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【閑話】01 執事ハリー・クリントンの不器用な真実

「シャノン姉様が、エルドン公爵と婚約するそうだよ」 


「は?」


 旦那様の命令でファレル侯爵家を調べるため王都に赴いていた私は、侯爵領にまで足を延ばし情報収集を終えてから再びハーシェル家のタウンハウスに戻った直後、サイラス様に告げられた。にわかには信じられない。

 シャノン様は、私の妻となるはずの女性だ。この件が片付けば、正式に婚約し結婚準備に入る予定だった。それなのに、なぜ?

 そこで私は、はたと気づく。そうだ、婚約……していないのだ。

 私もシャノン様も旦那様からそう聞いているだけで、お互いに確認し合ったわけではないし、書面にサインを交わす前の段階である。つまりシャノン様はフリーで、どこの誰と結婚しようが私に文句を言う資格はないのだ。


「ハリー、僕は情けないよっ……」


 泣きそうな顔でサイラス様は拳を震わせている。この縁談が不服なのだろう。

 しかし今、自身の主であるはずの彼を慮る余裕はない。


 シャノン様の婚約――。


 この事実に、私はただ呆然となった。



 ※※



 私の名は、ハリー・クリントン。ハーシェル伯爵家の執事だ。父が家令として旦那様に忠誠を誓っていることから、幼い頃より次代に仕えるよう育てられた。

 ハーシェル家の子女は三人。

 長女ベティ様は、貴族令嬢らしい華やかさがあり、母親譲りの美貌は社交界でも評判だ。気が強くプライドが高いが、情に脆いところもある。

 嫡男サイラス様は、末っ子のせいか頼りなく見られることがあるものの、本当は賢く一度決めたことを貫く芯の強さを持っている。将来は領民に慕われる、よい領主になるだろう。

 お二人ともハーシェル伯爵夫妻ご自慢のご子息、ご息女である。


 その一方で、次女のシャノン様は異質だった。

 姉弟とは違い、ほとんど屋敷から出ることなく育てられ、同世代の貴族子女との交流がないからだ。

 決して厭われていたわけではない。上流階級には乳母やナニーに養育を任せきりにする親も多いのに、旦那様と奥様はお子様たちに愛情深く接してこられた。

 教育方針の違いと言ってしまえばそれまでのことだが、奥様はベティ様を連れて歩きたがり、シャノン様を自分の傍に置き外に出したがらなかった。奥様に甘い旦那様は、それを許していた。


『お母様、私も婦人会のお茶会に行きたいですっ』

『遊びじゃないのよ』

『でも、ベティお姉様は毎回連れて行ってもらえるのに……』


『お母様、今年は私も王都へ行きたいです』

『シャノンには、まだ無理よ』

『もう八歳です。ベティお姉様が、王宮のティーパーティーに参加した年です』


 嫌ですぅ、とべそべそ泣きながら訴え、却下される。

 そんなシャノン様を見るたびに、まだ少年だった私の胸は痛んだ。

 なぜ? と思う。ベティ様が五歳の頃には、もう王都の屋敷で社交シーズンを過ごされていたのに。


「いいなぁ、ベティお姉様は。私もあんなドレスを着てお出かけしてみたい」


 若草色の華やかなドレスを着て奥様と馬車に乗られるベティ様を、シャノン様はいつも羨ましそうに見送っていた。

 けれど執事見習いの一人にすぎなかった私は物申せる立場ではなく、寂しげに肩を落とす姿を見ていることしかできなかった。


 シャノン様は、使用人たちの間で『小さなお嬢様』と呼ばれていた。

 それは成長とともに、いつの間にか『幼い』から『小柄』という意味の「小さい」に変化していった。

 弟のジミーを含めた口の悪い使用人の中には「チビ」だの「子どもみたい」だのと軽口を叩く者もいたが、親しみがこもっていたのは確かだ。傲慢さがなく、下働きたちにも分け隔てなく接し、気遣い、ちょこまかと働くシャノン様のことを皆、敬愛していた。

 この国ではグラマーな女性を好む傾向があり、特に貴族の間では「小さい体は子が産めない」という俗説のせいで縁談が不利になる。だからシャノン様は、ご自分の華奢な体を気にされていた。


