15 カイル・エルドンの帰還
その晩、カイル様が討伐から戻った。
留守の間に溜まった執務を片付けていたらしく、翌日の晩餐の席で初めて顔を合わせた。
事情はロイドとジェナから報告されているのだろう。カイル様は私が食堂に現れても驚きもせず、静かに子羊のローストにナイフを入れている。歓迎されているとは到底感じられない殺伐とした雰囲気を漂わせて。
私も無言でパンを口に入れる。胃がキリキリと痛い。
「さて、シャノン・ハーシェル伯爵令嬢」
「はい、閣下」
粗方食べ終わり、ようやくカイル様は私に声をかけた。ワインを口に含みながら、じっとこちらを見ている。
私と同じ青紫の瞳に、少し親近感が湧く。けれどもその視線は冷たい。銀の長髪を一つに束ね、ワイングラスを持つ指は長く繊細だ。端正な顔立ちなのだから愛想よく笑えば、すぐさま『冷酷』などという悪評は払拭されて、令嬢たちの人気者になるに違いないのに。
私は、ほとんど食事に手をつけていない状態のまま、蛇に睨まれた蛙のように身じろぎ一つできなかった。
「そのような堅苦しい呼び方は好かない。カイルでいい」
「ではカイル様、私のこともシャノンとお呼びください」
名前で呼べだなんて、実は意外と気さくな性格?
一気に期待が高まるが、カイル様が私を観察し終え、一つの結論を導き出したように視線を外した。
「社交デビューしない引きこもり……か、なるほどね。シャノン嬢、悪いが君とは結婚できない」
予想していたこととはいえ、実際に言葉にされるとさすがに傷つく。私がハーシェル家の商品を開発した付与魔法師であることは、ジェナから聞いているはず。それでもベティお姉様を選ぶだなんて。
「やはり姉のようなボンキュッボンがお好みなのですね」
きっと付与魔法に興味があるなんて建前なのだ。所詮、男は美女が好き。
さて、どうしよう? 今更自分の美醜は変えられない。どうして世の中には、ボンキュッボン美女になる魔法が存在しないのだろう。この際、魅了付与の眼鏡でも作ってみようか。特級魔法師に効果があるのかどうかは、甚だ疑問だけれど。
「違う」
落ち着いた低音の声が響く。
違うもんか、とカチンとくる。
王族の血筋だか公爵だか知らないが、破談になればこちらは傷モノになるというのに、あっさり断ってくれちゃって、相手に対する配慮がまるで感じられない。
第一そんなにベティお姉様がよかったのなら、離婚を確認してから申し込むか求婚状に名前を書くべきではないのか。
「ならば私を選んでください。公爵領に付与魔法師協会の支部を設置したいとお聞きしました。私は名誉会員です。不都合はないはずです」
カイル様のすまし顔に向かって毅然と言い放った。
「すまないが、それはできない」
「やっぱり、ボンキュッボンが……」
「違う」
「誤魔化さなくてもいいのです。カイル様も男なのですから、恥ずかしがることはありません」
「断じて違う! そもそもベティ夫人と会ったことはないっ」
カイル様の顔が赤くなる。意外と初心な人なのかもしれない。
ところで、ベティお姉様と会ったことがないというのはどういうことだろう。もしかして交渉の余地があるのだろうか。
「お飾りでもかまいません。このまま家に帰されれば、私は傷モノになります。求婚状に不備があったのはそちらのミスです。責任を取ってください」
我ながらよくこんな強気な発言ができるな、と感心するけれど、感情も込めずに「すまない」なんて棒読みで謝られてイライラが増している。怒りの原動力ってすごいのだわ。
「なっ……!」
青い顔で声を上げたのは食堂の隅で控えているロイドだった。
その隣のジェナは平然としている。
カイル様は表情にこそ出さなかったものの、ひゅっと喉が鳴った。『傷モノ』『責任』に動揺したのは明らかだ。このまま押し切ろうか。
「き、求婚状は私のミスで、カイル様は関係な……イテッ……」
主人の許可も得ずに発言し始めたロイドの足をジェナが踏みつけた。
