第十八節 フォレストグリーンの風 前編
女性が通りかかる。
「うわぁ、いい胸だなぁ」
「そうですね、でかいですねぇ……いいですねぇ」
僕たちは広場に座り、女性を眺めていた。そして小声でその女性たちを品定めしていた。非常に気持ちが悪いだろうが、なんとも楽しかった。
女性が通りかかる。
「大和さん、あの子はどうです?」
「んー、やっぱ胸はでかくないとなぁ」
偽アレクトの誘拐騒動のときの少年、名前を大江戸大和と言うらしい。いかにも日本人らしくていい名前だ。そう、彼は日本人だ。大和さんもこの世界へ転移した人間らしく、魔剣を持つ魔王。僕と同じだ。
年齢は十六歳で、趣味はゲームとおっぱい。転移のきっかけは教えてくれなかったが、どうやら自ら望んで転移してきたらしい。偽アレクトは無事、騎士に連れていかれた。
「それにしても、同じ日本出身でこの世界に訪れるなんて、すごい奇跡ですよね」
「そうだなぁ、俺も正直心細かったし……ていうか本当にタメでいいのか?」
「ええ。僕の敬語は癖みたいなものなので、気にしないでください」
こうした雑談も交えつつ、今はエノさんを待っている。大和さんのお供のマーシャスさんは、ナンパをしている。
ナンパをしている。わけがわからないが、マーシャスさんは女の子なのに女性を口説いている。いや、本気で落としにかかろうというわけでもなさそうだが、なんと今日だけで三人の胸を揉んでいる。まだここに来て一時間とたっちゃいないのに。
僕たちはそれを羨ましそうに見つめるだけだ。
お婆さんが通りかかる。
「……」
「……」
「エノさん、遅いですね」
「酒代の代わりに頼みたいことってなんだろうなぁ……ちょっと不安だよ。恩を返せるならなんでもするつもりだけどさ」
エノさんは、大和さんのお詫びを金とは別の方法で取ってもらおうとしているようで、今日ここに集合とだけ消えたが……なんでその本人が遅刻しているんだ。宿も違うから探しようもないし、ただ待つことしかできない。
「そういえば、リリーさんって言ったっけ、あの人の胸はまさに、天乳だったな。嫁にするならああいう人がいいなぁ」
そういえば嫁って、本来は一家の主が息子の妻を呼ぶときに使う言葉らしいが、僕も死ぬほど現代語使ってるしいいか。僕が妻たちを嫁と呼びたがらないのは、そう呼んだら本来の意味的に寝取っているみたいなニュアンスになりかねないからだが。嫁とキスしたいとか言ったらね。
「それも、もう拝めませんね」
リリーさんは昨日、偽アレクトが逮捕されたのを見届けて、旅に出た。それはもうさっぱりしたもので、寂しいのは僕だけか? と思うほどだ。
「お~。王雅さん、あの子はどうよ?」
「スタイルいいですね、出るところは出てて、引っ込むところは引っ込んでて……あ」
女性は僕たちの視線に気づいたようで、舌打ちして、うんこでも見るような目で僕たちをにらみ、早歩きで人ごみへ消えていった。
「気の強そうなところもいいなぁ……」
メンタル強いね、君。
どうしてだろう、彼と話していると結構楽しい。人の心を開かせるなにかがあるというか、カリスマ性があるのだろうか。同郷だからそう思うのだろうか。彼と僕の共通点は多いように感じるが、僕にそういうのはないだろうなぁ。彼の目に特別な力があるのを取っても共通点なのに……能力名も能力自体もまったく違うがね。
名前は英知の瞳で、その能力は有機物無機物に関わらず、ステータスを表示するというものだとか。しかし、僕と偽アレクトのステータスはなぜだかうまく表示されないっぽい。なぜなんだろう、いままでそんなことはなかったらしいが。
「遅れたわ、行くわよ」
「ごめんねー!」
「いえ、ぜんぜん大丈夫っす。マーシャス! いい加減にしろよー羨ましいぞー行くぞー」
エノさんとテュプルさんが気づくと、となりに居た。妙に二人とも顔が赤く、手を強く握り合っている……走ってきたのだろうか。いや、まさか、朝からそういうことしてたわけ?
