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妖怪の叙事詩  作者: 妖叙 九十
第一章 神世界
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第六節 マホガニーの都市 前編

 治療魔術院、そこは美少女天国だ。八割が若い女子で構成されており、彼女たちは須らく治療魔術のエキスパート。

 という、説明を受付のお婆さんから受けた。


「ふふっ」


 僕はいま、なんとか見つけ出した治療魔術院に居る。そこで、お婆さんに説明を受けて、お婆さんに料金を差し出して、お婆さんに手招きされて、お婆さんに引んむかれ、お婆さんに寝かされ、お婆さんから治療魔術を受けている。なんだこれは。

 お婆さんがやるなら、その説明するなよ、なにが美少女天国だよ、笑っちまったよ。

 この治療魔術院の治療費は、銅貨三枚だったのでそのまま差し出した。


 僕の体には大量の紙を貼られ、お婆さんがそれに手を当てると、紙に記された文字が光り輝き、痛みが消えていく。この文字を、僕は知っている。転移前の床に浮かんでいた文字だ。やはり転移はこの世界の人間に因るものだったのだろう。正直凄いと思う、崩術師も鬼術師も、歪みを利用して楽園へ出入りするだけだが、犯人は自ら歪みを作り出したということだ。この文字を利用して。


「いい男だねぇ、遣り甲斐(がい)があるよ」


 お婆さんに言われてもうれしくもなんともない……と、思おうとしたのだが、結構うれしくて、照れた。

 それに気づいたのか、お婆さんは腕まくりをして、ムッキムキの力瘤(ちからこぶ)を見せながら鼻息荒くした。僕より筋肉あって怖い。

 あ、そういえば気になっていたことがあるんだった。


「あの、魔法使いって居るんですか?」


 そう、魔法使いのことを魔術師と呼ぶのか、魔術とはべつに魔法があるのかを聞きたかったんだ。


「童話の聞きすぎじゃないのかい? まぁ、似たようなのは居るけどねぇ……炎界王さまとか。ま、男は子供のほうがかわいいってもんだからいいがね」


 ほう、あの盗賊が魔法使い、で、魔法と魔術の違いは結局なんなんだ。

 全ての紙を光り終わらせた後、お婆さんは「よし」とうなづき、僕の衣服を持ってきてくれた。


「凄いですね、もうピンピンですよ!」


 僕はお婆さんに向けて、ジャンプしたりポーズをつけたりしながら言った。


「どこがピンピンなのか見せてみな?」


 なに言ってんだ。

 僕は苦笑いをこぼしながら、礼を言った。

 口には出さないが、僕が苦笑いするって結構なことだぞ、愛想笑いは結構するけど。


 治療魔術院を出ると、空はすっかり夜の羽衣をまとっていた。いくつもの星が見える、が、地球と同じ星座はないのだろう。さて……念願の腹ごしらえだ!


 店仕舞いされてしまう前に、僕はムーリンを走った。とりあえず肉が食べたかった。いくつもの屋台を見て回る。果物が多い、こう、焼き鳥屋とかないのか、などと思っていると、発見した。鳥肉なのか、牛肉なのか、はたまたラム肉なのかはわからないが、肉だ。

 立てかけられた木製の看板には、凡銅貨一枚と書いてある。またかよ、なんだよこの表記。深く考えないようにしよう、知らなくても生きていけるさ、きっと。長くこの世界に居るつもりもないし。

 不思議なもので、あの魔術に使われている文字は読めないが、これは読めた、だって日本語だもの。

 なんだろうなぁ、もしかすると、欠片眼(フラグメント・チップ)の能力の一つなのか? それより肉だ。


「二つ……いや、三つください」


 注文しつつ、凡銀貨を払うと、牛の顔をした店員のお姉さんが笑顔でお釣りとともに渡してくれた。熱々に焼かれていて、美味しそうだ。


 噴水のある大通りの中央部に、腰かける場所があったので僕は小さく座り込む。串に刺された肉からは、湯気が立ち上る。

 僕は口一杯に謎の肉を頬ばった。


 不味かった、とてつもなく。うそだろ、冗談だろ、と思った。

 まず、生臭い、かと思えば味がしない、とどめに固い。塩コショウとか振ってないのか、なんだこりゃ。これを三本? 金の無駄遣いだ、金返せ。

 何分も何分もモキュモキュと顎を動かした、顎が痛い。本当に不味いな、調理師免許持ってんのか?

