1 チビ令嬢の世知辛い現状
よろしくお願いします。
あともう少し。一センチ、いや五ミリ。
つま先立ちして手を伸ばすけれど届かない。
「くっ……!」
こうなったらジャンプもやむなし、とばかりに膝を曲げて跳躍準備に入ったところで、後ろから「お嬢」と呼ばれ振り向いた。
「何やってんですか?」
学校の終業時間に合わせて図書室まで迎えに来た護衛のジミーが、心底不思議そうな顔で立っている。
「何……って、見ればわかるでしょう。本棚が高くてね、手が届かないの」
「ああ、それは本棚のせいじゃなくて、お嬢がチビなだけっす」
「……わかってるわよ」
ふくれっ面をしてみせれば、ジミーはクスッと笑う。
家臣のくせに不遜な、と説教してやりたいが、彼は我がハーシェル伯爵家の家令マイルズ・クリントンの息子で年齢も近い。実質、幼馴染のようなものだ。
それに『チビ』と揶揄われるのはいつものことなので、もう慣れてしまった。
私の身長は学校で一番低い。百五十センチしかない。
入学した十五歳の頃からピタリと成長が止まり、それから三年間、もうすぐ卒業だというのに一ミリたりとも背が伸びなかった。おまけに痩せていて貧弱な体つきである。
これが大陸北部にあるネルシュ国やピチュメ王国なら『華奢』『可愛らしい』などと形容され、受け入れられたことだろう。人々の多くが小柄で、男性は百八十センチもあれば長身の部類に入るのだという。
しかし大陸の南、このヨゼラード王国では、女性でも身長百七十センチ程度あるのは普通のことで、百六十センチは低いほうだ。つまり私は、チビの中のチビってわけ。
しかもスレンダーボディよりも胸や尻が大きい……いわゆるボンキュッボンのグラマーな肉体美が好まれていて人気がある。
先に断っておくけれど、伯爵家の次女である私、シャノン・ハーシェルの嫁ぎ先が見つからないのは、この国の美女の基準から大きく外れているからではない。
小さな体は子が産めないとする俗説がまかり通っており、跡継ぎが必要な貴族たちから避けられているのだ。医学的根拠のないデタラメだけれど、家を守らねばならない立場である以上、無視できないのだろう。まったく迷惑な話だ。
そのうえ我が家は、私が王都の貴族学院に入学する目前のタイミングで投資に失敗し、突如として家計が火の車になってしまった。やむを得ず、私は学費の安い地元の学校に通っている。
れっきとした伯爵家の娘でありながら、貴族子女なら通うのが常識とされる貴族学院を卒業できなかったことも、十分な教養を備えていないと判断され縁談には不利に働いた。その穴を埋めるべくお母様にマナーを習ったり、ダンスの練習に励んだけれど、結局意味をなさなかった。釣書を送っためぼしい家からはことごとく断られ、たった一度のお見合いですら成立しなかったのだから。
両親は貴族家へ嫁に出すことを諦めた。
「どの本っすか?」
「あそこの『魔法の応用と実例』とその上の『飛行と浮遊』」
ジミーがガッシリした巨躯を屈めるようにして棚から本を抜き取り、渡してくれた。
「ありがとう」
「また魔法ですか。熱心っすね」
「うん。これぐらいしか役に立てないし」
とはいえ、私がまともに使えるのは付与魔法だけだ。素質がないらしく、何度試みてもそれ以外の、たとえば火炎や電撃といった攻撃魔法や結界などの防御魔法を直接発動させることはできなかった。
これは私が異常なのではなく、生まれ持った魔法の適性には個人差があるから。『火』『水』『風』『雷』『土』『闇』『光』の属性のうち複数保有している者、一つしかなくても魔力量が多い者、光の属性を有していても難易度の高い治癒魔法が使えず浄化魔法で清掃するのが精いっぱいの者……と千差万別だ。
