白と黒の町
クリスは飛び跳ねるようにして起きた。
マークが言い争っていた相手は、学校の事務員であった。事務員は魔導術師ではない人間も多く採用されていたため、一律で今回の戦争には徴集されなかったのである。しかしながら、多くの教員や生徒を失ったことを受け、休校しようというのである。その間、教職員らは全員学校からはいなくなるため、管理ができなくなるため学校併設の寮も空けなくてはならない、とのことらしい。
この部屋以外からも多くの不満の声が聞こえてくる。それもその通り、医者もいないこの町で唯一この寮だけが休める場所だという者がほとんどである。巨大盆地内に家を持つ者ならまだ受け入れられる話だが、山岳地帯の向こうの町から来たマークやイスリ、レイからすればたまったものではない。三人にとって帰宅するということは、二つ三つある雪山を越える必要があるということである。道中に山荘もないため一日で越えなければならない。この疲弊した、傷ついた体で。レイを運びながら、である。
「今日の正午までには退去してください。でなければ退学とし、強制退去とします。もし学校運営が立て直されたとしても、再入学は許されません。それでは」
事務員はそう言い残すと、部屋から去っていった。
「ふ、ふざけんなよぉ!」と喚きたてるマークを、クリスは制止した。去り行く事務員を静かに指差す。
事務員の表情は平静を装っていたが、後ろに組んだ手は、震えるほどに握りしめていた。
「みんな、苦しいんだ」
「……バカなんじゃねえか。どいつもこいつも。俺らが何したってんだよ。国を助けたろうがぁ! なんで、こんなことに」
「落ち着こう、レイが怯えてる」
既に起きていたレイは耳を塞いで体を震わせていた。とにかく急いで出立の準備をしなければならないと、マークはイスリを起こし、手分けして食糧や防寒具などの買い出しに向かった。体が不自由なクリスとイスリは、部屋で荷車の修理と、イスリが長時間座っていられるようにクッションと毛布を備え付けた。雪道対策として荷車の車輪に縄をくくりつけた。
「左手だけじゃ、やりにくいね」とレイに話しかけるも、レイは虚ろに壁を見つめるのみである。クリスはローブのポケットに入っていたピルスを取り出した。体は暖かかったが、憔悴しきっている。ピルスの足に着けていた防雷のお守りが半分焼け切れている。魔力暴発の際に巻き込んだのだと思い出した。ピルスに餌を与えてみるが、食べることはなかった。
「一緒にいよう。君が逝ったら、ちゃんとお墓は作るよ」
マークとイスリが大量の荷物を抱えて帰ってきた。早速荷車にレイと荷物を載せて、寮を出発した。
「僕の家に行こう。キルシカは盆地の中の町だからここから半日もかからずに着くよ」
「クリス……すまねえな。迷惑かける」
「大丈夫。さ、行こう」
クリスらはできる限り裏通りを通って町を出ようとしたが、一人の少年がクリスへ声をかけてきた。
「お、お兄ちゃん」
「君は……この前の」
声をかけてきたのは、この前不用心にも犯罪者へ近づいた男の子であった。男の子は、何やら気まずそうに「あの、あの。この前は……えっと」と何か言いかけながら顔を背けている。クリスは男の子に近づき、その場にしゃがみこんだ。男の子の目線の高さに合わせ、目を見ながら微笑む。
「大丈夫だよ。しっかり気持ちは伝わっているから」
「う、うん……。あ、ありがと」
クリスが男の子に別れを告げ、マークのもとへ戻ると「子供好きは相変わらずか」と呆れていた。イスリはどこか誇らしげに微笑む。
クリスは、あの子の日常も守れたのだと思えば、あの戦争も無駄ではなかったと複雑な胸中ながらに実感した。そして四人は誰にも告げることもなく静かに町を後にした。
────キルシカへ辿り着いた一行はその目を疑った。
キルシカは灰の町と化していた。家々は炭のように黒焦げており、荒らされた形跡が見て取れた。ひどい焦げ臭さが充満している。とても人が住めるような状態ではなかった。
「と、父さん! 母さん! メイ! みんな……! どうして!」
叫ぶクリスに気が付いた残っていた老人が近寄ってきた。
「エヴァランスさんとこの息子かい。キルシカは見ての通りさ」
「リーシャ婆ちゃん! みんなは、無事だよね?」
「さてねえ、地下に隠れてたもんだから見てはいないけれど、どこかに逃げ延びたんじゃないかい。人型の黒焦げが少ないからね」
「どうして、こんなことに……どうして」とクリスは崩れ落ちた。
「まあ、こういう場合は大抵、敵国の残党だろうね。捨て身でここまで踏み込んで、荒らすだけ荒らすのさ」
「スティルマレの、騎士団員がこんな首都の近くまで?」
「ティルカシカは衛兵を置いたままにするだろう? そういうことさ。こうなることを予見してる。残党程度では首都は攻め込まないだろうが、こんな小さな町じゃあ、すぐに焼け野原だよ」
リーシャと呼ばれた老婆は「戦争ってのはそういうもんさ。ここに住める家はもうないよ」と言い残すと、焼け跡を名残惜しそうに見つめながら歩いて行った。
「ごめん、みんな。無駄足だったみたいだ」
「クリスさん、気にしないで。あなたの故郷がこんなことになってしまって、私も悲しい……」
「そうだぜ、どうせ山越えするにはキルシカを通るんだ。大して変わりはねえよ。しっかし、やっぱり山越えかぁ。しっかり休憩してから行こうぜ」
その日は運よく晴天であったためか、山道は雪で覆われていなかった。普段は多くの行商人や旅人、冒険者が行き交う道だが、戦争状態にあるためかひと気はまったく見当たらない。その代わり数度、モンスターと出くわしたが、皆の魔導術によって退けられた。魔力の調整についてはまだ習っていないため、不要な魔力まで放出してしまい、魔力不足に陥るのも時間の問題であった。
山の中腹まで辿り着いた一行は荷車を止めて、腹を満たした。荷車を押しながら登山することの大変さを身に沁みらせつつ、再度出発しようとした矢先、あろうことか雪が降り始めてきた。休憩中に空を雲が覆っていたようである。
「嘘だろ、早く行かねえと! みんなフード被れよ! 夜には山を越えらえれるはずだ」
「そうだね、頑張ろう。イスリ、大丈夫かい」
「ええ、山の天候は変わりやすいから慣れてるよ。クリスさんは、大丈夫?」
「杖は慣れないけど、なんとか」とクリスは笑って見せたが、既に右腕右足は寒さを感じなくなっていた。まるで、他の人間の手足がくっついただけのような感覚であった。それに加え、キルシカの焼け果てた姿を思い起こしてしまう。どうしようもなく悲しい気持ちになった。ふとポケットのピルスに触れてみると、息が浅くなっていることがわかる。沈む気持ちを奮い立たせ、クリスは木々が生い茂る山道を進み続けた。
頭に被ったフードを雪が徐々に白ませてくる。日も暮れ始め、いよいよ野宿するか考え始めた頃、突如、マークが悲鳴を上げ、倒れこんだ。




