第45話【愛の形】
父親を暴行した件は母のおかげで大事にはならず、無事卒業式に出席することができた。
日野宮とはあれ以来、特に会話らしい会話もせず、何もないままお互い別々の道に進んだ。
母から完全に見放された俺は、大学進学と同時に家を追い出された。
両親が離婚したのはそれから少し経ってからのことだった。
もともと外に愛人がいるのを知っておきながら、自分の経歴に傷が付くのを嫌がって仕方なく夫婦を続けていた母。
しかし売春まで行っていた父親とこれ以上夫婦でいる方が危険だと判断したのだろう。特に驚きもしなかった。
自分たちの私利私欲のために家族を作り、用済みだと思ったらはい解散――勝手な親たちだ。
一人暮らしの寂しさを埋めようと大学生活では積極的に合コンにも参加した。
自分と波長の合いそうな女子も見つかった。
『橘君は将来、魔法使いどころか大賢者様にだって慣れると思うな』
あの日、日野宮が俺に言い放った言葉が呪いのように染みついて。
関係を超えるに至らず、いい友達で終わった。
日野宮との関係を戻したい下心も手伝って毎年同窓会も開いた。
しかし一定の距離から近づくこともできず。
最初の数回以降、彼女は顔を出さなくなった。
社会人になってからも恋愛の負のスパイラルは続き、いつしか俺は、普通の男性と自分が少し違うのでは? との自覚が芽生えた。
好きになった相手とキスを――セックスをしたい気持ちが、俺には決定的に足りない。
ただ一緒にいて日常を送ることのどこがいけないんだ?
性行為をしないと恋人になれないのか?
恋人になるというのはセックスが許される関係になっただけで、必ずしもセックスをしないといけない決まりでもあるのか?
人は本能的に子孫繁栄のために生殖行為を行う昆虫や動物たちと違い、明確な”愛”という感情が成り立った上で行為を行う。
俺は子供を作りたいとは思わない。
言い訳を塗り重ね、ついには日野宮に宣言どおり魔法使いにもなった。
そんな諦めと現実の寂しさに雁字搦めにされた俺の元に――キミが現れた。
なし崩し的に始まった同居生活。
男女が一つ屋根の下に暮らしているというのに、恋愛感情という不純物に苦しめられることのない幸せ。
”お手伝いさん兼家族”と過ごす日々が、俺にとってどれだけ支えになってきたことか。
――でもそんな甘えは捨て、本気で正面から向き合わなければいけない。
キミは二度も俺のことを好きだと言ってくれた。
最初は追い出されたくない感情からついた嘘だと、心のどこかでそう信じて疑わなかった。
二度目。
家から追い出される危険も顧みず、再び気持ちを打ち明けてくれたキミを見て、気付いてしまった。
――俺は、自分の本性を愛する人に知られるのが怖いんだ――。
自分の歩んできた暗く汚れた歴史。
心の奥底に潜む悪意めいた存在。
それらの負の塊が身体を重ねることによって白日の下に晒されてしまう気がして。怖くて怖くて堪らなかったんだ。
童貞を捨てたいと表面上は願いながらも、それは自分を普通の男性として信じ込ませるための、一種のマインドコントロール。本心ではなかった。
咄嗟についた嘘は自分をも騙し、コントロールを失った者はただ出された指示内に従って行動する――まるでオンラインサービスの終了したゲームソフトのように。
人間は違う。
本人が望み、努力すれば、生きている限り無限に進化を続ける。
いま変わらなければ、俺はまた悔いを抱えたまま、孤独に人生という名の壮大なゲームを続けることになる。
「......俺さ」
「はい」
「多分だけど......普通とちょっと違うみたい」
考えがまとまらない。
焦りそうな気持ちを、背中を擦る凛凪さんの手の温もりが抑えてくれる。
「本当の俺を知ったら、きっと凛凪さんは減滅しちゃうと思うんだ」
「そんなことはありません」
「どうしてそう言い切れるの?」
「大きさは違くても、人は誰しも闇を抱えて生きているものです。錬成人間の私だって」
凛凪さんの顔が近い。
碧眼の中に情けない俺の表情が薄っすら見える。
「時間、かかるかもしれない」
「構いません。私、ゆっくり待つのは得意ですから」
「いい大人のくせに、セックスの経験一度もないんだよ」
「ご安心ください。私が手鳥足取りご教授して差し上げます」
瞳に吸い込まれる。
「ずっと............俺の隣にいてください」
「......はい。喜んで」
幸せそうに微笑む彼女の体温を全身で感じたくて――細く華奢な身体を包み込むと、柑橘系のいい匂い。
繊細で触ると溶けてしまいそうな金髪の触り心地。
先まで紅潮した耳。
いまの自分ができる精一杯の愛情表現で、俺は想いを告げた。
次回、最終回です。




