第八節 マホガニーの都市 後編
冒険者、彼らの勤める場所は、冒険者組合だ。
どこの国でも一つはあって、どこの国でも冒険者が居る。
という話をローナさんに聞いた。それ以外にも冒険者などの基礎的な知識をレクチャーしてもらった。
欠片眼の新しい能力に目覚めた翌日、僕は昼前のムーリンを眺めつつ、歩いていた。様々な種族の人たちがニコニコしながら仕事をしている、路地裏さえ行かなければ平和な国だ。
冒険者組合は、一際大きな建物で、見ればわかるらしい。
魔獣を倒すのが冒険者の仕事らしいが、僕にできるのかはわからない。だが、僕は将来必ず勇者か魔王になるらしい。必ずだ。それで思考停止してはいけない。
僕は考える。必ず勇者か魔王になる、ということは勇者か魔王になるまでに死ぬことはないんじゃないか、と。確証なんてないし、勇者か魔王の定義で知っているのは、聖剣や聖槍を、つまり聖という文字がついたものを所持していれば勇者ということ。
魔剣や魔眼、つまり魔という文字がついたものを所持していれば魔王ということ。これもローナさんに聞いた。
しかし、この世界には機能魔術が施された武器、機能兵器というものがあるらしい、これを持っていても魔王に当たらない。
昔こそ英雄の勇者と悪者の魔王という僕の知るものだったらしいが、今の勇者と魔王はただの記号だ。
過去の異世界人勇者や魔王は、そりゃもう強かったらしい。魔術を使ったという話もあるそうだ。だから、勇者か魔王になれば魔力が流れるのだろう。
もし、勇者か魔王になるまで死なないのならば僕はできるだけなりたくない。そんなことは関係なく、死ぬときは死ぬのならば、さっさとなりたい。
ていうか、七愛や菫さん、アリスさんも勇者か魔王になるのだろうか。僕と違い彼女たちは元々強いが。もしかすると、勇者か魔王になった妻たちは噂になるかもしれない、氷界王にとらわれていなくてそれなら、氷界城に向かわなくて済む。さっさと会いに行けばいいから。
逆に、僕が名を上げれば妻たちも気づくかもしれない。
基本的に、勇者と魔王にデメリットはないと見ていい。僕にとってはいいだらけだ。
大きい赤褐色の建物、冒険者組合が見えた。なんと煉瓦でできている、こりゃわかりやすい。木製ばかりの風景からはずいぶんと浮いているが。
扉を開ける。
まず、左側にある、大きく開けた場所には、屈強なおじさんたち、屈強なおばさんたちが腰かけていた。自信満々な眼差しで僕をのぞく少年や少女も居る。右側の壁には、掲示板に紙がはられている。縁が赤の紙、黄の紙、いろいろある。
これが国や国民が要請した魔獣討伐などの依頼書。縁どられた色は難易度を表す。
高い順から、紫、青、赤、黄、白、黒だ。
これを聞いたとき、白ってどうやって表すの? と思ったが、紙が少し黄ばんでいるのでわかりやすい。
正面には、カウンターのようなものがあり、その向こうに受付の男性組合員が居た。たぶんだけど。
こういうのは、第一印象が大事だ。背筋を伸ばして大きな声で。
「僕を、冒険者にしてください!」
「あ、はい。では試験を行いますのでこちらへどうぞ」
試験? そんなのローナさんから聞いてないぞ! なに、面接とかするの?
いやでも、バイトの面接なら受かったことがある。どんな問いにも元気に「はい!」と答えていたら合格した。とりあえずなんでも頷こう、元気よくしよう。
言われたとおりについていくと、石で覆われた広間があった。
面接でこんな広い部屋使うの? 椅子もテーブルもない。代わりに、木製の様々な武器がある。
奥から、上半身裸のマッチョが僕へ向かってきた。石の床を踏み鳴らしながら。
面接官かな? あれが? なにすんの?
僕は思わず、先ほどの受付の人を見る。彼も僕を見ている。
「それでは、お好きな武器をお取りください」
聞いてないから、そんなこと。
マッチョは既に木刀を握り込み、ニタニタと気味悪く笑っている。
圧迫面接でもするつもり? いや、気づいている、たぶん戦うんだろう。死んだりしないよね、大丈夫だよね? 崩術は、やはり人間には使えないとして、欠片眼なら……欠片眼なら使える、使っていいよね。
魔眼と言った方がわかりやすいかな。
「魔眼も使っていいですか?」
「えっ?」
受付の人が、「えっ?」って顔してる、「えっ?」って言ってるしな。
「模擬戦ですので……命は奪わないでください」
一応、許可を貰えたんだよね。
ついでに木刀も二本持っておこう、一本だとすぐにへし折られそうだ。
「それでは試験を始めます。両者、構え!」
一も二もなくマッチョが寄ってくる、と思ったらマッチョは立ち止まっていた。
なんだ?
