友殺し
大学三年生で高校時代の友人を絞殺した上でそれを発見した被害者の恋人に傷害を負わせた犯人、川端氷魚はアクリル板の向こうの相手にひたすら語っていた。川端の容疑は殺人容疑のみ。傷害の方は双方への事情聴取で恋人の方が感情的になって殴りかかり、怪我はそれに対する応戦のみでできたとの事実が立証されたので殺人容疑のみでの起訴の予定である。
川端が先月29日にY市N区で起きた殺人事件の犯人で間違いないか相手は確認した上で次に
「被害者の山根とその恋人のTと3人で飲みに行き、帰りに山根と2人になったところで裏路地に連れ込み、絞殺した。その山根と川端は中高が同じで部活も同じ吹奏楽部だった。しかし、その恋人とは面識がなかった。」
という事実も確認する。
「それも間違いないです。」
慇懃に川端が答えると相手はただ今回のことに関して自由に語って欲しい、とだけ言った。川端は目を閉じて息を深く吸い込み、吐き出すと同時に目を開けた時には先程とはガラリと印象の変わる穏やかな顔をしていた。微笑さえ浮かべているような表情で川端は語り始めた。
「彼、山根さんとはご存知の通り同じ中高で過ごした仲です。中学一年A組で同じクラスとはいえ彼は出席番号の巡り合わせ的に席は遠かったんですよ。僕は”か”で彼は”や”でしたからね。ですから、これからネットとかで僕と彼が同じクラスであったことが特定されて中学一年生の時から狙っていたとかまことしやかに囁かれるかもしれませんがそれは全くの誤りで同じ部活に入ったのだって別に彼を意識してのことなんかじゃあありませんよ。」
低く、しかしボソボソとしている訳ではなく不思議と耳によく馴染む声で語り始める。声優のようないい声という訳でもないが兎に角聞きやすい声だった。そして、若くして犯罪を犯した人間によく見られる卑屈さも持ち合わせていなければ反対に傲慢な様子もない。
「僕は母親が元吹奏楽部ということもあり、よく吹奏楽やクラシックのコンサートに連れて行ってもらっていたんです。そこで見たトロンボーンの、あ…トロンボーンって分かります?」
相手はトロンボーンの特徴を答える。
「そう、それです。それを見てなんてかっこいいんだろう、とそう思って絶対に中学に入ったら吹奏楽でトロンボーンをやろうと決めていたんですよ。山根さんは小学校の頃からピアノが上手いなど前から音楽をやっていたみたいですが僕の場合はそうでは無いです。」
「さて、今回の事件を僕が起こすに至った遠因のひとつにして原点とも言える出来事が僕の中であったんですよ。それは決して彼のせいではなく、ましてや誰のせいでもなく僕という人間の中にあるちっぽけな世界で起きた事件だったんです。」
ここで一息ついて囁くように
「僕は同性の彼を好きになってしまっていた」
と言う。劇のような語り口に反して相手は何も変わらない調子で続きを促す。
「ここで、僕の立場をハッキリさせておきたいのです。僕は世間で言う所謂バイセクシャルというやつだったようですが、僕が今回の事件を起こしたことと僕がバイセクシャルであることはなんら関係がありません。人間の中に多数ある側面のうち、ジェンダーに関する側面がバイセクシャルという特徴を持つものであったというだけで今回の事件は別の僕の中に潜む、時に爆発的に襲ってきて事を起こしたら立つ鳥のように去る狂気の側面が引き起こしたものです。」
「さて、僕がその気持ちに気がついたのは中学二年生になってからでした。中学二年生までは同じクラスでしたので。既に仲は通常に良かったため、素直に喜びつつある日その気持ちに気が付きました。中学一年生の時から所謂BLと呼ばれるジャンルの作品が少なからず好きでしたので最初はそれに影響されて好きになったような気がしただけかと思いました。またそうでなくとも周りに男子が居ないせいで一時の気の迷いを起こしたのかとも思いました。しかし違うのです。僕の中にある気持ちは日に日に大きくなっていき、誰にもそれを打ち明けないままただ自分の中で彼が占める割合が増えていったのです。その頃から露骨に僕の成績は落ちていきました。当たり前です。勉強していても常に頭には彼のことがあってともすれば彼の写った写真を探しているのですから。集中はすぐに切れ、脳は勝手にどうしたら彼が自分を好きになるかというありもしないシナリオを組み立て始めます。いつしか上位一割に入っていた僕の成績は学年の半分を下回るまでにおちぶれました。さすがにまずいと思い始めた中二の冬、しかし心の奥底では来年も彼と同じクラスになることを夢見ていました。そんなこんなでクラス替えです。これは幸か不幸か今でもわかりませんが中学三年生より後、彼と同じクラスになることはありませんでした。これで良かったのだ、でも本当はすごく彼と一緒のクラスになりたかった。矛盾した思いを抱えたままの中学三年生がスタートします。結論から言うと僕の中での彼の割合は変わることがありませんでした。違うクラスになって余計彼についての想像がかきたてられるだけでした。」
