第八十一節 フロスティホワイトの布告 後編
犬が人型になって歩いているような人。腕先だけが毛むくじゃらの人。耳だけがウサギの人。僕と同じような人間。数多くの、あらゆる人々がせっせと歩き回る大通り。建物は木材を中心に使われており、海に面しているというのに腐れている様子はない。
ムーリン。
なんとか国の貿易都市、その名をムーリンというらしい。僕が一番最初に訪れた街だ。戻ってきた、飛行氷で。
質の高い強化魔術を使えば、戦闘機のパイロットが使うような特殊なスーツも必要なかった。あれは内臓への負荷や、血が下がっていって足に溜まって失神するらしいが……強化魔術は血流まで硬くなって重力加速度の影響を受けなくなるのか? それはないよな。理屈がわからない。
まあそれはいい、無事到着できたわけだし。強化魔術の働きについて究明したって、生かしようがない。メアリーさんは質の高い強化魔術も使える、その他魔術もほとんど質が高い、他者への付与もお手の物だ。さすがまともに見たことなかった結界魔術を単独で使うだけある。メアリーさんは魔術が得意、それだけ知っていればいい。
さて、わざわざムーリンまで来たのだ。開戦はおよそ一ヵ月後、やらなければならないことが多すぎて、時間は足りないくらいだ。さっさと目的を果たそう。
夕暮れの中に潜む闇へ、キングマン二世や偽アレクトと、そしてリリーさんと出会った路地裏へ僕たちは歩みを向けた。
「メアリーさん、すこし隠れていてください」
「うん」
やるか。
「きゃあああああああああああああああああ! 衛兵の人助けてくださぁぁぁぁい!」
頭を抱えながら金切り声で叫ぶと、しばらくして金属同士がぶつかる音が響いてきた。よしよし、ムーリンは騎士も衛兵も優秀だからね、来てくれるだろうとも。
「どうした!」
「あ、騎士団長のオーレンティウスさん呼んでくださいます?」
「いや、え? どうしたのだ、なぜ騎士団長を?」
あ、まずい。大して理由なんて考えてなかった。オーレンティウスさんを呼ぶ理由か、たしかオーレンティウスさんは王国が所有する騎士だったな。
「あー、えっと。実は賊たちが、国王暗殺を企てていまして。そこに出くわしてしまったんです……あなたが来てくれないと、危ないところでした。僕はオーレンティウス騎士団長と懇意にさせていただいているので、できれば直接伝えたいのですが」
つまり、僕とオーレンティウスさんは仲がいいから、うそじゃないよってことだよ。わかってくれただろうか。いや、ふかしすぎただろうか。これじゃあ話が大きくなりそうだ。
「わかった、すぐに本件を騎士団長殿へ通達しよう。賊たちの捜索もすぐに開始するが、まずはあなたの話を伺うことが先決だろう。一緒に来てもらえるな?」
やっぱりふかしすぎた!
「いえ、賊はすでに転移魔術を使用してどこかへ飛んでいきましたし、深手も負っていました。探し出すことは不可能でしょう」
「ん? さっき危ないところだったと言っていたではないか。大体賊が転移魔術など……危険すぎる。放置できるはずもないだろう」
その場しのぎじゃすまなくなってきたな……どうするか。
「くっ、うぅう!」
僕は唐突に頭を抑えてうずくまる。もちろん頭痛なんてしないけど。
「ピ、ピンクオーガに見せられた幻覚がまだ頭をちらつくっ! あれは妄想だったみたいです! なので気にしないで大丈夫です!」
無理あったかな、半笑いになっちゃったし。いいや疑問も挟む余地はない、どう考えても無理があった。ちらりと彼の顔を見れば、完全に狂人を見る目だった。いやわかるよ、こんなことされたら僕だって頭おかしいと思う。
もっとまともなうそを考えておけばよかった。
「まさか、呪われて、いるの……か?」
なんで呪いの話になるんだよ。ああ、こっちの世界で病気は呪いって言うんだっけか。つまり僕が魔獣にやられて幻覚を見る病気になっちゃったと? そうそう! それでいこう!
「そうみたいです、ぐうう! ぐわぁぁぁ! はやくオーレンティウスさんを!」
「いいや、騎士団長を呼ぶ必要はないだろう!」
「ありますって! はやくしてください!」
「なぜだ!」
「なぜだって、そりゃあれですよ。彼の凡銀貨ハゲは神聖で、呪いを打ち消す効果があるからですよ!」
「なにを言っている!?」
自分でもなにを言っているのかわからなくなってきたから、聞かないでくれないか。
「なんちゃって……本当はほの暗い路地裏で、なにか魔獣のようなものが見えたので衛兵を呼んだんですよ。でも見間違えだったので、恥ずかしくなってこんなことを言ってしまいました」
「あぁ!? さっきからなんなんだ!?」
発言が二転三転する僕に、彼はもうついてこれないようだ。早速舌打ちをしながら踵を返している。
「あの、オーレンティウスさん呼んでくれませんか?」
無視。
作戦失敗だ。
さて、どうしたことか。オーレンティウスさんとの接触ばかり考えていて、そこに至るまでのことまるで考えちゃいなかった。最近なにかにつけて、戦いのことばかり考えていたから脳みそが筋肉になっちゃったんだろうか。うわあ、すごくいやだ。僕は知的でクールで参謀的な位置づけなのに。
なにはともあれ、狂人扱いされて大事にならなかったのはよかった。こんなところで変なことに巻き込まれている場合じゃない。
「オーガ」
「あ、すみません。失敗しました」
できるだけ綺麗な場所に二人して腰かけた。
これからどうしようか、オーレンティウスさんはどこに居るのだろうか。今日中に接触したいところだけど。
「ハッハッハッハ! 変なやつが俺を探してるっつうから来てみれば、オウガかよ!」
非常に愉快そうな笑いが空から覆いかぶさってきた。僕はその声に立ち上がり、彼を見た。おお、うぉぅ。うなりを上げて凝視する。わあ、オーレンティウスさんだ。久しぶりだなぁ!
