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03 はじめての夜

 

 目まぐるしく時が過ぎた。

 クレモン家は大急ぎで新生活の準備をしなくてはならなかった。面会後すぐに領地に戻り、リュシーの引っ越し準備に取り掛かった。

 落ち込む暇もないほど忙しかったが、リュシーにとってはそれが有り難かった。



 三日後、ついにリュシーの王都での新生活が始まる。

 たくさんの荷物と使用人と共にクレモン一家は国から借りた新居にやってきていた。


 そこはリュシーの憧れていた新婚生活の舞台とは程遠かった。

 クレモン侯爵領は田舎ではあるが、領地経営はうまくいっていてリュシーは何不自由ない生活を送っていた。そして、舞踏会で出会った貴族令息の家に嫁ぐのだと思っていた。


 王都の外れにある家は二人暮らしには丁度いい家だった。取り繕わずにいうと、平民が住む家である。

 小さなキッチンとバスルーム、リビング、それから二階に二部屋と物置があるだけのシンプルな家だ。

 使用人の部屋はないのでリュシーが連れてきた四人の使用人はしばらく近くの宿屋に泊まることになっていた。


 リュシーは家を見て絶句したが、クレモン夫妻も動揺を隠せなかった。三日で用意してもらった家なのでもちろん贅沢は言えないが、リュシーがこのような家に住む未来を予想したことなどなかった。



「リュシー、大丈夫。これは仮の家だから」


 クレモン侯爵は優しい声を出してリュシーを励ました。


「すぐに別の屋敷を探すし、土地が見つかれば家を建てよう」


「ええ、ありがとう……」


「とにかく荷物を運びましょうか」


 クレモン夫人も明るい声を出してリュシーを元気づけた。


 持ってきた荷物も半分は持ち帰らなくてはならない。

 結婚相手が貴族ではない、わかっていたつもりだった。こうして現実を突きつけられると何もわかっていなかったのだと思う、そして今後の生活も全く想像もつかないのだった。



 ・・


「おはようございます」


 しばらくしてアクセルも現れた。彼の休暇に合わせて、引っ越しの日を決めたのだ。

 三日ぶりに会ったアクセルの印象は変わらなかった。ピンと伸びた背は小さな家には少し窮屈そうだ。

 両親は二階にいたので、リュシーが出迎え挨拶を返した。



「おはようございます、アクセル様。お久しぶりです」


「元気だったか?」


「はい」


 簡単な会話だったが、両親を交えずにきちんと彼を会話をしたのは始めてだと気づく。リュシーが見上げると、彼はしっかりこちらを見つめていた。なんだか初めてきちんと瞳の中にうつしてもらえた気がする。


「ご両親は?」


「二階に」


「それでは挨拶をしてくる」


 彼はそう言うとすぐに二階に上がってしまった。残されたリュシーは少し残念な気持ちでいた。

 もう少し話してみたかった。そして聞いてみたかった、あなたは本当に結婚をしてもいいのかと。自分の不安を共感してほしいのだろうか。聞いたところで何かが変わるわけもないのに、聞いてみたかった。



 ・・


 夜、リュシーは覚悟を固めてアクセルの部屋の前に立っていた。


 慌ただしい一日は無事に終わった。必要な家具やリネンは事前に手配をしていたし、アクセルの荷物はほとんどなく、小さな家にはリュシーの荷物は入り切らなかったから。

 無事に片付けを終え、連れてきた使用人が作ってくれた夕食を食べて一日は終わった、今は両親と使用人たちは宿屋に帰ってしまっている。

 しかしリュシーにとっては今からが一大事だ。


 リュシーは小さなバスルームで念入りに身体を洗ってもらい、丁寧に髪の毛を梳かしてもらい、繊細なレースが美しいネグリジェを着せてもらった。まだ結婚式はしていないけれど、先日夫婦の手続きも済ませた。

 今日が初めての夜である。もちろん経験などはないが、知識はある。


 うまく出来るかしら。リュシーは深呼吸した。

 正直なところ、まだアクセルが自分の夫なことは現実味がない。

 心の準備は何ひとつできていないが、夫婦の勤めを果たさなくては。


 ノックしようとして、もう一度深呼吸する。

 彼の変わらない表情を思い出す。今日はほとんどアクセルと話すことは出来なかった。真面目な顔に見つめられるとうまく言葉が出てこない。いままで周りに大柄の男性もいなかったので、近くにいるだけで緊張もする。


