13 王都、エルドン公爵邸へ
翌日の昼下がり、私たちはエルドン公爵邸に到着した。
黒い重厚な門の奥には、歴史を感じさせるレンガ造りの大邸宅があり圧倒される。しかもこちらは、カイル様が現在住んでいる別邸で、王宮に近い一等地にも屋敷があるというのだから驚く。これが領地にある本邸ともなると、その規模は想像もつかない。
私は朝からグレタに髪を結ってもらい、薄ピンクのドレスを着ている。数年ぶりの貴族女性らしい装いだ。化粧もしているので、たぶん、それなりにきちんとなっていると思う。
臆してはならないと己を奮い立たせても、緊張で足が震えた。
「シャノン……様ですか。あの、いえ、てっきり長女のベティ様がいらっしゃると思っていたものですから」
家の管理を任されているという若い執事に取次ぎを頼むと、あからさまに動揺し落胆した表情を浮かべている。
公爵家との縁談なんておかしいと思った。やっぱり何か行き違いがあったのだ。腑に落ちると同時に、ここまで露骨な態度をされると我ながら情けない気持ちになる。だが、しっかりしなくては。
「姉は既婚です。ハーシェル家の未婚女性は私だけですので」
「えっ、離縁したのでは? あっ、いやその……でも、さすがに未成年の子どもに結婚は無理なのでは……」
「わ、私は、十八歳です!」
「ええっ!」
子どもに間違えられた羞恥と怒りで、かあっと顔が熱くなる。冷静に対処しようと決めていたのにできなかった。
それにしても、さすが公爵家。もうベティお姉様の離縁の話が耳に入っている。噂の出どころは、義兄を再婚させたがっているファレル侯爵夫人あたりか。
ほかの誰かに先越される前に、早々に求婚状を送ったのだろう。
もしかしてカイル様がこれまで婚約者もなく独身を貫いていたのも、ベティお姉様に対する想いから? 二人に接点はないはずだけど……ベティお姉様の美貌ならあり得ない話ではない。
いずれにせよ、この失礼な執事と交渉してもややこしくなる予感しかしない。さっきから、傍で大人しく控えているグレタとジミーから、凍てつくような殺気がダダ洩れているのだもの。
「閣下と直接お話しします。お取次ぎを」
「そ、それが、カイル様は魔物討伐に随行しているため不在でして。ここは出直して……イテッ……」
執事が無礼を重ねようとした瞬間、その後ろから白髪交じりの金髪の年配女性がツツツと足早に近寄り頭を小突く。そして深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。私は侍女長のジェナと申します。当家の執事が失礼いたしました。仕えて間もない新参者のため、どうか平にご容赦くださいませ」
「だ、だけど、ジェナさん、こちらの希望は……グヘッ」
執事は、ジェナに足を踏んづけられている。
「カイル様の客人を追い返すなど言語道断! エルドン公爵家の名に泥を塗りたいのですか」
おまえが勝手に判断するなとばかりに、声を潜めたジェナが執事を咎めた。
どうやら古参の侍女長ジェナのほうが、力関係は上のようだ。きびきびとした話し方だが品がある。ピンと伸びた背筋やお辞儀の所作を見ても、貴族なのだと推測できた。
「すぐに客間へご案内します。どうぞこちらへ」
ジェナに先導されつつ、あの執事の名はロイドで、もともと王宮の低級魔法師だったのだが、カイル様を慕ってこの家に仕えるようになったのだと説明を受けた。
侍女長のジェナは公爵家の最古参で、三年前、先代公爵の死去に伴いカイル様が家督を継いだのを機に、領の本邸からこの王都に移ってきたのだそうだ。
屋敷はがらんとしていて活気がない。
使用人はジェナとロイド、料理人のベンだけだという。この広い邸宅を維持管理するには少なすぎるが、三人とも生活魔法が使えるので事足りるらしい。
カイル様は煩わしいのがお嫌いとのことで、魔法研究に没頭できる静かな環境を優先した結果だそうだ。
