第七十六説 メアリーアイスの氷界王 中編
僕は死んでしまった。ともすれば、ここが死後の世界か。
「あ~」
僕は声を漏らして、絶望感に落ちる。
結局、最期は氷界王に殺されたのかな。それとも自爆かな……後者だろうな。繰り返される悲劇によるダメージと、理想眼によるダメージで自爆だ。明らかに限度を弁えてなかった。
そうか……もう家族には会えないのかな。お父さんは居るのかな、一人ぼっちの世界なのかな。体が動かない、なんとか首だけは動くようだ。
左を見た、ふかふかの枕らしきものが視界の端に映った。その向こうには、大きなガラスの窓。右を見た、おびただしい量の本棚。なんか雰囲気というか、センスが氷界城に似ているな……もしかして地縛霊にでもなったのか? 自爆した僕にはお似合いだな。
わはは、いや笑えねえ。百歩譲って神世界の地縛霊でもいいが、氷界城だけはいやだ。
いやいや、氷界城だと確定したわけじゃない。なんで動けないんだ、喋れるのに。
「あーあー、あうー」
あれ、まともに喋れない。まじで? 死んだら普通に喋れなくなるの? いやまさか、首だけ動かせて……体がまともに動かなくて……まともに喋れない。
赤ん坊。
転生したのか?
いやいやいや、恐ろしいことを考えるな。そんなわけないだろう。日本で普通のベッドに赤ん坊を寝かせるものか。え? 神世界に転生したの? 怖い怖い、ここまで来て転生だと? いやでも……神世界に転生したのなら、また妻たちに会える可能性がある。
いやでも、なんだこれ。
あれからどんぐらい経ったんだ? 数百年後に転生したとかじゃないだろうな。いや、転生とはまだ決まってないんだって!
混乱する。
よし、整理しよう。
転生じゃない場合。ここは死後の世界だ、そうすると永遠にこの光景を眺めるだけの存在になる。なにこれ、死ぬほど怖い。死んだけど。絶対いやだ。
転生の場合。状況を見るに僕は赤ん坊の可能性が高い。外は明るい、常夜たる幻世界ではない。本の表紙がなんか動物の皮ばっかりで、雰囲気が全体的に日本らしくなく、西洋チックで古風なことから日本があった世界でもない。いや、よく考えてみろ。並んだ本の背表紙を見れば解決するんじゃないか?
どれ。
神世界……ああ、やっぱ神世界か。
さて、神世界に転生したのなら親が居るはずだ。でも姿は見えない……いくら神世界だからって、子供を放置してどっか行くだろうか。わからんな、子育ての歴史とか知らんし、神世界ならまったく違う教育方針かもしれない。
うーん。
ああ、そうだ。欠片眼や異彩眼は使えるんだろうな?
「う~!」
使えない。
冗談だろ、魔王鎧は?
「う~!」
使えない。
冗談だろ。
おいおいおい、転生の場合、特殊能力なしじゃ氷界王どころか、一般人にも勝てないぞ。もし悪いパパと悪いママだったらどうなるんだ? もしいきなり、芸しなきゃぶち殺すぞとか言ってきたらどうする? そもそも僕って人間なのかな? もしかしたらダニとかかもしれない。いや混乱しすぎだ、人間だ。ダニがこんなに思考するものか。
なんか、眠いな。二度寝しよう。どっちにしろ、時間は腐るほどありそうだ。
なかなか眠れなかったけど、いつの間にか寝ていたようだ。深い青の空に朝日が昇ってきた。ていうか悪いパパと悪いママ現れないな、もしかしてやっぱ、死後の世界か?
「はー、赤ん坊かぁ」
あれ。
喋れるぞ、思い出したけど寝る前に喋ったときも僕の声だったな? 手も動くぞ……薄い神刻紋、僕の手だ。しかし手は砕け散ったと思う。
「欠片眼」
鉄の欠片をイメージする。
現れた。
あれ? 死後だな? でもなんでさっき使えなかったんだ。幽霊として不完全だったとか?
