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12 はじめての拒絶

 


「おやすみ」

「おやすみなさい」


 今日も眠る前にリュシーの部屋の前でキスをする。家族にするような、治療のキスだ。

 すぐにキスは終わり、お互い自分の部屋に入った。


 あれから数日が経ったけれど、あの日のように花が生えることもなく。あの日のようなキスをすることもなくなった。

 心なしか、前よりも素っ気ないキスだと感じる。恋人ではなくても家族に対する親愛のような物を感じたのに。今はよそよそしい。


 あの日のことを気にしているのかしら。ベッドに入ったリュシーは考えた。


 あの日、長く続いたキスは突然終わった。すべての花が落ちたことをアクセルが確認したからだ。

 触れるだけのキスなのに、唇がヒリヒリするほど長い間キスをした。

「もう大丈夫だ」と立ち上がったアクセルはリュシーと目を合わそうともせずに「そろそろ寝よう」と言った。気まずそうな表情が忘れられない。


 嫌われたかしら、いや、違う、大丈夫。今までと違うキスに少し気まずかっただけだ、とリュシーは言い聞かせる。

 しかし先程の素っ気ないキスが気になってしまい、なかなか寝付けそうになかった。



 ・・



 不安な感情と裏腹にリュシーの執筆は進んでいた。恋に悩む気持ちがわかって心情描写に熱が入ったからだ。


 そんなリュシーのもとに嬉しい知らせが届いた。ウエディングドレスが出来たというのだ。十日後には結婚式だ。

 アクセルの仕事があまりにも忙しかったから、結局結婚式は発症から二ヶ月経った日に決まっていた。


 嬉しいことは続くもので、アクセルからも吉報があった。


「仕事がようやく一段落ついた」


 夕食の席でアクセルはリュシーに報告を始めた。

 騎士団長が自身の領地を継ぐために退任し、副団長が引き継ぐことになった。それはアクセルがアピスになる直前だったそうで、引き継ぎや体制変更で騎士団は皆忙しかったそうだ。


「私は副団長を任されることになった」


「まあ!おめでとうございます!」


 リュシーは自分のことのように嬉しくなる。真面目なアクセルが評価されたことが嬉しかった。


「新騎士団お披露目も兼ねて、ルイ王子主催の舞踏会が三日後に行われることになった。私もこの日は王子の護衛ではなく、ゲストとして参加する」


「素敵な会になりそうですね」


「君も参加するか?」


「いいのですか!?」


 リュシーは目を輝かせて喜んだ、思わず声も高くなる。


 久々に華やかな場所に行ける嬉しさもあるが、アクセルと共に参加できるのが何より嬉しかった。書類上では夫婦だし、一緒に暮らしているけれど、結婚式もしていないので誰かにルグラン夫人として扱われたことがなかった。

 王子や騎士団の皆様に、正式な場で紹介していただけるのだ。


「物置部屋のドレスが活躍するときが来たわ!」


 リュシーがはしゃいだ声をあげると、エルザが「明日すぐにドレスの調整をいたしますね」と皿を並べながら声をかけてくれる。


「そんなに嬉しいのか……」


「はい、とても。憧れだったのです!」


 舞踏会でアクセルにエスコートされ、アクセルと踊る自分を想像すると顔がゆるんだ。好きな相手と舞踏会で過ごす夜に憧れていた。

 浮かれるリュシーはアクセルの表情が曇ったことに気が付かなかった。



 ・・


 舞踏会前日までリュシーは浮かれていた。


 まずウエディングドレスの確認をした。

 デザイン画よりも何倍も繊細で美しいドレスにうっとりした。


 そして舞踏会に着ていくドレスの確認もした。お気に入りだったけれど、一度も出番のなかったドレス。

 これを着てアクセルと踊るのかと思うと、またまたリュシーはうっとりした。


 小説の最終舞台も舞踏会に設定した。

 ヒロインであるフルールは煌びやかな会場で彼と踊り、それから城の中庭に移動して愛の告白をされるのだ。ライラックの花束を渡される。



 そんなクライマックスシーンを、夜リビングで描いていた。物音がして振り向くとアクセルが二階から降りてきたところだった。今夜は珍しく彼は自室にいたのだ。


 アクセルに気がついたリュシーは小説の紙をまとめて、かわりに日記帳を開いた。描いている恋愛小説はアクセルに読んでもらうつもりはなかった。いくらアクセルが鈍感だとしても、ヒロインの相手の騎士が自分をモデルにしていることは気づくだろう。


