3.鮫
3.鮫
どこかの廃倉庫
「自由主義の兵士と戦闘になりました。…えぇ、こちらの被害はありません。
5人です。3人に致命傷を与えました。…生死の確認はとれていません。
はっ、申し訳ありません。」
薄暗い建物の中で、黒めの服を纏った二人の男が、
電話越しの相手に神妙な面持ちで謝罪している男を見守っている。
「…邪魔が入りました。…いえ、自由主義の人間ではないと思われます。
ただ、我々帝国に敵対する人物であることは確かです。」
その人物を思い出したのか、男のこめかみに血管が浮き出ている。
今にも爆発しそうなその男を見ていた二人は、このままだと何かしら巻き添えを喰らう事を察し、2、3歩後ろへ下がった。
「…はい。…はい。…次こそは、必ず。
しかし、そんなに重要なんですか、"そいつ"は。
俺達が命を張ってまでそいつを帝国に引き込む必要はあるんですか?
このままだと俺達は…ッッ」
通話が一方的に切られ、男は音の聞こえなくなった機械を握りしめ、歯を食いしばり、溢れる怒りを抑え込もうとしながら――
空を切った。
刃物を持たないその男が身を屈めた瞬間、周囲に漂っていた埃が風圧と共に消え去った。男が着用していた服の背面には四つ斬られたような穴が開いていたのだが、見守っていた男はまるでそれが当然かと言うように、替えの服を鞄から取り出した。
「予備はまだ持ってきていますよ。当然、予備の通信端末もあります」
それを聞いた男は我に返り、端末を握っていたはずの手がしっかりと握りしめられた拳になっていることに気付く。
「あぁ…すまない。つい、カッとなってしまった。費用もバカにならねぇのに、またバカみたいに壊しちまった。バカ、バカ、バカ、バカ…ほんとにバカだ。クソ。畜生。…あぁッ!怒ったことを考えるとまた怒っちまうんだ。それの繰り返しだ、クソ…」
やたらとバカという言葉を連呼しながら自らの激情と戦う男の名前は、鮫島九。
帝国能力統制主義の荒事担当――帝国軍事部門の中尉である。
戦闘向きの能力だということで強制的に徴兵される人間が帝国では過半数を占めるが、鮫島は自らの能力をしっかりと理解し、進んで兵士に志願した根っからの軍人である。
人よりも争いごとが好きな彼だが、荒事だと言われて与えられた今回の任務には全く納得がいかなかった。
"とある人物の情報入手及び拉致、当任務を阻害する人物の殺害、または組織の壊滅"
荒事という言葉に偽りは無いが、鮫島はこういった戦闘が不本意に、オマケでついてくる任務が嫌いだった。
「あの新入り上官、俺の得意分野を知らねぇのか!?前のバカ野郎の方がまだマシだったぜ!俺は決まった人間を殺したりとか、反乱因子をぶちのめしたりする方が得意なんだよ!それをなんだ、ガキ一人を捕まえるために自由主義の領地に駆り出され、既に4回以上自由主義と交戦…しかもいつもバッタリ鉢合わせ…なんなんだよ!?」
「最後に交戦した時は本当にまずかったですね……。
たまたま見つけた自由主義の軍人から情報を聞き出そうとしたら、恐らく哨戒任務中だった小隊に発見され戦闘……鮫島さんが先手を打ったお陰でほぼ無傷で済みましたが、敵の小隊長は強敵でした。敵に足手まといがいなければ鮫島さんはともかく、我々2人のどちらかが無事では済まなかったでしょう」
「あぁ、奴がヒヨッコを庇ってくれなきゃもっと戦いは長引いただろう。
バカな奴め、庇ったところで手前が死ねば結局そいつも殺されるだろうによ…。
あぁ、そいつも殺される…はずだったんだ…。なのに…ッ」
――数時間前
「ハッ!動きがトロすぎるだろ!死ねぇ!」
突然の戦闘に頭も体も全く追いつかなかった自由主義の訓練兵――山城順平は、目の前に迫る死の権化が自分に襲い掛かってきているということを認知するまでに2秒かかった。
一瞬の判断が命取りになる戦闘の中で、2秒という時間はあまりにも長く、そして、短かった。