疑問を疑問のまま終わらせ、座ってみる……うん、僕だ。間違いなく僕だ。右手首を押さえてみると、脈うっているのがわかった。幽霊って脈あるんだな。
でも、死んだんだな。
しかし動ける……菫さんとアリスさんなら幽霊とか見えそうだな。七愛は見えなそうだ、エンドは……わからんな、あいつはいつだってなぞだ。
幽霊となって彼女たちの近くに居るのも悪くないか。
辺りを見渡して、そのまま何気なく振り返った。
「うわぁぁああああああああぐっ!」
ベッドから転がり落ちた。なに、なんで居るの、見えてんの? 座ってたけど、こっち見てたけど、見えてんだよな。あれ、もしかすると、ああ。
もしかして、生きてんのか僕? で、これから死ぬのか?
恐怖に震えている間に氷界王が逆さ大開脚している僕の前に現れた。なんなんだよ、殺すならなんで無駄に生きてんだよ僕は。怖い、なんでだよ、落として落とすなよ。
「闇界王はどうして私を殺すの」
「へっ!?」
言葉の意味がまた理解できなかった。
「なにもしてない」
「ええ、と? 闇界王が、あなたを狙う理由ですか?」
「うん」
「僕のこと殺さないんですか」
無言になった。無表情のまま首をかしげて、その角度のままベッドに腰掛けた。僕はなんとか力を振り絞って立ち上がって、彼女の答えを待った。
殺さないでいてくれるのか、という一筋の希望。
「あの……僕のこと殺さないんですか?」
殺すって言ったらどうしよう、殺すって言ったらどうしよう、殺すって言ったらどうしよう、殺すって言ったらどうしよう。まず魔王鎧を装着するだろ、勝てないのはわかったから、異彩眼で逃げるだろ、ていうか寝る前に力が使えなかったのも、動けなかったのも体への負担が大きすぎたんだな、あの腕輪とあの目のせいだろう。どうでもいいよそんなこと、逃げる方法だ。
「殺さない」
え、なんだって? 殺さない? そう言ったないま、間違いないな? 聞き間違えじゃないよな?
「ど、どうして……魔王軍の連中は全員殺したんでしょう?」
まずい、墓穴掘ったかも。これじゃあ、殺してくださいと言っているようなものだ。
「殺してない」
え……え? 壊滅したんじゃないの? あれ、そういえば氷界城の周りに死体ってあったっけ……なかった気がする。もしかして、全員なんとか撤退できたのか? 無事な兵が負傷した兵を助けた、とか?
「どうして闇界王は私を狙うの」
「あ、そうでした……ね。その、理由はわかりません」
「そっか」
氷界王は目を伏せて、ローブの中へ手を伸ばして、出てきたのは抜き身の短剣だ。こいつ、そんなもんそんなとこにしまうなよ、危ないだろ。
僕に、それを突きたてた。え、なに、殺さないんじゃないの、なんでだよ。
「もううんざり。殺したいのなら殺していい」
さっきからずっと、抑揚のない声だ。いまだってそうだ、だから衝撃的なことを言っていると認識できなかった。
僕は数秒固まった末に、それを理解した。殺していいの? 願ったり叶ったりだ、なんだこれ、最高についてる。
しかし、なんでだかその短剣を受け取る気になれない。手が伸びない、まだダメージが回復しきっていないのだろうか。なんだこの焦燥感。
「どうして、紅我と手を組んで僕たちを召喚したんですか?」
氷界王は再度首をかしげ、押し黙った。まさか……いや、まさか。あのとき現れたのはこいつじゃないとか言わないよな? 絶対こいつだったはずだ、こんなに特徴が一致している。
「コーガ、だれ」
「え? 名前も知らずに協力したんですか? 協力した理由は?」
小さく声をもらして、激しく首をかしげる。なんだ?
「僕のこと、見覚えあるでしょう?」
「ある」
ひょっとして、意識失う前の僕を見たからそう言ってるわけじゃないだろうな。
「一応聞きますが……結構前に、べつの世界でですよ?」
「じゃあ、ない」
え……え? あれは氷界王じゃなかったのか? うそだろ、冗談だろ。
「べつの世界に行ったことは?」
「ある」
僕の体はハテナマークに埋め尽くされた。頭からそれがはみ出て、世界を埋め尽くした。
「赤い服を来た老人と女たちと男が居た」
じゃあ僕じゃないな……いやいや、待て。あのとき僕はどんな格好をしていた? サンタクロースだ。でもあれ、どう見たって僕だってわかるじゃないか。
「白いひげに、白くてでかい袋持ってました?」
「うん」
僕じゃん。
「それ僕です。で、なんであの場に居たんですか?」
「世界と世界が繋がった、だから逃げた」
この子、ちょっとおかしい子だな……ほんと、美少女っておかしな子ばっかりなのか? 美を極めすぎてその他ステータス全部低いのか? いや、戦闘能力は高いな。あそこまで全力を出した僕に傷一つなく勝てるんだから。
「もうちょっと、詳しく説明してください」
「この世界とあの世界が繋がった、だから逃げた」
あぁ!? 『この』と『あの』が増えたくらいでわかるわけねぇだろうが! なに言ってんだよ!