『そんなに小さいとお嫁にいけないわよ』

『こんなところにも手が届かないの? しょうがないわね、わたくしが取ってあげるわ』


 ベティ様に揶揄われ、しょげた顔をされることもあった。


「皆、シャノン様のことが大好きなんですよ」


 私の慰めに、くりっと大きな青紫色の瞳をパチパチと瞬かせ「ホントに? ハリーも?」と前のめりになって尋ねられた。


「もちろん、大好きです」


 そう答えると、パッとひまわりのような明るい笑顔になる。


「よかったぁ」


 息がかかるほど近い距離で、キラキラと虹色に輝く瞳が……まぶしかった。

 

 家庭教師がつくようになった頃からシャノン様は、外に出られない鬱憤を晴らすように魔法にのめり込んでいった。そして付与魔法師になった。

 水を得た魚のように生き生きとした表情を見せるようになり、私は心から安堵したものだ。やっと自分らしくいられる場所を見つけられたのだ、と。

 ただ、それすらも奥様は「貴族の娘が働くなんて」と渋い顔をなさっていた。

 協会の本部長の説得で、旦那様が「あまり家に閉じこもるのもよくないだろう」と入会を許可されなかったら、今頃どうなっていただろうか。


 ベティ様が学生時代から交際していたファレル侯爵家の嫡男アダム様と結婚が決まった時、ハーシェル伯爵家は青息吐息だった。旦那様が投資に失敗し、大損害を被ったからだ。


「この家が助かったのは、わたくしのお陰よ。アダム様との結婚で援助を受けられたのだから」


 ベティ様は得意気に自慢するが、事実は少し異なる。いや、ベティ様がアダム様に愛されているのは事実だし、その魅力があるのは否定しない。

 だがいくら愛し合っていても、利益のない結婚を容認するほど貴族は甘くない。当然、ファレル侯爵家もお二人の結婚に難色を示していた。

 最終的に当主のファレル侯爵を頷かせたのは、ヴェハイム帝国の貴族令嬢が大量注文したと話題になったシャノン様考案の温熱下着の存在だった。本格的に事業化するにあたり、先行投資と引き換えに売り上げの一部をファレル侯爵家に納めることが取り決められ、やっと結婚が認められたのだ。

 ハーシェル家が救われたのはシャノン様の尽力あってこそなのだが、本人はご存じないのだろう。世間知らずなところがあり、援助はベティ様への愛ゆえだと信じているようだった。


 ベティ様が良縁を得たのに対して、シャノン様の縁談は難航した。

 既に貴族の間では「小さい」「領に引きこもっている変わり者」という噂が囁かれているうえに、貴族学院に入学しなかったからである。学費を節約するために、地元の学校に通われていたのだ。

 これについては、さすがに父も進言した。


「旦那様、伯爵家のご息女でありながら貴族学院を卒業しないのでは、シャノンお嬢様の将来にかかわります。今からでも編入なさるべきです」


 答えたのは旦那様ではなく奥様だった。


「わたくしのドレスも注文しなければならないのに、どこにそんなお金があるというの? ファレル侯爵家に、これ以上の援助を願えとでも? 厚かましいわ。ベティが婚家で冷遇されたらどうするのよっ」


 お金がないなら援助金でドレスや宝飾品を購入するのは控えたほうが……というのは庶民の考え方で、貴族は体面を重んじる。

 伯爵夫人がボロを纏って「あの家の内情は苦しいのではないか」などと疑われれば、顧客が離れ事業に悪影響を及ぼしかねない。奥様にはご婦人方にハーシェル家が健全であることを印象づけるとともに、大々的に商品の宣伝をしてもらわねばならないのだ。

 結局奥様に押し切られ、シャノン様はそのまま地元の学校に通うことになった。

 しかし落ち目とはいえ、付与魔法師協会を設立した由緒正しい伯爵家である。繋がりを持ちたい家の一つや二つはあるはずだ。それなのに格下の子爵家、男爵家にすら、ことごとく見合いを断られることなどあるのか?

 令息の中には跡継ぎを必要としない次男や三男もいるだろうし、皆が皆、グラマーが好みとは限らない。それにシャノン様は、本人に自覚がないだけで間違いなく美人だ。大陸の北、ピチュメ王国やネルシュ国あたりなら引く手あまただろう。

 

 何かが変だ。

 なぜシャノン様だけが?


「もうすぐサイラスが貴族学院に入学するでしょ。入学祝いは何がいいと思う?」


 私のモヤモヤをよそに、シャノン様はニコニコと笑う。卒業まで二か月を切っていたが、未だ婚約は纏まらない。もう王都に行きたいとも、キレイなドレスが着たいともおっしゃらなくなっていた。

 

 私とシャノン様の縁談が持ち上がったのは、そんな時だった。

 

 

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