8.東京初日
8.東京初日
「――なっ、ななな、何してんだテメェ!」
保健室に入った桐弥の目に飛び込んできたのは、白衣を着た色黒のマッチョがベッドに横たわる樹の頭を鷲掴みにしている光景だった。
――数時間前
暴漢に打ち込む予定だった超能力を誤って助けてくれた人間に放ってしまった東力専の女子生徒――茉莉花篝は焦燥していた。
――どうしよう。
一般人に超能力を行使することは原則禁止されている。私を襲った男は気絶する直前、間違いなく超能力を使おうとしていた。だから超能力を使ったことは間違っていない。誤算だったのは助けが入ったこと――そして助けてくれたこの人が超能力者なのかどうかがわからない……!
だけど、路地の入口辺りでこちらのやりとりを見ていたとして、彼に対して後ろを向いていた男はともかく、彼の方向を向いていた私にも接近を気づかせないなんて……この人、一体何者?
「篝君、ここでしたか……綺麗にやりましたね」
「先生」
路地に入ってきた『先生』と呼ばれた男は、綺麗に顎が外れ気絶している男を見ながら呟いた。
「いやあの、そっちじゃなくて、この人です」
「ふむ」
「――つまり、襲われそうになって超能力を放ったら、間に入って助けてくれた人に間違って打ち込んでしまった。そういうことですね?」
一通り篝から説明を聞いた男が、納得がいったというふうに頷く。
「それは電話でも話したんですが……とにかく、早く学校で治療してください!直前に手加減したとはいえ、ほぼ全力で打ち込んだので下手したら死んでしまうかも……」
「わかりました。彼は私が学校に運んで、御甦生先生に治療して貰います。あなたを襲った男は自由主義政府に連絡して捕縛してもらいましょう。では、先に失礼します」
男はそう言いながら樹を担ぎ、地面を一蹴すると光の如く消え去った。
「ちょっ……!?先生、速すぎ――じゃなくて、自由主義への連絡は先生がするの?私がするの!?もう、どっちなの!?」
説明が足りない教師にイライラして叫んでいると、表からまた別の男が現れた。
「茉莉花さん……ですね?その男はこちらで預かります」
「……誰ですか」
自分の名前を知っている男を不審に思い警戒する篝だったが、帽子を深く被った男は篝を気にすることもなく、倒れている男の服に手を掛ける。
そして、胸ポケットに入っていた一枚の写真を確認し、男の首根っこを掴み、表通りに引きずっていった。
「ちょ、ちょっと、一応怪我人ですよ」
「怪我人の前に、こいつは犯罪者です」
強い意思がこもった男の言葉に、篝は一瞬たじろいだ。
「……すみません、脅かすつもりはなかったのですが。申し遅れました、自由主義軍部の烏丸という者です。東力専関係者の方から連絡を受け参りました。この男はこちらで預かりますので、ご心配なく」
「連絡を受け……って」
――先生、いつの間に連絡したの!?