 持ってるわけないけど。


 なんとか二本まで食べ終えると、もう外に人は居なくなっていた。まずい、こんなに暗くちゃ、妻たちも探せないし、聞き込みもできない。とりあえず今日は、寝るか。ホテルを探そう。肉は……いいや。

 ホテルじゃなくて、宿屋だな。宿屋のマークとかあるんかな……探すの大変そうだ。


 息を切らしながら探した、うん、見つからない。

 しかし、辺りで酒盛りをしているおっちゃんたちを見つけた。聞いてみよう、絡まれたりしないといいけど。


「すみません、宿屋ってどこにあります?」

「あぁ~?」


 おっちゃんの一人が息巻く。

 あ、絡まれるかな、怖い。


「そんなもんお前、目と鼻の先にあんだろうがよ」


 親切! しかも目と鼻の先にある!

 これほどうれしいことがあるだろうか、最高だぜおっちゃん。


「ありがとうござます、おつまみにこれをどうぞ」


 僕はいらない肉をおっちゃんに手渡すと、おっちゃんはうれしそうに笑った。すまんね、それ不味いよ。

 さっそく宿屋で足を向ける。簡素だが、大きい家だ。扉も大きい。


 その扉を開くと、腰を低くしたお婆さんが居た。いくらでもいいから泊まろう、正直かなり疲れている。ふかふかのベッドで眠りにつきたい。


「すみません、空き部屋はありますか?」


 眠っているのだろうか、なにも答えてくれない……あれ、ため息? 完全にスルーされたな?

 めげてなるものか、気持ちいい朝が僕を待っているんだ。


「すみません」

「お前みたいな汚くて臭いやつなど、部屋がすっからかんでも泊めてやんないよ! 出ていきな!」


 マジで?


 仕方ないので、宿屋を出た。

 汚い、のは……わかる。サンタ服とか土まみれで裂けてるし。臭いってのは……そりゃそうか、オーガを布団にして寝たもんな。あー……どうする?


 それからしばらく。

 入り組んだ路地裏に僕は居た。仕方がないのでここで寝る。体が痛い。もう何時になったのだろうか。

 腕時計を確認する、腕時計持ってきてない。してくんの忘れたんだった。スマフォを確認する。時刻は朝を指していた。夜だよ、真っ暗だよ。しかも電池残量が五十パーセントだし、当たり前のように県外だし、電源落とすか。


 ちんけな電子音を路地裏に響かせながら、スマフォの画面が真っ暗になった。


 目をつむって、泊めてくれたっていいじゃん、泊めてくれたっていいじゃん、泊めてくれたっていいじゃんと、頭の中でぼやき続けた。土の地面が痛い、小石がある、虫が飛ぶ。

 僕は田舎育ちの癖に、虫が大嫌いなのだ、勘弁してほしい。

 少しでも心地よくなりたいと、元の世界のつながりである、幻永花ストラップを握り締めた。ついでにスマフォも。

 すると、雨が降り始めた。僕の心が空に響いたのだろう、頼んでないのに。

 スマフォが防水でよかったと、始めて思った。


 あっという間に、雨の冷たさと夜の寒さが僕の体を凍らせた。

 なんだっけか、ぬれた服って体温を奪うんだっけ。そうだ、服脱ごう。

 ぐしょぬれになった上着を脱ぎ、スカートみたいなのも脱いだ。それを畳んで、枕にした。髪の毛は湿ったものの、少しだけマシな気分だ。

 パンツ一枚で路地裏に寝そべる僕はなんとも変態だ。如何ともし難い。

 だが、いつの間にか思考は真っ暗闇に包まれていった。



 足音は、路地裏へよく響いた。

 その音に僕は、目を覚ました。

 どこを見渡しても、水滴が一つ残らず消えている。最初から雨なんて降っていなかった、と思わせるような快晴であった。

 いや、足音だ、僕はパン一だ、これはよくない。近づいてきている。

 幻永花ストラップとスマフォを左手に握り、右手には少しだけ湿った上着を握った。

 けれど、もう遅かったのだ。姿を見られた。僕も静寂を破る主の姿を見た。


 おぉう……炎界王アレクトじゃん……。


「あぁ! お前!」


 アレクトが僕を指差しながら、ベタなことを言ってわなわなと震えだす。僕も震えだす。

 彼の顔には、包帯が大量に巻きつけられている、ミイラだ。怖いな、そんなに酷くやったかな?