「オーレンティウスさん!」
「久しぶりだなぁ! 噂は常々聞いてるぜ、不吉をもたらす彗星魔王さまとかなんとか!」
ここにまでとどろいてるのかよ、僕の情報。しかも不吉をもたらすってなんだよ! 闇界王も言ってたけど、僕ってそういう認識なのか? 貧乏神みたいな感じなのか? これからは王雅という名を出すことさえはばかられてくるな。
「とりあえず、こんなところじゃなんですし、酒場にでも行きます?」
「いやいや、その前に、その隣に居るローブの娘を紹介してくれよ」
これは想定してある。
「彼女はメアリーさんです。現在、僕の唯一の仲間ですね、メアリーさん、挨拶してください」
「メアリー」
いや、教えたじゃん。挨拶の仕方教えたじゃん! ぜんぜんできてないじゃん!
「メアリーさん、違うでしょう……?」
「そうだった」
メアリーさんは立ち上がって、フードをめくった。
「メアリー」
違う! メアリーと申します、以後お見知りおきを。でしょ! あれ、教えてるとき、途中でメアリーさん景色を眺めてたそがれてたっけ。まったく、話を聞かないからだ! ほらみろ、オーレンティウスさんが大きく口を開けて絶句している。これでもかというばかりに目を見開いて、呆気に取られた顔をしているじゃないか。待て、挨拶が下手なだけでここまでびっくりするだろうか? もしや、氷界王と見破られたか?
「驚いたな……モヴィニアのお嬢さんのときも驚いたが……どうしてお前の周りにはこんなとてつもねぇ極上の女ばかり集まるんだよ!」
「ち、違います!」
「違くはねぇだろ!?」
その後、彼と酒場へ行くのにおそらく三十分はかかった。
前に一度来た酒場、隅っこのほうで話を聞かれないようなところを位置取った。
今日は酒は飲まない、大事な話をするわけだし、一方的な頼みごとだからだ。
「そんで、いままでなにがあったんだよ?」
僕もそれを説明しようとしていた、ちょうどいい。経緯から入ろう。
「大体は彗星魔王の噂どおりだと思うんですけど、妻たちをずっと捜していたんです」
できるだけ詳細に、かつわかりやすく説明を重ねている間、オーレンティウスさんは珍しく酒を飲まず、真剣な顔で聞いてくれた。
「それで、いま魔王軍に宣戦布告したところなんです」
「つまり、わざわざ俺に会いにきた理由は騎士団の力を貸してほしいってところか?」
「そうなりますね」
オーレンティウスさんは難しい顔をしながら、首を落とした。すぐに背筋を伸ばして、真剣な目つきで僕を見る。
「悪いが、できない。前にも言ったと思うが、俺たち騎士は国のもんだ。好き勝手できるわけじゃねぇし、魔王軍が国をおびやかす存在だと言うのなら話は別だがな……話を聞いてる限り、オウガ個人と魔王軍の戦争だ」
そうか。そうだよな、これは僕と魔王軍の戦いだ。ムーリンはおろか、こちらの世界の人間でいえば大半は関係ないことになる。
騎士団を味方に引き入れることは失敗か。
「他国の騎士団も難しいですかね?」
「ああ、無理だろうな。考えられるとすれば、どっかのアドスティを勧誘するくらいだが、魔王軍と戦いたがる組織は居ねぇ。悪いな」
「謝ることはないですよ、まあこの話は終わりにしてパーっと飲みましょう。ローナさんも呼んで!」
おそらく勤務中だろうけど、僕だって次はいつムーリンに来られるかわからない、もう来ないかもしれない。最後にオーレンティウスさんとローナさんの顔は見ておきたかった。できればキングマン二世のその後も知りたかったけど、貴族の少年という話だし、会うのは難しいだろうから諦める。戦力になるとも思えないし。
「ローナか、あいつな……」
そう言った途端、オーレンティウスさんの顔に影が差した。苦々しい顔で、なにか決まり悪そうにしている。
うそだろ、うそだ。あのローナさんが、まさか、え? どうして? たしかに騎士なんてのは危険な仕事だし、いまの僕から言わせればローナさんは強くもない。それでもこの世界で生きていくくらいなら十分な力を持っていたはずだし、なによりあのローナさんだぞ。
うそだろ、死んだのか?
「オウガが旅立ってからちょっとして、いきなり騎士をやめるなんて言いだしてよ……止めたんだが、どっか行っちまったよ」
なんだそれ。死んでないじゃん。
「びっくりさせないでくださいよ、死んじゃったとか言うのかと思いましたよ!」
「馬鹿野郎、ローナが死ぬわけねぇだろうが! あいつはしぶてぇし、いまだってどっかで生きてると思うぜ? ただ、団長の座も狙えたのによぉ、もったいねぇ」
「そうですか、なにしてるんでしょうね」
ローナさん、いきなり騎士やめて、どっか行っちゃったのか。そんな素振りはなかったけどな、ほんとなにしてるんだろ、今ごろ。
「さぁなぁ」
「オーガ、ローナってだれ」
「ああ、メアリーさんにはオーレンティウスさんのことしか言ってなかったですね」
それからしばらく、僕とオーレンティウスさんでローナさんについて説明した。僕もまだ知らなかったこととか、愉快そうに話す彼はすこし寂しそうに見えて、最後には力になれないことを再度謝ってきた。
久しぶりに、平穏を感じるような楽しさだった。