12 初めての旅路
馬車に揺られながら、グレタの膝枕でジミーがぐうぐう眠っている。
あなたは護衛でしょ? と思わなくもないが、昨日討伐から帰ったばかりだ。何かあったら起こせばいいやと無視を決め込んだ。
「どうせ保護魔法やら防御魔法やら、馬車に付与しているんでしょ? 大丈夫っすよ。いざという時のためにも、寝て体調を整えないと」
本人もそう言っていることだし。
しかし、失恋で傷心している私の目の前でイチャイチャするなんて、この二人の忠誠心は一体どうなっているのだ。
唯一の救いは、「恐れ多いことながら、私はシャノンお嬢様が息子と結ばれることを楽しみにしておりましたので、残念でなりません」とマイルズに惜しまれたことだろうか。
お母様は最後まで反対の立場を崩さず、見送りにも出てこなかった。
ベティお姉様は、直前に聞いた寝耳に水の私の縁談に「嘘でしょ……わたくしは……」と驚愕のあまり言葉にならず。
「ベティお姉様、ハリーとお幸せに」
それが別れだった。
特別な言葉を期待したわけではないけれど、せめて「気をつけてね」の一言があってもよかったのではないかと落胆する。
王都までは馬車で六日だ。スムーズに移動できる整備された道だからこの日数。道が悪ければ、あと二、三日かかる距離かもしれない。
街道沿いには、魔物討伐の一般参加者を当て込んだ宿や旅人向けの食堂があちこちに点在していて、賑わっている。特産のチーズや果物を売る店まであり、ちょっとした観光気分だ。
「心配することなかったんだわ……」
サイラスの王都行きの際に、崖から落ちたら大変だなんて大騒ぎしていた無知な自分が恥ずかしい。よくよく考えれば、両親も年に一度は貴族会議と社交のため、王都の屋敷に滞在している。
なぜ危険だと信じ込んでいたんだろう?
一度疑問を感じてしまうと、胸がざわざわと落ち着かなくなる。
――この領地の外は、すっごく危ないの。わかった?
不意に、叱責するような甲高い声が頭の中に響いた。
その刹那、パチンと弾けるような感覚とともに記憶の蓋が開く。
ああ、そうだ。
きっかけは、お母様の言葉。吊り上がったエメラルドの瞳だった。
『お母様、今年は私も王都へ行きたいです』
幼い頃は、私もよく王都行きをせがんだものだ。だけど答えはいつも同じ。
『シャノンには、まだ無理よ』
『もう八歳です。ベティお姉様が、王宮のティーパーティーに参加した年です』
『今年はダメ。来年にしましょう』
『嫌ですぅ、去年もお母様は同じことをおっしゃってました』
半べそになりながら、ぷうと頬を膨らませて抗議する。
ベティお姉様が、第二王子殿下の婚約者候補選定の茶会に招待されたので、羨ましかったのだ。
『あのね、王都に行くのには危険がいっぱいなの。あなたは小さいから、すぐに食べられちゃうわ。パクッと魔物に丸飲みにされてもいいの?』
『でも、ベティお姉様は連れて行ってもらえるのに……』
『ベティは雷撃魔法が使えるの。付与魔法しか使えないシャノンは自分の身を守れないでしょう? この領地の外は、すっごく危ないの。わかった?』
『は……い』
『わかったら、サイラスと一緒にちゃんとお留守番しているのよ』
同じ攻防が翌年も繰り返され、お母様に『身の危険を冒してまで王都へ行きたいのか』と激昂されれば、自分がとても悪い子になった気がした。そして諦めてしまった。怒られるほど危ないのか、と。
あとでハリーやティムに心配いらないと諭されても半信半疑になるほど、いつの間にかその考えが染みついていて……。
だけどこうして一歩踏み出してみれば、物騒なはずの領の外は、拍子抜けするほど平和だ。
馬車と宿で十分な睡眠を取ったジミーは、翌日にはすっかり元気になった。
荷物と馬車を軽量しすぎたのか、浮遊魔法の発動条件を少し緩めたのがいけなかったのか、爽快なスピードで車窓の景色が流れてゆく。
「ひゃっほ~!」
「わっはっは、痛快ですなぁ~」