カイル様が「しばらく二人にしてくれ」と人払いすると、ロイドはジェナに引っ張られるように食堂を出て行った。
足音が遠ざかり、静けさが満ちる。その短い間に、カイル様は落ち着きを取り戻していた。
「申し訳ない、こちらが軽率だった。慰謝料を支払う。エルドン公爵家の名に懸けて、シャノン嬢の名誉に傷がつかないよう取り計らうと誓おう。どうしても、君とは結婚できないんだ」
「そこまで姉を愛している……というわけではなさそうですね。会ったことがないのですから。カイル様、これは一体どういうことなんですか? 突然、我が家に求婚状が届いたんです。こちらからお断りできないことは、カイル様もご承知だったはず。私は内定していた婚約を取りやめて、貴宅へ参りました。納得のいく説明をしていただきたいのです」
カイル様は、私が破談になったことを知るや否や「ああ……すまない」と項垂れてしまった。
「そうだな、シャノン嬢には説明すべきだろう。付与魔法師協会云々は建前だ。実は、ファレル侯爵夫人からベティ夫人の再婚相手になるよう頼まれたんだ。書類上の婚姻だけで、定期的にミスリルを融通してもらえることになっていた」
「ミスリル……魔法研究の材料のために取引したんですか?」
魔法と相性がいいミスリルは、特級魔法師のカイル様にとって喉から手が出るほど欲しい素材のはずだ。社交そっちのけで研究に没頭しているとなれば、なおのことである。
そういえば、ロイドもこの縁談のことを「カイル様がお受けになった」と言っていた。ファレル侯爵夫人から、という意味だったのか。
「そうだ。離縁後のベティ夫人の名誉を守るためだと言われたから、人助けをしてミスリルが手に入るならと承諾したんだ。ハーシェル伯爵には話が通っているものだと疑いもせずに、ロイドに求婚状を送らせた。知らなかったんだ。当人たちは離縁するつもりなど毛頭なく、帝国の侯爵令嬢を輿入れさせたいがために無理やり別れさせようとしていたなんて。知っていたら断っていた」
魔物討伐から帰ってみれば、屋敷には求婚したはずのベティお姉様ではなくその妹がいて、留守中にアダムお義兄様から『離縁の意思はない。すべては母親である侯爵夫人の勝手な行動である』との手紙が届いていた、ということらしい。
裏も取らずに浅はかだった、とカイル様が嘆息した。
「それほどミスリルが魅力的だったということでしょうね。ですが、わかりません。ファレル家とカイル様はともかく、その帝国の侯爵令嬢になんのメリットがあるんですか? わざわざ他国で後妻にならずとも、好条件のお見合いなどいくらでもあるでしょう」
「それがそうでもないんだ。その侯爵令嬢……マリーナ・ブーフ嬢は、最近まで皇太子の婚約者だったのだが破談になった。浮気相手の男爵令嬢を妃に迎えたいと、公の席で大っぴらに騒いだらしい。とんだ醜聞だよ。皇室は火消しに躍起になっている」
「あちらでは傷モノというわけですね。それで隣国で縁談をということですか」
「ブーフ侯爵家は、ファレル侯爵夫人の母方の実家だそうだよ。ブーフ侯爵はご立腹だ。だからミスリル鉱山付きで娘を国外に出すつもりなんだろう。ゴカ鉱山の採掘権が他国に移れば皇室にとって大きな痛手だから」
ブーフ侯爵領のゴカ鉱山は、ヴェハイム帝国で一番の採掘量を誇るミスリル鉱山である。
ファレル侯爵夫人にとって、マリーナ嬢を嫁入りさせることで自分と不仲のベティお姉様を排除でき、ミスリルを欲しがる王家に対して恩を売れる美味しい話だ。
ブーフ侯爵にしても、縁戚の息子と結婚させたほうが何かと安心ではある。少なくとも愛娘が冷遇される心配はない。
「はあ、皇室ですか」
つい間の抜けた声になる。皇太子の婚約破棄騒動のとばっちりだったとは。
「縁談の件は、ファレル侯爵夫人の暴走だろう。ブーフ侯爵令嬢の相手には、ほかの令息を紹介することもできたはずだから」
ともあれ皇室とブーフ侯爵の悶着が決着するまで、成り行きを見守るしかなさそうだ。