11 旅支度
とんとん拍子に話は進み、十日後に領を出発して王都のはずれにあるエルドン公爵邸に向かうことになった。
離婚騒ぎの渦中にあるベティお姉様には、あとで報告したほうがいいだろうとのお父様の判断で、私はこっそりと旅支度をしている。
仕事着のワンピースしか持っていないので、慌ててデイドレスを用意したり、宝飾品を揃えたり。
お父様には「まさかドレスを一枚も持っていなかったとは……」と驚かれた。毎日のように仕事の依頼を受けていたし、学校では平民に交じって授業を受けていたので、単にドレスを着る機会がないだけだと思っていたそうだ。
離婚の慰謝料を支払う可能性がなくなったからなのか、はたまた伯爵家としての体面を気にしているのか、お父様の財布の紐は緩かった。
ただ、予想外だったのはお母様が猛反対したことだ。
「どうしてシャノンが嫁がなくてはならないのっ。あの子はここで暮らすのが一番幸せなのよ!」
「落ち着きなさい。一体どうしたんだ?」
「よりにもよって公爵家だなんて! 公爵夫人になったら王宮舞踏会の参加は避けられないのよ? シャノンが恥をかくだけよっ」
お母様は泣き叫び、キッとお父様を睨みつけた。
あまりの取り乱しようにドーラはお手上げ状態、お父様も戸惑っている。
「そ、それに、シャノンがいなくなったら特許の利益はどうなるの? 商品のほとんどがこの子のアイディアよ。せっかくベティのお陰で事業を拡大できたのに――」
「もう我が家に借金はないだろう? 特許使用料に頼らなくても商品の売り上げがあれば十分じゃないか」
お父様がお金のことは心配ないと宥めても「でもっ、でもっ……」と興奮したまま話にならない。
世間体とお金……これが本音なのかと悲しくなった。
「今までの特許は、サイラスに譲渡することにしますから。それならお母様も安心でしょう?」
私の収入源は二つ。協会の依頼による魔法付与の報酬と、温熱下着や冷風扇子など、自分で開発した商品の特許使用料だ。商品の売り上げに応じて、数パーセントの取り分がある。
会計上はハーシェル家の商会からも私個人に支払われていて、それをそっくりそのまま家計にスライドさせていた。もちろん、ほかの商会と契約した利益も。
魔法付与の報酬より特許使用料のほうがはるかに多いから、それはつまり私の稼ぎのほとんどが、引き続きハーシェル家の収入になるということだ。
けれど何を言ってもお母様は泣きじゃくっている。
仕方がないのでグレタに安眠魔法をかけてもらい、ようやくその場が収まったのだった。
付与魔法協会にも、領を出て行くことを届け出なくてはならない。
しばらく休業することになる。王都に支部があるので、いずれ再開できるといいのだけれど。
「王都ですか。ずいぶんと急ですね。シャノン様がいなくなると寂しくなります」
事務室長のウォルターさんが、わざわざ室長室に招き入れお茶を出してくれた。
彼は私がハーシェル家の娘だと知っていて、ずっと私の案件の事務処理を担当している。室長直々にだなんて恐れ多いが、伯爵家の金銭に関わることだからということらしい。
「できれば王都でも続けたいのですけど、まだどうなるかわからなくて」
「シャノン様を指名するお得意様たちは残念がるでしょうね。王都まで押しかけるかもしれません」
「そんな大袈裟な。腕のいい付与魔法師は大勢いますよ、私なんか、すぐに忘れられてしまうでしょう」
「またまた、ご謙遜を。シャノン様の指名が一番多いって、ご存じでした?」
知らなかった! それだけ私の魔法の腕を認めてくれる人たちがいたんだと思うと顔がほころぶ。
思えば、ウォルターさん始め協会職員たちの細やかなフォローに支えられて、今まで大きなトラブルもなくやってこられた。
貴族の娘が労働するなんて、と渋い顔をしていたお母様を『シャノン様は名誉会員なのです。ハーシェル家が設立された協会で、ご息女自ら活動なさることは不名誉には当たりません』と説得してくれたのは、本部長とウォルターさん。