物凄い勢いで進む状況についていけない篝は、走り去っていく装甲車を眺めながら、とりあえず東力専に向かうことにした。
「さよなら田舎――そしてッ!こんにちはッ!東京ッ!!さぁーて、最初はどこいこっかな~。せっかくの東京初日、満喫する他ないっしょ」
送別会が終わり、東京に着いたのは18時頃となった桐弥。
新幹線の中で東京観光ガイドを読んでいた桐弥の頭の中からは東力専に向かうという当初の目的は綺麗に無くなっていた。
「いやあ、しかし凄いのは東京駅だよなぁ……ガイドによると超能力によって500年以上形を保持しているとかなんとか。500年前の建築技術ってすげぇんだな……っと、そうだ。樹に東京着いたこと言っとくか」
鞄から携帯を取り出し、SNSサービスを立ち上げ『喧嘩大好きお兄さん』に電話を掛ける(桐弥が勝手に改名している)。
「っもっしもし~!東京着いたぜぇ~~!いや~結構送別会楽しかったわ!すっげぇ久しぶりに従弟と会ってさぁ……じゃなくて、今から東京観光するからお前も来いよ!まずは渋谷!渋谷がいい!スクランブル交差点見に行こうぜ!本当に車より人が強いのか確かめに……」
『今は人少ないですよ』
「あえ……誰?」
携帯から女性の声が聞こえてきた。
掛け間違えたかと思い画面を確認するが、間違いなく『喧嘩大好きお兄さん』である。
『すみません、茉莉花篝と申します。この携帯の持ち主――真白樹さんは、現在東力専の保健室で専門家の治療を受けている状態です』
「治療?」
『はい。超能力攻撃を受けたので普通の病院ではなく、治癒能力を持つ東力専の養護教諭により処置が施されている最中です。あなたは真白さんのご友人でしょうか?……その……加害者は』
「オッケーわかった」
桐弥はそう言って電話を切り、荷物をほったらかして東力専へと走った。
「待ってろ樹、犯人は俺がぶっ飛ばしてやる」
そして、今に至る。
「て、テメェ……!樹から離れやがれぇ……!」
「何だ、君は」
樹の頭をガッチリ掴んで離さない筋骨隆々の男の腕を引き剝がそうとするが、まるで大木の如く、ビクともしない。
――コイツ、何て力してやがる!
「オラァッ……!」
「むっ!?」
桐弥が全力を出してようやく樹の頭から手が浮いたところで、その様子を呆然と眺めていた篝がハッと気づき、桐弥を止めにかかる。
「ま、待ってください!今は治療中です!」
「……は?治療中!?」
とても治療中とは思えない――そもそも治療するように見えない大男と、心なしか楽そうな表情をしている樹の顔を見比べつつ、静かに後ろへ下がる。
「……」
桐弥は暫く考え込んだのだが――
「いや、おかしいだろ」
どうにも整合しない状況にやはり納得がいかなかった。
「私も東力専に来た時は驚きましたが……正真正銘、この方は東力専の養護教諭であり、陰陽掌の能力者、御甦生先生です」
「お、おんみょうしょう……?うすぢ……何?」
次々と耳に入る聞きなれない言葉(名前)に困惑する桐弥だったが、ベッドに横たわる樹を見て真剣な目つきになり、篝に問いかけた。
「もうそこのスーパーマッチョはいい、納得してないけど納得した。悪そうな人でもないしな。……それより、樹がこんな風になった原因は誰だ?どこにいる?見つけて八つ裂きに……」
「私です」
「……はい?」
目の前のこの女が、樹を?――いや、ありえねぇだろ。
「私を襲ってきた男に超能力を打とうとしたら、彼が間に入って私を助けてくれたんです。でも、あまりに一瞬の出来事だったので能力にブレーキをかけられず、そのまま彼に……」
涙目になって申し訳無さそうに説明する篝。
「……マジか」
殴り合いの喧嘩なら世界一と言っても過言では無い樹が、一見ひ弱に見える、小動物みたいなこの女に……とてもじゃないけど、信じられねぇ……とはいっても、嘘を吐いているようにも見えねえ。
――マジか、マジかよ超能力――
「本当に、申し訳ありません。どんな罰でも受けます」
「あ、いや、わざとじゃないんだったら仕方ないって。顔、上げてくれよ。ただ俺は、あの樹が君みたいな女の子に伸されるのが信じられないってだけで……」
「茉莉花君は東力専の中でもトップレベルの攻撃系能力者だ」
