21 精霊の祝福
「これは、夢なんだわ。立て続けにいろいろなことが起こったから頭が――」
もう一回寝よう。
ゴロンと横になる。目を閉じようとした瞬間、隣で眠るハリーが身じろぎをした。そのあとで、ガバッと飛び起きる気配がする。
「うわっ! シャノン様、起きてください、シャノン様っ」
「ハリー、これは夢よ。疲れてるのよ、私たち」
うとうとしながら答える。すると子どものような幼い声が、あちこちから聞こえてきた。
“夢じゃないよ~”
“そーそー、精霊の祝福なの”
“おめでとー”
“幸せにね~”
私はのそりと起き上がり、キョロキョロと辺りを見回す。誰もいない。
「き、聞こえた?」
「はい。聞こえました」
ハリーに尋ねると、しっかりと頷く。夢じゃないんだ。
部屋いっぱいの花びら。まだ降り注いでいる。なんの魔法だろう?
「もしかして、誰かに覗かれてるのっ?」
人のプライバシーを覗き見するなんて変態だ。背中がぞくっとする。
“違うよー”
“違う、違う”
“精霊の祝福だってば”
“そーそー、祝福なの”
「精霊の祝福って?」
子どもの声に問いかける。誰かの魔法でないなら、きっと精霊だ。
精霊の声が聞こえるという現象は稀にあることだと、魔導書に記されている。初めてのことで、まだ信じられない気分だけれど。
“虹の瞳”
“精霊王に誓ったでしょー”
“愛し合ったの”
“祝福なの~”
「ええっ、私たち、まだ愛し合ってないのよ? こ、これは夜更かしして力尽きただけなんだから。その証拠に、ほら、ちゃんと服を着ているもの」
眠るのが惜しくて、寝台に座ってホットミルクを飲みながらおしゃべりしていただけ。やましいことなど、何もない清い関係なのだ。
“チューしたでしょ”
“チューした”
“誓いのキス”
“愛し合ってるの”
精霊たちがクスクスと笑いながら、しきりに“チューした”と冷やかす。
「プロポーズのことですか? あれは精霊にとって誓いの儀式だと。それで祝福を?」
ハリーが頬を赤らめた。
“そーなの”
“そーそー、祝福はね”
“虹の子だけなの”
“愛し合わないと”
“生まれないの”
虹の子だけ……この祝福は『虹の瞳』を持つ者にだけ授けられるということか。
愛し合わないと生まれない? 『虹の瞳』と愛し合って生まれた子が、『虹の瞳』を持って生まれるということだろうか。だとすると『虹の瞳』を持たないエルドン前公爵は、私の父親ではないということになるけど……。
「『虹の瞳』は愛し合う男女からしか生まれない。そして精霊の祝福があるのは『虹の瞳』が真実の愛を誓い合った時だけということですか?」
ハリーのほうが頭の回転が速い。なるほど、そういう意味になるのか。
“そーだよぉ”
“そーそー、祝福しないとね”
“精霊の声、聞こえないの”
“愛し合わないから”
“生まれないの”
精霊たちは、“生まれない”と口々にさえずる。
ピチュメ王国では、国王のほかは王太子しか『虹の瞳』を持たない。側妃を娶っても生まれないのは、愛し合っていないからかもしれない。王侯貴族に愛のない政略結婚はつきものだ。特に国を背負う王ともなれば、好き勝手に妃を選ぶことは無理なのでは?