『てっきりネルシュ国かピチュメ王国あたりに親戚がいるんだと思ってた。貴族はともかく、庶民は背丈なんて気にしちゃいないわ。あたしはヴェハイム帝国の帝都に行ったことがあるけど、様々な国から往来があるせいか、いろいろな人がいたわ。大きい人も小さい人も、碧眼も黒目も金髪もごちゃ混ぜ状態よ』
そう言って、小さい体を気にする私の視野がいかに狭いかを教えてくれたのは、受付業務のお姉さんやお得意様の武器屋の店主たちだった。
私は、子が産めないかもしれない貴族令嬢という窮屈な枠にはめられることなく、手足を伸ばしてありのままの自分でいられたことに感謝している。
「ありがとうございます。私、絶対にまた復帰します!」
それから私は、特許譲渡の手続きをウォルターさんに頼んで協会を後にした。
料理人ミックの膝のために回復キャンディを作ったり、購入したアクセサリーに魔法を付与したり、荷物の中にアイディアノートを忘れずに入れたり……淡々と準備を進める私を恨みがましい視線で射抜く人物がいる。
グレタだ。
「シャノンお嬢様、このまま王都へ行って本当に後悔しませんか? 旦那様も旦那様ですっ。ハリーさんに確認を取るとおっしゃっていたのに、早々に縁談をお決めになるなんて!」
荷づくりの手が止まり、ワナワナと肩を震わせている。こんなにすごい剣幕のグレタを見るのは初めてのことで、意外な一面もあるのだなと逆にこちらは冷静でいられた。
「仕方ないわよ。あちらは公爵、断れないって」
「何を呑気な。ハリーさんのこと、好きじゃないんですか?」
「好きよ。でもハリーはベティお姉様が好き。だったら私が嫁がなきゃ」
「相手の気持ちを確かめもしないで……」
「意味ないわよ。『私はあなたが好きだけど、あなたは私をどう思う?』なんて尋ねたところで、ハリーに拒否できる? 家令の息子よ、お父様には逆らえない。それに今、ハーシェル家の娘は私だけ。そうでしょ?」
グレタが、ぐぬぬっと詰まった。そして、ぎゅっと握りしめていた拳から徐々に力が抜けていく。
「そう……です。はぁ~、しょうがないですね。シャノンお嬢様をこんな気持ちにさせたハリーさんが悪い。そういえば、どこが好きだったんです? やっぱり顔ですか?」
顔って……! いや、顔も好きだけれども。
「……言わなかったのよ。彼だけは『チビ』だとか『小さい』とか一度だって言わなかったの」
これまでにジミーやティムやほかの使用人たち、学校のクラスメイト……いろんな人に『チビ』だと揶揄われてきたけれど、始めからすんなり受け入れられたわけじゃなかった。
気にするほどのことではないのだと知ってからも、両親から刷り込まれたこの国の貴族の価値観が邪魔をして、容姿のことを言われるたびに少しずつ心がすり減っていった。
身分を笠に着れば、やめさせることは簡単。でもそれをすればクラスメイトと深い溝が生じてしまうし、使用人たちを委縮させて距離も遠くなる。気さくなやり取りができなくなるのは嫌だった。
自分の意識を変えたい――。
私の気持ちを察して力づけてくれたのは、いつもハリーだった。
『皆、シャノン様のことが大好きなんですよ』と。
『ハリーも?』と問えば『もちろん、大好きです』と答える。
こんな他愛ない会話に何度も救われてきた。
「それで、気づいたら惚れちゃってたわけ」
「はぁ~、あのヘタ……いえ、なんでもございません。こうなったら、私も一緒に王都へ参ります。シャノンお嬢様の幸せを見届けないことには、安眠できそうにありませんから」
グレタは、何か吹っ切れたように荷づくりを再開し、次から次へとトランクにハンカチやら下着やらを放り込んでゆく。
よくわからないけれど、「安眠魔法は、自分には効かないの?」とは訊かないでおこう。
「それはいいけど、ジミーはどうするの? 討伐の帰りを待たなくていいの?」
「なんとかなるんじゃないですか」
結局、出発前日にジミーが帰還し「グレタとお嬢が王都に行くなら、オレも行くっす!」と急遽、護衛として加わることになった。
家族に見送られ、忘れずに浮遊魔法を付与しておいた馬車は軽やかに快走する。
ビュン、と風を切って進むと、御者のティムが「うひょ~」と叫んだ。
こうして私は、王都へ出発したのだった。