終いにはジミーが御者席に座り、ティムの隣で手綱を取る始末だった。
お母様の実家が軍馬育成に力を入れている関係で、我が家の馬車にも勇猛果敢に調教された二頭の黒鹿毛の馬が繋がれている。
途中、疲れただろうと回復魔法を付与したリンゴを食べさせてやれば、まあ、勢いよく走ること走ること……。
「ジミーって、馬車も御せるのね」
「護衛中の襲撃で御者が負傷する可能性もあるので、習ったみたいです。スピード狂とは知りませんでしたけど」
グレタは悪ノリする婚約者の意外な一面を知り、顔を引きつらせている。
確かにちょっと……いや、かなり暴走気味だ。強化魔法や保護魔法のお陰で車体はびくともしていないが、ふわふわと上下に揺れている。やはり浮遊魔法の効果が強すぎたか。
今はまだ道が空いているものの、王都が近づくにつれ馬車の往来も増えていくことだろう。事故を起こさないように、あとでこっそり調整し直そう。そうしよう。
ボガレルは王都から一番近い宿場街だ。
猛スピードで馬車を走らせたせいで、六日かかるところを四日でたどり着いてしまった。まだ昼なので、夕刻には目的地に到着できそうなのだ。
私たちは大衆食堂『つむぎ亭』で腹ごしらえをしながら、このあとどうするべきか話し合った。
「お嬢、どうします? 王都観光でもしてから、公爵邸に行きますか」
ジミーは慣れた仕草で、甘じょっぱいタレのかかった鶏の串焼きにかぶりつく。
「いいわねぇ」
私も見よう見まねで、ガブッと大きな口を開けた。領でもずっと身分を隠して仕事をしていたので、市井に紛れるのはお手のものだ。
「それよりもサイラス様にご挨拶するべきでは?」
グレタが侍女らしい真っ当な提案をする。彼女は、じゃがいもがたっぷり入ったシチューを上品に口に運んでいた。きっと私よりも令嬢らしく見えていると思う。
「それもいいわね」
弟に会いたい。でも屋敷には、情報収集のため先に王都に向かったハリーがいるはずだ。破談になったあとだけに、どんな顔をして会えばいいのか。平気なふりして会話を交わす元気があるかどうか……自信がない。
「あー、それは無理です。くれぐれも寄り道はしないよう旦那様にきつく命じられておりますんで。『王都でウロチョロせず、まっすぐ公爵邸へ向え』と。それに公爵邸は王都のはずれなので、ハーシェル家の屋敷より先に到着しますよ」
まだクビになりたくないと、ティムがぐびっとエールを煽る。
「えー、じゃあ、寄り道するならここでしろってこと?」
「シャノンお嬢様、そういう意味ではないと思いますけど」
「ここは王都より宿泊料が安いんで、敢えてここに宿を取る貴人もいるんです。近くに湖もあるのでけっこう楽しめますよ」
「貴族も皆が皆、王都に屋敷を持ってるわけじゃないっすからね。社交シーズン中の王都はどこも満員だから、こういうところが落ち着くって人もいるっす」
湖にはボート乗り場があり、穴場だという。
「へえ~、これから湖に行ってみましょうよ。一泊して明日ゆっくり王都に入ればいいわ」
「そうですね、さすがにその平民用のワンピースはいただけません。明日、念入りに身支度してからにしましょう」
私が乗り気になったところにグレタが賛成したのが決め手となって、ボガレルの街をぶらぶらしてから出立することになった。
それはいいのだけれど――。
「よく考えたら、こうなるのよねぇ」
池に浮かぶ二人乗りのボートは、デート中のカップルか親子連ればかり。当然、グレタはジミーと乗るから、私のボートはティムが漕いでいる。
レースの日傘を差す楚々とした美人のグレタに見惚れて、デレデレしているジミー。完全に二人の世界だ。湖面に光が反射して、キラキラと眩しい。
一方の、いい年したオジサンと二人きりでボートに乗る私は……愛人っぽい?
「大丈夫ですよ。親子連れにしか見えませんから」
「どうせ、お子ちゃまだって言いたいんでしょ」
ぷいとそっぽを向く。
ティムが「わっはっは」と小気味よく笑った。