 包帯の中にある、アレクトの目は驚愕から殺意へと変貌する。もうあの騙まし討ちは通用しないだろう、どうする。

 アレクトは懐から剣を勢いよく引き抜く。まったく同じ動きだ、練習してたのかな。そしてやっぱりあのときと同様に、炎が波打つ。

 その剣が僕へ届く前に、考えろ、どうする。なぜ彼は僕を見かけた途端殺そうとする? 簡単だ、仕返しをしたいのだ。仕返しの理由は? それは……自分がひどい目に合わされたからだ、自分がかわいいからだ。だから、見逃せる状況でも仕返しをするのだ。

 これしかない。


 僕は、自らの口元がチェシャ猫のように引き裂けるのを感じると同時に、発した。


欠片眼(フラグメント・チップ)!」


 いまは一人称なのでわからないが、光っているだろう。あのときは使わなかったからか、アレクトの足が止まった。


「僕の瞳は、映り込んだ人間を簡単にこの世から消し去れます、どうしますか?」


 やはり僕にはだまし討ちが似合う、これで引いてくれたら助かる。

 だが、アレクトはそんな僕を見て、見下すように笑った。


「それはおかしいじゃねぇか。そんな能力があるなら、なんであのとき使わなかった? それに、お前は魔術も使わなかった……つまり魔王じゃない。それにそんな魔眼」


 あ、都合いいなって思った。ベラベラ(しゃべ)ってくれて助かった、と思った。

 僕は右手に持つ衣服を、彼の顔に投げつけ、話を中断させた。もちろん、それだけじゃない、走る。欠片眼(フラグメント・チップ)も切っといた。


 怒声が遠くから聞こえた、僕は逃げ続けた。路地裏を駆け回った、右へ折れ、左へ折れ、また右へ折れと繰り返しながら走った。いつしか声は聞こえなくなった。そこは民家の屋根で、空も見えない薄暗さを保っていた。くの字になった通路で、僕は立ち止まる。体力が限界だ。

 アレクトは、()けた。やるじゃん、僕。


 が、僕の目に飛び込んで来たのは異常な光景。

 小太りの少年が、少女の手をつかんでいる。少女の顔は苦痛に歪み、小さい体は壁へ押しつけられている。とてもじゃないが、子供の喧嘩(けんか)には見えなかった。

 なぜなら、少年の目があまりにも異常だったからだ。僕の位置からは、少女と少年の横顔が見えているから、わかる。

 少年は目を血走らせ、理性のない鬼獣のような顔つきをしていた。


 助けなきゃ。

 今度こそ人間が襲われている、間違いはない、僕が助けなきゃ。そう思って、腹に力を溜めた。


「おい!」


 自分の声で、喉が震えた。怒りをはらんだ肉声だった。拳を痛いくらいに握っていた。

 正直言おう、アレクトより怖い。彼はまだ明確な殺意を持っているが、この少年は違う。

 もっと、不明な、これが当たり前かのような……悪意を、感じないんだ。得体のしれない恐怖を発しているんだ。


 少年は、少女を離した。僕のほうを見て、激しく頭を揺らした。

 次には、ケロッとした顔をしていた。純朴なただの少年の目をしていた。


「違うよ?」


 少年はそう言った。

 恐ろしい、おぞましい、怖い、わからない。そのまま少年はブツブツとなにかを言っている。


 刹那、少年の顔が肉薄していた。


 崩術、駄目だ人間には、いやでもこいつ人間か? 間に合わない、構え、もう遅いっ!


 腹に大きな穴が開いた感触だった。気づいたときには、僕はうつ伏せに転がっていた。体が壊れてしまったかのように、まったく動かなかった。スマフォと幻永花ストラップが手から離れる。

 崩術か? いや、ただのパンチだ。なんなんだ、化け物か?

 吐いた。苦い、ほとんど胃液だ。少年の足が見える、僕のゲロを踏み鳴らしてすぐさま消える。

 耳の中から遠ざかっていく少年の音、どこかで聞こえるアレクトの悲鳴。

 あ、少年にやられたな? ざまぁみろ……と悪態をつきたかったが、そんな余裕はなかった。

 苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、息ができない。


 少女は、大丈夫か?

