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13 はじめて描いたもの

 


 まぶたが重い。目を開けるにも一苦労だ。なんとか目を開けると心配そうな顔をしたエルザがリュシーを覗き込んでいた。


「あっ起こしてしまいましたか、すみません」


「エルザ……」


 涙は出なくとも目は腫れるものらしい。目をあけてもまぶたはやはり重い。どうやら泣きつかれてリビングのソファで眠ってしまっていたようだ。身体がギシギシと痛い。


「アクセル様から事情を伺いました。私の宿を先程訪ねていらしたのです」


 エルザはそう言いながら冷やしたタオルを渡してくれる。リュシーはそっと瞼に当てる。ひんやりとした冷たさがまぶたの熱を和らげてくる。


「結婚相手を探せ、ですって」


 つぶやいた言葉はひどく自虐的な響きがあった。アクセルと二人で過ごす夜を楽しみにしていたのに、自分が惨めだった。


「アクセル様にも何かお考えがあったかもしれません」


「この生活を幸せだと感じていたのは私だけだったみたいだわ」


 朝を迎えると、激しい悲しみと怒りは落ち着いていて、ただ脱力していた。どうでもいい、投げやりな考えしか浮かばない。


「私にはそう見えませんでしたが」


「だとしたら他の方と結婚しろなんて言わないわ。アクセル様の気持ちにも気づかず、舞い上がって、恋……までして。恥ずかしいわ」


「リュシー様」


 リュシーは立ち上がった。時刻はまだ六時だ。


「ごめんなさいエルザ。部屋でもう少し眠ってもいいかしら。こんなところで眠ったから身体が痛いわ」


「ええ、それはもちろん……」


 リュシーはもう何も考えず眠りつづけたかった。


 ・・


 ベッドに入って無理やり目を瞑っていたら、身体が疲れていたからか案外深い眠りに入ってしまったらしい。お昼前になっている。

 リュシーは起き上がって鏡を見ると、目の腫れもだいぶ引いていた。


 リュシーはのろのろと物置部屋に移動した。

 そこには今日着る予定だった空色のドレスが置かれている。

 フローラだとわかる前、舞踏会用に仕立てたドレスだ。このドレスを着て運命の恋人を探したいと思っていた。結局、結婚相手を探すために着ることになるのか。


 一度も着たことのないこのドレスは、舞踏会に誘われた時にアクセルと共に過ごすドレスとしてもピッタリだと思った。彼の瞳と同じ空色だったから。

 ドレスを着せたトルソーの隣に、用意したアクセサリーも飾ってある。

 アクセルをイメージして用意したアクアマリンのネックレスとイヤリング。清楚な印象を引き立てるために小ぶりのパールの髪飾り。どれも色褪せて見える。


「これからどうしようかな」


 リュシーは呟いた。アクセル以外の結婚相手を探しに舞踏会に行く気なんてちっとも起こらない。舞踏会に参加したかったのではない、ルグラン夫人として皆に紹介されたかっただけなのだから。


 昨日は激情をアクセルにぶつけてしまったが、客観的に考えてみるとアクセルの申し出は有難いことなのだ。アピスとしての責務を約束し、フローラを自由にしてくれる。リュシーを元の侯爵令嬢に戻してくれるというのだから。

 両親に伝えれば、大喜びするかもしれない。きっと両親は急いで色んなツテを使って素敵な令息を探して来てくれるだろう。


 でも定期的なキスをしなくてはならない。例えリュシーの結婚相手が治療として許してくれても、リュシーは耐えられるだろうか。アクセルのことを忘れられるだろうか。

 彼に気もちを残したままキスを続けて、誰かの夫になるだなんて。相手にも自分にも失礼だと思った。


 アクセルと顔を合わせるのが怖い、でも定期的に会ってキスをしなくては自分の命はないのだから。割り切ってどうにか彼との思い出を過去にするしかない。


「大丈夫よ、リュシー」


 リュシーは声に出して、自分を励ました。もう恋をしなくてもいい。ゆっくり思い出にしながら、自分の好きなことをして暮らそう。ここにきて文字を書く楽しさも知ったではないか。