「二刀流の、魔眼を使う魔王か……俺ァこの日を待っていた!」
実は二刀流じゃないし魔眼ではないけど?
「俺は! エーチェスに憧れてんだよ! だから、俺は魔王の配下になりてぇ。だから俺に勝って、俺を配下にしろ! アテ、アーグ、ハーケ、アクティブ・ラン!」
滅茶苦茶だ。なに言ってんだ、狂ってる。なんで目の前に居る?
あのときと同じだ、あの少年のときのように、マッチョがもう目の前に居る。
いつ? 一瞬。 どうなってる? 目の前に居る。
「お止まりください!」
僕は思わずそう言っていた。
あれ、どうしよう、なにか話しなきゃ。いやまず欠片眼だ。
右目に力を注ぐ。頭で話を考える。時間がほしい。
「僕はアレです! 感染病です! それ以上僕に近寄ると、あなた死にますよ!」
「え?」
右手を引く、体を逸らす、木刀をきつく握る、叩きつける!
「ウ?」
吹き飛ばされた。右手が痺れた。木刀がない、浮かんでる、驚くな、欠片眼でなんか、なんでもいい。重いもの、車とか、出ろ、欠片眼、出ろ!
出ない。
やはり腹。木刀で殴られた。始めて聞いた、骨が軋む音。一本、痛くて、息ができなくて、息をすると、痛い。折れてはない、と思う。
「お前、本当に魔王か?」
マッチョが僕の顔をのぞき込む。意外と目が澄んでる、純粋な目だ。
だが、まだ魔王じゃないよ。痛いから話かけるな。
「やめますか?」
やめないよ、妻たちが待ってるから。
立ち上がれ、やれ、クールだ、熱くクールに。
「ぅ……ぉぉおおお!」
残った木刀を地面に突き立て、僕は立ち上がる。足が砕けても、腰が砕けても、ヨレヨレになっても、僕は勝つ。
とかよりも、イライラする。動ける痛みに思考が真っ赤に染まった。イライラする。
「負け、ないですからぁぁ!」
響いた。声が響いて、響いて、苛立って、業腹が煮えて、マッチョが邪魔する悪者に見えて、邪魔者で。
僕は自分勝手に喚き散らした。
いつの間にか閉じていた欠片眼も、開きなおす。
「なぁに一人で盛り上がってんだよぉ……強化魔術とかよぉ、魔眼も使えよ」
僕にできることなんてのは限られてて、やっぱり使いものにならない欠片眼に、中途半端な崩術に、妻たちに甘えて、妻たちに甘えられて、支えられて……そうだ、妻だ。
アリスさんの戦い方、僕の歌のテンポで。
「……ジッとして、ジッとして」
「お前狂ってんのか!?」
緩やかに、怒り任せに、歌い始める。
「ジトたん、逃げ出さないでぇ、ジトジト歩いていかないで」
イントロ、優しく。
僕は右手に木刀を持ち、滑らかに足を曲げ、腰を捻り、姿勢を低くする。
マッチョは、身構える。
「さようなら、言ってる場合じゃない。緊急事態、緊急事態」
木刀を突きつける、マッチョの目を狙う。
マッチョは左に体が仰け反っている。
「連れ戻して、Wh-Wh-Wh-Wh-Why、ジッとして、機械のお姫様、スクランブル!」
勢い良く体を捻り返す、右半身が沈み、左半身が前に行く。
木刀はフェイント、左拳で殴りつける!
入った! ってぇ! 痛ってぇ! うそだろ、なんでこんなに顔が固いんだよ!
ふっざけんなよ!
「ぁあ! 愛機の中はジメジメジトたん、シィステム、オォールグリィィィンッ! 失踪発進、蝶々が舞い上がる夜に超面倒くさいッ!」
サビ前。
マッチョは拳が触れている左側を見ている。体は引かずに、腕の力だけで木刀を顔にぶち込む。
「はぁ!?」
僕の声が、また広間を反響する。木刀が折れた。夢でも見てるのか?