 なんとか、なんとか顔を上げると、ラベンダーからホワイトリリーに変化する髪色を暗闇に浮かせながら、ディープロイヤルパープルの瞳で僕をにらんでいた。誰だ、先ほどの少女じゃない。


「オマエがやったのか?」


 僕をにらみ殺し、疑いをかける彼女の背中からは、小さな翼が生えていた。でかい胸に隠れてよく見えないが。

 にしても、天使か? いや、天使ならこんな目しないな、しかも僕に疑いをかけたりしないな。

 なにか言わなきゃ駄目だ、声は出るか? 誤解されたら悲惨すぎるぞ僕、頑張れ。


「ぼ、くじゃ……あ、りません、から……」


 なんとか声が出た。すると、天使モドキは背中に隠れる少女へ確認を取る。少女、違うよね、僕じゃないよね。

 僕ならこんなところで転がってゲロ吐いてるわけないよね。ちゃんと説明してね。

 小さく小さく聞こえる声からは、どうやら否定の意が感じられた。よかった。


「じゃあなんで、そんな格好をしている?」


 ……いま、パンツしか履いてないな僕、パンツ一丁だな。これには色々事情があるんだよ、そんなこと説明する元気はないが。

 僕が黙っていると、天使モドキは興味を失ったように少女を抱き上げ、僕が来た道とは逆へ進んでいき、消えた。僕が助けたのに……助けてないけど、頑張ったのに。手柄を横取りされた。

 クソが、盗賊アレクトに暴力少年に横取り天使かよ。どうなってるんだこの世界は、オーレンティウスさんこいつら捕まえて! まあ少女が無事だからよかったけど!

 と思ったら、本当に後ろから人の気配がした。オーレンティウスさんだよな、アレクトとか暴力少年じゃないよな、本当に嫌だぞ、頼むからな。こんなんばっかだな、どうせ悪い奴なんだろうな。

 だが、僕はその本人を見ることもできなければ、逃げることもできない。体が動かない。

 あ、どうせだから、死んだふりしよう。


「ちょっと、オウガさんですか!?」


 善意の音だった。紛れもなくそれは善意だった。この声は……ローナさんだ! 顔は見えないけど!


「どうも……お久し、ぶりです」

「まだ一日しか経っていませんよ! それに、なんですか!? その格好!」


 ローナさんは僕の顔をのぞき込んだ。ローナさんも年齢は僕と同じくらいなのかな、綺麗な肌だ。

 そんで、大変驚いているようだ、僕が一番ビックリしてるけど。


「腹、お腹をやられ、ました」


 そう言うや否や、ローナさんは僕を仰向けにし、鎧に包まれた手をお腹に当てた。

 彼女はゆっくりと目を閉じ、黙り込んだ。

 なにしてるんだ、僕は死んでないぞ、黙祷(もくとう)をささげているような雰囲気はやめろ。


「ラー、ドーグ、ハーケ……メディカル・ラン」


 なんだそりゃ、と思ったらローナさんの手が青白く輝いて、苦しさが抜けていった。ほう……魔術って紙でやるもんかと思ったら、ちゃんと詠唱もあるんだ。僕も今度試してみよう。


「ありがとうございます、二度目ですね、助けてもらうの」

「いえいえ、騎士として当然の……どうしてそのような格好なんですか? 昨日はちゃんと服を着ておられたと記憶していますが」


 まあ突っ込みたいよね。でも、なんで半笑いなんだ。人を弄るのが大好きな小悪魔タイプなのか? アリスさんみたいだ。


「話せば長くなるんですけど……」

「ギャンブルで大負けでもしましたか?」


 今度は完全に笑っていた。断じてそのようなことはしていない、ギャンブルに興味もないしね。


 かい摘んで説明をした。家族を探していること、家族の特徴、野宿していたら炎界王アレクトに遭遇したこと。着ていたものをアレクトに投げつけて逃げたこと。小太りの暴力少年に襲われたこと。