 ひとまず今日の舞踏会は欠席しよう。そう思ったリュシーは使わないアクセサリーを手に取って物置部屋を後にした。今日のために用意したアクセサリーはつけることなく、リュシーのアクセサリーボックスに眠るのだ。


 廊下に出たとき、リュシーからいくつかハートの花びらが舞った。見覚えのあるライラックの花だ。


「涙も汗も出ていないのにどうして……」


 また頭から花が生えているのだろうか、確認しようとしたリュシーは手に持っていたパールの髪飾りを落としてしまった。

 カツン!と音がして、パール達はバラバラになり転がっていく。


「ああもう、」


 嫌なことは重なる物だ。リュシーはパールを拾い集めようとするが、いくつかのパールが転がった先はアクセルの部屋の中だった。扉の隙間を小さなパールは通り抜けてしまっている。


「どうしよう」


 少し悩んだが、何度か部屋に入らせてもらっている。禁止されたわけでもない。パールを取るだけだ、とリュシーはそっと部屋に入った。

 パールは三つほど転がっていて、一つは部屋の中央まで転がっている。

 リュシーは部屋の中央に見覚えのないものを見つけた。


 大きなイーゼルだ。イーゼルにはキャンバスが設置してあり、小さな椅子も置いてある。家でも絵を描いていたのか。リュシーといる時間はいつもリビングにいたから絵を描いていたことを知らなかった。


 パールを拾い終えたリュシーは絵が気になって、キャンバスを覗き込んだ。そして言葉を失った。


 キャンバスの中にいたのは、リュシーだった。


 リュシーが机の上に手帳を広げながらこちらを向いて微笑んでいる、いつもの夜のリュシーそのままだった。少し異なるのは、リュシーの髪の毛にはいくつもライラックが咲いている。

 鉛筆で形作られたリュシーは水彩で淡く色づいていて、アクセルらしいあたたかい絵だった。


「無機物しか描かないと言ったのに」


 髪の毛やまつげまで一本ずつ描かれている。絵の中のリュシーの瞳はキラキラとしていて今にも瞬きしそうだ。


「心情を反映させるのは苦手だと言ったのに」


 この絵を描いた人間は、絵の中の人物を愛している。


 そう感じたのは、リュシーの願望だろうか。でもこんなに丁寧に描かれた絵を知らない。

 アクセルから見たリュシーはこんなに魅力的だったのだ、そう思うほどに絵の中のリュシーは美しかった。

 絵の中のリュシーの笑顔は柔らかくて、二人の静かな夜の空気そのものだった。


 アクセルのリュシーへの愛が、恋なのかはわからない。子供や親に向ける親愛のほうが近いのだろう。でも、二人の今までの時間をアクセルも大切に思ってくれていたのは確かなのだとリュシーは思った。


 またリュシーの瞳から花びらがこぼれた。この花びらを見てももう虚しくならない。やはりライラックはリュシーを応援してくれているのではないだろうか。


 リュシーはギュッと目を瞑って、目元についた花びらを取った。泣いている暇はない。


「エルザ!二階に来てくれる!?」


 リュシーはアクセルの部屋を出て、階下に向かって叫んだ。すぐに足音がのぼってきた。


「どうしましたか?」


「エルザ、舞踏会に行くわよ!」


 エルザは驚いたようにリュシーを見る。手に持っていたアクセサリーをエルザに渡した。


「子供なんて思わせないくらい、美しくして欲しいの」


「リュシー様」


「流されるだけのリュシーはおしまい、これからのヒロインは自分で幸せを掴みに行くのよ」


 リュシーはニッコリ笑って宣言した。


 この物語を描くのはリュシーだ。

 花蜜病を発症してから、ずっと国に大人たちに、決められた道を辿ってきた。自分の気もちもわからないままに。

 でももうリュシーは自分の感情を知った、たくさん形にしてきた。


 アクセルがリュシーとの生活を迷惑だと感じていないなら、どういった種類のものだとしても愛してくれているなら。未来はリュシーが示してもいいのではないだろうか。


 まだ物語は終わっていない。ハッピーエンドは自分で作るものだ。

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