変な気持ちになりながら、エノさんとテュプルさんに付いていくと、いつもの平原が見えた。今日はそよ風も心地よく、空も青いし、このまま寝てしまいたいな。
さて、そうもいきそうもない。ここに連れてこられたんだ、おそらく模擬戦だろう。大和さんと、僕との。
僕の予想どおり、エノさんからそのように説明された。ルールは、先に攻撃を通したほうが勝ち、ただし寸止め。それ以外にルールはない、なにを使用しても、どんな手を使おうがいい。
テュプルさんとマーシャスさんが楽しそうに雑談している。僕もあっちに行きたいな。
「王雅さん、準備はオッケ?」
「本当に寸止めで頼みますよ……エノさん、もし当たりそうになったら止めてくださいね」
僕のほうが寸止めなんてできそうもないし、エノさんに頼んでおく。仮にも風界王なんだし、そのくらいできるだろう。僕たちは十分に距離を取る。
「わかったわよ、じゃあ初め」
「キィング! ブレードォ!」
間髪入れずに僕は背中の魔剣を引き抜く。
「オウガ、あんたそれ……魔剣フェリルーンでしょ? リリーから聞いてるわよ?」
うるさいな……そんな名前だったか。でももう僕の物なんだからなんだっていいじゃないか。
「行くぜ、王雅さん。アテ、アーグ、ハーケ、アクティブ・ラン!」
「僕も本気で行きますからね。アテ、アーグ、ハーケ、アクティブ・ラン!」
この勝負は、一分で方をつけなければならない。なんたって僕の強化魔術の持続時間は……。
驚くことに、一分だからだ。
リリーさんはもっと長かった、大和さんもおそらくもっと長い。僕だけ極端に短い。これも訓練で伸ばしていけるらしいが、エノさんは言った。『一分とか……』と。規格外に短いらしい。
大和さんが緑の大地を蹴りつけ、上体を右へ傾け、右手の剣を斜め上に構えた。これでは、大和さんへ斬撃を浴びせることはできない。彼へ攻撃しようとすれば、どうしても僕の体が、がら空きになるからだ。突きならば僕の剣のほうが先に届くかもしれないが、それだと狙いが外れやすい。僕は剣を握ってわずか三日だし、リスクが大きすぎる。ならば僕は右半身を前へ出すか? これならば自分の中心線を守りながら攻撃できる。いや、僕も右へ移動し、大和さんの上体の正面に立つか。
僕は一歩、右へ移動すると、大和さんは左へ大きく一歩を踏み込んだ。そして彼の剣は自らの体の外側へ、水平に、僕を捕らえた。
一秒未満で僕にここまで考えさせるとは。脳が燃えそうだ。敵の攻撃は防御し、僕の攻撃は通す方法。
心の中で、欠片眼を叫ぶ。
一瞬のイメージ、大きな石の壁を、接触まであと一歩のところで大和さんの目の前に出現させる。物質創造。
彼の魔剣がこの石に当たれば儲けもの、大きな隙ができる。先ほどの大和さんのように、左へ大きく踏み込み、石を回りこむ。
大和さんは、こっちを向いていた。
なんでだよ、魔剣を振らなかったにしても、なんでこっちから僕が出てくるってわかるんだよ。
驚くより先に、僕はフェリルーンを振ってしまっていた。彼の魔剣の刃は三本になっていて、うち二本で僕の剣を受け止め、残った一本が僕の目の前にある。
「降参です」
「ふぅ……」
強すぎんだろ。
「なにか剣術とかやってたんですか?」
「いや、もっぱらゲームばっかで、運動とかは授業でしかないぜ。帰宅部だったしな」
彼にはカリスマ性だけではなく、戦闘のセンスもあるようだ。
「オウガ、あんたの剣筋ってどうしてそんな、よれよれ~、ってしてんのよ」
「あ、多分っすけど、溜めがないとか」
大和さんは、エノさんやテュプルさんに対してはこんな口調だ。それにしても、溜めか。わからんな……どうやりゃいいんだそんなの。
「つーか、昨日も見たが、あの青い目なんなんだよ!? この壁は!?」
「あ、えっと、欠片眼って呼んでるんですけど、こういうの出せるんですよ」
二人で壁に手をつきながら、説明すると、大和さんはウ~ンウ~ンとうなり始めた。
「それはこっちの世界で身につけたやつなのか?」
「いえ、元から。英知なる瞳みたいなものですよ」
「すっげーなぁ。だからステータス見えねぇのかな」
大和さんが興味津々なところで悪いが、僕は非常に落ち込んでいる。年下に負かされたのだよ? しかも、僕のほうが戦闘に使える能力を持ちながらだよ?
「エノさんのステータスは見えるはずだけどなぁ。英知なる瞳!」
あ、これ、風界王ってバレるんじゃ。
「な、年齢、二十七歳!? 見えねぇ! しかもエルフじゃなくて、フォト族って!」
うっそだー。フォト族ってなんだよ、カメラ小僧の亜種か?
