」
「閣下はお詳しいですね」とハリーが感心する。
「ご丁寧に教えてくれる者がいたからな。魔法の才に恵まれて生まれた私は、あの王命で婚姻した家から妬まれていた。あの頃、恋人や婚約者と引き裂かれたのは父上だけじゃない。それでも国のためにと受け入れたのに、結果が伴わなかったのだから無理もない」
「えー、文句があるなら命令した本人に直接言えばいいのに。カイル様に当たり散らすなんて肝っ玉の小さい人たちです!」
「ははは、でもそれ以降、貴族の恋愛結婚が徐々に広まってきたから悪いことばかりでもないさ。精霊たちは『嘘の誓いはダメ』だと言っていたんだろう?」
「そうですよ。愛がなくちゃダメなんです。いつかすべての貴族が恋愛結婚できるようになるといいですね」
本当にそうなればいいと思った。
貴族同士の縁組に国王の許可が必要だったり、本人の気持ちを無視して親が政略結婚を決めたり、貴族と平民が婚姻するには家や身分を捨てねばならない場合もある。この国は、まだまだ恋愛結婚のハードルが高いのだ。
おしゃべりしているうちに王立図書館に到着した。
奥の別館には入口に警備兵がいるだけで、館内に人影はなく物音一つしない。ひんやりとした空気が肌に纏わりつき鳥肌が立つ。
「こっちだ」
「な、なんか静かですね」
カイル様の案内で資料室へ続く廊下を歩きながら、自然と声が小さくなる。ビクつく私をハリーが「大丈夫ですよ」と支えた。
カイル様が一見なんの変哲もない木製の扉の前に立った。ドアノブに手をかざし、何重にもロックされた魔法キーを解除してゆく。
すごい。きっと血を使った『呪』系の契約魔法で、立ち入りが制限されているのだわ。
「鍵を開けられるのは、予め登録された者だけだ。扉にも強化魔法がかけられているから、ちょっとやそっとじゃビクともしないよ」
高度な魔法セキュリティに感激してぼーっと見惚れていると、カイル様が説明してくれた。
カチッと最後の魔法キーが解除される音がして、扉が開く。ピチュメ王国の資料は南側の一角にあったが、量は多くはない。
「ほとんどが祖母が嫁入りする際に揃えられたものだ。ピチュメ王国については我が国よりヴェハイム帝国のほうが詳しいだろう。我が国の魔法研究は実践的なテーマが主流だが、帝国では『虹の瞳』も研究対象の一つになっている」
「もしかして研究者たちにとって『虹の瞳』が生まれる条件や精霊の書の改ざんは、大事件なのではないですか?」
ハリーの指摘に、カイル様はピチュメ歴代王の系譜を本棚から取り出しながら頷く。
「大変なことだよ。『虹の瞳』が生まれる条件は長年の謎だった。精霊信仰や魔法研究が盛んな国にとって祝福を授かった『虹の瞳』は伝説みたいなものだ。一目会いたいと願うだろうね」
「祝福されたからって、見た目は以前と変わらないですよ」
「精霊の声が聞こえたんだろう? その奇跡の瞬間に立ち会えるかもしれないと思うんじゃないか?」
「あれから何も聞こえないのに、期待されても困ります」
私は頬を膨らませ、系譜を眺めた。アパートメントで読んだ本よりも詳しく記載されていて、生年月日や死因、誰が『虹の瞳』を持っていたか印がついている。代を追うごとにその印が減っていた。
「閣下、シャノン様、こちらをご覧ください。八代前から現在まで、国王と正妃の間には『虹の瞳』が生まれていません」
ハリーが、記録上では最後に精霊の祝福を授かったとされる八代前の国王の箇所を指差した。
王妃は子に恵まれず、公妾との間に『虹の瞳』の男児と女児を儲けている。その男児が七代前の国王なのだが子を授かる前に病死、妹が王位を継いだものの数年後に急死した。次にはとこの息子が国王となりその従妹を王妃に迎えたが、結局は王太子妃だった時に産んだ王妃の愛人の子が四代前の玉座に就いた。その後、国王は数人の側妃を娶ることが常態化している。
「八代前か、怪しいな。ちょっと待って」
カイル様が棚から要人名簿を取り出した。パラパラとめくり、目当ての名前を探す。
「トイフェル……あ、あった。トイフェル・アンデ、当時の聖殿長だ。父親の代から現在まで、ずっとアンデ家の者が聖殿長を務めている。八代前の王妃の名がエルナ・アンデだから、彼女がトイフェルの娘で間違いないだろう」
聖殿長は聖職者のトップの役職である。ピチュメ王国では、アンデ家が世襲により聖殿の実権を握っているということだ。
エルナが子を産んでおらず王家に血統を遺せなかったため、トイフェルの野心が思い通りにいかなかった可能性がある。けれど精霊信仰の厚いピチュメ王国では、聖殿を掌握するだけでも十分な権力だ。
「五代前は王妃と愛人との子を後継にしないと即位できなかったってことですよね」
ほかに『虹の瞳』がいないので選択の余地がなかった。青紫の瞳を持つ王族同士での婚姻、王妃の愛人の存在――王位継承への焦りが読み取れる。
「そうだな。ピチュメの王は本来、愛する者を娶ることで代々精霊の祝福を授かり、精霊の声を聞いて民を導いてゆく立場だったんだろう」
「精霊の声を聞いて導く……」
ハリーが呟き、私と目が合う。
カイル様までこちらを見るので、ぎょっとなって叫んだ。
「わ、私は絶対に女王になんてなりませんからねっ!」
近くの柱の『館内はお静かに!』という貼り紙に気づいたけれど、時すでに遅しであった。