 会話の節々でローナさんは眉をひそめていた。


「家族を……そうなんですか。すみませんが、ご家族のほうは聞き覚えがございません。それと、炎界王がこの町に来ているというのは、本当ですか?」

「えぇ、顔が包帯だらけでしたよ。いい年でしょうに、可哀想ですね」


 やったのは僕だが。


「え? 炎界王アレクトは、成人もしていない少年と聞き及んでいますが?」


 ん? やっぱりアレ偽者か? 偽者だろうな、あんな奴にそんな格好いい二つ名がついててたまるか。


「じゃ、偽者でしょうね」

「あとその……暴力、少年というのは、最近うわさになっています。貴族のご子息なので、心苦しいですが騎士団のほうでは……」


 貴族なのか、貴族ってあんなことしても許されるのか。僕は許さん、次見たら張り倒してやる、キングマンの名に懸けて。

 あ、ローナさんの顔が歪んでいる、いまにも泣きそうだ。気にしないでほしい、仕方ないことだってあるのさ。


「気にしないでください、ローナさんに助けて貰えたわけですし、ローナさんは立派な騎士ですよ」


 少しわかった風な口を利いてしまったかと思ったが、ローナさんはたちまち笑顔になった。ふぅ、よかった。


「衣服のほうは、わたしが買ってきます。その格好で人に見られるのはまずいでしょうし」


 お、じゃあお金を渡さなきゃ……あぁ、偽アレクトへ投げつけた服の中だ。やっばい、無一文だ。


「ふふ、通貨もなくしてしまったのでしょう? 待っていてくださいね」


 ローナさんはガッシャンガッシャンと消えていった。

 僕は一人になったのを確認して、先ほどの魔術を使おうと試みる。

 えー、なんだっけ。確かラーラーラー……なんだっけ。

 あ、思い出した。


「ラー、ドーグ、ハーケ、メディカル・ラン!」


 なにも起こらなかった。

 それから何度試しても駄目だった。もうなんだろう、凄く恥ずかしい。顔が熱い。何が駄目なんだろう、もう一回だけやろう。


「ラー、ドーグ、ハーケ、メディカル・ラン!」


 駄目だ。それに、ローナさんの足音が聞こえる、もうやめよう。

 うーん、口に出しただけでお手軽にできるものではないのか? まぁいいかな、できなくても。


「オウガさん、なにかやってました?」


 僕の元へ再び戻ってきたローナさんは、顔を赤くして肩を上下に揺らしていた。走ってきてくれたのか、優しい人だ。


「いえ、べつに。なにからなにまで、ありがとうございます」


 服を受け取りつつ、頭を下げた。本当に、この人には頭が上がらん。

 僕はさっそく、もらった服を着ようとした。でもこれさぁ……。

 女物だよなぁ……それでも着るけど。


「あー、着心地はいいですね、代金はいつか返します」

「いいですよ、(おご)りです。着心地だけでなく、センスもいいでしょう?」

「……正直に言いますが、悪趣味ですよ……」


 僕はきわめてボリュームを絞った。愛想笑いも忘れなかった。


「正直な方ですね。やはりこういう格好をなされると、面白さに磨きがかかります」


 ローナさんは、目を輝かせて、鼻息を荒くした。

 そういう意図かよ。やめてくれよ、乗るけどさ。


「ウフフ、似合うでしょう?」


 僕はそう言いながらクルリと回り、スカートをなびかせた。


「ええ、おそらく、わたしよりも」


 そうすか。

 鎧を着ているところを見るに、仕事中なのだろう。

 僕で遊んでるからあまり悪いとは思わないけど、一応謝ろう。


「仕事中ですよね、邪魔してしまったようで、すみません」

「見まわりですよ。倒れている青年を助けるのも、勤めの一つです」

「大変ですね……僕みたいなのを助けてまわっているなんて」

「これからもっと大変になりそうです」


 なにかべつの事件でもあるのだろうか。


「そうなんですか」


 それなら、これ以上引き止めるわけにもいかないな。


「はい、ムーリン騎士団は困っている人を助けるのが仕事なので、あなたを保護します」

「それじゃあ、ありがとうございました!」


 なんか食い違った気がする。


「ございました、はおかしいと思いますよ?」

「すみません、えっと、僕は保護されるんでしょうか」

「はい、わたしの家で保護します」


 そんな捨て犬を拾うみたいな感覚で。

 新しい服もあるし今度こそ宿屋にでも泊まるよ……あぁ、そうだ。お金がないんだ。


「では、保護してもらえると助かります」


 保護された。

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