 アクセルは今日も書類をいくつか持ってきた、仕事をするのだろう。いつものように向かい合わせに座った。


「明日の舞踏会楽しみですね、ドレスの準備もできました!」


 リュシーが話しかけると、アクセルはなぜか難しい顔をした。


「どうしたのですか?中止になったのですか?」


「いや、舞踏会は開催される」


 そう言ってアクセルは言葉を切った、ほんの少し悩んでから続けた。


「君はそこで結婚相手を探して欲しい」


「……えっ?」


 予想もしなかった言葉がアクセルから飛び出して、リュシーは困惑する。

 冗談を言っているような雰囲気はもちろんない。


「何を仰っているのですか?私はアクセル様と結婚しているのですが……」


「まだ私たちは結婚していない」


「結婚式はまだですが……」


「アピスとフローラの誓約を交わしただけで、教会に届けも出していないし誓ってもいない。君の名はまだリュシー・クレモンだ」


 アピスとフローラの誓約書にサインをしたならばそれは結婚ではなかったのか。リュシーは驚くが、そんなことはもうどうでもいい。あと一週間もすれば正式な夫婦になる。


「私も副団長に就任した。一介の騎士と違って簡単には逃げ出せない立場であり国から信頼してもらえる立場だ」


「……」


「アピスの役目を投げ出さないと、判断される立場になった。もちろん私は君を裏切ることはない」


「……」


 アクセルの言いたいことがわかってしまったリュシーは自分の身体を抱きしめた。体温が下がった気がして、身体が震えている気がして。


「アピスが信頼できる存在であれば必ずしも婚姻を結ばなくていい、というのが最近の考え方にある。かなり厳しい条件であったが、今の私であれば可能だ」


「……もしかしてアクセル様はどなたか結婚したいお相手がいらっしゃるのですか」


「まさか。私は独りでいい。アピスにならなければ、もとよりそうするつもりだった」


 リュシーは穏やかな日々だと感じていたけれど、アクセルにとって負担だったのだろうか。

 今までの楽しかった日々がまやかしのように消えようとしている。

 夫婦の真似事をしていたが、夫婦ですらなかっただなんて。


「君は若くて美しい、そして侯爵家のご令嬢だ。私よりいい人がいるだろう」


 アクセルは淡々と話を続ける。表情は何も浮かべていない。


「定期的にキスはしなければならないが、それを受け止めてくれる男性もいるはすだ。君が社交界デビューをした時、大変な噂になったことも聞いている」


 アクセルにエスコートされ、ダンスをする。先程まで、そんな明日を夢見ていたのに。

 アクセルから飛び出す言葉は、信じられないほど残酷だった。


 リュシーは目の前の書類に気がついた。仕事の書類だと思っていたが、よく見ると誓約書だ。婚姻を結ばない場合の誓約書なのだろう。こんなものまで準備している、アクセルは本気なのだ。


「……わかりました」


 リュシーがようやく発した言葉は、冷たかった。


「アクセル様の気持ちはよく、わかりました」


 リュシーの瞳から花びらがこぼれた。何が『初恋』だ。今まで親近感を持っていたハートの花びらに毒づく。

『初恋』なんて、ばかみたいだ。嬉しくて、愛しい気持ちは全く共有できなかったのに。全部リュシーの独りよがりだった。


「気遣っていただきありがとうございます」


 リュシーは声を振り絞った。かすれた声だ。

 恋人だと錯覚したのはリュシーだけだった。ずっと彼の中では責任を負うべきだけの存在で、子供だったのだ。


「でも……私は……」


 言葉に詰まったリュシーは机に目を落とす。書きかけの恋愛小説と日記帳が目に入る。今はこれも目に入れたくない。

 今まで大切に綴っていた感情たち。感情を知りたくなかった、こんなことなら形にしなければよかった。


「リュシー」


 アクセルが声をかける。今はその声も聞きたくない。激しい感情がリュシーを飲み込み、リュシーは立ち上がり目の前の日記たちをアクセルの方にスライドさせた。


「これ、処分してください。それから今から私を宿屋に送っていただけますか?今日は一人になりたいのです」


「これは……」


「アクセル様に買っていただいたのにすみません。でももう私は持っていたくないのです、わがままでごめんなさい。どうかアクセル様の手で処分してください」


 無茶苦茶なことを言っている。でも、感情の塊が手元にあるのは苦しい、手放したい。大切にしていた感情を自分の手で処分することはできないし、もう持っていたくもない。


「……わかった。宿屋には行かなくていい、私が出ていこう。この屋敷には警備の者を派遣する」


「ありがとうございます」


 そういうのがやっとだった。アクセルに見られないように顔をそむける。アクセルはしばらく動く気配がなく、沈黙だけが続きやがて部屋から出ていった。


 ハートの花びらが舞い続ける部屋で、アクセルと、自分の大切な感情が消えて、リュシーはひとりだった。

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