23 再会
ハーシェル家のタウンハウスは、滞在していたエルドン公爵邸の三分の一ほどの大きさしかない、こぢんまりとした二階建ての邸宅だった。
お世辞にも広いとは言えない玄関ホールには、屋敷の管理を任されているハワード夫婦と両親、サイラス、ドーラ、グレタとジミー、そしてなぜかベティお姉様とその夫アダムお義兄様まで勢揃いしている。
私たちが足を踏み入れた途端、窮屈感が増して息苦しさを覚えた。
「ただいま帰りまし――」
「シャノン! シャノン、ごめんなさい! わたくしが悪かったわ。機嫌が悪くて、つい嘘を吐いてしまったの。愚かなわたくしを許して……ううっ」
いきなりベティお姉様が飛び出し、泣きながら抱きついてきた。顔が豊満な胸に押しつぶされ、今度こそ本当に呼吸が止まる。
「むぐ……ぐ」
苦しくてジタバタともがいている間にも両腕で私をぎゅうぎゅうに締めつけながら、ハリーとは何でもないんだとか、八つ当たりだったとか、嘘ばかり吐いてごめんなさいとか……大声で謝っている。
「うわーっ、ベベちゃん、窒息しちゃうよ!」
慌ててベティお姉様を止めるアダムお義兄様らしき人の声がして、腕の力がふと緩んだ。
その隙に拘束を逃れ、ぷはーと息を大きく吸う。ああ、死ぬかと思った。
「も、もう気にしてないから……」
ハリーの件は誤解が解けていたし、いろいろありすぎてそれどころじゃなかった。というか、ぶっちゃけ新婚ごっこが楽しくて忘れていたのだ。人は幸せの絶頂にいると大抵のことは許せてしまうものらしい。
そんな私の様子を見たアダムお義兄様が、笑顔を作りながら腰を屈めて私と目線を合わせてきた。
「初めまして、シャノンちゃん。君のお姉さんの夫アダムです。アダムお兄さんと呼んでください。この度は、私の母が多大なご迷惑をおかけしました。申し訳ない。閣下にも改めてお詫び申し上げます。お二人に……は…………」
アダムお義兄様が、私からカイル様に視線を移す。そしてまた私に視線を戻して、目を見開いた。
ベティお姉様がハンカチで涙を拭いながら「どうしたのよ?」と首を傾げている。
「いや、あの……閣下、私の卒業論文のテーマは『精霊信仰』でした」
言わんとすることを理解したというように、カイル様は表情を変えずに黙って頷く。
見る人が見ればわかる――。
私はその意味をようやく実感したのだった。
「シャノン、お帰り。閣下、娘を送っていただき、ありがとうございます。奥にお茶の用意がしてありますので、どうぞこちらに」
お父様が、この場を収めるようにカイル様を奥の応接間へと促した。
小さな中庭に面した日当たりのいい応接間のソファに、両親とサイラス、ベティお姉様とアダムお義兄様、カイル様が座った。私はサイラスの隣に腰かける。
ドーラがお茶を淹れたあと部屋の隅にそっと控えた。
お母様は少し痩せたようだ。不安げにドーラを見ている。ずっとお母様に仕えてきた彼女は、すべてを知っているのだろう。
さっきアダムお義兄様も察していたから、何も知らないのはベティお姉様だけである。
ただお茶を飲むだけにしては物々しい雰囲気が部屋に漂う。
私は白いスイートアリッサムの花が絨毯のように広がる庭に目を向けた。庭師もおらず本邸よりずいぶんと慎ましやかだが、小さな花が集まって咲き誇る様子に健気さを感じる。
「シャノン姉様、ここは初めてでしょう? 狭いけど学院が近いんだ。王立図書館もね。よかったら案内するよ」
サイラスが私を気遣うように口を開いた。
「そうよ、シャノン。せっかく王都へ来たんだから、ドレスを作ったら? わたくしの行きつけの店を紹介するわよ」
異様な空気に戸惑っていたベティお姉様が、ホッとしたように話を合わせる。
一方でお母様がギョッとした顔になった。
「そうねぇ、レモンバターケーキのお店にも行ってみたいわ」
なんぞと私が答えたものだから、お母様は「ダメよ、シャノン!」と勢いよく立ち上がる。
「座りなさい、ノーラ。お客様の前でみっともない」
「あなた……」
お父様に窘められ、お母様はばつが悪そうに腰を下ろす。
「何がダメなんです? 今まで母上は、そうやってシャノン姉様のしたいことを頭ごなしに反対してこられた。そろそろ僕たちに本当のことを話してほしいです」