「繋がった、というのは世界転移魔術のことですか? それに便乗して、逃げたと?」
「たぶん」
「ではなぜまだ神世界に?」
「魔音字を凍らせて壊そうとした、間に合わなかったから」
そういう、ことなのか。じゃあ氷界王はまったく召喚に関与していないわけだ……しかし、まだわからないことがある。
「逃げた理由は?」
「この世界に居たくない」
「なぜ」
「なにもしてないのに、みんな逃げる。みんな私を狙う」
大体わかった。
六界王は世襲制だ、氷界王が恐れられていたのは前代たちのせいであり、彼女自身はとくになにもしていない。それだと言うのに、人々から恐れられ、闇界王につけ狙われる。それに嫌気がさしていたところ、世界転移魔術を感知して日本に転移した。世界転移魔術を破壊しようと、空さんの家を凍結させたが失敗して戻ってくる。んで、自暴自棄になって僕に殺してほしい、と。
なんだよそれ……もっとはやく言えよ。いや、勝てないとわかるまではそんな話聞いても、僕は命を狙ったか。
「僕は、闇界王に家族を人質に取られてるんです。三人の妻と、一匹のペットを……彼女たちを解放してもらう条件は、氷界王を殺すことなんです」
「名前教えて」
誰の?
「妻たちのですか?」
「違う」
「えーと。では僕の?」
「うん」
言って大丈夫だろうか。大丈夫だよな、名前くらい。
「長内王雅です」
「オサナイオーガ」
いい加減にしてくれ。
「名前は王雅です」
「オーガ」
「お、う、が」
「オーガ」
「お! う! が!」
「オーガ」
どうしても僕を魔獣にしたいらしい。はあ……まあいいか。
「オーガは、一人なの」
「いまは、そうですね」
「私も一人……同じ」
彼女は僕のすそをそっと握って、上目遣いで視線を合わせた。相変わらず無表情で、抑揚のない声で、美しいお人形みたいだ。
同じじゃないと思うけど。彼女はいままでずっと一人だっただろうけど、僕は失ったんだ。最初からないのと、失うのとでは違う。
「辛かったね」
朝焼けに顔の半面を照らされて、彼女の目に太陽が入った。それでも僕を見つめていた。
違うのに、同じではないのに、その言葉は僕の心にすっと入ってきた。理解されてしまった気がした、この孤独は誰にも理解できないと思っていた。ずっと感じてきたもの、誰にも理解されたくなかったもの、それでも理解されたくて、慰められたかったもの。それでも、妻たちを知っているのは僕だけだし、妻たちを知らないやつに、夫でもないやつに理解されたくないと思ってたものが、理解されてしまった気がした。
不思議と、いやではない。
「オーガ、殺して」
「いいえ……できません」
「どうして」
どうして、だろう。
殺せる気がしない。
「どうしてでしょう、わかりません」
「一人はもう、や……」
そして僕も、理解できてしまった気がした。彼女の孤独感を、死んでしまいたいという気持ちを。
なんなんだろう、僕の妻たちへの気持ちはこんなもんか? ここで彼女の首をかっ切って闇界王に差し出せば元通りになるんだぞ? こんなもんのはずない、でも、殺せない。
僕は、ゆっくり彼女の手から短剣を引き抜いた。
「氷界王、さん。あなたの名前はなんていうんですか?」
僕は短剣を壁に軽く投げて、聞いた。もしかして、名前はないのかもしれない。そしたら僕が名づけよう、彼女が拒否しなかったら。
「……メアリー」
よかった、ちゃんと名前はあるんだ。
メアリーさんか、うん。ぴったりな名前だ。
僕は、メアリーさんのとなりに腰掛けて。
僕たちは、自然と向き合った。