ねえ、僕の婚約者に手を出さないでくれる?
(メアリに婚約者がいると聞いてあきらめようと思っていたけれど、あんな大事にしてくれない婚約者にまかせてられるか!)
レオは激怒していた。
かの暗黒微笑王子がメアリを冷遇していることは学園中の噂になっているのだ。絶対に伝えることのない筈だったこの気持ちも今ならば伝えられる気がする。
部活が終わると急いで着替えを済ませ、あらかじめ用意していたプロポーズ用の花束を教室のロッカーから取り出す。
もう長いこと片思いしていたのだが今日こそは告白しようと決めていたのだ。
メアリの待っているあの高台の木の下は、学園の中でも一番、眺めがよく告白スポットとしても非常に人気のある場所である。
いそいそと学園の廊下を抜け、下駄箱に着いたところで思いもがけない人物に遭遇した。
「ねえ、僕の婚約者に手を出さないでくれる?」
一体どこにいたのか、靴箱で靴を履き替えるレオのすぐ後ろから冷えた声がかかる。
声の主に目をやると、金髪を窓から差し込む夕日でオレンジに染めたルカ・ハニエルが深海のような虚ろな目を向けている。
その溢れ出る狂気にあてられてレオが一瞬言葉を失うと、ルカは綺麗な口元を歪めた。
「君にも婚約者がいるよね?」
ルカが煽るように言葉を畳みかけると、レオは痛いところを突かれたかのように顔を顰めた。
たしかに本人の了承もなく親同士の政治的な意味での婚約者はいるのだ。
「それは親同士の……」
だがしかし最後まで言い切ることはできなかった。
ルカが後ろを振り向いて合図すると同時に反対の靴箱の死角から、婚約者の令嬢本人が現れたのだ。
レオは絶句した。
「ひどいですわ……」
レオの婚約者の侯爵令嬢は非難の眼を向けてくる。
まだ公に公表もしていないというのにルカが自分の婚約状況まで把握していることに背筋に冷たいものが走る。
婚約者の侯爵令嬢だってルカとクラスも違うだろうにいつの間に接点をつくっていたのだ。
おそらくこのことで婚約者のレオに対する信用は地に落ちたことだろう。
「可哀そうにマリグレット侯爵令嬢。ギルベルト伯爵家の領地に援助をしたいという優しい心をお持ちだったのに。……裏切られてしまったね」
ふっと口の端を上げて、いかにも優し気に令嬢に寄り添うルカの態度はレオに対する優位を物語っていた。
この醜聞を吹聴するだけでレオを貶められるのだと遠回しに脅しているのだ。レオは拳を握りしめた。
「お前が自分の婚約者をないがしろにしているから……」
「へえ、君がそんなこというんだね」
面白そうに目を細めたルカの背後から仄黒いものが漂っている。
思わずかっとなったレオが拳を振り上げると、ルカはしたり顔で唇をなめた。
「ちょうど君をぼこぼこにしたかったんだ。これって正当防衛だよね?」
二人が殴り合いの喧嘩をくりひろげている中、靴箱の陰で控えていたジョーは、スマートな身のこなしで、取り残されたレオの婚約者の令嬢を学園の門までエスコートして殴り合う荒くれもの二人から引き離し、その足で今ごろぼこぼこにされているであろうレオの従者を探しに行った。
床に臥すであろうレオの体を引き取ってもらうためである。
(ああ……やっぱり面倒なことに巻き込まれた)
いつかの不安が的中しジョーは小さくため息をついたのだった。