「そ、そうよ。お母様はシャノンに対してだけ、何か様子がおかしかったわ。理由があるなら教えてください」
サイラスが素知らぬふりで本題を切り出したのに対して、それに賛同するベティお姉様は不思議そうな表情を浮かべている。
お母様はゆっくりと紅茶のカップを口に運んだ。そうして落ち着きを取り戻してから、いつもと同じ表向きの理由を口にする。
「理由も何も、シャノンは体が小さいでしょう? わざわざ好奇の目にさらされて肩身の狭い思いをすることはないと思っただけよ」
「大丈夫です、お母様。この二週間、ずっと市場で買い物をしていましたけど、変な目で見られることはなかったですよ」
幼く見られることはあったけれど、それだけだった。
私の反論にお母様は「貴族と庶民とでは違うのよ」と躱すが、青ざめている。
「今まで、その言葉を信じてきたの。お母様にとって、私は外に出せないほど恥ずかしい娘なんだと悲しかった」
「なっ……! 恥だなんて思ったことは一度もないわ」
「わかっています。そうやって、ずっと守ってくれていたんでしょう? 私が『虹の瞳』だから。カイル様から聞きました」
お母様が息を呑んだ。カイル様、私、それからサイラスと順に視線を移し、諦めたように俯く。まるでここが自身の断罪の場なのだと悟ったかのように。
そう、今日この話をすることは、カイル様とお父様によって予め決められていた。ベティお姉様とアダムお義兄様の同席だけが予定外だったけれども。
「誰が何を言っても、私はお母様の味方です。だから真実を教えてください。私は誰の子なんですか?」
「私も知りたい。隠しごとがあるのは、薄々わかっていた。今までは、君が憂いなく過ごせるならば、見て見ぬふりをしようと思っていた。本当のことを尋ねる勇気もなかった。だが他国の王位継承権が絡むとなれば、そんな臆病なことを言ってはいられまい」
お父様はそう言って、目を閉じて肩を震わせているお母様の手を握った。
「シャノンは……わたくしの子、です」
お母様がつっかえながら言葉を紡ぎ出す。
まだ躊躇っているのは、お父様を失いたくないからだろう。三年前の我が家の窮地にも、率先して自らの装飾品やドレスを売ってお父様を支えていた。やはりお母様はお父様を愛しているのだ。ならば、どうして私は『虹の瞳』なの?
「お母様、私はハリーと結婚したいです。いえ、結婚します。そうしたら近い将来、子どもが生まれるでしょう? 私たちの子どもは『虹の瞳』を持って生まれます。今後のためにも、自分のことは知っておきたいの」
「あ、あなたたちの子どもが青紫の瞳とは限らないじゃないの……」
「いいえ、精霊たちが教えてくれました。私とハリーは、祝福されたんです」
そのことはまだカイル様にしか伝えていないから、皆は『虹の瞳』が生まれる条件を知らない。
お母様の喉がひゅうと鳴った。
「祝福って『虹の瞳』を持つ者ですら滅多に授かることはないという、ピチュメでも伝説の!? これはすごいことだよ、シャノンちゃん!」
貴族学院の卒業論文で精霊信仰をテーマにしたアダムお義兄様は、当然ピチュメ王国の王族についても詳しく調べているはずだ。興奮して前のめりになっている。
「ちょっとアダム、説明してよ。わたくし、わけがわからないわ。『虹の瞳』って何? シャノンが誰の子かってどういうことなの?」
話についていけないベティお姉様が、痺れを切らして口を尖らせた。
「シャノンちゃんの青紫の瞳はピチュメの王族にだけ現れる色なんだよ。その中でも虹を纏う瞳はめずらしくて『虹の瞳』もしくは『虹の子』と呼ばれている。ピチュメ王国では、虹の子だけが王位継承権を持っている」
「ええっ! それは、シャノンがお父様の子じゃないってこと? そんなバカな。閣下だって同じ青紫の瞳でしょ? よくある色じゃ……」
話している途中で異母兄弟である可能性に気づいたらしい。口を噤んだ。
「閣下はピチュメ王族の血筋だよ。先々代の公爵夫人がピチュメの王女殿下だからね」
「シャノンは……エルドン前公爵の娘なのね?」
夫の説明を聞いたベティお姉様は、やっと納得したというように唖然と呟く。
その直後、冷え冷えとしたお父様の声がお母様に向けられた。
「そうなのか? 君は私を裏切ったのか、ノーラ」