「偽者が」
マッチョがそう言いながら、僕の左手首を掴んだ。
折れる、折れる折れるれるれるれるぅ!
痛いはずなのに、苦痛でどうしようもないはずなのに、僕の口は引き攣って、歪む。
チェシャ猫のように口が裂けていく。
「見えた」
見えた。
「手、離してください……オノリオ・アーロイス」
マッチョ、オノリオ・アーロイスは、しばらく物思いに耽るように、目を瞑って、たった数秒で目を開いた。
「俺、自己紹介なんてしてねぇよな!?」
オノリオは受付の人と顔を見合わせ、お互いに首を振っている。
「奥さんの名は、ミジョア・アーロイスさん。そんで、浮気相手の子が、ニコーラ・ルアーですか。奥さんもお子さんも居るのに、浮気したんですね」
「は、あ……?」
「お子さんの名前は、ルイーシくんと、リノちゃん」
オノリオの顔から、滝のように汗が吹き出た。その汗は、地面へ落ちては砕け、地面へ落ちては砕けを繰り返す。
「バラそうかなぁ?」
僕は、汗まみれのオノリオの耳へ囁く。サァーッという音が聞こえそうなくらい、オノリオの顔が青く変色していく。
「わかった……」
「なにがですか?」
「こ、降参する!」
勝った。
欠片眼のレベルアップが、まさか物質を創造する能力以外にもあったとは思わなかった。映像という面でも力を増していたのだ。おそらく、触れた相手の過去を映像として見ることができる。もちろん、従来の映像創造どおりに音も聞こえる。
僕がこれを理解したのは、オノリオに手を掴まれたときだ。僕が体験したことのない、想像もしたことない映像が瞳に焼きついた。オノリオの家族と、オノリオの浮気現場だ。
勝つ方法は、これしかない、と思った。
そう、僕は脅しをかけた。浮気は許さない。
僕は重婚してるけど、これは浮気じゃないからね、浮気っていうのは、妻を裏切ることを言うんだ、たぶん、きっと、そうであってくれ。
だから奥さんに隠れてコソコソと浮気するオノリオになんか、さんづけしてあげない。
もっと堂々と、奥さんに納得してもらって、二人とも幸せにするという気概でも見せていたら話は別だが。
ていうか、死ぬほど腹が痛い。
「オノリオ、浮気はやめなさい。あと、僕を治療してください」
「なんで俺が」
「ニコーラ」
「ふざけるな、テメェ!」
結局治療は、受付の人にしてもらった。
その後、簡単な手続きと、緑色の石版に触れさせられ、二、三日待てと言われた。
仕方ないので雲霞のごとく、ごった返す大通りの中、僕は聞き込みを行っていた。妻たちの目撃情報だ。
妻たちの特徴を伝えると、皆一様に眉をひそめていた。
成果はなし。
◆
暗くなってきた所で、ローナさん家へ戻った。夜道怖い。
僕は必勝カジノを読み直していた。やっぱりおもしろい、これを読んでいると僕でも簡単に稼げると思えてくる。もし、著者がカジノの運営者なら天才だと思う。こんなの読んだら誰でも一度はカジノへ赴くだろう。
妻たちを見つけたら、一度行ってみようと僕でも思うほどだ。
あまりに暗くて読めなくなった頃、欠片眼の訓練を行った。例えば、物から過去の映像を読み取ろうとした。
失敗。
次は創造。夢を叶えてくれる万能アイテム、失敗。ラジコンカー、失敗。ティッシュ、成功。はさみ、成功。
僕は仮説を立てる。そのままだけど、映像創造は空想、現在、僕か他人が体験した過去の映像を見ることしかできない。つまり、対象は生きていなければいけない。物質創造は、日常的に触れていたものか、仕組みを知るものを創造できる。つまり、精巧にイメージできればいいのだ。
そして、十分が経った頃、創造したものが光の粒、粒子状というか光子状というか、そのように砕けて空間に溶けた。なんだこりゃ。
他にも色々試していると、錆びついた蝶番が軋む音とともに、ローナさんが帰ってきた。
お疲れさま、と言おうと思った、が。ローナさんの後ろに大きな影があった。
僕の頭を過ぎる、美人局という言葉。いやいや、ローナさんとはなにもしていない。だが、僕は居住まいを正し、できるだけ小さくなろうとした。無意味極まりないのだが。
「ただいま戻りました」