「もしピチュメ王国の王太子が、愛する人にプロポーズしたら『祝福』されるのかしら……」
“そーそー、愛し合ってたら”
“祝福するよ~”
“精霊の声、伝えるの”
“改ざんされてる”
“精霊の書”
そしてまた口々に“改ざん”と“精霊の書”を繰り返す。
「精霊の書って何?」
精霊たちは答えない。“精霊の書”と繰り返すだけだ。
なんだろう。カイル様ならわかるだろうか。
「誰かが精霊の書を改ざんしたんですね? なんのためでしょうか?」
精霊の書はひとまず置いといて、ハリーが質問を変えた。
“トイフェル、悪いやつ”
“野心のため”
“娘と結婚させるため”
“権力のため”
“改ざんしたら”
“生まれなくなったの”
“悪いやつ”
“精霊王の誓いはね”
“嘘はダメなの”
“トイフェルが愛を消した”
“虹の子、生まれない”
精霊たちの声が集まり、どんどん大きくなる。“生まれない”と繰り返し訴えている。何度も何度も。
花びらの隙間のあちらこちらで、小さな光の玉が蛍のようにチカチカと瞬きだした。
「トイフェルが野心のために自分の娘を政略結婚させようとして、精霊の書を改ざんした。それ以来、愛し合って生まれるはずの虹の子が、生まれなくなった……ということでしょうか?」
ハリーが自信なさげな口調で問いかけると、精霊たちの声がピタッと静まった。
「虹色の子が生まれないと、精霊の祝福で精霊の声を聞ける人もいないってことになるのよね」
“そーそー、精霊の声、聞こえない”
“愛がないとダメなの”
“嘘の誓いはダメ”
“嘘は祝福できないの”
“忘れないで”
“おめでとー”
“幸せにね~”
“おめでとー”
段々と精霊たちの声が“おめでとー”と寿ぎ一色に染まった。
「ありがとう。ハリーを幸せにして、私も幸せになります」
お礼を言うと、キャハハと嬉しそうな笑い声が飛び交う。ハリーも私の肩を抱き寄せて「シャノン様を幸せにします」と精霊たちに宣言してくれた。その瞬間、呼応するかのごとく、光が一斉に明るさを増す。
眩い輝きの中、しばらく弾けるような明るい笑い声が響いていたが、徐々に小さくなっていった。完全に精霊の気配がなくなると同時に花びらも消えた。
「行っちゃった……」
夢のようで夢ではない。その証に、むせかえるような甘い花の香りが漂う。
びっくりしたけれど、私たちの仲が精霊たちに認められたのだと思うと心強い。何せ、既成事実を作っている真っ最中なのだから。
二人の暮らしは穏やかだ。
相変わらず私はスープを作る。掃除洗濯はハリーの魔法でちょちょいと済ませ、一緒に買い物に行く。
「このメガネは何ですか?」
「ああ、それは秋波避け。ハリーは目立つから、潜伏生活に向かないのよね」
このままだと女性たちの注目を集めてしまうから、私と同じ瓶底眼鏡を用意した。
「これ、かえって目立ちませんか?」
「大丈夫、大丈夫。怪しまれないように魅了魔法で細工してあるから」
「才能の無駄遣いですね」
こんな調子でお揃いの眼鏡をかけ、新婚らしく手を繋いでシムズ川沿いを散歩する。
犬の散歩をする老夫婦、対岸の街並みをスケッチする若い絵描き、買い物帰りのご婦人。私たちは上手く彼らに溶け込めている……はずだ。
帰りにチェリーパイを買う。
「お嬢ちゃん、お兄さんとお出かけかい?」
店主に妹だと勘違いされたので、ついムキになって「あら、嫌だ。夫ですのよ!」なんて訂正してしまった。お詫びにとシュークリームをオマケしてくれて、これは大人げなかったと反省する。
「シャナ、帰ろうか」
「ええ、あなた」
愛称呼びも板についてきた。
手を繋いでいるのがいけないのかと思い、腕を組んで店を出る。これで完璧。
居間のカウチソファで横並びに座ってのティータイムは、もう習慣化している。
今日は紅茶ではなく、コーヒー。ハリーはブラック、私はミルクをたっぷり角砂糖を二つ。
「何をしているんですか?」
「角砂糖に治癒魔法を付与してるの。精霊の祝福を受けたから、もしかしたら魔力が上がってるのかもしれないと思ったんだけど、そんなことなかったわ。やりにくいったらありゃしない」
どうやら祝福されたからといって、チート能力に目覚めるわけではないらしい。ただ『精霊の声が聞こえる』だけのようだ。いや、それだけでも十分に奇跡的なことなんだけれども。
この数日、角砂糖で試してみたものの回復と解毒の付与は問題なくできるが、難易度の高い治癒の付与はあまり上手くいかない。やっぱり飴玉くらい硬くないと。
「治癒の付与ができるだけでもすごいですよ。それに『精霊の声を聞く』ことこそが虹の子の役割なのかもしれません」
「あ、そうかも」
「精霊の書を読めば、もっと詳しいことがわかるのでしょうが」
「改ざんの件も含めて、カイル様に訊いてみるしかないわね。どちらにせよ、迎えが来ないと身動きが取れないわ」
「そうですね」
そんな会話を交わしながら私たちは、オマケでもらったシュークリームを口に運ぶ。
「ついてるわよ」
ハリーの唇の端についたカスタードクリームを指ですくって舐めた。
「シャナも」
どちらからともなく顔が近づいてキスをする。
ハリーの声もカスタードクリームも、すべてが甘い。
なんて素敵な時間なんだろう!
こんなふうに市井で静かに暮らしていくのもいいかもしれない。
そう思い始めた頃、迎えが来た。王宮舞踏会から四日後のことであった。




