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16 はじめてのキス

 


「華やかな場所は疲れましたね」

「同感だ」


 いつもの静かな夜が始まった。

 息苦しいドレスを脱いで身を清めると、どっと疲れが押し寄せてきた。使用人達も帰宅して、二人はソファに並んで座っている。


「でも、楽しかったです」


 リュシーが思い出してはにかむと、アクセルも微笑んで頷いた。


「皆さんに紹介いただけて嬉しかったです」

「驚いていたな」


 ルイ王子には、アピスの報告や結婚せず誓約を結ぶ相談はしていたが、他の騎士達はアクセルがアピスなことさえ知らなかった。

 来週結婚式だというと、皆とても驚いていた。アクセルに今まで浮いた噂はなかったし、女性を紹介しようとしても断られていたから一切興味がないと思っていたらしい。


「でも皆さん喜んでくれて参列してくださるそうですね」


「殿下が参列すれば自動的に参加することになる」


「ルイ王子は予定をあけて下さっていたのですね」


「一応日にちは伝えてあった」


 報告した時のルイ王子のいたずらっこの笑みを思い出す。中止になる可能性も高いと思ったアクセルは正式なお誘いをしていなかったが「君たちが結ばれることはわかっていたから、もちろんその日は予定をあけているよ」とにこやかに言われてしまった。王子だけはアクセルの気持ちを察していたらしい。さすがこの国の未来の王だ。


「エルザも喜んでくれたし」


 二人が寄り添って馬車に戻ってきたのを見た瞬間、エルザは文字通り大泣きした。「私はわかっていましたとも!」と言って大粒の涙を流した。

 そしてこれからは恋人なのですから!と今夜は丁寧にリュシーの髪をとかした。初めてこの家にやってきた夜と同じくらいに。


 意識するなというのは無理がある。

 恋人となったアクセルを見上げると、穏やかな瞳を向けられる。瞳から伝わる甘い温度にリュシーはドギマギしてしまう。

 まだ頭には花が咲いている。以前咲いたときよりも花の数は多いかもしれない。花園でアクセルは家に帰ったら治療をすると言った。これだけ花があれば長いキスになるかもしれない。



「そ、そういえばライラックだけでなく白い薔薇も選んでくださったんですね」


 落ち着かない気分になったリュシーは立ち上がって、棚に向かった。アクセルがくれた花束は花瓶に移し替えられて棚に飾られていた。

 花瓶に咲くのは、紫のライラックと白い薔薇だ。小説のなかではライラックだけの花束だった。


「君は花言葉が好きだから」とソファから返事があった。

 花葉葉が好きというより、花自体に興味があっただけではあるが。リュシーは白い薔薇の花言葉を思い出してポツリと呟く。メジャーな花である薔薇のことは覚えていた。


「尊敬……」


「私は君のことを尊敬しているんだ」


「こんな小娘をですか?」


「うん、君は私を照らしてくれる」


 アクセルも立ち上がり、リュシーの場所に向かってくる。恥ずかしくなったリュシーは次の花言葉を発した。


「私はあなたにふさわしい……」


「君といると自分に自信が持てるようになった」


 アクセルはリュシーの目の前に立ち、まっすぐリュシーを見つめた。


「君が私を認めてくれるなら、私も自分を認めなくては」


「ふふ、それは本当にそうしてください。アクセル様は素敵な方なので卑下されても困ります」


「ありがとう」


 次の瞬間にはリュシーはアクセルの腕の中にいた。このようにぎゅっと抱きしめられたのは初めてだ。初めてリュシーはアクセルの胸に頬を当てた。


「もう抱きしめてもいいのか」


 噛みしめるようにアクセルが呟いた。小さな独り言はリュシーの胸にふわふわとした甘い気持ちが広げていく。


「告白すると、私もアクセル様の絵を見てしまったのです」


「あ、あれを見たのか」


「すみません、事情があり少しだけ部屋に入ってしまいました」


「入るのは別にいい」


 アクセルはリュシーの髪の毛を掬った。きっと今から花の場所を探し当てようと太い指が動くのだ、急に緊張してきたリュシーは慌てて言った。


「今からもう一度あの絵を見てもいいですか」



 ・・


 二人はアクセルの部屋に移動した。シンプルな部屋の真ん中にはイーゼルと椅子、そこにリュシーの絵がある。

 甘い雰囲気が恥ずかしくて、腕から逃れるために移動してきたけれど。ベッドが目に入りリュシーは更に緊張してしまっていた。


「これは完成しているのですか」


「ほとんどな」


「こんなに綺麗ですか、私」


 昼間も思ったが、少し美化されている気がする。絵の中のリュシーは魅力的すぎる。


「ああ」


 逃れたはずの腕が後ろから伸びてきて、リュシーはすっぽりとアクセルの腕の中に捕まった。

 アクセルはリュシーの頭に顎を軽く乗せる。頭に咲いた花が少し揺れるのを感じた。


「ちょっと美化してますよ」


「そんなことない」


 頭の上に顔があるからアクセルがどんな顔をしているかわからない。でもさらっとした言葉から涼しい顔を想像した。


「でも、この絵を見て自信がついたから舞踏会に行けたんです。アクセル様が大切に思ってくださっているのは伝わりました」


「そうか」


 アクセルの腕はリュシーを開放した。アクセルが進んだ先はベッドだった。腰掛けたアクセルは「おいで」とリュシーを呼んだ。低いけれど、優しくて柔らかい声だ。


 リュシーがぎこちなくベッドまで近づくと、アクセルはリュシーを自分の膝の上に座らせて言った。


「緊張しなくていい、そういうことをするつもりはない」


「えっ、どうして」


 カチコチに緊張していたくせに、いざしないと宣言されると素直に聞き返してしまう。

 そんなリュシーにアクセルは笑みをこぼして、リュシーのおでこに自分のおでこを当てながら言った。


「まだ結婚していない」


 一瞬――、やはり子供扱いされているのだろうかと不安がよぎったが、その不安はアクセルの瞳の熱に溶かされた。


「結婚したら?」


「今は煽るな」


 そういったアクセルは、軽く触れるだけのキスをした。


「キスはしてもいいのですか?」


「花が咲いているからな」


「治療ですか?」


 返事のかわりにアクセルはキスを続けた。軽く触れたあと、リュシーの唇を少しだけ啄んだ。いつもは固く結ばれていた唇が柔らかい。


「唇って柔らかいのですね」


 リュシーの感想に、アクセルは答えてくれない。大きな手がリュシーの頭を包み込む。先日、この大きな手に頭を食べられそうだとリュシーは思った。でもそれはただの例えだと知る。

 初めて、本当のキスをした、と思った。本当のキスは比喩でなく食べられるみたいだとリュシーは回らない頭でぼんやり思った。


 先日と同じく髪の毛の中の花の茎を撫でられながら、口の中に侵入するものを受け入れていると不思議な気持ちになってくる。熱に浮かされていて、それが一体なんなのかわからないが。

 唇を離さなくても呼吸ができるから、いつまで続けられる。


 アクセルは今日も何かに急かされているようだが、リュシーはもうわかっていた。これは不安でも、責任感でも、義務でもない。ただリュシーが愛しくて突き動かされているだけだと。

 リュシーはアクセルの背中にぎゅっとしがみついてキスを続けた。


 花が落ちたかなんて、もうどうでもよかった。

 治療ではなく、ただ恋人としてのキスなのだから。

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