ローナさんが近づいてくると同時に、大きな影の正体も見えてくる。
「おう、オウガ。冒険者になるんだってな」
「え、ああ! オーレンティウスさん!」
大きな影は、オーレンティウスさんだった。椅子に座り込んだ僕の横に、彼も座り込んだ。右手になにかを持っている。
「あ、ローナさん、オーレンティウスさん。僕、冒険者試験に受かったみたいです」
「ハハ! ローナから聞いたぜ、お前魔術が使えないんだってな。よく受かったな」
「良かったですね、オウガさん!」
誇れる受かり方ではないが、うん。
ローナさんが、蝋燭へ火を灯し、ずいぶんと小さい樽……いや、コップかこれ。コップを僕たちの前に置き、腰かけた。そうすると、オーレンティウスさんは右手に握りこんだ謎のなにかをコップへ傾けた。
茶色の液体が注がれる。麦茶だろうか、あ、ビールだこれ。泡立ってる。
それぞれの容器にそれが注がれると、二人ともコップを掲げた。そして僕をジーッと見ている。なんだろう、僕もやった方がいいのかな。
僕はコップを握りこみ、掲げる。
「今は騎士を忘れて」
と、オーレンティウスさん。
「オウガさんの合格を祝って」
と、ローナさん。
そしてまた僕をジーッと見る。今度はなにすればいいの? 乾杯の音頭か?
「乾杯!」
そう言ってみると、二人はワイルドにビールを一気飲みした。またまた僕をジーッと見る。飲まんぞ? 僕は未成年だ、未成年の飲酒、駄目。
「なんだオウガ、飲まねぇなら俺によこせよ」
「あ、どうぞ。僕は未成年なんでね」
「は? お前何歳だ?」
「十九歳ですよ」
もう顔が赤くなり始めているオーレンティウスさんは、眉をハの字に曲げる。
「もう成人してるじゃねーか。それに、酒なんてガキでも飲んでるぜ?」
「僕の国じゃ、駄目なんですよ」
お代わりしたローナさんがグイッと身を乗り出してきた。テーブルに胸が押しつけられている、よくないね。
「へぇ、異世界ではそんな決まりがあるのですか! もっと異世界の話、聞かせてください!」
「異世界ってなんだ?」
あ、オーレンティウスさんは知らないのか。
「僕、異世界から来たんです。格好いいでしょう?」
「お前が? 異世界人? 勇者か魔王になるってのか? 漏らしてたくせに、か?」
僕の返事も待たず、オーレンティウスさんはまたビールを飲みほし、楽しそうに笑った。
ぐうの音も出ない。
「そんな話いいんです、わたしはオウガさんと話したいんです!」
「あぁ!? 俺は団長だぞ、俺の話を聞けよ、ジェッスがなぁ!」
「さっき『今は騎士を忘れて』とか言ってたじゃないですか!」
もう二人とも酔っ払ってる。僕だけが置いてけぼりだ。
「だいたいローナは治療魔術もろくに使えない癖になぁ!」
「団長の後頭部の凡銀貨ハゲを治せなかったら、ろくに使えないってことになるんですか!」
「誰が凡銀貨ハゲだお前!」
仲いいなぁ……もしかして、付き合っているのだろうか。
「お二人は、恋仲なんですか?」
僕がそう聞くと、二人ともカッと目を見開き、首が吹っ飛ぶんじゃないかってくらい頭を振り出した。
「わたしと団長がですか!? 王さまの命令でもごめんですよ!」
「俺だってお前みたいな奴はごめんだぜ! だいたい昔のお前は」
「それは言わなくていいですから!」
お腹が空いた。今日のローナさんはご飯を作りそうにない。仕方ないから僕が作ろう。
その旨を伝えて、キッチンの違和感に襲われながらもスープを作った。試行錯誤の結果、今日のメニュー、スープとパン、だけ。昨日ローナさんが作ってくれたメニューと同じだ。
こちらの世界のパンはどうにも硬くて、その上もっさりとしていてあまり美味しくない。だからスープにつけて食べると少しマシになるのだ。
それを酔っ払いが待つテーブルへ並べると、オーレンティウスさんが関心したように声を溢した。
「お前、男なのに料理できるんだな、異世界ではこれも普通なのか?」
ぐぬぬ。日本において、働く男の人はあまりできる方ではないだろう。だが僕は、お父さんが亡くなったときから毎日料理を作っているのだ。あの頃は、菫さんが僕の面倒を見てくれていたのだが、彼女は料理ができない。身長的な問題もあって。だから菫さんの分も一緒に作っていた。