視界が赤く染まり、やっと自らが死の危険にあることを理解した時には既に敵の攻撃は終わっており、目の前には自分を訓練していた教官の右腕があった。
「た、滝山…教官…」
「うぐッ…敵を目の前に何をボーっとしてるんだッ…!お陰で利き腕がどっかいっちまっただろうが…!佐竹と小山は他の二人の相手をしろ!三谷は…ダメか!こいつは帝国の鮫島だ!お前らじゃ相手にならねぇ!…ま、俺もなんだけどッ…!!」
腕が吹っ飛んだ激痛に耐えつつ、冷静に敵の情報を部下に伝え、残された手を相手の方に向け…
「大気衝!!」
滝山が叫んだ瞬間、手から途轍もない衝撃波が発生し、辺りのゴミを巻き込みながら鮫島に直撃した。
滝山の渾身の一撃をまともに喰らった鮫島は10m程吹っ飛び、床に叩きつけられた。
そして鮫島は、何事もなかったかのように立ち上がった。
「大気を凝縮し射出する能力、または風を操る能力か…?教官と呼ばれるだけあって、中々の威力だ。利き腕だったらもっと凄いんだろうな?ただ…俺との相性は悪いみたいだ」
自身が今出せる最大の攻撃が直撃したにも関わらず、冷静に能力を解析する鮫島を見て、滝山は諦めの混じった笑みを浮かべた。
「直撃する瞬間に大気を切り裂き、衝撃を緩和した…か。
見たか山城。こいつは化け物だ。俺が本調子じゃないとはいえ、常人なら衝撃だけで気絶するレベルの攻撃を喰らってあれだ。立てるか、山城!?俺が時間を稼ぐ。お前は出来るだけ遠くに逃げろ!これだけの騒ぎだ、誰かが通報するだろう。自分の命を最優先に考えるんだ!」
「でも、きょ、教官達が…」
「さっさと行け!俺以上の攻撃が出来るのか!?だったら直ぐにやれ!出来ないなら走れ!」
哨戒という名目で戦闘のイロハを教えられている途中だった訓練兵・山城に滝山以上の攻撃が出来る訳もなく、彼は指示通り、全速力で逃げた。
後ろから仲間の悲痛な声が聞こえ、何度も足が止まりそうになったが、懸命に走った。
そして100m程走ったところで――止まった。
自分の意思ではなかった。疲れたわけでもない。
現れたのだ。
先程まで後方で戦っていたであろう人物が、目の前の曲がり角から現れたのだ。
その人物は、彼の期待していた人物ではなかった。
「よう。『教官』、中々強かったぜ。ほらよ」
あまりの衝撃に目の前の人物が何を言っているのかも理解できないまま、投げ渡された物体に目を落とす。見覚えのある手だった。
「こ、れは、教官、の、右…」
「左手だよ」
冷たく言い放たれた言葉と共に振り下ろされた鮫島の右腕が、山城の胸部を切り裂いた。
教官が死んだ――その事実が心臓を抉った。
正確には滝山が死んだという情報は彼の下には一切届いていなかったのだが、
右手と左手の違いをツッコミながら人を斬るこの男が有能な上官を見逃すわけがないという確信があった。
そして、自分の体から流れる、夥しい量の血液。
――こんなに流れるんだ。
映画やアニメの中と同じように自分から流れる液体が、彼が死の運命にあることを物語っていた。
だが、山城に絶望をもたらした男は、彼をすぐには殺さなかった。
「さて、2、3個質問がある。俺の求める答えが1つでも出たらこのまま放っておいてやる。それ以外は、わかるな?まず、この写真の小僧に見覚えがあるか?」
そう言って見せられた写真には、制服を着た、オールバックでガラの悪そうな青年が写っていた。
制服には見覚えがあった…なんならかつて自分もこの制服を着ていたのだが、彼の質問とは関係が無いと思い、口を噤んだ。
「…だろうな。次だ。自由主義が強制的に能力者を管理しているとかいう噂を聞いたことがないか?あるならある、ないならないで答えろ。詳細はいらん。」
――強制的に…?目の前の帝国軍人は、自由主義の思想が自分達の思想と同じだと思っているのか?