「そんなに年食って見えるかしら? 殺すわよ?」
「いや逆っすよ……見た目若すぎっすよ、年下かと思ってましたもん」
そのとおりだ。
「冗談はいいから。さっさと構えて、次やりなさい」
「むふっ」
冗談だと思ってるのか、笑っちゃうよ。それに風界王ってバレなくてよかったね。
「王雅さん、いい案でも浮かんだのか? 手加減してくれよ」
それは冗談だな? 冗談はよせ、君が手加減しろ。
また先ほどのように、十分に距離を取る。本当に案を練らなくては。うーん、やっぱり僕と言えば……だまし討ちだろうか。
「初め!」
エノさんの掛け声に反応し、同時に強化魔術を詠唱する。さて、ここからだ。
「あ、未確認飛行物体!」
大和さんの後ろを指差して叫ぶ。
「いや、さすがの俺でも引っかからねぇぞ、そんなの……」
そうかな?
彼の遥か後方に、やはり石を落とす。後ろを指差され、未確認飛行物体などと叫ばれ、その後ろから音をする。
当然、見るだろう。
「期待されてるとこ悪いんだが……見ないぞ。音は大方、欠片眼によるものだろ?」
天才かよ。
「あ、すっごく大きくて形の良い……おっぱい!」
大和さんは振り返った。
「そりゃずるいぜ……降参」
フェリルーンを腹へと添えられた大和さんが手を上げる。
「あんたら馬鹿なの?」
エノさんの言うことも、もっともだが。どうしても反応してしまうワードというものはあるものだ。僕だって『あ、菫さん』などと叫ばれれば絶対に振り向く。
「王雅さんとの模擬戦はなんつうか、参考になるな」
「ええ、僕も大和さんの戦闘センスは見ていて勉強になります」
これを対等と言ってはなんだかあれだけどね。
それからも模擬戦は続いた。いくら寸止めと言っても、転びもするし擦り傷も絶えない。エノさんの治療魔術は僕たち二人へ何度も注がれた。
「いや、ほんと……疲れましたね」
「俺も、マジでもう、ギブ」
青春の一ページのような光景だ。沈みかける太陽、赤を基調とするが青を残した空、草原に寝そべる二人の男。
「大和さんの剣を分身させる力は、魔剣の力なんですか?」
そう予想してみる。分身能力は本当に厄介だ、剣を持たずして使用しているようなもんだから。
「ああ、魔剣グラスの力だと思う。その剣……キングブレードって呼んだほうがいいのか?」
「いえ、フェリルーンで」
「フェリルーンにもなにかあると思うぜ」
そうなのか。
大和さんの魔剣、グラスもフェリルーンも同じ魔剣だし、僕だけ外れなんて嫌だからそう考えよう。いやでも、そうすると僕はこの魔剣の力をまったく引き出せていないんじゃないか?
「エノさん、僕って戦いの才能ないですか?」
「ないわね。頭でゴチャゴチャ理屈重ねてるのも見ていてわかるし、その結果で最善を尽くせていないわ。でも才能なんて、回数を重ねりゃいいのよ。ヤマトが一を経験したらあんたは百を経験すればいい。なにより私が指導してんのよ?」
言うね。そこまで言われたらがんばるしかないか。
しかしエノさんはどうして汗一つ流していないんだろう。最近わかったのだが、どうやら僕は魔剣から魔力を引き出し、体に循環させているようだ。その魔剣の魔力にも限りがあるのは使っていてわかるし、大和さんもおそらくわかっているだろう。そして自分の魔力ではないのに、魔術を使うとこれが結構疲れるのだ。
何度も何度も治療魔術と使用して平然としてるなんて、風界王はいいな。僕もなりたい。
「明日も必要っすか?」
「お疲れさま、今日限りでいいわよ。明日からは私とテュプルと王雅で依頼をこなすわ。飲み代も馬鹿にならないし……なによりテュプルがほかの女とイチャついてんのが見てられないのよ!」
僕も大和さんも、冷ややかな目でエノさんを見る。
「王雅さん、たった二日だけど、楽しかったよ。本当にマーシャスを助けてくれてありがとう。これくらいで恩は返しきれると思ってないし、また困ったことがあったらなんでも相談に乗るぜ。そうでなくても同じ日本人だし、俺はもう友達だと思ってる。絶対また会おうな」
「へへへ……よろしくお願いします」
「あ、待って、私からもお礼ね! ありがとっぱいオウガさん!」
こんなはっきり好意を向けられては照れてしまう。そうでなくても照れやすいのに。思わず口角が上がる。でもマーシャスさん、ありがとっぱいは意味わからん。
「さ、明日は黄色依頼、その次は赤色依頼よ」
僕の口角は地を突き破りこの世界の内核へ突入した。