「この年の吹奏楽部の合宿で僕は彼のパートの部屋に―というのも吹奏楽部は学期ごとにパートが分かれていてそれに従って部屋割りがなされていたのですが―遊びに行って、その後別の部屋も彼と一緒に回る予定だったのですがここで顧問の見回りが始まってしまいました。最終日だと言うのに新任の顧問は厳格に見回りをします。さすがに部屋の中までは覗かなかったので僕と彼は暫くその部屋に閉じ込められました。彼は勢いをそがれて逆に眠くなってしまったようで、本当に寝そうになったら揺すってね、と言ってうとうとし始めました。そのうちに彼は深い眠りに入りかけたのです。気持ち悪いかとは思いますが正直に言わせてください。後輩二人が僕と彼が座っている押し入れの前で静かにゲームをしていなければ大それ事はできないまでも……唇を奪うぐらいはしていたかもしれません。いや、もしかしたら彼がそれで目を覚ましてしまう危険性を考えてしなかったかもしれません。しかしこの合宿のちょっとした瞬間は僕の精神にまたひとつ大きな遺跡として残ることになりました。ともかく、自制心か、それとも臆病さゆえか僕は何もせず、そっと彼を揺り起こしました。彼は眠そうに僕に感謝を述べ、その後は予定通り他の部屋をめぐって徹夜をしたのです。こんな訳で全く”山根離れ”をできなかった僕はまたこの年に重要な出会いを果たします。彼の名前を…仮にSとしましょう。中学三年生で知り合った僕とSは事件を起こす直前まで親友でした。今は連絡を取れていないので知る由もないですが。中学三年生の最後に会った宿泊行事で同じ部屋になったことを皮切りに非常に仲良くなり、断っておきますと僕は彼とは本当に親友のつもりでそこに一切劣情や春情といった類のものは入り込んでいなかったのです。」
「さて、Sが今回の事件を引き起こすに至った僕の心の動きに大きな影響を与えることになったひとつのきっかけは彼が山根さんと同じクラスになって高校一年生最初の宿泊行事で同じ部屋になったことです。彼は所謂ショタコンではないですが、見た目が可愛らしい男子を非常に好んだのです。その側面が僕にもあったことは否定できませんが、彼の愛は愛玩動物に向けられるそれと大きな違いはないことを僕は知っていました。ですから彼が間もなく山根さんのことを僕にそうした対象として語ってきてもそこに不快感や嫉妬は感じなかったのです。むしろこのことは僕の山根さんに対する気持ちを深めることにもなったのです。Sと二人で彼の可愛らしさを語る時間は僕にとっては気兼ねなく彼に対する愛を語れる場所であったのです。Sが果たして僕の山根さんに対する愛をどう言った種類のものと捉えていたかは知りませんが、そんなこともあって非常に気があったのです。Sはそれと同時に非常に芸術的に多彩な人間でしたのでその面に関しても気があったのですが。」
ここで川端は初めて躊躇うような雰囲気を一瞬見せた。そして、ひとつ小さな、ごく小さな溜息をつき、語りを再開する。
「ここでひとつ僕の罪を告白します。僕は山根さんのことをこれだけ思っておきながら高校一年生から高校二年生の途中までのある時期、Tさん(先程の恋人とは別の)という人にいわば浮気をしていたのです。きっかけはSにあると言えばそうですが、これも彼のせいにしてはいけませんね。ですがこれは直ぐに終わったのです。その理由を話すにはまた少し長い前置きが必要になります。ここまでで十分長いですが大丈夫ですか?」
相手は黙って頷く。
