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【閑話】03 執事ハリー・クリントンの不器用な真実

 勢い勇んで王都へやって来たものの、既にファレル侯爵家のタウンハウスにベティ様の姿はなく、その夫のアダム様が当主のおられる領地の本邸へ向かったと聞いて、慌ててそのあとを追う羽目になった。

 探るうちにアダム様に離縁の意思はないこと、侯爵閣下にとっても寝耳に水の話でハーシェル伯爵家を蔑ろにするつもりはないと知り、大事になることはなさそうだと安堵する。

 ヴェハイム帝国で起きた皇太子の婚約破棄騒動に端を発し、その相手のブーフ侯爵家が持つミスリル鉱山の利権が絡んでいることも判明した。


「あの事業はまだまだ拡大の余地があるのに、ハーシェル伯爵と縁を切るなどあり得ない。帝国もみすみすゴカ鉱山の採掘権を他国に渡すことはしないだろう。妻は何もわかっていないのだ」


 侯爵閣下と対面が叶い、「あとはこちらで対処する」との言質を取ってホクホク顔で王都に戻ってみれば、シャノン様が婚約なさったという。

 エルドン公爵? あの『冷酷』『変人』と噂の。

 なぜだ。何か弱みでも握られたのだろうか。


「僕はね、ハリーならシャノン姉様を幸せにしてくれると信じていたんだ。だけどベティ姉様と愛し合っているんだろ? そうならそうと打ち明けてほしかったよ。そんなに僕は頼りにならない?」


 サイラス様が涙目でキッと私を睨む。

 何を言われているのか、さっぱりわからなかった。誰と誰が愛し合っているというのだ。


「なんでだよ……なんでシャノン姉様ばっかり、こんな目に遭わなきゃならないんだ。母上のせいで茶会にも行けないし、同年代の子どもたちとの交流もさせてもらえなかったから友達もいない。学校だって伯爵家の娘なのに地元の平民に交じって……まともなドレス一枚持ってやしないじゃないか。そのうえ、シャノン姉様の考えた商品が、こっちじゃベティ姉様が考案したことになっているんだよ。入学してクラスメイトに言われて知ったんだ。『ベティ夫人のような才女がお身内だなんて羨ましい』ってね。どうせベティ姉様が、よく考えもせずにそれらしいことを吹聴したんだろう? そのベティ姉様が『ハリーと愛し合ってるから再婚したい』と泣いて訴えたそうだよ。だからシャノン姉様は身を引いたんだ――」


「ちょ、ちょっと待ってください、私とベティ様は愛し合っていません! いつもの戯言ではないですか?」


 クズッ、クズッと鼻を啜りながら、矢継ぎ早にまくし立てるサイラス様を慌てて遮る。

 一体、ベティ様は何をおっしゃっているのか。アダム様と恋愛結婚したのに、私と愛し合っているなんてあり得ない。

 いや、才色兼備を装ってはいるが、もともと虚言癖のある方だった。

 当時、「学業と商品開発の両立も大変ですのよ」なんて、シャノン様の仕事をさも自分の手柄のように自慢しておきながら、いざ旦那様に叱られると「あら、わたくし『誰が』とは言ってませんわ。相手が勝手に勘違いしただけです」と誤魔化して逃げた。

 旦那様が噂を黙認なさったのは、その『勘違い』の相手が帝国の貴族令嬢で、販路を拡大するのに「ベティ様のおっしゃることは嘘です」などと内輪揉めのような醜態をさらせなかったからだ。

 そういうちゃっかりした性格だから、保身のために再婚先を確保しておこうと考えた可能性はある。


「だけどシャノン姉様は、ベティ姉様の戯言を信じたんだよ」


 サイラス様が、目の前の机の上に一通の手紙をぽんと放った。

 グレタからの定期報告だ。こうしてサイラス様は、私以外にも複数名の使用人から屋敷内の情報を得ている。


『シャノンお嬢様は旦那様の打診に対し、エルドン公爵閣下との婚約を即断即決なさいました。ベティお嬢様とハリーの幸せのために身を引いたのです。いつもの冗談ではないかと申し上げましたが、ベティお嬢様の嫁入りの際、二人が抱擁し別れを惜しむ姿をご覧になったのだそうです。愛し合っているのなら結婚すべきだと、旦那様を説得なさっておいででした。シャノンお嬢様は、ハリーが旦那様の命令で仕方なくご自分との縁談を受け入れたと思っておられます。一晩中泣いたあと、気丈にも翌日には王都へ向かう準備を始められました。そして――――』


 便箋を持つ手が震える。

 なんだ、これは。私とベティ様が抱擁だって? 