 コンコン。小さくノックをした、静かな夜にはやけに響いて聞こえる。


「はい」


 すぐに足音が聞こえて、アクセルが扉を開いた。風呂に入った後なのだろう、オイルで固めていた髪が柔らかく下ろされている。意識すると頬が熱くなる。


「どうした?」


 かけられた言葉は柔らかさはなく固い声だった。リュシーもその声につられて固まってしまう。

 どうした?と聞かれると、なんと答えたらいいのかわからない。

 ノックをして扉が開いたら、部屋に導かれるものだと思っていた。


 どうしよう……。リュシーはジッとアクセルを見つめてみるが、アクセルはただ見つめ返すのみである。

 そうだ!と思いついて、リュシーは上を向いて目を閉じることにした。女性から催促するときは目を閉じるものよと教えられた。


「ああ」


 アクセルの納得したような声が聞こえて、リュシーはホッとした。どうやら伝わったらしい。

 アクセルの服が擦れる音が聞こえる、きっと屈んでくれているのだわと気づいたリュシーの身体はまた一段と固くなった。

 あの日のように顎を持ち上げられて唇と唇が触れ合った。


 すぐに身体は離れて、もう一度リュシーはアクセルを見上げた。

 しかしアクセルも見下ろすばかりで、それ以上の行動を取ることをしない。

 行為の前に何か女性から言わないといけない言葉やしないといけない仕草があったかしら、リュシーは思い出そうとするが何も思い浮かばない。

 冷や汗が流れ――いや、額からこぼれたのは薄紫の花びらだった。


「そうか、まだ足りないのか」


 アクセルはそう言うと、再びリュシーの顎を持ち上げてキスを落とした。二回目のキスも廊下で行うとは思っていなかったリュシーが面食らっていると、


「体調悪いのか?」とアクセルが声をかけてくる。予想外の言葉に彼の顔を見ると、少しだけ今までと違う顔をしている。わかりづらいが心配しているようだ。


「いえ、私は大丈夫ですよ!」


 引っ越し当日だから身体を気遣われたのかもしれない、リュシーは大丈夫だと念押しするが、


「そうか、ならよかった。おやすみ」


 とアクセルは部屋に戻ろうとするではないか。


「アクセル様……私は元気ですよ!」


 慌ててリュシーはアクセルの腕を掴んでしまった。驚いたようにアクセルが振り返る。腕を掴むだなんてはしたなかったかしら、不正解の行動を取ってしまったのではないかとリュシーは不安になる。


「元気ならいい」


「ええ、なので……えっと部屋に入ってもよろしいでしょうか」


 焦ったリュシーはストレートな言葉を発していた。女性から誘わないといけないのかもしれないと思ったのだ。


「まだどこか花に変わるのか?」


「えっ?」


 そういうとアクセルはリュシーと目線が合うまで身体を屈めた。ほとんど二つ折りになるくらい彼は小さくなる。リュシーの顔を確認し、額ににじむ汗を指でぬぐった。


「汗も花びらじゃなくなってる」


 近づいた距離にリュシーの顔は暗がりでもわかるほど赤くなる。


「あの、治療じゃないです……」


 アクセルの言動の意味がようやくわかったリュシーは小さな声で言った。


「ん?」


「今日は……その、初夜ですので……アクセル様のお部屋に……」


 恥ずかしくてたまらない。リュシーがドキドキしたキスも彼にとってはただの治療だったのた。それでもリュシーは言った。


「えっ」


 アクセルの表情が初めて崩れた。驚いたように目を見開いている。

 リュシーの顔を見て彼女の意図に気づいたアクセルは少し考えてから


「無理はしなくていい」


 それだけ呟いた彼にリュシーは何も返せなかった。


「この結婚は義務だ。君とそういうことをするつもりはない」


「……」


「送っていく」


 アクセルはそう言うとリュシーの肩に手をかけてゆっくり歩きだした。まるで罪人を連行するようだ、ロマンチックとは程遠い。

 二部屋しかないのだから、リュシーの部屋には五秒でついた。扉を開いて入るように促される。


「おやすみ」


 ぼう然しているリュシーにアクセルは声をかけて、部屋に戻っていく。

 五秒後には、アクセルの部屋の扉が閉まる音がした。


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