「ありがとうございます。ありがちな話ですが、高校二年生になると、文系と理系でクラスが分かれるんですね。僕は根っからの文系でしたので迷わず文系を選び、Sと山根さんは理系を選びました。そして、Tさんは文系だったのです。しかし、これも幸か不幸かTさんは非常に頭が良く、僕の成績はその時になっても向上していなかった。ために僕は一般クラスでTさんは選抜クラス。これが何を意味するかと言うと修学旅行で同じ部屋になれないということなんですね。そして、修学旅行で他の部屋に遊びに行った時のみにTさんを断片的に見て、Tさんから僕に対する態度はもちろんそこまで近しい訳では無いんですよ。なぜなら今別のクラスで、彼とは高校一年生のただ一年同じクラスになったに過ぎませんでしたから。そして思ったより性格の悪い彼を見てふと我に返ったんです。そうだ、Tさんは山根さんじゃない、と。」
「そうです。あまりに山根さんと同じクラスになれず、さらに山根さんが忙しくなるにつれて僕は山根さんよりもよく喋るようになったTさんに山根さんを重ねていたに過ぎなかった。山根さんも少し性格に難があるのですが、それすらも愛おしいんです。しかし僕はTさんの性格の悪さは愛せなかった。Tさんは山根さんではないですからね。そうしているうちに今回の事件のように僕の狂気の側面が首をもたげ始めたので急いでとある決心をしました。山根さんのことも、もちろんTさんのこともひとまず置いて勉強をしよう、と。丁度帰ってきた定期試験の結果が良くはなく、そしてそのショックもあり僕はついに山根さんに惑わされていた(彼は別に僕を惑わしちゃいませんが)脳の目を覚まさせることが出来たのです。そうしたら僕の成績は緩やかながらあがり始めました。皮肉なものです。選抜クラスにいるTさんを思って勉強している時よりも忘れてしまってからのほうが捗るのですから。そこから先は暫く今回の事件に関わることで話すことは特にありません。部活も引退して本当に”山根離れ”を果たした僕は大学三年生になるまで本当に彼のことはただの一人の友人と認識できていたのです。大学に入ってから女性とはお付き合いを何度かさせて頂きましたが、好意を持つことはあれ、男性とはお付き合いすることはありませんでした。今考えてみれば彼の例を思い出してあえてそうした男性たちから遠ざかったのもありますが、なによりやはり頭の中で山根さんへの未練を断ち切れてなかったのでしょうね。そして、このまま行っていれば僕は殺人犯にもならず、彼も冷たくなることはなかったのです。しかし、事は彼からの一件の連絡から始まりました。」
「川端と少し話したいことがあるから久しぶりに合わないか、お互い成人もしたし酒の力を借りて話したいことがある。といった旨の連絡が急に彼から来てまさかネズミ講の類ではあるまいな、と少し疑いました。彼は昔からそういったものにともすると騙されそうな危うさを持っていたのです。そして、久しぶりの彼と二人での食事と思って指定の店に着いた僕を出迎えたのは彼一人ではありませんでした。彼の隣に座る一人の男に僕はいよいよネズミ講かと身構えたのですが、次に彼の口から飛び出したのは衝撃の一言でした。」
「まだあんまり周りに言ってないんだけどこの人と少し前から付き合ってるんだよね」
「僕は暫く座れませんでした。彼にとってはそれが同性に対する愛への嫌悪に見えたのか少し困り顔になり、痛く傷ついた様子で言ったのです。」
「ごめん、今の言葉忘れて帰っても……いいよ……」
「というふうに。最後は消え入るような調子でしたので僕は慌てて席に座り、弁明をしました。てっきり一人じゃなかったもんでネズミ講だと身構えていたから切り替えに時間がかかっただけだ、と。ネズミ講という言葉に思わず笑うその恋人だという男。そう、彼こそが傷害容疑で起訴される予定であろうTさんなのです。そろそろ話が読めてきたかもしれませんが今少し僕の話は続きます。」
「さて、彼がこのことをうちあけるのに大変な勇気を要したことは想像にかたくないのですが僕の対応はかなり良い方だったのではないかと思っています。その証拠に後半は三人であたかも三人ともに旧来の友人のように談笑するまでに緊張は解けたのですから。しかし、談笑しながら僕の心の中は穏やかならず、もはや狂気の側面を抑えることが出来そうになくなってきていました。想像してみてください。同性は完全に恋愛対象にないと思っていた相手への数年に及ぶ片思いの末、相手の恋愛対象に同性が含まれていたことを知った時の気持ちを。それは今までより確かな、そして逃れようのない特大のノーを突きつけられたようなのです。僕の歯切れが悪くなってきたのを酔いが回ったと勘違いした二人は会話を切り上げて解散に向かって動き始めました。その頃になるといよいよ僕は狂気を抑え込むのに全力を注いでいたので大して酔ってもいないのに一番酔っているかのように二人は半分僕を連れ出すように店を出ました。」
