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川越の、昔話の裏話

 駅に到着するまでの間は徒歩。

 卓也は、普通に話しかけてもいいものかどうか迷った。

 声が意外と通りに響く。

 道の脇に並ぶ住宅の中にまで自分達の声が聞こえるんじゃないか、と思った。

 中にいる人達には、流石に何の話をしているかまでは分からないだろう。

 それでもデリカシーにかける行為のような気もする。

 だが駅についたら、今度は多くの人達の耳に直接入る。

 もちろん見知らぬ他人の会話を聞こうとする者はいないだろうが、今この場よりも気まずさは上回る。

 そう考えた卓也は、意を決して話しかけた。


「聞きたい事ってのは、僕らが配属される前の……今の課長の前任の方の……ひっ!」


 卓也の言葉の途中で、前を歩く川越が勢いよく振り向いた。

 何の予備動作もなく、しかもいきなり、まるで正確に百八十度首を回したかのように動いたものだから、卓也が彼女から真っ先に感じたのはその不気味さだった。

 首から下はほとんど動きがなかったのだから尚更だ。

 しかも暗くなりつつある屋外。

 悲鳴を上げるのも無理はない。

 それでも懸命に堪えたことには褒めるべきだろうか。

 大きな悲鳴だったら、あちこちの住宅の窓が開いて、注目の的になることは間違いなかったはずだから。


「私のいないところで、何の話してたの……?」


 ジャパニーズホラーに出てくる怪異か何かですか、と卓也は内心ビビりまくる。

 それでも、仕事以外の話題に食いついてきた川越に、ツッコんだ話をしてその返事が期待できる最高の機会であることは確信した。

 卓也はありったけの勇気を奮う。


「み、みんな、川越先輩のことをいい人だって言ってました。ただ、先輩からも交流を……」


「持てるわけ……って……そうか」


 体も卓也に向けた川越は、ちょっと思案する。

 そしてゆっくりと周りを見渡した。


「そうね……そこのバス停のベンチにでも座りましょうか」


 卓也は自分の核心に手ごたえを感じた。

 そこから彼女の取り巻く環境が好転すること間違いなし。

 しかし、おそらくは彼女からの話の内容次第。

 はやる気を抑えて、彼女の後に続いてベンチに座った。


「……杉林課長の件でしょ。みんなから話を聞いてるってことは、裏話は知らないわよね」


「裏?」


 そう。

 確たる事実が当事者たちの口から洩れない限り、みんなからの話は一部にすぎない。

 元課長以外に裏話を知ってる人間は川越だけだし、川越の知らない事情があるとするなら会社サイドくらいなもの。

 けど元課長のその後は今の課長も知っていた。

 川越が知らないまま、ということはないだろう。

 つまり、みんなの知らない話を彼女と共有する、ということだ。

 申し訳なさも感じたが、少しだけ胸がときめいた。


「……元課長が会社を離れた話は聞いたでしょ」


「はい。転職して、そこでも栄転どころか大抜擢って話も聞きました」


「そうね。自分が思う以上に昇進したとか何とか」


 そう言った後、しばらく沈黙。

 言葉を選んでいたようだったが、その沈黙も長くはなかった。


「元課長が会社を辞めさせられた時、その家族から連絡が来てね。さんざん言われたのよ。あなたのせいで家族が路頭に迷う、って」


「あ……」


 課長達からの話を聞いて、そこまで考えが至らなかった。

 一家の大黒柱が職を失ったのだ。

 もっとも次の就職口の手配などはしていただろうが、事細かな段取りまでは、家族に報告ができたかどうか。

 その不安は、元課長以外の家族には耐えきれないほどではなかっただろうか。

 怒りの捌け口を元課長に向けるわけにはいくまい。

 となれば、噂の発祥元となった彼女に向けられる。


「だからと言って、私も退職したって、元課長の家族の生活が楽になるわけでもないし、何より何もしてないのに何の償いをしろと?」


 彼女の言い分も正しい。

 一番の疫病神は、噂を流した誰かではないか、とは思うが、その人間を突き止めない限り何ともならない。


「けど、元課長のその後は……聞いたでしょ?」


「はい」


「当然収入も増えたはずなのよ」


「まぁ、そうでしょうね」


「……元課長やその家族からは、その後は何の連絡も来なかった」


「え?」


 つまり、退職寸前まで追い詰めた人達は、その後の生活環境は改善された。

 それは吉報には違いないが、追い詰められた川越には何のフォローもなかった、ということだ。


「……理不尽じゃないっすか……」


 と辛うじて声を出すものの、川越のその苦しみの吐きどころがない。

 黙って飲み込むしかなかった、ということだ。


「……冒険を言ってしまってごめんなさい、か何かの謝罪の言葉も……」


「なかったのよ」


 卓也は言葉に詰まる。

 本人しか分からない苦しみに、その苦しみが分からない自分が何を言って和らげられるか。


「他の人がそのことを知らなければ、私が言わなきゃ何もなかったも同然」


「そんな……っ」


 卓也は、憤りのあまりにベンチから立ち上がる。

 しかし川越は、卓也がいつも見る姿同様、背筋を伸ばしたまままっすぐ前を向いたまま。

 その姿に変化はない。


「菊川君……座りなさい」


 逆に窘められる卓也。

 当事者からそう言われたのでは、大人しく従うしかない。


「それに、そればかりじゃなかったから」


「はい?」


「他にも同じようなことがあったから。ただ、大きな騒ぎになったのは、元課長の件だけだけどね」


「あ……」


 座りなさい、と言われたが、座ることを忘れるほど呆然とした。

 そして卓也は思い出した。

 元課長の件は二年前。

 しかし異変が始まったのは四年前。

 そして元課長の件のほかにも、細々としたことが彼女に身に起きている、と先輩達が話していたことを。


「……でも考えてみれば、あなたがこの話を聞かなければならない理由はないわね。それに課長もおっしゃってたでしょう? 明日も平日だって。帰りが遅くなったら明日に響くわよ?」


 思いがけない川越の言葉に、卓也は耳を疑った。

 一つの話を、ほぼ全て聞かせてもらえた。

 しかしまだ別に何かがあると、しかも本人から聞かされて、そのまま詳しい話を聞かされずに帰ったのでは、明朝まで気持ちが落ち着けるはずがない。

 理由は確かにないかもしれない。

 けれど、このままでいいとも思えない。


「……このまま家に帰ったのでは、布団の中でゆっくり眠るなんてできやしませんよ」


 それこそ明日の業務に響く。

 卓也は静かにベンチに座り直し、体はやや川越の方に向ける。

 それを、やはり体を動かさず、目線のみ卓也に向けて軽くため息をつく。

 しょうがないわね、と言ったかどうか。


「私が入社して二年目だったかな……その年は新人は入れなかったから、私達がまだ新人って呼ばれてた頃ね……」


 川越は再び昔話を始めた。


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