「ここは王弟でいらした先々代が、王家より譲られた離宮なのですよ。カイル様は社交がお嫌いなので、滅多にお客様もいらっしゃいませんし、ご本人も年に二回は魔物討伐の遠征に向かわれます。もはや静かを通り越して、侘しいという表現が適切かもしれませんね」
「あの、今も討伐でご不在なのですよね?」
「はい。あと二、三日でお戻りになるかと思いますので、それまでごゆるりとお寛ぎください」
どうやら馬車を飛ばしすぎて、早く到着してしまったらしい。私たちがジミーが帰った翌日に領を出発したということは、カイル様のいる王家の討伐隊も同時期に帰路についているはずだ。
案内されたのは、青バラの模様の壁紙をあしらった素敵なお部屋だった。本棚や手紙を書くための机など年代物の調度が丁寧に手入れされ、大切に受け継がれてきたのだとわかる。暖炉を囲むようにソファセットが配置されていた。
「ありがとうございます、ジェナ様」
「使用人に敬称は不要でございます。どうぞジェナと呼び捨てになさってください」
ぴしゃりと指摘され、やはり折り目正しい人なのだと感心する。おそらく低位ではない、ハーシェル家より名のある家の出自だろうに。
「ありがとう、ジェナ。先程は助かりました」
「あれは当家の不手際ですので、当然のことです」
ジェナの表情が和らぐ。
ロイドはともかく、彼女からは嫌われていないらしい。
「では教えてください。閣下は、私との結婚を望むでしょうか?」
不意打ちで質問するとジェナから笑みが消えた。私の顔をじっと見つめ、逡巡ののちにゆっくりと口を開いた。
「決して望まないでしょう。カイル様はベティ様に興味をお持ちでしたから。ですがシャノン様がこちらにいらっしゃる間は、不自由のないよう努めさせていただきます」
頭を下げ、退室してゆく。
私は暗い気分で、その後ろ姿を見送った。
ティムは、役目を終えたからとハーシェル家のタウンハウスへ行ってしまった。
私とグレタ、ジミーの三人は、荷解きを手早く済ませたあと、料理人のベンが運んできてくれたレモンパイを食べながら小腹を満たしている。
「はあ~、やっぱり閣下もベティお姉様みたいなボンキュッボンがいいんですって。困っちゃったわ」
このままでは私は返却されてしまう。
「困ることなんてあります? ベティお嬢様が離縁になったら、こちらに嫁入りするということでしょう。ハリーさんと復縁できるじゃないですか」
「ベティお姉様を犠牲にできないわ! 閣下がお戻りになったら、なんとかして誘惑しなければ」
「ぶっ!」
ジミーが紅茶を吹いた。
グレタが素早く浄化魔法でキレイにする。そして何事もなかったような顔でレモンパイを一切れ口に入れた。
「ゆ、誘惑って……無理じゃないっすか。ボンキュッボンじゃ、全然タイプが違いますもん」
「私もそう思います」
婚約者同士なだけあって、意見が合うこと。けれど、諦めるわけにはいかない。
「だって『冷酷』『変人』と噂の方なのよ? まともに説得したって聞いてもらえるかどうか」
「い、いや、誘惑するより可能性があるんじゃないっすか?」
「私もそう思います」
二対一で意見が分かれた。どうしようか。
そもそもカイル様のことを知らなすぎるのだ。私だって社交界では『醜い』『引きこもり』と散々な評価なのである。噂を鵜呑みにするのは危険かもしれない。
「閣下とお会いする前に、どんな人柄なのか尋ねてみようかしら」
「あの失礼なロイドとかいう執事にですか?」
グレタの眉が吊り上がり、ジミーの目つきも鋭くなる。
「うん、ほかの二人にも。近くで仕えているんだから、一番よく知っているはずだもの。どちらにしても判断材料がなくては何も決められないわ」
「ん、まあ、情報収集は敵を討ち取るのに必要なことっす」
「そうですね」
やっと三人の意見が合った。
いや、別に敵を討ち取るわけじゃないのだけれど。
ひとまず情報を集めよう。そうしよう。