「さて、ここに来て狂気の側面という言葉を多用していますが、この側面に僕が気がついたのは先程出てきたTさんへの気持ちを整理しているときでした。段々と性格が思ったより悪いTさんを見ていてふと僕は恐ろしいことを思い立ったのです。」
「あー、彼をいっそ殺してしまいたい、と。」
「僕の中での彼の像が崩れていくにつれてその思いは強くなりました。このままだと嫌いにすらなってしまうかもしれない。今殺せば僕の中で彼はずっと僕が好きなままのTさんでいられる。その時の僕は大して精神的に参っていた訳でもなかったので直ぐにその恐ろしい考えを馬鹿馬鹿しいと片付けられたのですが、僕は自分自身に非常に強い恐れを抱きました。発想がまるで人間のそれではないのです。Tさんが自分の好きなTさんでないならばいっそ殺しえしまえ、など。こうした僕の狂気が最悪のタイミングでまた僕の脳を侵食し始めました。」
「そして、最悪の場面は訪れました。Tさんがお手洗いに行ってくるといってその場を離れてしまったのです。僕と山根さんは2人きりに。男が3人いて1人がお手洗いにいった、それだけの状況なのに今回に限っては本当にあってはならない場面だったのです。そして、この時の僕の演技と言ったら詐欺師でさえも騙せそうな程であったと、自分でも思います。僕は気分が悪くなってきたと言っていかにも今にも吐きそうな様子で彼の肩を借りました。彼は察しのいい人でしたので僕を優しく路地裏の方に連れて行ってくれました。そして、突き当たりに着いた時、僕は彼の方にふらつくようにして体当たりをしました。あくまで足元がふらつかない酔っぱらいが転んだように。彼は非常に体の線が細く、平素からその力のなさをいじられるようでしたので、あっけなく転んでしまいました。そして、僕は初めての体験であったというのに職人かというスムーズさで彼の首に手をかけます。ここで初めて彼は異変に気づき、何かを言いかけましたが、時すでに遅し。僕は彼の細く、美しい首に全体重をかけていました。彼の気道を確実に親指で押しつぶすように、同時に彼の首を抱きしめるように。彼は僕の手に爪を突き立てましたが、ピアニストの彼は爪も短く、それに僕はどれだけ手から血が流れても止めなかったでしょう。何分たったでしょうか、次第に彼の抵抗も弱くなり、彼の虚ろに開いた口からは擦れるような音が聞こえてきました。彼の瞳孔から光が消えたてしばらくしてから、漸く僕は手を離しました。彼の首には確かに跡がついていて、それが非常に僕の興奮を誘いました。美しい首に歪についた窪み、だらりとして力の入っていない手、先程まで涙を浮かべて苦悶の表情を浮かべていた顔、力の入っていない全身、その全てが僕を異常に昂らせ、僕が息切れしていたのは力を込めていたからだけではなかったでしょう。そこから何分経ったか覚えてはいませんが、お手洗いから戻ったTさんは一瞬言葉を失い、そして次の瞬間に全てを理解して激昂しました。僕は知らなかったのですが、彼はどうやら武道経験者のようで、僕は危うく治らない怪我を負うところでした。」
「あとは在り来りな流れです。Tさんの激昂した声を聞いた喧嘩かと野次馬が集まり、ほどなく山根さんの死体に気がついて通報、という感じでした。」
「これで事件に至るまでの流れは全てです。何かご質問は?」
相手はしばらく沈黙した後に一つだけ質問をした。
「え?今でも山根さんが好きか、ですって?何をおっしゃいます、好きに決まってるじゃないですか。死んでしまったぐらいで冷めるような愛情ならハナから殺したりしませんよ。」
川端のこの言葉を最後に彼の意識は徐々に薄れていき……
川端氷魚は目覚まし時計の音で目を覚ました。時計を見ると時刻は2月29日7時45分。彼は眠い目を擦り、こう呟いた。
「なんかえらく長い夢を見てた気がするけどどんなだっけな……それより山根のやつ久しぶりに会って話したいことってなんだろう……まさかネズミ講じゃあるまいな……」
大学三年生、川端氷魚は2月29日の朝を迎えた。
この独白の内容のようなあらすじの話を書いても良かったんですが時間が無いのと何よりこういう形の作品を一本書いてみたかったのです。