16 エルドン公爵邸の生活
「今後については、ハーシェル伯爵と直接話し合う。別件で確認しなければならないこともあるから、しばらくこの屋敷に滞在してほしい」
カイル様の希望で、そのままエルドン邸に滞在することになった。
貴族の場合、娘の縁談を決めるのは父親だから、これ以上、私が出しゃばっても意味はない。おおよその事情はわかったことだし大人しく従う。
外出は不可だが、屋敷の中でなら好きに過ごしてよいとのこと。
王都見物がしたかったのに、外出不可とは納得がいかない。けれど、防犯上の理由の一点張りで埒が明かなかった。いっそのこと我が家のタウンハウスへ移りたいと願ったのだが、問答無用で却下されてしまった。
「そういうわけなんだけど、どう思う?」
一夜明け、裏庭のガゼボでベン特製のホットチョコレートを飲みながら、グレタとジミーにカイル様とのやり取りを打ち明けた。
「お飾りの妻でいいなんておっしゃったんですか? なんてことを……!」
グレタが衝撃を受けている。けれど、それ、気になるところ?
「だって返品されたら傷モノだし、きっともう縁談なんてこないし、いずれサイラスが結婚したら小姑の私に居場所なんてないじゃない? だったらここで、のんべんだらりと暮らしたほうがいいと思っちゃったのよ」
王都の支部で付与魔法師の仕事をしながら、流行りのカフェに寄ってケーキを食べて……憧れの王都を謳歌するのも悪くない。
「居場所がないなんて、そんなことあるわけないじゃないですかっ」
「そうかしら?」
「そうですよっ」
グレタの剣幕に押され気味になる。
でも本当に居場所なんてあるの? 新商品を作っても、また誰かの手柄にされてしまうのではないだろうか。
「公爵閣下は、ボンキュッボンが好きなわけじゃなかったんすね」
ジミーは、そっちが気になるらしい。
もうちょっと、ほかに何かないものか。そう、たとえば――。
「カイル様の好みのタイプより、ベティお姉様の離縁の話よ。姑の暴走ですって。別れない可能性も出てきたってことよ」
「離縁しないなら、今と変わらないのでは? お嬢が兄さんの婚約者に戻ればいいだけっす」
「それだとベティお姉様とハリーが結婚できないじゃないの!」
「は? どうして兄さんとベティお嬢が?」
「あの二人は愛し合ってるの」
「マジっすか!」
ジミーが大仰に背をのけぞらせたので、教えていなかったのかとグレタに問えば「あ、忘れていました」と返ってきた。出立ギリギリに討伐から帰還したジミーは、ベティお姉様のあの発言を知らないのだ。
「カイル様との縁談がなくなるとしても、離縁されなければベティお姉様が再婚できないわ。どうしよう……未だに離縁が成立していないということは、アダムお義兄様が健闘しているのよね。ああ、モテる女って辛い!」
「シャノンお嬢様がやきもきしたって仕方ないですよ。本気だったらベティお嬢様のほうから離縁するでしょう」
「あっ、そうか。女性からも離縁できるんだった」
醜聞になる離縁を自ら申し出る貴族女性なんて、まずいないから失念していた。
そうなると私にできることは何もないのか。
「あんな目に遭ったのに、どうしてベティお嬢様を気にかけるんですか?」
勝手に商品の発案者を名乗られたことを指しているのだろう。グレタの口がへの字に曲がる。
「幸せになってもらいたいのよ」
グレタに本音を悟られないように言葉を濁した。
別にベティお姉様を気にかけているわけではない。ただハリーの幸せを祈っているだけ。そのためだけに、私はベティお姉様の所業を許し、円満な離縁を願う。
「アダム卿に手紙でも書いたらいいんじゃないすか」
「アダムお義兄様に?」
「ベティお嬢には愛する人がいるので別れてやってくれって」
その直後、グレタがジミーの頭をべしっと叩いた。
「そんな失礼な手紙を出せますかっ!」
「イテテ……冗談だよ」
手紙は無理でも、もし会うことがあればこっそり頼んでみてもいいかなと思う。とはいえ、私はベティお姉様の結婚式を欠席させられたので、アダムお義兄様の顔を知らないのだけれど。
