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02 はじめてのキス

 


 翌日三人は城の一室に通された。

 約束の時間から十分程過ぎクレモン夫妻が不安げな表情を浮かべた頃、騎士団の制服を着た彼は現れた。


「遅れてすみません」


 そう言いながら入室してきた彼は、少し屈んで扉を通らないといけないほど背が高い。

 二十八歳で独身、婚姻歴もない。どんな男が現れるのだろうかと思っていた。髪の毛は短くダークブルーで落ち着いた印象だ。すっきりとした顔立ちで清潔感もある。


 彼の後ろから現れたのは昨日から担当してくれている女性だ。


「遅れてすみません。アクセルさんは昨日から殿下の付き添いで王都を離れていらっしゃって、先程お戻りになりました」


「い、いえいえ!ありがとうございます」


 娘の命を握る相手にクレモン侯爵は慌てて頭を下げた。


「アクセル・ルグランです」


 彼は簡素に言って同じく頭を下げた。


「リュシー・クレモンです。よろしくお願いいたします」


 リュシーも挨拶をして、目の前に立った彼を見上げた。三十センチはリュシーより高いだろうか。胸板が厚くこれが騎士か、とまるで緊張感のない感想が出てきた。

 リュシーはガチガチに緊張しながらぎこちない笑顔を作るが、笑顔を返されることはない。アクセルは少し会釈しただけだった。



 担当者に促されて席につくと、それぞれに書類が配られ、彼女は早速本題に入った。


「この国の法律により、二人は結婚することになります。一週間程度でフローラの症状は進みますので、それまでに結婚の手続きを進めてください。事情により一週間以内の婚姻が難しい場合は――」


 リュシーは耳を疑った。一週間以内に結婚……!?

 フローラとアピスは結婚が義務付けられていることと、痣が出れば国に申請することは知っていたが、申請後の事はよくしらなかった。


 担当者から誓約事項の書類が配られた。主にアピスへの誓約事項だ。

 フローラは死に至る病だがアピスにはリスクはない。そのためアピスは逃亡することやフローラ側に金銭などを要求することは禁止され、その場合の罪状が記されている。

 フローラも夫婦としての禁忌――この国では不倫も違法だ――を犯した場合、アピスからの治療の保証がなくなる旨が記載されていた。


 細かい事が羅列されているが要するに「アピスはフローラの命を無償で助けろ、あとは夫婦としてうまくやれ」ということだ。


 出会ったその場で知らない相手との一週間以内の婚姻を突きつけられる。政略結婚よりも酷い一切自由のない結婚だ。断ればフローラは死が待っているし、アピスも罪人となる。

 理不尽な結婚について思考を巡らせる余裕もなく、とにかく説明を聞くしかなかった。


「それでは質問がなければこちらの誓約書にサインをお願いします。」


 理解が追いつかないまま、決定を迫られていた。誓約事項の一番下にサイン欄がある。

 書類から目をあげると、アクセルは既にサインを始めていた。


「アクセル様、いいのですか?突然こんな……」


 アピスである彼にサインをしてもらわないと困るのだが、思わずリュシーは声を上げてしまった。クレモン侯爵がたしなめるようにリュシーを見る。


「ええ、義務ですから」


 アクセルはリュシーをチラと見ると顔色ひとつ変えずにサインを終えた。


「ほら、リュシーも」


 小声でクレモン侯爵がリュシーを急かしてくる。

 これが義務だから、受け入れないと私は死んでしまうから、理不尽な目にあっているのは彼も同じだ。むしろアピスはリスクもないのに誓約をたくさん負わられることになる。フローラがすぐにサインをしなくては失礼だ。


 しかし昨日から気持ちが何も追いつかない。幼い頃から素敵な結婚を夢見て昨日まで過ごしてきた。きっと素敵な恋をするんだと思っていた。

 それが突然キスをしなないと死ぬ?一週間以内に結婚?五分前に出会ったばかりで名前しか知らない男と?


