2.烏
2.烏
日本国内 自由権利主義統治領
「鮫島九と部下2名。対して我々の戦力は、滝山曹長率いる5人小隊。
いかに鮫島が強いとはいえ、3人が死亡し2人が意識不明の重体。7人の民間人が倒壊した建物に巻き込まれ重傷者多数。内2人は未だに行方不明…なんたる醜態だ」
帽子を深く被った男が、赤黒く滲んだコンクリートを眺めながら呟く。
「仕方ありませんよ、少佐。鮫島の能力はご存知でしょう。
あれ程市街地での戦いが得意な能力はそうありません。一度翻弄されれば、そこから逆転できる可能性は極めて低い。しかも滝山曹長の部隊は訓練兵を2人連れていました。大方、窮地に陥った訓練兵を庇って――」
「いい、それ以上言うな」
部下の言葉を遮った男の目には、怒りが浮かんでいた。
まるで訓練兵に非があるとでも言うような部下の言葉に対した怒りではなかったのだが――
「っ!申し訳ありません、不謹慎でした」
深く被った帽子から覗く目に映る怒りが自分に向けられたものだと錯覚した男は、
慌てて姿勢を正し、自らの失言を省みた。
「……しかし、多いな。先月と合わせるとこれで10件。
帝国の奴ら、一体何を探りに来てるんだ…?」
新世界暦400年。自由主義と帝国主義の対立は続いてはいるものの、
92年以来、両派閥の戦闘による犠牲者は3万人にも満たなかった。
その理由として、派閥が別れたことによる統治領の仮決定がある。
派閥が別れた際に締結された協定は幾つかあるが、
この決定こそ、日本が未だに日本の形を維持している最も大きな理由なのである。
1.互いの領地への許可の無い侵入の禁止。民間人を含む。
2.領地内では統治している派閥の法が適用される。
3.統治領内で起こった派閥間戦闘の賠償責任は敵対派閥が持つ。
この3つの規定により、敵対領地に侵入し戦闘を起こすことのリスクが格段に増したのである。
にも関わらず、増え続ける帝国主義の諜報活動に、
少佐と呼ばれた男――烏丸染李は疑問を抱いていた。
「戦闘で起きた損害は帝国側が10件中7件賠償している。
今回の件を除き2件は損害が少なく未だに確認中だと言っているが、
それでも馬鹿にならない金額を帝国は支払っている。なのに、諜報活動を辞めない。そこまでして得たい情報とは一体何なんだ?そもそも情報なのか、それとも…」
「自由主義の部隊配置や能力研究のデータが欲しいのであれば、
帝国はまるで見当違いの場所に部隊を送り込んできています。
帝国が我々のデータが保管されている場所を知らないという線もありますが、
そうだとしても、毎回こう住宅街や商店街、派閥争いに関係無い、民間の地域に部隊を送るなど…
はっきり言って、幼稚な嫌がらせのように感じます」
「嫌がらせ、だと良いのだがな」
烏丸は、帝国主義の目的が見えない不気味な行動に不安を抱きつつ、その場を後にした。
「鮫島九…。俺の部下を殺めた罪はいずれ贖ってもらうぞ…。」
今回の事件で犠牲になった滝山曹長はかつて自らが戦闘訓練を行ったこともある、
数多くいる烏丸の部下の中でも親しい部類に入る人物だった。
滝山は戦闘能力こそ高くは無かったが、優れた指揮能力を持っていたため小隊長という立場に任命された人物である。
それなりに交流があり、将来が期待されていた部下を失った烏丸は、ここ1年間で最も深い憤りを覚えた。そして心の中で、主犯の鮫島を"出会ったら即座に消すリスト"に追加した。
なんとなくそれを察し、そして烏丸の戦闘能力をよく知っている部下の武田浩太伍長は、鮫島九がこの先必ず死ぬ運命にあることを知り、帝国の脅威がまた一つ減ることに対する安心感と、自分が戦えば敵わないであろう鮫島を簡単に始末できる上司に、僅かな恐怖を覚えた。
「鮫島九は24歳か…短い人生だったな…。」
「何か言ったか、武田伍長?」
敵である鮫島に思わず同情してしまった武田は、首を左右に振りその思考を改めた。
「いえ、何も。少佐は心強いお方だと思っただけですよ。」
「そうか。実地調査は終了した。後は生き残りの二人から証言を聞くだけだ。」
「目を覚ますと良いのですが」
「滝山曹長が身を挺して守ったんだ。生きていてもらわないと困る。
目を覚まさないのなら、無理矢理覚ますまでだ」
無理矢理覚ますって、どうやって?という疑問が頭の中に浮かんだが、聞いたところで返ってくる答えが荒療治以外の何物でもないことを察し、武田伍長は恐ろしい上司を最寄りの病院に送るために、装甲車の運転席に座った。
「よっ、と…それでは、自由権利主義統治下、横山田病院に向かいます。到着予定は13時20分。院内に喫茶店があるので、昼食はそこでとりますか?」
「ああ、頼む」
閑静な住宅地を、装甲車が走る。