「ところで別件ってなんでしょうね?」
ふと思い出したようにグレタが首を傾げる。
「やっぱり気になるわよね? 外出禁止だし、悪い予感しかしないのだけど」
「お嬢の逃亡防止じゃないっすか? さては何かやらかしましたね。ピンハネ、パクリ、脅し……」
「やめてよ、私は善良な付与魔法師なの! 盗作も恫喝もしてないってば。この名誉会員バッチの誇りにかけて誓うわ」
私は星型の銀バッチを掲げ、ジミーに突きつけた。
付与魔法師に与えられる会員バッチは、会員番号が彫られていて身分証にもなる。私の番号はゼロ。名誉会員にのみ許される特別なナンバーだ。
ジミーは参りましたとばかりに、はは~っと大きな体を折り曲げてガゼボのテーブルにひれ伏す。右巻きのつむじから、ぴょんと短い髪が跳ねていた。
邸内では図書室の使用許可をもらい、主にそこで過ごした。
日々研究に明け暮れる特級魔法師の邸宅なだけあって、希少な魔法の本がたくさん並んでいる。
読みたい本もあったし、浮遊魔法を付与した馬車の特許申請のための書類も仕上げてしまいたかった。
今までの特許は全部サイラスに譲ってしまったので、申請中の温熱と冷却のハンカチ、それにこの馬車しか新たに権利を得られそうな案件はない。つまり私の個人資産は、王都に来る際にお父様が買ってくれた少しばかりの宝飾品だけで、今後の継続的な収入はないのだ。
「なんとか特許申請が通ればいいのだけど……」
私はなんとなく、このまま王都に住めないかと思い始めていた。
ハリーとベティお姉様のイチャイチャを見ながら暮らすのもしんどいし、自分の結婚は望み薄だ。だったら違う場所で、一人で生きていくことを考えなくちゃ。
ハーシェル家には、エルドン家のように別邸がいくつもあるわけではない。両親が王都暮らしを許してくれないかもしれないから、自分で小さなアパートメントを借りて質素に暮らすにしても、まずお金が必要だ。
図書室での作業のほかは、息抜きがてらキッチンの手伝いをしている。特許の申請書類は、その製品の仕様を細かに記載せねばならず、けっこう疲れるのだ。
ベンは「客人に手伝わせるなど、とんでもございません!」と恐縮していたけれど、簡単な料理を教えてもらうことを対価に受け入れてくれた。
スープが作れるようになったら、独り暮らしでも食事に困らないかもしれない。そういう魂胆だった。
それに急に人数が増えたので、人手が足りないと思う。私とグレタはともかく、ジミーはよく食べるから。
「シャノンお嬢様、じゃがいもの皮むきをお願いします」
「はーい。今日はポトフね?」
「はい、カイル様の好物なので」
私はじゃがいもを手に取り、ナイフで皮をむく。最初はぎこちない手つきだったが、毎日手伝っていると上達も早く、一週間もすれば野菜を切る作業を任せてもらえるようになった。
私が皮むきをしている間に、ベンは商会から届いた小麦粉の袋を魔法で飛行させ食糧庫へ運んでいく。飛行は風属性の上級魔法だ。
四十路だというベンは、ハーシェル家の料理人ミックと年齢はあまり変わらないのに、筋肉質で若々しく見える。だがその筋肉で荷物を運ぶことはない。
「わぁ、飛行魔法が使えるのね」
「私には『風』と『闇』の属性があるので、闇魔法で軽量してから飛行させています。こうすると魔力消費を抑えられてコントロールも楽になるので」
「なるほど……」
上級魔法も工夫次第で扱いやすくなるということだ。
ベンからは、こうして料理以外にも魔法のヒントをもらえることもある。
カイル様とは、ほとんど顔を合わせない。私が図書室にこもっているように、彼も部屋で研究作業に勤しんでいるからだ。食事の時間もバラバラ。ロイドは執事よりもカイル様の助手が本業らしく、忙しそうにしている。
王宮魔法師と知り合うチャンスが今までになかったので、いろいろと話してみたかったのだが、どうやら無理そうだ。
この生活は、カイル様の母親であるエルドン前公爵夫人がこの屋敷にやって来るまで続いた。
「出て行ってちょうだい! あの女の娘だなんて冗談じゃないわっ」
会うなり、私は鬼の形相で罵声を浴びせられたのだった。