高度な魔法ほど魔力を消費するので、魔力量が多いほうが有利とされている。ただし、魔力のコントロールは努力次第で上手くなるため、先天的な能力がすべてとは言えない。
魔法は奥が深いのだ。
この国には魔物が跋扈する広大な森『魔の森』があり、定期的に討伐が行われている。
兵士たちの間では、戦いに重宝する攻撃魔法や光属性の「治癒」と「防御」系の魔法ばかりが重要視され、補助的な役割の付与魔法は地味で目立たない。
だが、ここでは違う。
ハーシェル伯爵領は王都からその『魔の森』に向かう途中にあり、兵糧補給地としての役割を担う。騎士や傭兵が行きかうため、いつの頃からか、街には武器屋が軒を連ねるようになった。
そこで活躍するのが注文に応じて剣に炎や雷を纏わせたり、防具を保護強化させる専門職『付与魔法師』である。身分に関係なく能力さえあれば稼げるから、なりたがる領民は多い。
ハーシェル家は領主として付与魔法師の協会を設立し、彼らの保護管理に努めている。
私も会員登録していて、依頼があれば正規料金で請け負う。少しでも領のためになればと付与魔法について学び、実験したりもする。それがけっこう楽しい。
「帰りは協会に寄りますか?」
「今日はやめておくわ。卒業までもうすぐだから、図書室で借りた本を読んでしまわないと」
「では屋敷に直帰でいいっすね?」
「あ……やっぱり手芸店で刺繍糸を買おうかな」
「刺繍なんて、めずらしい……そっか、もうすぐ兄さんの誕生日だから」
図星を指されて顔が熱くなった。
ジミーの兄ハリーは我が家の執事で、いずれ父親の跡を継いでハーシェル家の家令になる予定だ。そして彼と夫婦になって、将来当主となる弟のサイラスを支えることが、親が考える私の身の処し方だった。
ハリーと結婚することに異論はない。彼は、私の好きな人だから。誕生日に手作りの品をプレゼントしたいと思うほど、心ときめく相手なのだ。
「な、なっ……!」
あたふたする私を見て、ジミーがハハハと笑い声を上げた。
「兄さんと結婚するんでしょ? 先日、うちの両親が話しているのを小耳に挟みましたよ。近々、旦那様が正式にお決めになるとか。よかったじゃないっすか、売れ残らなくて」
「いちいち言うことが、憎たらしいのよ」
口を尖らせつつも、頬がゆるむ。
「そりゃ、昨日はひどい目に遭いましたもん。お嬢の実験につき合っていると命がいくつあっても足りないっすよ。これくらいの憎まれ口は許していただかないと」
その言い分には一理ある。
昨日、私のように攻撃魔法を使えないご婦人のための痴漢撃退グッズを作ろうと思い立ち、とりあえずハンカチの刺繍部分に麻痺効果を付与してみたのだが、ジミーに試してもらったところ、小一時間もぴくぴくと体を震わせたまま動けなくなってしまったのだ。
あれは失敗だった。今度は発動条件を限定して、再チャレンジしてみよう。ご婦人が常に持ち歩いても不自然じゃないからハンカチにしたけれど、手袋に付与してみてもいいかもしれない。
アイディア商品とは、そうやって失敗を繰り返し微調整を重ねることで完成するのだ――と説いても、武人のジミーには理解できないだろう。ここは嫌味の一つや二つ、我慢しようではないか。
「悪かったわ。あれから付与率を四十パーセントまで減らしたから、もう大丈夫よ」
私が肩をすくめて言うと、ジミーは安堵したように息を吐いた。
「あんな凶器がそのまま放置されなくてよかったっす」
それから街の手芸店で刺繍糸を買って帰った。
何色にしようか。
どんな柄を刺そうか。
あれこれと悩みながら糸を選んだ。
この日、私はようやく訪れるであろう幸せの予感に、ふわふわと浮かれていたのだった。