25 母親
憔悴しているお母様を休ませるため、この場はひとまずお開きとなった。
早速、私はサイラスと一緒に、ハリーのところへ状況を説明しに行く。
「ハリー! 私たちの仲がお父様に認められたわっ」
サイラスの部屋で待機していたハリーに飛びつくと、「シャノン様!」と抱き留められた。
「シャノン姉様、節度ある交際をするようにって言われたでしょう? 弟の前でイチャイチャしないでよ」
サイラスが恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「既成事実を作れってけしかけたのは、サイラスじゃないの」
ふくれっ面で抗議をすると「奥手な二人が歯痒かっただけです。こんなバカップルみたいになるとは思わなかった」と呆れられてしまった。
「ありがとう。バカップルになれたのは、あなたのお陰よ!」
「あ、開き直った」
「それにしても、今日ベティお姉様たちがいるとは思わなかったわ」
「シャノン姉様に謝罪したいって、急に来たんだよ。父上に叱られたのが相当堪えたみたい」
ハリーと愛し合っていると嘘を吐いたことに、お父様は相当お怒りだったようだ。私が領地を出立したあとは、我が家からアダムお義兄様に離縁を申し立てたりして大きな騒ぎになったらしい。
「ベティ様には、いい薬です」
ハリーが辛口になる。
「それはそうなんだけどさ、ベティ姉様、本気で離縁してエルドン公爵と再婚するつもりだったんだ。シャノン姉様を不幸にできない、って」
カイル様から白紙撤回の要請があったため元サヤに収まったけれど、そうでなければ今頃は離縁になっていたそうだ。
「これだからベティお姉様は憎めないのよねぇ。私の商品がベティお姉様の発案になっていたのも、どうせお母様が手を回して私の隠れ蓑にしていたんでしょう? ショックだったけど、もういいの。事情もわかったことだし」
「どんな事情だったんですか?」
「なんとお母様とドーラは双子だったの! エルドン前公爵と愛し合っていたのは、お母様じゃなくてドーラなのよ」
先程の応接間でのやり取りを話すと、やはりハリーもお母様とドーラが双子であることには気づいていなかった。地味で目立たないドーラと華やかなお母様は対照的だから無理もない。しかも私の実母だと聞いて、すぐには言葉が出てこないほどびっくりしている。
サイラスからも同じ説明をして、ようやく信じてもらえた。
「そう言われてみれば、ドーラさんの素顔を見たことがありませんでした。もう見る機会はないのでしょうね」
この先も奥様の侍女として生きていくつもりでしょうから、と残念そうな顔をする。
「まさかお父様が不問にするとは思わなかったわ。ずっと騙していたわけでしょ?」
「不貞さえしていなければ、と決めていたみたいだよ」
お父様があまりにもすんなりと許したので、サイラスに疑問をぶつけるとそんな答えが返ってきた。そうか、最初から決めていたのか。
「お父様は、お母様を信じていたのかな」
「どうだろうね。シャノン姉様は瞳の色以外、母親似だから……あ、母親といってもドーラか。まあ、同じ顔だからいいか。半信半疑だったんじゃないかな。どちらにせよ離縁はしなかったと思うよ。精々、領地の別邸に蟄居させるくらいで」
「旦那様は凡庸に見えて、実は器が大きいのです。秘密を抱えながらシャノン様を育てなくても、最初から打ち明けていれば協力なさっていたと思いますよ」
ハリーは当主としてのお父様をそう評価するけれど、『凡庸』だなんてずいぶんと甘い。
私にとってお父様は、ダメ当主のイメージだ。投資も失敗したし、ベティお姉様の離縁話を知った時もかなり動揺してマイルズにフォローされていた。ただ、人として度量が広いことには同意だ。単なるお人好しかもしれないけれど。
「まあ、ね。私をこのまま実子として受け入れたくらいだから」
「そうなんだよなぁ。なんだかんだ言って、ベティ姉様のこともアダム義兄様に頼んでいたみたいだし、僕も次期当主として見習わなきゃ」