あと僕、半分ニートだったし。
「そ、そうですね」
それから、あーでもないこーでもないと話を続けた。しばらくすると、二人はもうでろでろに酔っぱらっていた。
しかし、僕は酔っぱらいの扱いに慣れている。例えば七愛は、もう二十歳でたまに酒を飲んでいる。僕と同じ学年なのだが、僕が早生まれなこともあって彼女はすでに成人している。菫さんも暇あれば甘味をつまみにお酒を飲んでいた。お父さんもお酒大好きだったしね。
だから、慣れているのだ。
僕は二人の話に笑顔で頷きながら、オーバーリアクションに笑って過ごした。そのうち、ローナさんが眠りに就いたので、僕がオーレンティウスさんの相手をしていた。彼の凡銀貨ハゲは見事だった。
「それでよぉ、俺を差しおいてジェッスが結婚しやがったんだよ。許せるか!? 団長に対する冒涜だ!」
「その話、もう十回は聞きましたよ。オーレンティウスさん、今日は泊まっていくんですか?」
「まさか、お前らの愛の巣にお邪魔するわけねぇだろ。あと二杯も飲んだら帰るよ」
いやいや。
「いやいや、別にローナさんとは、なにもないんですけど!」
「は、男女が一つ屋根の下だぜ?」
「僕、ローナさんより弱いんですよ? ローナさんだってそんなの嫌でしょう。僕もすぐにムーリンからも旅立つ予定ですしね」
だいたい、妻が居るのにそんなことするわけないのだ。
「オウガはなんで旅してるんだ? 異世界から、わざわざ観光しに来たってわけでもないだろ?」
「家族を、探してるんですよ……きっと、こっちに来ているので」
「そう、か。んじゃあローナに手出してる余裕は、ねぇな。どこへ向かう予定なんだ?」
「海を渡って、氷界城ですね」
「やめておけ!」
酔っ払いの顔だとは思えなかった。思わずガチガチに固まってしまう。
なにも言えない。
「氷界城ってのはな、並の人間が行く所じゃねぇんだ。他の六界王や神託者ならいざ知らず、勇者や魔王になったって決して踏み入っちゃいけねぇ。やめておけ、俺はお前みたいな奴、嫌いじゃねぇんだ」
「それでも、行きます」
今度は、すんなりと言葉が出た。
僕だって本当なら、そんな危険な所には行きたくない。でも、わざわざ遠回りしたくない、転移させた本人だと言うのなら、僕の望むことを知っているはずだから。
「そのこと、ローナには?」
あー、どうだったっけ? ……言ってない気がする、氷界城のことを聞いただけだ。
「たぶん、言ってません」
「じゃあそのまま言うな。そんなこと聞いたらあいつは全力で止めると思うぜ、余計な心配で仕事に支障をきたされたら堪ったもんじゃねぇ」
「……わかりました」
「男と男の、約束だ」
男と男の、なんて言われたらそうするしかないな。オーレンティウスさんも、心配してくれて、それに嫌いじゃないとまで言ってくれた。照れ屋さんめ、はっきり好きって言えばいいのに。
僕は、オーレンティウスさんのこと、好きだ。僕も口には出さないが。
「にしても、冒険者になってよかったな。冒険者はどこ行ったって冒険者をやれる。騎士は国のもんだから、そうはいかないんだぜ? それに、騎士は仕事も選べねぇ。やれって言われたらやるしかねぇんだ。そのせいで凡銀貨ハゲができちまったんだ、ひでぇだろ?」
「凡銀貨ハゲが気にならないほど、オーレンティウスさんは格好いいですよ。あと、できるだけこの間のお金、返せるようにがんばりますね」
「ありがとよ、できれば女に言われてぇけどなぁ……ま、返すってんなら、絶対死ぬんじゃねぇぞ」
「もちろん!」
「それと、氷界城に向かう前に赤紙依頼くらいは達成できる腕前になっておけ」
「了解です、団長殿」
オーレンティウスさんは、酒を呷ってから「よし」と呟いた。そして、笑いながらよれよれと帰っていった。
静まりかえる異世界の一室。僕は一人、声を出さずに泣いていた。
心配で、寂しくて、つらくて、怖くて、会いたくて、満足できなくて、悲しくて。
幻永花ストラップを握りしめ、泣いた。