 混乱は涙に変わって――いや、リュシーから涙は出ない。薄紫の花びらが舞うだけだ。


「リュシー……」


 隣にいるクレモン夫人が背中を撫でる。母の瞳からこぼれるのは普通の涙だ。それを見ると自分がフローラになった事実を認めざるを得なかった。

 泣いていても仕方ない、震える手でリュシーはペンを取った。



 こうして、リュシーの結婚は唐突にあっけなく決まった。




 担当者は書類を集めると、今後について説明した。

 婚姻や、今後の生活については双方に任せる形となるが、トラブルがあれば報告して欲しいと告げ、彼女は部屋をあとにした。


 残された四人には沈黙が訪れた。口を開いたのはクレモン侯爵だ。


「この度は本当にありがとうございます。娘の命を救っていただけること、感謝します。」


 侯爵が騎士に頭を下げるだなんて通常であればありえないことだった。しかし娘が死ぬ恐怖を少しでも想像してしまった彼は父として深々と頭を下げた。すぐに夫人も続いた。


 しかしアクセルは「いいえ、義務ですから」と先ほどと同じ言葉で返した。


「それで今後についてはどうしましょうか。殿下の騎士団に所属されているそうですが、お住まいは王都ですか?」


 アクセルの態度に安堵したのだろう、クレモン侯爵は今後について話し始めた。


「はい。今は騎士団の寮に住んでいます。申し訳ありませんが、王都から離れることは出来ませんのでこちらに住んでいただくことは可能でしょうか」


「わかりました、寮では一緒に住めませんね。どこか屋敷を建てるか……」


「昨日殿下に報告したところ、空き屋敷を用意していただけるとのことでした」


「それはありがたいですね。ひとまずお借りしましょう」


 結婚が決まった事実をまだ受け止め切れていないリュシーの前で、クレモン侯爵とアクセルの話し合いが進んでいく。

 アクセルは結婚を義務だと受け入れて、ショックは受けているようには見えない。まるで他人事のように淡々と話を進めている。


 父も娘の命が助かるならばと、どんどん話を進めていく。

 頭ではリュシーもわかっているのだ。一週間以内の結婚に向けて、建設的な話し合いをしなくてはならないことを。



「結婚式は挙げてもいいでしょうか?」


「はい。しかし仕事が忙しく……準備はお任せしたいのですが」


「もちろんです、お任せください。」


 仕事の話を進めるようにサクサクとすべてが決まっていき、ひとまず大まかな話はまとまったようだ。


 リュシーは一週間以内に王都に引っ越してきて共に生活を始めること、屋敷にはクレモン家の使用人を連れてくること、結婚式は一ヶ月以内を目安に。一週間程はクレモン夫妻も王都に滞在し、何かあれば都度相談することとなった。



「すみません、仕事を抜け出してきていますので今日はこれで失礼してもよろしいでしょうか」


「ああ、ありがとうございました」


 話が一旦終わったところでアクセルが立ち上がる。そのアクセルを気まずそうにクレモン侯爵は引き止めた。


「あの、それですみません……お忙しいと思うので、一度治療をしてもらってもいいでしょうか」


 ぼんやりとその場を見つめていたリュシーはその言葉に飛び跳ねそうになった。


「お父様!何を……」


「生活をスタート出来るのは一週間後になるかもしれない。一度してもらっておこう。」

「そうね、アクセル様はお忙しいから……」


 治療ってキスでしょう!?リュシーは叫びたくなるのを堪えた。

 もう妄想のような理想のファーストキスができないことはわかっている。でも、こんな場所で?こんな気持ちで?親に頼まれて?


「いいですよ」


 アクセルは一言発した。彼の表情は何も読み取れない。動揺はしていなさそうだ。そのままこちらに歩いてくる。


「ほら、リュシー」

「でも……」

「お前の身体を守るためだ」


 机の上に散っている花びらが目に入る。それを見ると身体がぶるると震えた。担当者からの資料にもあった。同化してしまえば、もう後は散るだけだと。


 リュシーはもう反抗しなかった。目をつむって顔を上げた。身体の震え、止まれ!リュシーは自分に何度も言いきかせる。

 アクセルの足音が目の前で止まる。「失礼する」と言われたかと思うと、彼の大きな手がリュシーの顎を持ち上げ、唇と唇が触れた。

 十秒ほど息を止めているとアクセルは離れた。


「それでは今度こそ失礼します」


 相変わらず真顔のままでアクセルは退室した。


 初めてのキスは両親の目の前で、驚くほど事務的に終わった。もうどういう感情かわからないけれど、涙がこぼれた。


「リュシー!花びらじゃなくて涙だわ!」


 クレモン夫人は、リュシーの涙を見て喜びの声を上げる。


 どうして泣いているのに喜ぶんだろう。リュシーの心が傷ついたからこぼれる涙なのに。ぼんやりとリュシーは喜ぶ母を見た。



「真面目そうな青年でよかった」


 クレモン侯爵も安堵している。長男が跡を継ぐし、姉二人は既に結婚している。末娘の相手はもとより自由にさせるつもりだったクレモン侯爵にとって、アピスの身分や性格はどうでもいいらしい。

 義務を、娘の命をきちんと守ってくれるのか、それが何よりも重要だったようだ。



 真面目な青年……彼はきっとアピスとしてリュシーの命を救ってくれるだろう。

 しかし彼は突然の結婚にショックを受ける様子もなければ、リュシーに笑顔を向けてくれることもなかった。



 私だけが傷ついていてバカみたいだ。とリュシーは思った。

 わがままで幼稚な感情だ。恋をしたかっただなんて子供の夢だ。

 大人たちはアピスとフローラの運命を受け入れているのに。

 両親に任せないと何ひとつ決められない自分が悪いのだ。

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