普通に考えれば、その事実を交渉材料に先程の青年を引き取るつもりだということがなんとなく解るが、死の淵にある山城の精神状態は普通ではなく、滑稽な事を言う男に思わず笑みが零れた。
「…ハハハ……ないよ…」
「…?そうか。じゃあ3つ目…と思ったけど、もう質問ねぇわ。じゃあな」
そう言って背を向けた鮫島の背中から、"四つの刃が生えた"。
そしてその刃は山城に喰らいついた。
四つの鋭い刃がぶつかり合って金属音を鳴らし、鮫島は後ろの人間が切り分けられた肉塊になった事を確信――できなかった。
いつもより速く鳴った金属音にどうしようもない違和感を感じ、後ろを振り返ると、そこには何もいなかった。
――あの男が避けたのか…?いや、それはない。口を動かすのがやっとという印象だった。瀕死時のみ発動する能力…だったら能力を使ったことが気配で解る。生き残りの味方が能力で助けた線も違う。大体他の奴は仲間が…
思案を巡らせていると、答えの方から声を掛けてきた。
「やあ」
嫌な空気が漂った。鮫島は久方振りにこの雰囲気を感じた。
先程、滝山や山城とかいう男が自分と相対した時に感じていたであろう空気。
――自分を殺すことができる人間がすぐそこにいる。
そう感じた瞬間、鮫島の体の至る所から刃が生えてきた。
半分は自分の意思だったが、もう半分は自身の生存本能によるものだった。
鮫島の能力の一つ、鉄の鰭。
両腕、両手首、両脛、背中に四か所。
刀のような見た目をしているが、両側に刃が付いている。
可動域はあるがある程度まで長さや形を変化させることもできる。
切れ味はかなり鋭く、鉄の柱程度なら軽く振っただけで両断することが可能である。
全ての鉄の鰭を発動している姿は、正しく凶悪な鮫そのものであった。
「おぉ、凄まじいな。これじゃ自由主義の下っ端が手も足も出ない訳だ」
鮫島の能力の恐ろしさを知ってか知らずか、その男は鮫島の方へ歩み寄った。
よく見るとその男はスーツを着用しており、顔は赤い天狗の面に覆われていた。
「おい、天狗野郎。俺に殺される予定だった男を何処へやった?」
「予定?求めてた答えが出ても最初から殺す気だったのか?
帝国の連中は乱暴でよくないね、ほんと」
「…どこから聞いていた?」
「君の求めている答えは出せないよ」
天狗の男がそう言い始めると同時に、途轍もない勢いで鮫島が刃を振るった。
今までの戦いと違う、相手を殺す為だけの全く無駄の無い的確な攻撃だったが、
天狗の男は既の所で上半身を仰け反って躱し、さらに右足で刃の刀身を蹴り上げ鮫島の体制を崩し、そのまま後方転回する形で鮫島の方に向き直った。
――尋常ではない身体能力だが、超能力で強化している訳では無い。だとすれば…
相手が超能力を隠し持っていると判断した鮫島は、天狗の男を無視し、
自由主義の兵士を始末している仲間の下へ向かった。
そこには戦闘の余波で倒壊した建物、自らが始末した敵の小隊長と、
敵二人の死体、そして生き残りの頭に銃を突き付ける仲間の姿があった。
――仲間と合流して迎え撃とうと思ったが、思ったより騒ぎになりそうだな。
「鮫島さん!こちらの戦闘は終了しました。情報を聞き出すために一人残し…あがッ!?」
「ちょちょちょッ、鮫島さん!?」
仲間二人の姿を見つけるや否や、首根っこを掴んで地面に潜った。
当任務を阻害する人物の殺害……というのも任務の内だったが、
あの得体の知れない人物と交戦するにはリスクが高すぎた。
それに戦いが長引けば必ず自由主義の援軍が来る。
一度激昂すれば語彙力が極端に低下する鮫島だが、こと任務の成功が脅かされる事態に対しては、極めて冷静だった。
そして現場から2km程逃走し、今に至る。
「『天狗の男』、気になりますね。ターゲットと何か関係があるのでしょうか?
まさか任務を阻害してくるのが自由主義ではなく、第三者だとは…」
「本気の鮫島さんを相手に退くことを選択しないとは、
余程自分の能力に自信があるようだな…。」
「あぁ、奴は強い。俺の初撃を身体能力だけで捌く事が出来る奴なんて帝国にもそういない。あれは何か訓練を受けた奴の動きだ。
今後奴が出てきて任務の妨害を続けてくるようであれば、俺達も被害を受ける…
下手すりゃ、全滅する可能性だってある。厄介な相手だ」
――何より天狗の男が保護した自由主義の奴に写真を見られてるのが不味い。
鮫島は考えた。
そして――
「わかった」
その台詞を聞いた部下達は、嫌な予感がした。
この鮫島という男が、半ば吹っ切れたような声色で"わかった"と言う時、大抵任務の全てが"プランB"になるのだ。
「そうだ。大体細々としすぎなんだよ。大胆さが足りねぇ。
下っ端から情報を聞き出そうなんざ、俺のスタイルじゃない。だろ?」
「さ、鮫島さん。今度はもう少し慎重に行きましょう。警戒の薄い所を…」
「俺達が致命傷を与えた奴らの意識が戻るのも時間の問題だ。
そもそも意識を失ってるのかすらわかんねえ。
つまり、時間を掛ければ掛けるほどリスクが高まるんだよ、わかるか?」
宥めようとする部下の言葉を無視し、自らの考えを口に出す。
勿論、部下達にとって問題なのはこの前口上ではなく、
「コイツの通う学校を見つけて丸ごと潰す」
純粋な暴力による任務遂行である。