「うわっ!急に喋った!?」
出会ってから初めて言葉を発した(正確には何度か喋っていたのだが、桐弥はそれどころではなかった)巨漢に、わざとらしく驚く桐弥。見ると、樹の頭からは手を放しており、タオルで額の汗を拭っていた。
「全く、失礼な男だ。突然入ってきたかと思えば治療の邪魔はするし、人を化け物みたいな目で見るし、礼儀というものを知らないのか、君は……私は御甦生曇海。こう見えても繊細な人間だ。そういう対応をされると少し傷つくのだよ」
「は、はぁ……」
ごもっともな文句だったが、白衣の下は上裸で、ゴリゴリに鍛え上げられた肉体が黒光りしている。首には太陰太極図の刺青が彫られており、サングラスをかけ、おまけにスキンヘッド。繊細とは程遠い見た目のその男は桐弥に近づき、上腕を触る。
「な、何を……」
「ふむ」
暫く触ったのち、御甦生は納得したように話し始める。
「真白君といい、君といい、尋常ではない鍛え方をしている。茉莉花君は運がいい。相手が真白君ではなかったら、間違いなく君の能力を受けた者は死んでいただろう」
「や、やっぱり……この真白っていう人、只者じゃないですよね」
生唾を飲む篝を見て、桐弥は自分が褒められたかのように上機嫌になる。
「そっか、篝ちゃ……ちゃん付けでも大丈夫?」
「えっ、いやまぁ、大丈夫ですけど……」
「篝ちゃんは樹の戦い、その目で見たんだもんな!いやぁ見る目あるね篝ちゃん!そう、何を隠そう樹は俺が出会った人間の中では間違いなく『最強』!どんな相手も一撃でぶっ飛ばす膂力、どんなに殴られても倒れない屈強さ!今回は運が悪かっただけで、昔は超能力者だってそれはもうボーッコボコに――」
「茉莉花君、君は運が良かっただけだ。一歩間違えれば、君は一般人を殺害していたかもしれない。重々反省するように」
「はい……。私の処罰の方は、どうなるのでしょうか?」
「それは私の決めることではない。もうすぐ担当の先生が――」
御甦生の言葉を遮るように保健室の扉が開き、一人の教師が部屋に入る。
その教師は樹と桐弥を確認した後、重い空気を漂わせる御甦生と篝に声を掛ける。
「やっぱり君達ですか。運が良かったわね茉莉花さん、貴女が攻撃したのは今日から東力専に転入するれっきとした超能力者よ」
「「えっ!?」」
「あ、泝陀先生じゃん。東京来たよ~」
「久しぶりね、吉崎君……といっても、一週間ぶりくらいかしら?」
黒ジャケットに黒タートル、いかにも完璧主義な風貌のその女性は、かつて樹と桐弥に東力専への転入を勧めた女性だった。
しかし、桐弥の記憶の中の女性とは、少し雰囲気が違っていた。
「んん?先生、なんか雰囲気変わりました?何か前とは口調が違うような……。なんか、前よりも凄くドSっぽいですね!すっげぇいいと思います!」
「ちょ、ちょっと!?泝陀先生にそんなこと言ったら……」
笑顔で親指を立てる桐弥を慌てて止めに入る篝だったが、笑顔でこちらを見る泝陀を確認したのち、ゆっくりと桐弥から離れる。
「……あれは、外面だもの。取り繕うのは当然でしょ?」
「いやまぁそうっすよねえ!泝陀先生すごい色っぽ……あいや、魅力的な女性ですからね!取り繕ってないと惚れちゃう男続出ですよねぇ……俺も、泝陀先生の秘密の授業受けてみたいなぁ……なんて」
軽口を叩き続ける桐弥を見て、こりゃだめだと言わんばかりに首を横に振り、教室を後にする御甦生。
「秘密の授業……それも良いわね」
「えっ、マジすか!?冗談でも言ってみるもんだなぁ……フフフ」
鼻の下を伸ばす桐弥に笑顔で近づく泝陀。
だがその泝陀の笑顔は、『笑顔』というものから遠くかけ離れたものであった。
泝陀が近づくにつれ、桐弥も段々と己に近づいているものがなんなのか理解する。
――ん?これ、殺意?
「まずはその口から、教育し直さないとね」
「……泝陀先生、やっぱ雰囲気変わりました?」
それから一時間後、意識を取り戻した樹の目に映ったのは、両頬を赤く腫らし布団で簀巻きにされている桐弥と、その上で足を組んで眠る泝陀、心なしかゲッソリとした顔でベッドの傍で眠っている篝の姿だった。
「……なにこれ」
樹はそう呟き、その光景が夢か何かだと思い込み、再び眠りにつくのだった。