第34話【助けを呼ぶ声】
凛凪さんの元へ駆けつける、約一時間前。
俺は有坂さんと店のSNSの掲示板をチェックしていた。
本来は今日凛凪さんがシフトに入っていたのだが、今後の対策のために急遽適当な理由をつけ、お休みを与えた。
凛凪さんへの真意不明な誹謗中傷をきっかけに、そのコメントには次々にレスがつけられ、半日と持たずに放ってはおけない量にまで荒らされた。
これ以上被害が拡大するのを防ぐため、一時的な処置としてコメント欄を封鎖してみたのだが――。
「ダメッスね。こいつ、店の方が使えないと思ったら、今度はてめえんとこで始めてるッス」
案の定、相手は場所を変え、わざわざ店のハッシュタグを付けてまで騒ぎを続けた。
「大体、こんな得体の知れない奴の口車に乗る方もどうかしてるッスよ」
「何も考えてないんだと思うよ。この手のコメントに群がるのはほとんどがただ面白がってやってる、人の皮を被った虫以下の知能を持った連中だと、昔から相場は決まってるから」
タブレットに映し出されたアイコンに憎らしくデコピンをし、有坂さんは俺にタブレットを手渡す。
匿名なことをいいことに、これまで店のSNSの掲示版には定期的に誹謗中傷する輩は現れてはいた。
だがそれは「従業員の態度が悪い」や「安く買いたたかれた」等と言った、店を運営する上でどうしても出てしまう内容のものばかりだった。
今回のように誰か特定の人物のプライベートに関する書き込みは初めてで、俺としてもあの凛凪さんがそんなことをするわけがないと思いながらも、内心は疑ってしまっている自分がいる。
「......てんちょーって、たまに涼しい顔でさらっと毒吐きますよね」
「そう? これくらい普通だと思うけど」
タブレットに反射して写った有坂さんは眉をひそめながら言った。
「こういう人が本気で怒るとガチで怖いんッスよ。注意しなきゃ」
「大丈夫だって。有坂さんは見た目によらず真面目だし、そもそも怒ることなんかまずないだろうから」
「あー! 女性の見た目をいじるのはセクハラッスよ! JAROに言いつけてやろー!」
冗談なのか素で間違えているのかは謎だが、ちなみにJAROとは日本広告審査機構の略称。
つまり相談したところで『弁護士事務所にかけろ』と切られるのがオチだ。
教養部分に少々足りない点がなければ、まさに完璧な当店のエースなのであった。
「そういやあの久世っていう男が経営してる店も、確かSNSやってるんスよね......ほら」
俺からタブレットを奪い取った有坂さんは、汚れる仕事にも拘わらず、ファンキーなネイルをしているその指で画面をタッチしていく。
『Maison de poupees』
フランス語で『人形の家』を意味する店名は、その名前が示す通りキャストは人形になりきり、客をもてなすというコンセプト。
料金体系はその辺の一般的なコンカフェとほぼ変わらず、といった感じか。
キャバクラみたいに客からご馳走されたドリンクからのバック(歩合報酬)次第で、稼ごうと思えばいくらでも稼げてしまう仕組み。
ゆえに最近の秋葉原はメイド喫茶よりもコンカフェの割合の方が増えつつある。
様々な衣装の、中には過度な露出のキャストが街頭に立つようになり、結果区のボランティア職員が毎晩のように監視の目を光らせることとなった。
「なんでメイド喫茶とかコンカフェってこう、こじゃれた微妙に長い店名付けようとするんッスかね。店みたいに短くて意味不明なのでもいいじゃないッスか」
「あの有坂さん? 一応俺店長だから、そういう反応に困る同意を求められのはちょっと」
店長の俺でも、なんでこんなダサイ店名になった経緯を実はほぼ全く知らされていなかった。
知っているのは命名者が亡くなった先代の社長だってことくらいで、変えようにも既にこの店名で世界中のレトロゲームファンの間で浸透してしまっているのではもう手遅れだ。
「............ん?」
「今度はどうした?」
眉をしかめ、有坂さんの手が止まった。
「いや、なんか気になるコメントがいくつかあって。見てくださいよ」
有坂さんに言われるまま見せられたコメントには、
『昨日は楽しませてもらいました! 本物のお人形さんと遊べるオプションのサービス開始、楽しみにしてます!』
『本物のお人形さん、この店の別の系列店舗で遊んだことあるけど、気持ちいい上にリスク無しとかヤバイ! 早く始めてくれないかな~?』
等と、有坂さんが気になったというコメントには何かの隠語のように『本物のお人形さん』という言葉が使われていた。
「本物の人形......ねぇ」
「これってやっぱり......アレのことッスよね......」
「だろうね......」
お互い目を合わせ、神妙な顔で頷く。
その時だった――。
俺のスマホに着信が入る。
画面に表示されたのは『一ノ瀬』の文字。
確か今日は凛凪さんとどこかに遊びに行くとか言ってたな。
メッセージではなく通話で来たことに嫌な予感を覚えた。
「もしもし? 何かあ――」
「橘店長! 助けてください! 凛凪さんが!」
言葉を遮る一ノ瀬さんの割れた悲鳴が、耳元に痛いほど響く。
「とりあえず落ち着いて。今の状況をゆっくり教えてくれる?」
「......いま、お二人の住むアパートの前にいるんですが......凛凪さんと駅のホームで別れたあと、お姉ちゃんの部屋に忘れ物したの思い出して取りに戻ろうとしたんです......そうしたら知らない怖い男の人と凛凪さんが揉めていて......」
「その知らない男性ってどんな雰囲気の人?」
「多分歳は20代くらいだと思います。髪は明るい茶髪っぽくて......なんというか、いかにも遊んでる若い男の人というか」
一ノ瀬さんの説明だと、どうやら久世という男ではないようだ。
となる久世の関係者か? まさかの直接的な凛凪さんとの接触の手段に、完全にしてやられてしまった。
「いまどういう状況? 話してる内容とかは聴こえる?」
「さすがにここからじゃなんとも......でも男の人が凛凪さんを威嚇するみたいに怒鳴ったあと、凛凪さんは部屋に戻ったみたいで......男の人は階段の前でタバコ吸ってます」
部屋に入れずに階段で待ってるということは、これから二人でどこかへ行くと判断してまずよさそうだ。
俺はスマホを耳に当てながらイスから立ち上がり、急いで上着に袖を通す。
ここから家までは30分。いや、夕方で快速電車が走っているから、もう少し早く到着できるな。
「......悪いけど有坂さん、ちょっと急用ができたから一旦抜けるわ」
「え? ちょっとてんちょー!?」
戸惑う有坂さんの横をすり抜けフロアを飛び出した。
後ろで何か叫び声が聴こえるが、そんなことどうでもいい。
いまは一分一秒が凛凪さんの安否に関わるのだから――。
俺は一ノ瀬さんとの通話を続けたまま、秋葉原の街を全力で駆け抜けた――。