貴族学院に通うようになったからなのか。サイラスに後継としての自覚が芽生えてきた気がする。
「サイラスなら立派な当主になれるわよ。今年は王宮舞踏会に参加したんでしょう? そういえば、エスコートしたご令嬢とはどうなの? 婚約できそう?」
「い、いや、アイリス嬢とはそういうのじゃないよ。侯爵家の令嬢だし、高嶺の花っていうか……」
サイラスは、あたふたと胸の前で両手を振って否定する。が、耳まで赤く染まっているので好意があるのは一目瞭然だ。ベティお姉様は知っているのだろうか? あとでこっそり教えてあげよう。きっとサイラスの恋を応援してくれるはずだ。
そんなことを考えていると扉がノックされ、ベティお姉様が顔を出した。
「わたくしたちは、そろそろ帰るわ。シャノン、本当にごめんね。ハリーにも申し訳ないことをしたわ。許してね。二人の結婚式には呼んでよ」
「あ、うん。ベティお姉様もアダムお義兄様と仲良くね」
「わかってるって」
ベティお姉様は、照れ臭そうにひらひらと手を振り帰っていった。
見送りながらサイラスが「あのベティ姉様がハリーに謝るなんて、明日は嵐になりそう」と愕然と呟いていた。
そのあと、まだ夕食までに時間があったので私はお母様の部屋へ向かった。
扉を開けたのは予想通りドーラで、マロン色の髪と瓶底眼鏡が復活している。
お母様は寝室で休んでいるようだ。
二人きりになったことがあまりないので、実の母親なんだと変に意識してしまい緊張する。なんて話しかけたらいいのか、わからない。
「あの……ドーラ、いえ、おかあ――」
「今まで通りドーラとお呼びください」
勇気を出してモゴモゴと口を動かせば、ぴしゃりと指摘されてしまった。
確かにハーシェル伯爵夫妻の実子として認められている以上は使用人たちの手前、急に態度を変えるわけにはいかない。頭の中では理解しているものの、「どこで誰が見ているかわかりませんから……」と小声で囁かれると胸に熱いものが込み上げ、堪えきれずドーラに抱きついた。
母と呼ばれることを諦めてまで、私を守ろうとしてくれていたんだ――。
実父のエルドン前公爵は、もうこの世にはいない。愛する人を亡くし、親だと名乗り出ることもできなかった日々を思うと、ただ切なくて。
「わかっています。今だけです……今だけ、お母様と呼ばせてください」
耳元……には背が届かないので、つま先立ちして肩の辺りでヒソヒソと話す。
するとドーラが躊躇いがちに私の背中に腕を回し、抱きしめてくれた。
「わたくしの身勝手で、あなたにまで苦労をかけることになってしまいましたね」
「いいえ、苦労なんてしていません。お母様たちのお陰で、毎日お気楽でしたよ? 付与魔法師にもなれたし、好きな人と結婚できます」
「けれど、貴族学院にすら通わせてあげられなかったわ。まさか『虹の瞳』を持って生まれてくるとは思わなかったの。ごめんなさい」
「謝らないでください。私はお母様とお父様が愛し合って生まれてきたんです。『虹の瞳』はその証なんですから」
愛し合う者同士からでないと『虹の瞳』は生まれないのだと伝えると、私を抱きしめていた腕にぎゅっと力がこもった。
「わたくしはあの人を愛していたわ。許されないとわかっていたのに、別れられなかった。でもそれが、あの人の負担になっていたんじゃないかと悩んだこともあったの……」
「愛し合っているのに、負担なわけないじゃないですか」
「そうね……そうだったのよね。シャノン……わたくしの……わたくしとあの人の大切な娘…………」
ドーラが私の額のすぐ上ですすり泣く。その間、私は母親のぬくもりに身を任せていた。
家族で話し合った結果、私は社交シーズンが終り次第、両親たちと一緒に領地へ戻ることになった。当初の予定通りクリントン家に嫁いで、付与魔法師をしながら静かに暮らすはずだったのだが――。
柄にもなくしおらしくなったベティお姉様のせいなのか? サイラスの予感した嵐がやって来たのは翌日ではなく、もう少しあとのことだったのである。