 思い当たることがあるとすれば、あの時だが――。

 

「あれは、酒に酔ったベティ様に絡まれたんですっ!」


 ベティ様は酒豪だ。時々、侍女のアビーを無理やり巻き込んで大酒を飲み、理由もなく突然泣き出したり、人に絡んだり……要は酒癖が悪いのである。学院の長期休暇で帰郷されるたび、醜態をさらして奥様に叱責されていたものだ。

 因みにこの国の成人は十六歳なので、学院内でなければ飲酒すること自体に問題はない。



 あの日――。

 これからファレル侯爵領へ出立するというのに、最後だからと明け方まで飲んでいたらしい。ふらりと執事部屋に現れたベティ様は酒臭かった。


「もうすぐ出立なのに何をやっているんです!?」


 私が諫めると「だから来たんじゃないの」と泣き出した。このままだと馬車に乗れないから、浄化魔法で解毒して酔いを醒ましてほしいとおっしゃる。

 掃除や洗濯に重宝する浄化の初級のクリーン魔法は、この家の使用人なら誰でも使える。しかし中級の解毒となると、私と父と旦那様のほかはグレタとアビーしかいない。

 アビーが酔い潰れてしまったため、一番頼みやすい私のところへ来たわけだ。


「少しは自重してくださいよ。離縁されても知りませんからね」


「ふ~んだ。どうせ、おまえはシャノンがいればそれでいいんだもんね。知ってるのよ、好きなんでしょ。そうなんでしょ、ねえねえ、そうなんでしょぉ?」


 今度は絡み始める。非常に面倒くさい。


「はいはい」


 適当な返事をしたのがいけなかったのか、「自重するからぁ」と涙声で訴え始めた。


「二人の結婚式には呼んでよね。絶対に呼んでよ?」


「結婚なんてできるわけな……」


「そうやってぇ、わたくしを除け者にして飲ませないつもりねッ、キィーッ!」


 ああ、こりゃダメだ。支離滅裂になっている。早いとこ解毒して酔いを醒まそう。

 そう思った瞬間、ベティ様にがばっと勢いよく抱きつかれた。


「うちの貯蔵室には、まだワニューニ産の赤ワインが眠ってるの……だからお願い、わたくしを忘れないで……」


「……忘れませんよ」


 適当に相槌を打ちながら背中に手を回した。浄化魔法を発動し、じわじわと解毒してゆく。


「きっと……わたくしは、ずっと…………」


「泣かないでください」


 ベティ様がまた泣き出したので、すぐに注意したが伝わっていないだろう。泣き腫らした目は魔法ではどうにもならないから、奥様にバレるかもしれない。

 魔法が体に浸透してゆくに連れ、ベティ様の瞼が徐々に重くなる。意識がなくなり、体の力が抜けてからソファに寝かせた。

 数分もすれば目覚めて正気を取り戻すはずだ。あとはアビーか。

 私はアビーのもとへ向かい、同じように解毒で酔いを醒ましたあと「主人を諫めるのも腹心の役目だ」と懇々と説教したのだった。



「というわけなんです」


 私の説明に、サイラス様は「なるほど」と頷いた。一応、納得はしていただけたようだ。涙が止まっている。


「ハリーはさ、シャノン姉様のことをどう思っているの?」


 改めて問われ、私は初めて本心を口にした。


「お慕いしています……」


「それ、伝えた? 伝えてないから、身を引くとかいう発想になっているんだよね。縁談の話が出てけっこう時間が経つのに、何してたわけ? キスは? デートもしなかったの?」


「面目次第もございません。そういったことは、まだ早いかと考えておりました」


 主家の娘と安易にキスできるわけないだろう。本来ならば私の想いは、許されないものだ。

 シャノン様とは、ゆっくり愛情を育んでいけたらと思っていた。焦らずともその時間は十分にあるのだと。


「そういう真面目なところは嫌いじゃないよ。だけどさぁ、それじゃあまりにポンコツすぎやしない? 既成事実の一つもあったら、いくら公爵家の縁談でも阻止できただろうに」


 ため息交じりに過激なことをおっしゃる。

 だがしかし、そうなのだ。せめて自分の気持ちくらいは伝えておくべきだった。私が不甲斐ないせいで、シャノン様はベティ様の嘘を信じた。ほかの男との結婚を決断させてしまったのだ……。


 もう一度やり直せたなら、その時は――。

 

 声にならない後悔とともに、心がずんと重く沈んだ。


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